クォ・ヴァディス 90

INTERMISSION - 太陽暦380年、ラズリル -

 ソニアが読書を続けながら、たまに老ターニャに質問をぶつけていく、という行為を黙々と続けていくうちに時間は午後三時をすぎようとしていた。
 ソニアは空になってしまったポットの紅茶をつぎにキッチンへと姿を消し、ターニャは本を広げて出て行ってしまった孫の奔放さを嘆きながらも、自ら動くことはなく、窓からラズリルの白亜の町並みを眺めている。
 ソニアには、この奔放さを失ってほしくなかった。この自由闊達な行動力と思考法こそ、ターニャが歴史家として成功したなによりの要素だったからである。そのために、何人かの人間からは激しく嫌われてしまったが……。

 老ターニャは、若い頃を思い出して思わず苦笑した。
 あの時、群島解放戦争の起こった十七歳の頃の自分を思い出したのだ。
 歴史家志望だったあの頃、自分は歴史を自ら作ることのできる人物のそばにいたかった。
 それは誰かと考えたとき、真っ先に軍略家であるエレノア・シルバーバーグを考えたのだ。
 あの、すっかり酒やけしてしまった声の老軍略家の声望は、自分の下にも届いていた。
 そのエレノアの動くとき、必ず歴史は動くと思っていたのである。
 そして、ターニャは危険をおかして住んでいたミドルポートを「脱出」し、危険な単独行でキカの根城である海賊島まで行ってしまったのである。
 今思えば、とんでもない行動力だった。まともな両親がいたら、必ず止めたであろう。
 ターニャの両親は止めるどころか、この単独行を支援さえしてくれた。
 支援とはいっても、いくらかの金銭と食料を持たせたのみである。まともに支援するなら、どこかの商船にまぎれこませるとか、力強い護衛を雇うかするだろう。
 実のところ、まともな人間は、自分を含めて一族に誰もいなかったのではないか。ターニャは今にしてそう思う。

 群島解放軍に加わって以降、エレノアの弟子として認められ、常にその側にあった。
 同門のアグネスとは好対照な性格で、よくケンカもしたが、結局は群島解放軍のメンバーの中では、彼女との付き合いがもっとも長くなったのだから、腐れ縁という奴であろう。
 嫌われたといえば、オベル国王のリノ・エン・クルデスからもたいそう嫌われた。
 あの当時の自分は、遠慮というものもマナーというものにもまったく欠けていて、国王という立場のリノ・エン・クルデスにも、ずけずけとかなり手ひどいことを何度も言った気がする。
 そのため、人には鷹揚で人気のあったはずのリノ・エン・クルデスの直接の笑顔を、ターニャは見たことがない。
 それを考えれば、群島解放戦争時、マクスウェルは嫌いもせずによく自分を側に置いたものだ。彼の何かを悟りきったような境地の持ち主であったことは有名だが、そうではなく、実は心の一部が麻痺していただけではないのか、と、ターニャは思っていたこともある。
 市井のうわさのほうが正しいのかもしれないが、マクスウェルが一種の変人であったことは間違いない。
 でもなければ、ハロウィンで偉大なるオベル国王を殴り倒す、などという大それたことができるはずもないではないか。

 まったく、あの頃を思い出すと、何もかもが光彩に満ちていた。
 ターニャは私生活では三十歳で結婚し、一男一女を人並みにもうけたが、公人としては歴史家の第一人者として群島の歴史観に大きな一石を投じた。
 群島解放戦争、クールークの政変、そしてこの罰の紋章事件と、三度にわたる「罰の紋章」の関わった事件の資料を、誰よりも先に、熱心に纏め上げた。
 失われたと思われていた数々のメモリアルの再発見は、ターニャの成功の最たるものであろう。彼女の集めたこれらの歴史資料は、後に孫のソニアによって再々編集され、ラズリル海上騎士団に謙譲されることになり、その公的な歴史書の最も重要な一部となる。
 結婚して多少は人格的に丸くはなったものの、ターニャの舌鋒はリノ・エン・クルデスに対してそうであったように、夫に対しても鋭すぎたようで、子育てが一段落ついた五十歳で離婚した。
 外に対して鋭いターニャもこれはショックだったようで、一時はなれない酒に走ってみたりもしたが、結局はそれが歴史行動家としてのエネルギーに変換されたことで、ターニャの公人としての声望は上がり続けた。
 孫のソニアには、ここまでの波乱の生涯を送ってもらいたいわけではない。だが、歴史家として成功するには、その歴史の一部になって行動しなければならない時期が必ずある。
 ターニャは三度、罰の紋章と行動をともにした。ゆえに、その歴史の大家となりえた。歴史家志望のソニアがなにをテーマにするかは、彼女の決めるところであり、ターニャが口を出すことではない。
 ターニャは結果的に若い頃に「真の紋章」という偉大なテーマに出会えたが、これは相当に運が良かった。ソニアが若いうちにそういうテーマに出会えることを、ターニャは祈らずにはおれない。

 人は若いうちが理想家で、老いてから現実家になる、という人もいるが、ターニャはそうとも限らぬと思う。実際に、老いてから狂おしいばかりの理想に身をゆだねる人生もあろう。
 人が歴史になにを見るか、人生に何を見るか、それをどう受け止めるか、それは自分以外の誰にもわからない。

 考えながら、ターニャは自分の大著の一冊を手に取った。そういう意味で、自分の人生をどう受け止めていたのか興味を引いてやまない人物がいる。
 当時のオベリア・インティファーダの重要人物の一人、エルフの少女ポーラである。
 彼女は、事件の最初からかかわり、罰の紋章をもっとも近くで見守り続けた人物であるが、この事件の最中、その罰の紋章にとって危険な要素である「五鬼の紋章」を自ら身に宿した。
 罰の紋章の表裏一体の存在である「八房の紋章」の眷属の一つで、八房の紋章の一部として歴史を裏から見届けてきた。
 八房の紋章の眷属たちは、他の紋章と同じくそれぞれに特徴のある紋章術のあるほか、その紋章を宿してきた者たちの記憶を蓄積するという特徴がある。罰の紋章ほど強烈ではないが、ときおり、それを所有者に見せることもあると聞く。
 同じく、八房の眷族紋章を身に宿していた人物としてガイエン公国の二人の公爵、キャンメルリング公ギネと、マノウォック公ハーキュリーズという人物たちがいたが、彼らは強じんな精神力で、その幻影を断ち切り、紋章を自らの一部として利用し続けた。
 自分の意思で「五鬼の紋章」を宿したポーラが、果たしてそこまでの精神力を備えていたのか、ターニャは多少の疑問を持っている。無論、マクスウェルを見守り続けた彼女の誠意は疑うことはできないが、その彼女自身が真の紋章の呪いに耐え切れたかどうかは、また別の問題だからである。
 マクスウェルは、常人では耐え切れぬであろう罰の紋章の呪いに、最後まで抵抗し続けた。では、ポーラは? そして、他の八房の眷族紋章の継承者たちは?
 それを考えると、ターニャは嘆息せざるをを得ない。

 ターニャは、窓から外を見る。ラズリル海上騎士団の荘厳な屋敷が、その目に入った。
 ラズリル海上騎士団の騎士団長は、歴代、生真面目な性格のものが多い。グレン、カタリナ、そしてそのあとを継いだケネスなども、そうであった。グレンの次代であるスノウが唯一の例外と思われるが、スノウも基本的には職務には真面目であり、善意の人であった。ただ、彼の場合は決定的に運に欠けていたのが残念なところである。
 そして、先代の騎士団長ラクジーからその地位を受継いだばかりの現在のハーニッシュも、その生真面目な性格で、今日も職務にせいを出しているのであろう。
 興味はあるが、あまり近寄りたくない人種の一人ではある。

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(初:16.05.10)