剣の舞B

 事件から二日後、深夜。
 ゼクセン騎士団長クリス・ライトフェローは、ヒュッテビュッケの城のすぐ脇にある酒場で、アルコール度数の高いエール酒を道連れに、その白銀の甲冑に包まれた肢体をテーブルに沈殿させていた。
 たった二日のことではあるが、クリスの凛とした眉間には皺が刻まれ、その表情も未だ虫の居所が悪そうである。
 酒場の舞台では、オーギュスタン、ランディス、アイク、ホルテス7世のオールキャストでコミックホラー「ロミオとジュリエット」が開演していたが、とても楽しんで見るような気分ではなかった。

006

 全ての原因がビッキーの能力とくしゃみが原因であると知った直後、クリスは途方もない疲労感と無力感から、魂をどこかに飛ばしてしまったらしく、自分を取り戻すのに、幾許かの時間が必要だった。
 その後、何とか立ち直った彼女は、命がけで自分から逃げ回ったヒューゴと、とんでもない騒ぎに巻き込んでしまった二人のビッキーに詫び、自分を除く五人の“誉れ高き六騎士”たちに謝罪した。
 もちろん、その全員に緘口かんこう令をしくのも忘れなかった。
 部下の六騎士には

「関係者以外に口外したら問答無用で死罪」

 などという、いささか剣呑けんのんな条件付きで。
 もちろん、皆信頼できる人間達だから、この騒ぎが表に出る可能性は低い。
 しかし、詫びを入れた時のヒューゴの微笑ましい表情や、六騎士たちの間で今後も話の種として語り継がれていくであろうことを思えば、素直に安心できないのが正直なところだった。

 彼女を一番悩ませたのは、実のところヒューゴである。
 クリスが侘びを入れた時、ヒューゴは微笑んで言った。

「ああ、もう誤解も解けたし、別にいいよ。
 それよりも、クリスさんもあそこまでなりふり構わず暴れることがあるんだな。
 頭が固いだけの鉄頭だって思ってたから、そっちの方が意外だった」

 そして、最後にこう付け加えた。

「俺、そんなあんたは嫌いじゃない」

 不覚にも、その言葉を聞いた直後、彼女は体が一瞬硬直して動けなかったのだ。

 そもそも、自分がなぜヒューゴにあのような行動をとってしまったのか、そのあたりが自分で一番不可解だった。
 クリス自身が自覚しているのだが、ヒューゴと裸のビッキー(複数)を見てしまったとき、彼女は“怒った”のではなく、“キレた”のだ。
 普段ならば正面から苦言を呈するか、堂々と怒るのだが、あの時に限ってなぜか堪忍袋の緒が瞬間的にはじけ飛んでしまった。
 こんなこと、部下が相手だって経験がない。
 生来生真面目な性格のクリスは、自分自身でワケの解らない感情に押し流されたことに納得がいかないのだった。
 どうにかして自分の感情の流れが説明できる、正当な理由が欲しかったのである。

 そうしてクリスが不機嫌と肩を組んで酒を飲んでいると、目の前に大きなボトルが置かれた。
 誰かと思いクリスが視線を上げると、そこに立っていたのは褐色の肌と長身を持ったカラヤの女傑、ルシアだった。
 炎の英雄ヒューゴの母親であり、自らも長年、シックス・クランの中心人物としてゼクセンと戦い、グラスランドを守り続けた英雄であった。
 クリスとは一回りも年齢が違うはずだが、その肌は未だ若々しく、目は活動的な光に満ち溢れていた。

「どうした、クリス。やけに不機嫌そうじゃないか。
 なんなら文句の一つも付き合おうか?」

 言うと、ルシアはクリスの返事も聞かずに、テーブルの対面の椅子にどかっと腰を降ろした。

「ルシア族長、失礼だが結構だ。他人に話すようなことではないし、既に解決済みのことだからな」

「そうか、それは残念だな」

 善意を謝絶されたにも関わらず、何故かルシアは楽しそうだ。

「ルシア族長、なにか楽しいことでもあったのか? やけに顔がほころんでいるが」

「いや、楽しいというほどの事でもないんだけどね」

 言いつつ、自分のグラスに自分で酒を注ぎ、それを一気に煽ると、今度は彼女から話を切り出した。

「そういえばクリス、今度な、私の名で二つの条例を皆に提案してみようと思うのだが、どうだろう?」

「提案? 別に良いのではないか。
 それがカラヤの総意であるなら、憶さずに堂々と主張すればよい」

「そうか、では次の会議には、『未成年者保護条例』と『未成年者犯罪防止条例』を提案させてもらおう」

 ぴくり、とクリスの動きが止まる。
 どこかで聞いたような……いや、どこかで言ったような覚えがある条例の名前である。

「昨今、ヒュッテビュッケには子供も増えたし、これらの犯罪防止と保護に努めるのは大人の役割だからな。
 ……うん? どうした、クリス?」

 ルシアはなおも楽しそうにクリスの顔を覗き込む。

「い、いや、ちょっと酒がまわっただけだ。心配は無用」

「そうか、これくらいでダウンしていては、ゼクセンの上流貴族の名折れだぞ。
 しっかりするがいい」

「あ、ああ……」

 なにやら嫌な予感が、クリスの頭の中を急旋回する。
 だが、ここで席を空けるわけにはいかない。
 何も知らない(はずの)ルシアを怪しませるだけである。
 特に何事もなかったの如く、自分のグラスに酒を注いだ。
 だが次の瞬間、クリスはものの見事にトドメを刺されることになる。

「ところで、クリス」

「なんだ、ルシア族長」

「お前の胸は、鎧で押さえつけているから、ではないのか?」

「げほっ!」

 呑みかけたアルコールを思いっきり器官に入れてしまい、クリスは激しく咳き込んだ後、わなわなと震える指と声にならない声で、ルシアを凝視した。

「なっ、な、な、なななななっ、なぁあ!」

「クリス、お前は文明人だろう、しっかりと言葉を喋りなさいな」

 ルシアのほうは、完全に年下の同性をからかって遊んでいるような表情である。
 楽しくて仕方がないらしい。
 一方でクリスは動転と混乱の極みである。
 なぜルシアがあの事件を知っている? 堅く口止めをしたはずなのに、さてはヒューゴが母親に喋ったのか?

『おのれ、あの黄色い小猿めが! やはりトドメをさしておくべきだったか!』

 だがルシアの言葉が、今にも拳を固めてテーブルを殴りつけそうなクリスの思考を否定した。

「心配するな、クリス。ヒューゴは誰にも喋っていはいないさ」

「え?」

「あの子は相手が誰であろうと、約束は守る。簡単に裏切るような子じゃないよ」

「い、いや、言われずともそれは解るが……ならばなぜ……」

 貴方があの事件を知っているのか? クリスは幾分落ち着きを取り戻した、というよりも、やや毒気を抜かれたような表情でルシアを見た。

 ルシアとしては、このようなクリスの反応が楽しくて仕方がない。
 三十秒前には今にもヒューゴのところに殴りこみに行きそうだったのに、「裏切る子ではない」と言われれば、それをあっさりと肯定する。
 クリスは、そういう女性なのだ。
 軍人として、そして戦士としてたぐいまれな才能を内包して生まれた“純粋騎士”は、その一方で“女性”としての完成にはまだ至っていない。
 ヒューゴが炎の英雄となり、行動を共にするようになってからクリスの中で彼の存在がどのように変化しているのか、まったく気付いていない。
 だから、今回の事件にしても、なぜ自分がヒューゴにキレてしまったのかが解らないのである。

「あのね、クリス。仮にもヒューゴはカラヤの英雄だぞ。
 我等がクランが、ヒューゴの危機を気付かなかったとでも思っていたのか?」

「しかし、あの場にカラヤの人間はいなかったではないか」

「いや、いたんだよ。それも最初から最後までね」

「??」

 いよいよもってわけがわからぬ。
 そう言いたげなクリスを見て、くすりと微笑むと、ルシアは真相を告げた。

「ヒューゴの居室の隣に、もう一つ部屋があることを忘れたか?」

「…………………………………………は?」

「その部屋には、普段からヒューゴの警護のために、カラヤの戦士やジョー軍曹らが張り込んでいるんだ。
 当然、お前が騒いだあの晩もな。当日は私もそこに居合わせたわけだが」

「いや、だったら、なぜヒューゴが悲鳴を上げた時点で入ってこない? それこそ英雄の危機ではないのか」

「悲鳴の原因がヒューゴの命に関わることだったら、即座に入ったさ。しかし、原因はすぐに解ったしな。
 真っ先にお前が飛び込んできたのは意外だったし、そのときは流石に乱入しようとしたが、ジョー軍曹が「面白そうだから放っておけ」と言うものでな。
 お陰で本当に面白いイベントに鉢合わせたわけだ」

『あ、あのアヒルか……ッ! カラヤの関係者の中では信頼できる人物だと思っていたのに……ッ!』

 クリスは、脳裏に浮かんだダック・クラン出身の歴戦の猛者を非難したが、それが非生産的行為であることも知悉していた。
 思わず立ち上がっていた彼女は、そのまま脱力して再び座りなおした。

「それで、これからどうする。その話を種に、私を笑いものとするか?」

 クリスが忌々しげに言うと、意外にも真面目な表情でルシアはそれを否定した。

「冗談。お前がヒューゴを信じて口止めをしたのなら、我々クランは総力を上げて、信頼を預けてくれた人物との約束を守るさ。
 その点は安心していい」

 もっとも、あの場面に遭遇したのは私とジョー軍曹だけだがな。
 ルシアはそう加えたが、クリスの疲労感は一向に軽減されなかった。
 ことの当事者に最も近い関係者であるルシアに「安心していい」などと言われても、一向に安心できぬ。
 クリスの気の靄をなおも楽しむかのように、ルシアは話題を転じた。

「しかし、クリス。お前の居室とヒューゴの部屋はかなり離れているだろう。
 他の連中が気付かなかったというのに、よくお前にだけヒューゴの声が聞こえたな」

 からかうような声でルシアが問う。
 クリスの返事は、彼女らしくもなく、もはや雑である。

「知らんよ、そんなことは。
 風か空気の問題か何かで、他の者が気付かなかっただけではないのか」

「なるほど、知らぬは本人ばかりなり、とはこういうことか」

「…………どういうことだ?」

「いや、我等カラヤではな、クリス。
 将来結ばれる運命にある男女二人を、風が繋いで祝福するんだ。
 風が原因でお前だけにヒューゴの声が届いたのなら、お前たちの将来は既に決定しているのだな、と思ってな」

 楽しそうに言うルシアの言葉を暫く頭の中で咀嚼し、クリスはいきなり顔を真っ赤に染めて立ち上がりルシアを睨みつけた。

「な、なっ、な! こ、ここへきて妄言を吐くか、ルシア族長!」

 だが、ルシアはひょうひょうとしたものだ。
 クリスの再度の動転の言葉を平然と聞き流す。

「なに、これは我々の側の解釈だ。ゼクセンの風習での解釈は知らんよ。
 だが、取り消しは受け付けんぞ、クリス」

 けたけたと笑いながら、ルシアは立ち上がり、自分の持ち込んだグラスと酒のボトルを手に取った。

「さて、グラスランドとゼクセンの将来に乾杯したい気分ではあるが、あいにく、このままここにいたら斬られそうだからな。
 私は退散するとしよう」

「ああ、止めなどせぬ。さっさと立ち去るがよい」

 顔を紅潮させたまま、慣れぬ原因で怒るクリスの様子を振り返り見て、ルシアはもう一度くすくすと笑った。
 クリスの不機嫌などどこ吹く風である。

「そうそう、最後に一つだけアドバイスをしておこうか?」

「聞かぬ!」

 頑としてはねつけたクリスの言動など意にも介さず、クリスの耳元にその口を近づけて呟いた。

「子供を作るなら男女二人がいい。
 お前とヒューゴの子供なら、さぞかしすばしこくて聡明な子供が生まれるだろう。
 楽しみにしているぞ」

 言うと、ルシアは、照れと羞恥と怒りとその他様々な感情がこんがらがった挙句、顔を真紅に染めて噴火寸前のクリスから足早に離れ、一気に酒場から出て行く。
 クリスの怒声がヒュッテビュッケ中に響き渡ったのは、その直後だった。

「叩ッ斬ッてくれるぞ、ルシア族長―――――――――ッ!」

 外に出たルシアは、一度だけ酒場のほうを振り返ると、悪戯好きだった少女の頃を思い起こさせるような表情で軽く舌を出していた。

「ふふ、【白銀の乙女】も、まだまだ若いし、甘いな」

 言って、機嫌よくその場を後にした。


 時は晩夏の季節、一時の平和と喧騒の中で、ヒュッテビュッケは賑やかで忙しい日々の中にある。
 もうじき戦火が到来するだろう。
 誰もがそう予測し、その覚悟を決めながらも、誰もが日々の生活と享楽を楽しんでいるようにも見える。
 過去に栄光を、そして未来に平和を。
 ヒューゴが、クリスが、ゲドが、そして城の誰もがそれを願い、そのための行動を起こしている。
 未来は待つものではない。
 己の手で掴むものなのだから。
 そして、それを知っている者が集うのが、ヒュッテビュッケであるべきなのだから。


 もしもヒューゴとクリスの間に子供が生まれ場合、あのクリスから「お母さん」などと呼ばれることに激しい違和感を覚えてルシアが頭痛を起こしたのは、翌朝のことである。

(Fin)

COMMENT

 えー、まず最初に一言。申し訳ありません。クリスが壊れました。
 最初は、ヒューゴ×クリスの軽いラブコメの感じで書き始めたんですが、作者の想像以上にクリスが大暴れしてしまい、収拾をつけるのが一苦労でした。最後はヒューゴが締めるはずだったのに、いつの間にかルシアになっちゃってるし……。
 あと、予想以上に分量が増えたのは、明らかに作者の力量不足です。申し訳ありません。
 そうそう、全編通して「ビュッデヒュッケ」を「ヒュッテビュッケ」と書いたのはわざとです。どうもこっちの響きのほうが好きなので。城の名前はゲーム中で変えられるので、なんとか見逃してくれ……ません?
 小説を書くのは難しい、と思いつつも、また幻想で一本書いてみたい私がここにいるのだった。
 さて、今度は誰が壊れるかな(オイ……)。
 ……え、キリル?

(初:05.12.02)
(改:05.12.10)