動物愛護良し悪し

善意って何?

 2010年5月12日、野良猫にエサをやって、付近の住民から訴えられていた某・プロ棋士に、餌やりの中止と200万円の賠償が命じられました。

 当たり前だ、バカ野郎。
 野良猫や野良犬にエサをやって「動物愛護」とほざいてる人が結構いますけど、実はこれ、 動物愛護でもなんでもなく、エサをやる人間の(最低の)自己満足であり、カッコ悪い自慰行動でしかありません。

 人間が無理にエサをやらなくても、野良には野良の世界があり、動物には動物なりのエサの調達方法があります。彼らは彼らで、けっこうたくましく生きてるもんです。
 軽々しく野良の動物にエサをやって、中途半端に人間に依存させることの方が良くないのだと、そんなことも分からないほど頭が悪い人が、こういうバカなことをやりたがる。

「動物愛護」とか言うんなら、中途半端にエサやりなんぞせずに、全部引き取って自宅で飼えばいいんですよ。
 自分の飼い猫や飼い犬にエサをやろうが可愛がろうが、それに文句を言う人なんていやしませんよ(その飼い猫や飼い犬が、周辺に迷惑をかけたってんなら、話は別ですが)。

 安っぽいヒューマニズムで行動している人に面白いほど共通する特徴は「想像力の欠如」。
「馬鹿の考え、休むに似たり」という言葉がありますが、たわけの安っぽいヒューマニズムは、たいがい周囲に迷惑をかけます。

 やるなら徹底的にやれ!
 自分で飼え!
 飼えないなら、飼える人を探してこい!
 最後まで普通に面倒を見ることができる環境を作れ!
 できないなら手を出すんじゃない!

 実際に行動している人は、NPO法人を作って自治体と折衝したり、適切な団体にお金を寄付したり、周辺住民に迷惑をかけない手法でちゃんと出来ることをしています。
 中途半端が一番よくありません。

 もう一度言います。たわけのヒューマニズムほど、世間に迷惑なものはありません。
 私もたわけの一員ですが、迷惑をかけないように考える脳くらいはあるつもりです。
 子供じゃあるまいし、自分で責任とりきれない行動をとる人がカッコよく見えるはずがないって、大人ならちょっと考えりゃわかるでしょ?

(初稿:2010/05/13)