里見の謎

1996年12月6日発売/サンテックジャパン/20点

 さぁ、プレステ史上最強の呼び声も高いキング・オブ・クソゲー、「里見の謎」の登場です。
 このタイトルから、滝沢馬琴の名作小説「南総里見八犬伝」などを思い出す人もいるでしょうが、そういう人ほど、本作をプレイしたときに巨大な衝撃に襲われると思います。

 もう、何から語ればいいのか分からないほど、どこを切りとっても酷い要素しかない本作ですが、実は私、そんなにこの「里見の謎」のことが嫌いなわけじゃないんです。
 このサイトのゲームレビューの中には、本当に、酷いくらいにクソミソに叩いてるタイトルが何本かあります。
 しかもその中には、明らかに「里見の謎」よりもデキの良いゲームもあるのです。にも関わらず、なぜ「里見の謎」のほうを好意的に論じるのか?

 それは、このゲームをプレイしているときに、(私には)悪意が感じられなかったから。

 私は元々がB級好きな嗜好のせいか、一般に「クソゲー」と言われているゲームでも、ある程度は楽しむことができる体質だったりします。
 私が本当に嫌いなのは、技術云々ではなく、プレイ中に「俺の価値観を見れ!」とばかりに製作者の歪んだ思惑を押し付けられるようなゲームなんです(それも「クソゲー」というのではあるが)。

 さて、この「里見の謎」。もう年以上かけて散々に語られているので、その驚異的な内容を知っている人も多いでしょうが、これ、ゲームとしては本当に物凄いデキなんです。
 中学生の同人誌でも八割くらいはこれよりマシだぞ、と言いたくなる、トウキョウダルマガエルを叩き潰してさらにこねくりまわしたようなキャラばかり出てくる、物凄いグラフィック(パッケージが既にPS史上最強)。
 小学生の読書感想文レベルの文体・誤字脱字が炸裂するシナリオ(内容もヌーヌーと物凄いことになっている)。
「ダイレクト・コマンド・ バトル・システム」「プログレッシブ・マップ・リンク・システム」「フラッシュ・エンカウント・コントロール・システム」などなど、名前だけは仰々しいけど、普通のRPGから大切なものを割り引いちゃった数々の新システム。
 はっきり言って、これを新作フルプライスで売るのは犯罪行為だろうとさえ思えるような、強烈な完成度を誇る一品なんです。
 それでも私にとってこのゲームが、口を引きつらせて罵倒する「クソゲー」ではなく、愛すべき「バカゲー」なのは、本作を構成するすべての要素が、「醜い顕示欲」や「悪意」で組み立てられているのではなく、あくまで「天然」の産物だからです。

 確かに、壊滅的に壊れたテキストが炸裂するシナリオは物凄いです。
ゆめわか」に始まり、「いつもの」「ヌーヌー」などの理解不能なネーミングセンス。
「ぼく、あたまがへんになっちゃったよう」「くじらにのったしょうねん、ようすけさんじょう」「ぬっひっひぃー!」「うーちゃん、ぽんぽんいたい!」(いい年した中ボスのセリフ)などの、プレステで出力されているのが信じがたいセリフ。
 ご都合主義という言葉すら通り越したメチャクチャな展開など、とてもじゃないけど大の大人が考えたとは思えないようなシロモノです。
 が、しかしそこには、かしこぶった(実際には頭の悪い)開発者の顕示欲を押し付けるような要素はなにもありません。むしろ、爽やかなくらいに馬鹿すぎるのです。
 小学生が必死に想像力を働かせて書き上げたような、なんともいえない微笑ましさを感じてしまうのは好意的な解釈でしょうか?

 数々の新システムはどうでしょう?
 脅威の「縦スクロールRPG」の語源になった、上下にしか大地が連結してない「プログレッシブ・マップ・リンク・システム」(ただし、一部に横スクロールあり)。
 難しいコマンド抜きで、特定のボタンを押すだけで特定の位置にいる相手を攻撃できる「ダイレクト・コマンド・バトル・システム」。
 ローディングによるストレスがまったくなく戦闘に突入する「フラッシュ・エンカウント・コントロール・システム」。
 これらから垣間見える製作姿勢は実は、「自分たちにできないことはスッパリ切り捨てて、できるところで快適に遊んでいただくように努力する」という、大いなるサービス精神ではないでしょうか究極の好意的解釈)。

 実際のところ本作は、シナリオこそ強烈ですが、プレイ感覚としてはむしろ、非常に遊びやすい部類に入るんですよ。
 ローディングによるストレスは殆どないし、戦闘もスピーディーで、難しい要素は全くありません(唯一、持てるお金の上限に対して物価が非常に高いのは不満)。
 下手にややこしい要素を盛り込むのではなく、むしろ余計な要素をそぎ落としていく方向でシステムを構築していく、というのは、実は簡単そうで非常に難しいことなんです。パズルゲームなどが特に顕著ですが、「名作」と呼ばれるゲームは、むしろ基本となるシステムがシンプルにまとめられています。
 何かモノを作っていると、自分のアイデアを何でもかんでも入れたくなってくるのが人間というもので、その衝動を押さえ込んでシステムをシェイプアップさせていくのは、かなりの英断を必要とします。
(これは、ゲームでも小説でも音楽でもプログラムでも、なんでもそうです。ものを作る趣味を持つ人が一度はぶつかるジレンマだと思います)
 もちろん、最初から入れたいものを全部入れた結果として「ダイレクト・コマンド・バトル・システム」になった、という可能性もありますが。
(というか、その可能性の方が高いと思いますが)

 要するに、開発姿勢としては、なにひとつ間違ったことはしていないんです。自分たちの「我」を押しつけるわけでもなく、自分たちの制作力の限界もよく理解しているし、わきまえてもいる。
「俺たちの思想を見れ!」「俺たちのグラフィック技術を見れ!」と、醜悪なものを押し付けられるよりかは、よほどすがすがしい。そういうことをやりたがる人に限って、まともな価値観など持っていないことも往々にしてあります。

 じゃあ何がいけなかったのかと言うと、小学生レベルのムチャクチャなシナリオや、壊滅的なグラフィックも含めて、その制作能力の限界自体があまりに低すぎたということと、そういうものを他のゲームと同じ値段で売っちゃったということ。
 どれだけ誠意を尽くしても、まずい料理はやっぱりまずいわけで、そういうものはせめて安く売らなきゃだめだろうと。
 もう10年早く生まれて、ファミコンでこのソフトを出していた。
 もしくは、もう10年ムリムリに修行を積んで、プレステ2でこのソフトを出していた。
 そのどちらかなら、結果はもう少し変わっていたかもしれません。そういう意味では、時期も運も悪かった。
(もっとも、本当にそのどちらかだったら、これほどの伝説になることもなく、中途半端な作品として忘れられていくことになったでしょうけれども)

 実のところ、「里見」レベルのセンスをグラフィック技術で誤魔化したゲームなど、今でもかなり存在します。
 本当にいただけないのは、本作のあとサンテックは、技術力不足、センス不足はそのままに、商業的な色気だけが先行して、「10101 -WILL the starship-」という「正真正銘のクソゲー」を発売してしまったことにあるのですが。

(本稿では、超絶的に好意的な解釈で語ってはいますが、やはり馬鹿ゲーは馬鹿ゲーです。
 もしもプレイしようという方がいらっしゃったら、「覚悟しておけ」と一言、差し上げたいと思います。人の人生はほんとうにわからない)

(2010.01.10)