愛・超兄貴

1995年2月24日発売/日本コンピュータシステム/80点

 前作にて兄貴と筋肉をプレイヤーの脳裏に否応なくゴリゴリと刷り込んだ超兄貴」が、二年半の時を経て帰ってきました!
 しかし、筋肉と兄貴は既に対戦相手が逃げ出すくらい極めつくしています。今回は、兄貴たちがどんなデコレートでもって我々を迎えてくれるのか?

 正解はでした。

 その名もずばり「愛・超兄貴」です。余りの むさ苦しさ 感動の余り、既に失神してしまいそうです。
 しかし製作スタッフによれば、タイトルの「愛」とは、兄貴たちのいかにも騒々しそうな愛ではなく、「耳元にフッと息を吹きかけるように言う『愛』」だそうです。
 失神確定。相変わらずのこのセンス、大好きです。

 イダテンとベンテンが戦った、あのときから早2年。
 ボ帝ビル亡き後、銀河は平和を取り戻し、人々は太平の世を謳歌していた……。
 そんな折、イダテンはビルダー星系に再び不穏な動きを察知し単身調査に赴いた。
 しかし、彼の消息はビルダー星を最後に絶たれてしまった!
 それを知ったベンテンは、イダテンの捜索とビルダー星系の異変をさぐるため、2人の勇者「アドン」と「サムソン」をさしむけたのである。

 なんと本作は、主人公が前作のオプションだったアドンとサムソンに変わっています。ちなみに二人とも、ビキニパンツと笑顔の眩しい、ゴリゴリのマッチョです。
 そしてそれに伴い、システムが大幅に変化。前作は、ボタン押しっぱなしで連射が可能、タメ攻撃は強力なメンズビーム、という、シューティングゲームそのもののシステムでした。
 しかし、アドンとサムソンが主人公の本作は、これらのシューティングの基本システムをばっさりカット。説明書によれば、「弾を撃たずに心を打つ! 鍛え抜かれた肉体美から放たれる愛の力、それが全てを打ち砕く!!」とあります。

 そう、本作は敵を弾丸で射殺するのではなく、「愛」でもって悩殺するという、前代未聞と言うか前人未到と言うか、間違っても他の誰も到達しようとしない異能の境地に達したシステムなのです。

 アドンとサムソンは、ショットやボムを発射する変わりに、ひたすらポージングします。このポージングのたびに「何か」が飛んでいき、それに当った敵が死にます。これがたぶん「愛」です。
 質量を得るほどぎゅっと濃縮された、特濃の漢達の愛! そりゃ確かに死ぬわ。

 このポージング、複数の種類があり、それぞれに名前がついています。
 男魂、悦楽吐息、汗汁乱舞、悶絶心中、悶絶昇天心中、倒錯兄弟、男性地震……。
 もう、名前を聞いただけで、ヘンなところからヘンな汁がドバドバ出そうです。

 さて、先ほど「シューティングの基本システムをばっさりカット」と書きましたが、本作、実はジャンルをシューティングに纏めて良いかどうか、少々微妙です。というのも、ショットの代わりのポージング、実はコマンド入力なんです。
 だから、実際はシューティングと言うより、感覚的にはアクションゲームに近いと思います。
 システムも残機制ではなく、「残り時間+残機」という独特のものを導入しています。画面上部にずらりと並んだ砂時計が、時間が経つごとに減っていくのですが、敵からダメージを受けてもこれが減ります。つまりこの砂時計、「残り時間+残り体力」というわけ。
 また「コンティニュー等という軟弱な救済措置はありません!」と説明書にあるとおり、本作にはコンティニューも無ければオプションそのものも無いという超漢仕様。

 その代わり、本作は前作に比べるとやや難度が低く、尺度も短いです。ボスの攻撃もやや甘め。どちらかというと、敵の攻撃ではなく、時間切れの方が怖いくらいです。
 相変わらず「アダム」「シェル・ジ・アニキ」「ボ帝コンシャス」など、敵キャラのセンスはキまくりやがってますし、グラフィックの描き込み、脳髄にイヤでも刷り込まれる洗脳BGMなど、どこをとってもセンスは素晴らしいものがあります。
 ただ、やはり前作ほどの強烈なインパクトを与えられなかったのと、シューティングとアクションのどっちつかずなシステムだったためか、前作ほどの評価を得られなかったようですね。

(2006.08.22)