一呼吸置いて、ルクレティアが話題を変えた。
「殿下、解決しておかねばならない事項が、もう一つあります。お気づきでしょうけれど」
深刻な声を受けて、ファルーシュが疲れたような表情を見せた。
以前からの難題であった。
「解ってる、リオンのことだね……」
それは、彼の護衛役の名であった。
ファルーシュ王子の護衛役を長きにわたって務めている女王騎士見習いのリオンは、当然、王子がゴドウィンに占領された王都から脱出し、独自に解放軍を旗揚げしてからも、彼の傍に居て、王子を守り続けている。
ところが、その解放軍(ゴドウィン側から見た叛乱軍)の規模が大きくなるにつれ、そのリオンに対する見えざる反感が、解放軍の中に渦巻いていたのである。
そもそもの原因は、リオンの立場と、彼女の性格にあった。
リオンは、ファルーシュの父である女王騎士長フェリドが、幼い頃に解体した暗殺組織から救い出し、ファルーシュやリムスレーアと兄弟同然に育ててきた。
常にファルーシュの傍にあった彼女は、確かに、ファルーシュの護衛としては、最高の人材であるに違いない。
類稀な剣の才能を持ち、誰よりもファルーシュの性格を知っている。
そして、ファルーシュに一途な想いを寄せ続け、彼に降りかかる危険に関しては、常軌を逸した嗅覚を発揮して、ファルーシュを守ってきたのだ。
だが、そのファルーシュを思うあまりに、リオンはたびたび暴走した。
ファルーシュとともに育てられたこともあってか、リオンは彼と行動を共にする時も、自然に「王家の一員」としての態度を取ってしまっていた。
周囲から見れば、出自もわからぬ身であり、ファルーシュの一護衛でしかなく、女王騎士の見習いでしかないはずの彼女が、ファルーシュに用意された上座に平然と腰を下ろしたり、重要な会議においても、王子の代弁とても言わんばかりに「しゃしゃり出て」強硬論を主張する、と言ったことが重なり、リオンをよく思わない幹部が増えていたのだ。
そして、それが決定的になったのは、セーブルにおける「山賊事件」だった。
ファルーシュを語ってセーブルの街で山賊行為を働いていた一味を、ファルーシュ自身が追い詰めたとき、彼を守らなければならぬ身であるはずのリオンが、こともあろうに、ファルーシュ自身とその山賊の首魁の直接の一騎打ちをけしかけてしまったのである。
ファルーシュに同行していたセーブルの猛者ダインは、その非常識さに呆れ、やめるように説いたが、リオンは頑として聞く耳を持たず、王子であるファルーシュに闘わせたのだった。
「王子が負けるはずが無い」という自信が、リオンにあったにせよ、それは彼女の役割を、自ら完全に放擲した瞬間だった。
その事件が公になってから、公式、非公式を問わず、リオンに対する非難が集中したが、彼女自身は一向に気にした風もなく、ファルーシュの護衛を続け、王子に、彼女をどうするべきか悩ませ続けてきたのだった。
そして、今日の女王親征戦においても、リオンの失策が、リムスレーア救出作戦の失敗に繋がってしまった。
ファルーシュとしては、なんとかリオンを庇ってやりたいが、今回ばかりは不可能であると思わざるを得ない。
ドルフがリオンを刺したとき、リオンはファルーシュに抱きついた。
だがあの時、ドルフは「怪我人を作れば……」という趣旨の発言をした。
これは、当初から相手を殺す気がなかった、ということだ。
また、サイアリーズを強く求めているギゼルの腹心であるドルフが、サイアリーズが最も心配している存在であるファルーシュを、刃にかけるとも思いづらい。
つまり、ドルフが狙っていたのは、最初からリオンだったのである。
リオンは、相手が逃げる時間を作るために刺され、しかも離れていたはずの王子に、何かを求めるように近づいてしがみつき、その逃走を手助けしてしまったのだった。
リムスレーアがサイアリーズに押さえつけられた際、ファルーシュが自由に動けていれば、リムスレーアを救えた可能性は高かったのである。
そして、さらに悪いことに、この場面を、またもファルーシュとともに敵本陣に突入したダインが、ことの最後まで目撃していたのだった。
ファルーシュは、今度は心底疲れたように、こめかみを指で押さえた。
「……さすがに、もう無理か」
ぽつりと呟く。ルクレティアが口を開いた。
「リオンさんの傲慢な態度には、以前より反感がありました。
しかも、今日のサイアリーズ様の裏切りを公表なされば、リオンさんの行為も、遠からず表沙汰になります。
それは、これまで彼女を重用していた殿下にとって、小さからざる失点になるでしょう」
そう言うルクレティアも、以前から、可能な限り婉曲に、しかし何度となく、リオンの更迭をファルーシュに進言していた。
リオンと同等に剣技、忠誠心に秀でた者は、軍内にも在野にも幾らでもいる。
ことさらリオンにこだわって、わざわざ自陣に不和の種を撒くようなことをしなくても良いのではないか、と。
それを有耶無耶にしていたのは、ファルーシュ自身だった。
しかし、それも限界にきたようだった。
この作戦での失態は、大きすぎた。
「さすがに今、ダインにヘソを曲げられたら、我が軍にとっては痛手だろうな」
「痛手どころではありません。ダイン将軍はセーブルの実力者であり、我が軍でも屈指の猛将です。
その誠実さも、殿下への忠誠心も、余人の追随を許しません。彼ほどの人物が我が軍を見限るようなことがあれば、必ず同調者が現れるでしょう。
そうなると、我が軍は空中分解を余儀なくされます。ゴドウィン軍との戦闘にことごとく勝利しながら、内部から瓦解すること、疑いありません」
ルクレティアの言うことにも容赦が無い。
リオンの言動に反感を抱いているのは、実際のところダイン一人ではないのだ。
ラフトフリートのラージャ提督は、“若気の至り”として容認しているようだが、彼女ほど老成していない熱血漢のヴォリガや、ダインとともに王子軍最古参の猛将ボズなどは、目元や口元に皺を寄せることが多かった。
そして、このような事態を招いた責任の一端はファルーシュにもあり、彼にはそろそろ決断をしてもらわねばならなかった。
ファルーシュにも、それは充分にわかっていた。
出ていったサイアリーズに対して奇妙に憎しみがわかぬ一方で、身内であるリオンに対しては、強い酸味の効いた負の感情が首をもたげる。
もちろん、幼なじみとしてその傷を悼む気持ちは強いが、一方で多勢の命を預かる身としては、踏み外せぬ道があるのだった。
ファルーシュは、大きくため息をついた。
それには、苦渋の色しか含まれていない。
だが、彼は決断した。
「わかった。リオンを現職より解任する。
彼女は傷の治療に専念させ、完治するまでは一切の公務を認めない。
代わりはミアキスに務めさせよう」
それは、公職と幹部会議からの追放であり、事実上の更迭といってよかったが、ファルーシュは、あえて時期を名言しなかった。
ルクレティアは内心で、大きく吐息した。
「ミアキス殿は、リムスレーア様の護衛でもいらしたはず。
内乱に勝利し、リムスレーア様をお救い申し上げた後、何者かを代わりにその座に据えるのですか?」
「いや、ミアキスはリムスレーアの護衛として、失敗も誤断も犯したことは無いし、リムスレーアもミアキス以外の護衛を望まないだろう。
彼女以外に、リムスレーアを託すことは出来ない」
「では、戦後において、殿下の護衛を何者にお任せするつもりですか」
ルクレティアの追求は執拗に続く。
彼女としては、このさい、リオンをファレナの中枢から遠ざけておきたかったのである。
リオンの傍若無人な性格は、現在がそうであるように、ファレナの未来において、決して良い結果を齎すとは思えなかった。
「軍師」
ファルーシュが、ルクレティアのことをそう呼んだ。
これまで彼女のことを名前で呼び続けてきたファルーシュが、ルクレティアのことを役職名で呼んだのは初めてのことだった。
それを象徴するかのように、王子は複雑な胸の内を表情に表していた。
「我々はゴドウィンとの“戦闘”には勝利しているが、まだ“戦争”に勝利したわけじゃない。そうだね?」
「……………………」
「勝ってもいない戦争の、後のことについて思い悩むのは、時期尚早だとは思わないか」
「………………御意」
ルクレティアは頭を下げた。
決して上手いごまかしかたではないが、王子にしてみれば、現在は最も説得力のある回避方法だろう。
ルクレティアのほうも、これ以上、王子に妥協を要求するのは無理と判断した。
とりあえず、リオンが軍の中枢から身を引くことになった。
今はそれでよしとせねばならないだろう。
ルクレティアは表情を入れ替えて、穏やかな笑顔と、穏やかな口調に戻った。
それは、軍師としての彼女の姿だった。
「解りました。
では、次の戦闘について予想される戦地と、敵の作戦について、思うところを述べさせていただきます……」
こうして、潤いには欠けるが重要な男女の密談は、むしろ淡々と進められた。
口では色々言いながらも、二人の目は、既に戦後へと向いていたのだった。
(fin)
戦争イベント「新女王親征」後の流れに激しい疑問を感じていたため、それを補完(?)する意味で書いてみたもの。
反省点は説明口調の山&偏りまくった書き方。
全体的に不自然なほどリオンが持て囃されてる本作ですが、作中にも書いたとおり、余りにも傍若無人と言うか、ぶっちゃけ飛び抜けて非常識にすぎるキャラのため、作品中でマンセーされるほど好きになれなかったキャラです。
製作者の萌えを押し付けすぎるとこうなるという、絶大な反面教師。参考にしなけれなばぁ……。
(初:08.05.10)
(改:10.12.24)