こだわりと妥協

 人間ってさ、誰もが、何かを我慢しながら、どこかで妥協しながら生きてると思うんだわ。いくら現状に満足できなくても、いちいち不満に対して牙を突き立ててたら、給料をもらえへんしね。

 でも、それができない、不器用な人も確かにいる。環境のせいではなく、自分のこだわりのせいで社会に順応できない人。

 自分のこだわりを完全に捨てろ、などとは、間違っても言うつもりは無い。人間、多かれ少なかれ、どこかが狂ってないと、ただの肉のカタマリだもの。そんな人生、楽しくも何ともない。

 でも、こだわりが強すぎるのも損だ。こだわりというのは、自分の個性を主張するラインであるのと同時に、自分と他人を隔てる壁でもある。壁が高すぎれば、他人との相互理解に支障が出る。

「〜がないとダメだ」
「〜でないと我慢できない」

 こういう主張、こだわりが行きすぎると、結局は「甘え」「わがまま」と受け止められる。そして、最後は「順応できない人」として、切り捨てられてしまう。誰にも相手にされなくなってしまう。

 こういう時、切り捨てられた方が、素直に反省できる場合は、残念ながら極めてマレだ。私にも経験があるから分かるけど、どうしても悪いのは相手側になる。
「正しいことを言っている自分を理解しない、相手が異常なのだ」という被害妄想になる。
 でも、そうやって誰も彼も拒絶していたら、社会では生きていけない。

 何かにこだわることを、悪いとは言わない。でも、何かにこだわるのなら、多少は周囲の目を気にしながらこだわるべきだ。
 誰にも相手にされなくなったとき、本当に困るのは自分だ。私はホームレスを経験したときに、そうして絶望して落ちてきた人を、何人となく見てきた。

 できることなら、みんなで幸せになろうよ。

(初稿:2010/07/07)