(後編)

08

 伊織が東豪寺麗華と連絡をつけることができたのは、午後八時をすぎてからだ。
 伊織はアイドルだが、麗華は人気アイドルとしてだけでなくプロデューサー、会社社長と様々な顔を持っており、自由になれる時間も限られていた。

「午後九時半、海浜公園のウッドデッキで待ち合わせをしましょう」

 麗華が指定した時間の十分前に伊織は到着した。
 伊織の胸ほどの高さの手すりが取り付けられた広い木製のデッキで、視界一面、海岸線まで見渡せる。月を映す海面がゆらゆらと揺れている。
 麗華と会ったら何から話すべきか。伊織は考えた。
 幼なじみとの再会だが、会う目的が公人寄りになってしまうのは仕方がない。
 なによりも、話しの主題は自分たちのことではないのだから。

「お久しぶりね、伊織。忙しいようで何よりだわ」

 東豪寺麗華は、長い髪を腰まで伸ばし、前髪を目の上で切りそろえている。その何者をも睥睨する視線は、以前に比べればやや厳しさが和らいだものの、強い意思が失われたわけではなかった。

「こんばんわ、麗華。こんな時間で外で会うのは久しぶりね」

 二人は財閥の娘であり、私人としても公人としても、人目につかない場所で会うことは少なかった。
 伊織が話を切り出した。

「率直に聞くわ。麗華、あなたもあの記事を読んだわよね。
 はっきり聞かせて。あれはどこまで本当で、あなたの真意はどこにあるの?」

 ふふ、と、麗華が笑った。

「天下の水瀬伊織が、あんな三流誌のデマに踊らされてどうするの? あなたらしくもない」

「その三流誌のデマを悪用して、これまで芸能界を混乱させてきたのはどこの誰だったかしら?
 忘れたとは言わさないわ」

「忘れることはないけれど、それは過去の教訓としてのことね。
 今の私は、そんなことはしないわ。ただ、私が菊地真に注目している事は事実よ。
 菊地真が自分の意思で東豪寺プロを選んでくれるのなら、心から歓迎する」

「つまりあの記事は嘘で、真と魔王エンジェルのコラボ企画にも下心はなかったってこと?」

「そうよ」

 伊織の表情が、疑惑と疑問に次々と支配されるのに対し、麗華の表情は変わらない。
 少し柔らかだが、自信に満ち溢れているのは、今も昔も変わらない。

「伊織、私はね、最近こう考えるの。
 高い実力を持ちながらないがしろにされている歌手やアイドルがいる現状が我慢ならない、と。
 私は一度やり方を間違えて芸能界を干されたけれど、実力でAランクまで戻ってきたわ。
 でも芸能界には、どれほど実力を持ちながら不遇な環境に身をおくアイドルがたくさんいる。私はそんな人たちにチャンスを与えたいの」

「以前とは別人のようなことを言うのね。
 それで、真っ先に目をつけたのがうちの真ってわけ?」

「そうよ」

「言っておくけどね、真はアイドルランクBよ。そんなにないがしろにされているわけでもないし、活躍の機会もある」

「それが、彼女の意思どおりの活躍なのかしら? 本人に確認してみる?」

 伊織が何のことか分からず、麗華がすっと伊織の後方を指差した。
 伊織がゆっくりと背後に向くと、人影があった。ショートカットの少女が、動きやすそうなジャージ姿で立っている。
 ただ、その表情は明快とは言いがたい。

「真……」

 伊織のつぶやきに気づかず、真は伊織の隣まで近づいた。

「この時間に大げさに呼び出したのは、ボクが不遇だってわざわざ伝えるためですか? 東豪寺社長?」

 その言葉に、普段の真の明るさはない。たしかに明るい話題ではないが、真には珍しい表情だった。

「麗華でいいわ。同い年なんだし、妙な堅苦しさはやめましょう」

「じゃあ、ボクのことも真でいい。質問に答えて、麗華」

 微笑んだまま、麗華は少し肩をすくめた。

「真、私はね、あなたのことを765プロのアイドルの中でもっとも評価しているのよ。
 トップレベルのダンス、標準を軽く超えるレベルの歌唱力、親しみやすいキャラクター。
 どれをとってもトップアイドルに相応しい能力だわ。そんなあなたが、たかがランクBに落ち着いているのが我慢ならないの」

「好評価には感謝するよ、麗華。でもボクは今のランクが妥当な評価だと思っているんだ。
 どのジャンルをとってもボクよりも上の存在がいる。ボクのランクが上がらないのは、単に努力が足らないからさ」

「はたして、そうかしら?」

 麗華は伊織と真とを順に見、腕を組んだ。ゴシックスカートが、海からの風に揺れる。

「真ほど真摯にレッスンをするアイドルが、ほかにいる? そのレベルの高さを含めてね。
 たとえばフェアリーの星井美希を見なさい。まともにレッスンもせずに眠っているばかりなのに、ユニットでちゃっかりランクAに収まっている。悔しくはないの?」

「麗華」

 真の表情が変わった。言葉は暴れないが、口元が少しつりあがる。
 感情的になりやすい真だが、この表情は珍しい。直感的になにかを警戒しているのかもしれない。

「仲間のことを馬鹿にするなら、ボクは許さないよ。
 例え相手が魔王エンジェルだろうとね。何も知らないくせに陰口を叩くのは最低の人間だ」

「気に障ったのなら訂正するわ。私は過去、星井美希にしてやられたから、感情的になったのかもしれない。
 ただ、私はあなたの努力に正統に報いてあげたいと思っている。それも事実よ」

「報いる?」

「そう、今度のコラボで使う楽曲は聴いた?」

「海色でしょ? 聞いたよ、パワーがあっていい曲だと思った」

「その海色をわたし達と歌ってみて、もしもアンコールが起こったら、別の曲を歌ってみない?」

「別の曲?」

「そう、これもカバー曲だけど、346プロの諸星きらりの持ち歌「ましゅまろキッス」」

 真の肩が少し震えた。諸星きらりは186cmという欧米ファッションモデル並の長身のアイドルだが、かなりはじけた言動でも有名で、「かわうーい」「おにゃーしゃー」など、可愛いものが大好きな一面でも知られる。そのデビュー曲「ましゅまろキッス」も、ひたすらカワイさを追及したメロディーと歌詞になっている。

「あの歌を、あなた好みのドレスで歌わせてあげる。
 真の本当にやりたいことを、やりたいようにやらせてあげる。真が本当の自分で楽しむ機会を作ってあげる」

「……………………」

「真……?」

 伊織が話しかけるが、真は声を出さない。
 自分が望んだ世界。自分を隠すことなく表現できる世界。
 これまで自制を余儀なくされてきた自分を、見せることができる。
 しかし、それは周囲に止めてこられた世界でもある。プロデューサーが、そして雪歩が必死に諦めさせようとした世界だ。
 なぜなのか、分からない真でもない。客が、視聴者が求めていないからだ。
 この世界は、視聴者に興味を持ってもらってなんぼの世界である。いくら自分がやりたいことがあっても、視聴者が求めていないのでは……。

「それとも」

 麗華が挑戦的な瞳で真を貫く。

「できないかしら? 自分を貫く勇気はない?」

 毒の針を含んではいないけれども、十分に氷を含んだ言い方だった。
 麗華は、どちらかといえば芸能界でやりたい放題にやってきたほうだ。自分が売れるためなら全く手段を選ばず、テレビ局のスタッフは無論、視聴者までも引き込んで自分の世界を作ってきた。
 今は少しやり方を変えて強引な手段はなりを潜めているが、周囲を自分のペースに引き込む魅力はまったく色あせていない。
 つまりは、自分を隠し続ける真のことが、もどかしいのである。

 真は顔を伏せ、少し拳を振るわせた。一瞬の後に、真が言った。

「……誰にむかって言ってるの?」

 つまり、麗華の要望に乗った、ということだ。

「真、自分で勝手に決めるんじゃないわよ。
 この企画はプロデューサーが計画に関わってるんだから、まずあいつに相談するのが……」

 だが伊織の言葉は、麗華によって遮られた。

「あの企画の発案者は私よ。私がYESといえば、アンコールに一曲加えることなどわけはないわ。
 真の実力を発揮させる場所を用意するのに、なぜ伊織が反対するのかしら?」

「………………」

「どうやら伊織は、まだ私の下心を疑っているようね」

 伊織の心には恐怖がある。もちろん、真が全力を出し切って、楽しみきってライブを終えるのがいちばんいい。
 しかし、その裏には東豪寺の力が働いている。真が765プロでの扱いに嫌気が差して、活動の場を東豪寺を選ぶ可能性だって、完全にゼロとはいえない。

 その真が、何かを考えるような仕草をしている。

「麗華、ボクからも一つだけ条件があるんだ。聞いてくれる?」

「構わないわ。フェアじゃないものね」

「アンコールで歌う歌を二曲用意して、どちらを歌うかを、その場でボクに決めさせてほしい」

「曲名は?」

「チアリングレターでいこうと思う」

 それは、真の最近の代表曲の一つだ。真自身が作詞を担当した曲で、十年後の自分に当てた応援の手紙、という内容になっている。
 総てを納得したように、麗華は頷いた。

「わかったわ、二曲とも用意させましょう。ミニライブは一ヵ月後。
 一週間後から、魔王エンジェルと真の合同レッスンを始めます。それまでに「海色」の振りを覚えておいてね」

「振りはもうおぼえたよ。あとは歌詞だけ」

「さすがね。じゃあ……」

 ふふ、と微笑んで、

「魔王エンジェルのプロデュースを始めましょう」

 麗華はその場を後にした。
 意味ありげな表情で真を振り返り、伊織に嫌な予感を持たせた。
 残された伊織が、真に駆け寄る。

「アンコールを二曲用意させて、どういうつもりなの?
 確かに「海色」のあとで「ましゅまろキッス」はインパクトがあると思うけど……」

「ましゅまろキッスは麗華が用意した曲。チアリングレターはボクが用意した曲。
 ボクが東豪寺に行くかどうかはともかく、そういうサプライズを期待してるお客さんだっているかもしれないだろ?」

「ちょっと、どういう意味よ。あんたまさか……」

 伊織は叫んでみたが、真はすでに立ち去ろうとしていた。その背中を見て、伊織の胸に霧のようななんともいえない感覚が広がった。

09

 翌日から、真の個別レッスンが始まった。一週間後の合同レッスンまでに、最低でも「海色」「ましゅまろキッス」の二曲をマスターしておかなくてはならない。
 真はダンスにかけては業界でも一二を争う。同じ事務所に我那覇響という最大のライバルがいるおかげでもあるが、振りの覚えの早さも、そのキレ味も、随一だった。

 問題は歌詞のほうだが、これが難儀だった。自分で作ったチアリングレターの歌詞も覚えなおさないといけないから、実質三曲ぶんの歌詞を一週間で頭に詰め込まなければならない。
 真にとっては得意分野ではなかった。

 それでも、一週間後にはなんとか頭に入っているあたりは、アイドルの面目躍如といったところだろうか。伊織に言わせれば「できて当然」ということだったが。

 この時期、真を辟易させたのは、例の「東豪寺プロ移籍」という飛ばし記事を本気にしたマスコミが、執拗な取材攻勢をかけてきたことだった。
 事務所から出れば彼らは真を囲み、無言を貫くとタクシーで追いかけてくる。自宅に閉じこもれば、その周囲でカメラを構えて張り込む。
 普通の人間のやることじゃない。怪我をしたらすぐに連絡するように、とプロデューサーから釘は刺されているが、むしろ自分が彼らを彼らを空手でなぎ倒さないか、そちらのほうが気がかりだった。

 その翌日から、東豪寺プロでの合同練習が始まった。
 今回のライブは、新宿のライブハウスを短時間だけ借り切って行なう。そのため歌えるのは多くて二曲、つまり「海色」のほか、「ましゅまろキッス」か「チアリングレター」のどちらかということになる。
 シークレットライブのはずだが、「海色」が「菊地真 feat.魔王エンジェル」という名義でCD化されることはすでに公開されており、注目度は高くなっていた。
 これまでも真は数々のライブに出て、何枚もCDも出しているが、ライブの規模に比べて個人の名前がこれほど注目されるのは初めての事だった。

「これが、あなたの本来の人気なのよ。これまで765プロの看板に隠されていただけ」

 軽く変装した麗華が看板を見上げながら、やはり軽めに変装している真に話しかけた。
 真は驚いていることは確かだが、それを言葉にしようとはしなかった。自分の故郷は765プロであり、そこを離れて初めてこのような注目を集めることになって結果に、少し皮肉さを覚えたのかもしれない。

「今度は魔王エンジェルの看板に隠れないことを祈るよ」

 と、一言言っただけだった。

 東豪寺プロは961(黒井)、346(美城)、西園寺などと並んで業界でも大手に数えられる。自前のレッスンルームも本社ビル内に完備している。そのため、外部の何かに集中を乱される心配はないし、エステルームまで完備しているから、体のケアの心配もなかった。
 ここでのレッスンは、真にとってはかなり新鮮だったらしく、麗華に「どうかしら」と問われて「個人的にはまた来たいね」と返している。

10

 レッスンもレコーディングも無事に終わり、あとは二日後に控えた本番とCD発売を待つだけになった。
 このときになっても、真はアンコールで歌う曲をどちらにするのかを決めていない。
 正直に言うと、東豪寺プロは居心地のいい事務所だった。麗華は自分が認めた相手には気を使ってくれるし、魔王エンジェルの朝比奈りん、三条ともみも、個性的なメンバーだが嫌味がなく、悪い印象はない。
 社内の設備も整っていて、納得ができないときは心いくまで身体を動かし、ゆっくりと身体を休めることができた。今後長く芸能活動を続けていくのなら、こういった場所がいちばんいいのかもしれない。

 ただ、頭の端から765プロが消えてしまったわけではない。
 この三週間、仲間に会えないことは純粋に寂しかった。雪歩のお茶が飲めなかったし、春香のドジを嗜める千早が見られなかった。響にダンス勝負を申し込まれることもなければ、亜美・真美のいたずらに悩まされることもなかった。

 考えるまでもなく、最後に帰るべきは765プロなのだろう。あのボロいビルの三階のドアを開ければ、小鳥さんが笑顔で出迎えてくれる風景。
 それは、東豪寺プロの自動ドアの玄関を入り、事務的な対応の事務員と話すのとは温かみがまるで違う。
 だが、765プロでは本当に自分が望む芸能活動はできない。765プロにおける菊地真の役割は、どこまでいっても「王子様」だ。これはもう、変わることはないだろう。
 東豪寺なら、自分の夢をかなえることができる。「もし入社したら最初の仕事はこれ」と、フリフリのドレスを着せてもらうこともできたし、麗華からできるだけ自分の要望を優先するという確約もとった。麗華の顔の広さなら、大抵の要望は通るだろう。

 どちらを採るのか。今か、過去か。真の心は揺れている。

11

「それでは登場していただきましょう! 菊地真feat.魔王エンジェルで、「海色」!」

 司会者の合図とともに、四人はステージに上がる。ミニライブだが、本番の高揚はいつもとかわらない。ペースの速い曲ならばなおさらだ。
 観客の歓声を受けながら、真はインカムの位置を微調整する。一緒に歌うのは、いつもとは違うメンバーだ。
 雪歩がいない。響がいない。春香がいない。千早がいない。真美がいない。やよいがいない。
 それでも、練習はつんだ。三週間、魔王エンジェルと細かな点までつめにつめた。

 ライトが自分たちにあたる。センターは自分だ。765でもつとめたことがない。
 春香は、伊織は、美希は、いつもこんな緊張感の中でセンターを勤めていたのか。
 発見に次ぐ発見だ。

 曲が始まった。四人がポジションに着く。歌もダンスも身体に叩き込んであるから、慌てはしない。
 だが、やはり765プロオールスターズとでは微妙に入りのタイミングがずれる。これも、身体に叩き込んだ。

――言葉もなくて ただ浪の音 聞いてた
――記憶の意味 試されているみたいに
――闇の中でも思い出す 前に進むの 見ていてよ
――So repeatedly, we won't regret to them

「あ」

 歌いながら真の視線が、客席の一部に留まった。
 どこかで見たことのあるロングヘアにカチューシャが、鋭い目で真を見ている。

――そんな風に考えてたの
――憧れ 抜錨 未来
――絶望 喪失 別離
――幾つもの哀しみと海を越え

 真が見つけたのは、彼女だけではなかった。
 二つのリボンが見える。厳しい顔をしたロングヘアがいる。ツインテールの小さい子がいる。
 そして、ショートボブの子が、心配そうに自分を見つめている。

――たとえ 世界の総てが海色(みいろ)に溶けても
――きっと あなたの声がする

――「大丈夫 還ろうって」

――でも 世界の総てが反転しているのなら
――それでもあなたと まっすぐに前を見てて

(ふふ、心配しすぎだよ、みんな)

――今 願いこめた一撃 爆ぜた――

 歌い終わったとき、観客の興奮は頂点に達していた。
 沸き起こるアンコール。サイリウムが揺れに揺れた。
 一度は退いた四人がステージに戻ると、歓声がさらに会場を乱打した。

「アンコール、ありがとう。じゃあもう一曲いくわね」

 麗華が真をひじで軽くつつく。真は、大きく手を伸ばし、会場全体を見渡していった。
 愛すべき仲間たちを見ながら、笑顔で叫んだ。

「それじゃあ聞いてください。チアリングレター!」

(fin)

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COMMENT

 自分の好きなものをひたすら突っ込んだらこうなりました(笑)。
「海色」はアニメ「艦隊これくしょん」のオープニングテーマです。偶然アニメ「アイドルマスター シンデレラガールズ」と同時期に流れていたので見ていたのですが、かなり中毒性の高い曲で、一時期脳内でエンドレスループしてました。
 作中の東豪寺麗華は、漫画「アイドルマスターrerations」の登場人物で、765プロをあらゆる手段で追いつめるものの、最後は覚醒美希と全力千早に敗れて改心した(と思われる)、アイマス屈指の名悪役です。
 この小説の中では、美希たちナムコエンジェルに敗北した後、少し心を入れ替えてトップアイドルに返り咲いた、という設定になってます。

(15.03.03)