サクラ大戦
Fan-Fic
聖域
 大神は、劇場の食堂で夕食をとり終えて箸をテーブルに置いた。そして、大きく背伸びをする。

 今日も激務だった。平時はいつも大帝国劇場の雑用係として忙しい毎日を送っているが、花組の舞台の日程が近づくと、その忙しさも倍増する。
 チケットの前売りの客の対応、事務の手伝い、売店の商品搬入の手伝い、セットの造営の手伝い、掃除、電話番、エトセトラエトセトラ。

『いっそのこと、これなら毎日戦場に立っていたほうが、楽な気さえする…』

 愚にもつかぬことを考えて、上を向けていた顔を、かくっと下に下げた。

「今日もお疲れ様でした、隊長」

 遅めの夕食をとりに、マリアが大神の隣の席に腰掛けた。

「いやいや、マリアこそお疲れ様。今度の舞台は台詞が多くて大変そうだね」

「いえ、いつものことですから」

 マリアは、自分の食器を並べながら、にっこりと微笑んだ。
 大神よりも背が高く、クールな印象のマリアにまわってくる役は、そのほとんどが男役である。
 もともと、大神とマリアはお互いの気持ちがなんとなくわかることが多々ある。というのも、二人とも花組を、加えて大神は戦闘時に花組を含めた帝国華檄団の実戦部隊のほとんどをまとめなければいけない立場にある。小なりといえど人の上に立つ者同士、苦労に共通点が多い。

「で、どうだい、練習のほうは?」

「だいたいいつもの通りですね。さくらが、まだ台本を覚えきっていないので、すみれがよく文句を言っているくらいでしょうか」

「すみれ君か…」

 大神は少し苦笑した。性格的にはやや問題があるが、すみれは舞台女優としては、まぎれもない天才である、と大神は聞いていたし、裏から舞台を見ていて、そう納得せざるを得ない。
 ただ、台本や振り付けの記憶があまりにも早いので、他の隊員がついていけないのだ。舞台演習時にすみれの起こすトラブルのほとんどが、それに起因するものだった。彼女の性格も、天才がしばしば持つ独尊的な一面が、人格の殻を突き破って出てきたもの、と判断するのが賢明だと大神は思っている。年齢を重ねて人格に厚みがでれば、それを矯正する機会は今後いくらでもあるだろう。

「本番まではあと二週間ちかくありますから、もう少し様子を見ます。今からきつく言うこともないでしょう」

 さすがに、マリアは冷静にことを見ている。なんのかんの言っても、花組を本番までにまとめあげる手腕は、たいしたものだった。

「さて…と」

 大神はもうひとつ背伸びをして立ち上がり、自分の夕食後の食器を手にとった。

「もう、おやすみですか?」

「いや、あとは晩の見回りが残ってる。それまで部屋で一休みでもするさ」

 マリアは座ったまま大神の方に身体をむけると、ひとつ礼をした。

『おやすみなさい』

 日本語ではない。自分の祖国の言葉、ロシア語でマリアは挨拶した。

『おやすみ。また明日も頑張ろう』

 大神もやや疲れてはいるが、笑顔をつくり、ロシア語で挨拶を返した。そして食器を厨房に戻すと、二階へ出る階段のほうに姿を消した。

 花組の隊員たちが知りたがる大神のことのひとつに、彼の使う言語がある。
 現在マリアが確認しているだけでも、大神は英語、ロシア語、フランス語、中国語を用いている。さくらやすみれの話を聞くと、中国語以外はアジア人独特のイントネーションが残っているが、意思疎通にはまったく問題のないレベルのようだった。
 各隊員が大神と話をするとき、特にその隊員が他の隊員に知られたくないことを話すときは、自分の出身地の言葉で大神に相談することができた(日本出身のさくらやカンナが相談するときは、直接大神の部屋に出向くのが通例だ。すみれがそういう話をすることはあまりないが、彼女は英語がわかる)。
 確かに、大神は現役の軍人であるから、英語は兵学校で習得した可能性が高い。しかし、それ以外の言語はどうか。大神がこれらの言葉をどこで会得したのか、隊員たち(特にさくらとすみれ)は知りたがったが、たぶん大神が自分から話す機会はないだろう。
 彼は自分の過去を詮索されるのを嫌がっているようだし、その気持ちはマリアにも充分納得できるものだったから、彼女はそれについて大神を追及することはしなかった。


 さて、件の大神は階段を上がって二階に出ると、真っ先に自分の部屋に向かった。深夜の見回りにまでにはもう少し時間がある。それまで、少しでも休息をとりたかったのだが。
 自分の部屋の前まで来たとき、部屋の中に何者かの気配を感じた。ドアノブを掴もうとした手をさっと引いて、すぐさま扉の横に身を置き、腰の銃に手を伸ばす。
 中からはごそごそという音と、微かだが話し声が聞こえた。

(数は二人……か)

 大神は銃を顔の前に構え、撃鉄を起こす。こちらは一人だが、急襲すれば充分に討ち取ることはできる…。
 大神は決心し、威嚇目的でわざと勢い良く扉を蹴り開けて部屋の中に踊りこんだ。

「動くな! そこで何をしている!」

 と、叫んで。

 彼は呆気にとられた。

 大神の部屋の中で、本棚やテーブルの引き出しを物色していたのは。

 ……さくらとすみれだった。

 二人とも、突然の大神の登場に驚いたのか、直前にとっていたポーズのまま、硬直してしまっている。
 大神は、銃を下げた。その代わり、顔が段々と険しくなる。さくらは虚ろな笑いを、すみれは驚きの表情をつくったままピクリとも動けない。
 大神は、自分の肺活量限度一杯の空気を一気に吐き出した。

「お前達、此処で何をしているのか!!」



 大神の絶叫に驚いたマリアやカンナが大神の部屋に来たとき、本や書類が散乱した部屋の床に、さくらとすみれが沈痛な表情で正座をさせられ、大神が大声で説教をしていた。
 普段は温和な大神が、声をあげて隊員を説教するのは、極めて珍しい。珍しいだけに、大神の逆鱗に触れることがどれだけ危険なことか、二人とも理解していなかった。
 しかし、その認識はもろくも今日、崩れ去った。二人とも、今日はしゅんと小さくなって座っているだけだった。

「一体、何があったんですか、隊長?」

 部屋の惨状に、見るに見かねたマリアが問うと、大神は鼻息を荒くしたまま正座する二人を睨みつけた。

「どうもこうもない! 俺がここに来たらこの状態で、こいつらが部屋中を物色していた」

 さくらとすみれを指して「こいつら」である。大神の腹立ちがどれほどのものか、マリアにも充分すぎるほどにわかった。

「貴女たち、一体、何の積もりでこんな事をしたの!?」

 マリアが大神よりちょっとだけ穏やかに、二人に問うた。
 大神の激しい剣幕にすっかり萎縮しているさくらは、細々とした声でぽつりと言った。

「あの…、私たち、大神さんのこと、もっと知りたくて…。それで、すみれに相談したら、こうしようって…」

 この理由には、さすがにマリアもあきれた。たったそれだけの理由で、こんなことを思いつくすみれもすみれだが、乗ってしまうさくらもさくらだ。
 マリアは、大きく肩をついてため息をついた。

「貴女たちは、もう少し大人だと思っていたけど…」

 マリアの言葉に、さくらもすみれも顔を俯けた。自分のやったことを後悔してはいるようだが、なぜそれをやる前に思い留まれなかったのだろう。普段は大神が余りきつく言うことはないから、誤解して図に乗ってしまったのだろうか。

「マリア、もういい」

 背後から、大神が声をかけた。マリアらの登場で少し気が殺がれたのか、いくぶん声は落ち着いていた。

「しかし、隊長…」

 マリアは意を唱える。ここまでやって「御咎めなし」では、幾ら何でも甘すぎるだろう。

「銃を向けた俺も大人気なかった。子供相手にな」

 この言葉は、氷の刃と化してさくらとすみれの心にぐさりと突き刺さった。大神の冷静というには冷たすぎる目が、一層それを増幅する。
 実際には、大神とさくら、すみれの間には、五、六歳の年齢差しかない筈なのだが、経験の差からくる(と、マリアは思っている)精神上の身の置き場所の高低の差は、如何ともし難い。大神から見れば、さくらやすみれといえど、まだまだ子供という事なのだろう。

 大神から軽蔑されること。それはさくらとすみれだけではなく、花組全員にとって最悪の事態だった。

「ご…ごめんな…さ…」

 すみれが下を向いたまま、涙混じりになんとか言葉をつむぎだすが、大神の冷たさは変わらなかった。

「もういいと言ってる。とりあえず、此処から出ろ」

 大神の言葉に、さくらとすみれは恐る恐る顔を上げる。安心からではなく、その反対の感情によって。

「それって…」

「此処から出て行けと言ってるんだ! 自分の部屋で謹慎していろ!」

 聞いたことのない大神の怒号と同時に、彼が壁を殴りつける激しい音があたりに響く。さすがに感情が堰を切ったのか、さくらとすみれはついにはっきりと涙を流し、俯いてしまったままよろよろと何とか立ち上がる。
 大神は黙って見ていたカンナに二人を各々の部屋まで連れて行くように指示し、三人が出て行くと、「やれやれ」とベッドに腰掛けた。

 その場には、大神とマリアの二人が残る。

「隊長、二人をどうなさいます? 流石にこれは…」

 マリアは、大神の怒りを触発しないように、やんわりと聞いてみる。さくら達を追い出した大神は、どうやら冷静さを取り戻しているらしかった。しかし、だからといって、怒りが完全に治まるわけでもない。

「今更、終わったことを言っても仕方ない。謹慎は緊急処置だ。
 取り敢えず米田中将に報告して、後で二人にはペナルティを考える。いつもくらいの事なら兎も角、これは見逃せん。少々の罰もやむをえまい…」

 こういうとき、大神の上司であり劇場の支配人である米田は、措置を大神に一任することが多い。恐らく、今回もそうなるだろう。マリアにしても、流石に今回の出来事は、大神が握りつぶすにしては悪質に思われた。

「しかし…」

 大神は、自分の部屋の惨状を見渡して、疲れた顔をより疲れさせた。マリアが立っている場所を除いて、殆どの床が書類と本等で覆われている。この現実が、大神の怒りを急速に疲労感に変えていった。

「終わったことを言っても仕方ないとわかっちゃいるが、また派手に散らかしてくれたよなぁ…。掃除が大変だぞ、これ…」

「機密文書などは大丈夫でしょうか?」

「いや、それは心配ないだろう。大事なところには施錠してあるし、本当に見られて危険なものは、そもそも文書にしていない」

「ではペナルティで、あの二人に此処を掃除させたらどうでしょう?」

「すまないが、名案ではないな、マリア。彼女等もしばらくはここに近づきたくはあるまいし」

 大神は苦笑して、マリアに視線を向ける。それを見て、マリアも苦笑した。疲労感に変わったことで、大神の怒りが幾分和らいだことを、マリアも理解できた。

「でも、隊長でもあんなに怒られる時があるんですね。知りませんでした」

 マリアが言うと、大神は心外そうな表情をつくる。

「俺だって人間だぞ。流石にこれだけやられりゃ、腹も立つさ」

 言って、ちょっとだけ表情を曇らせる。

「自分が人に知られたくないと思っている場所や事柄を荒されれば、尚更だ」

「隊長…」

 マリアは自分の言葉を後悔してしまった。
 大神にしてみれば、多人数による共同生活とはいえ、ここはプライベートな空間だ。自分のもっとも大事で繊細な部分を、大きな棒で乱暴に掻き回されて、泰然としていられる人間はいないだろう。

 その時、劇場の大時計の鐘がなった。

「やれやれ、見回りの時間だ。忙しない一日だったな」

「隊長」

 心配そうにマリアが話し掛けるが。

「心配いらない。これ以上の騒ぎは、流石に起こらないだろう。取り敢えず、掃除もペナルティを考えるのも明日だ」

 再び苦笑して、大神は心の衣を脱ぎ捨てた。そして、ベッドから立ち上がった。

「そうだ、マリア」

「はい?」

 突然呼び止められて、マリアはきょとんとした目で大神を見る。

「もしよければ、見回りが終わったあと、酒につきあわないか。ちょっと呑みたい気分でね」

 大神が言うと、マリアは笑顔で頷いた。

「はい。私でよければ、おつきあいします」

「お手柔らかに頼むよ。さすがに俺は君ほどは呑めないからな」

 言いながら、大神は見回りのために部屋を後にした。

 ひょっとしたら、マリアが大神のことを「自分と同じ雰囲気をもつ人物」と思っていることを、大神は気づいているのかもしれない。だとしたら、酒の席で何か語ってくれるかもしれない。
 薄々とそう思いながら、マリアは大神の部屋を後にして、酒を用意するために厨房に向かった。
 大神自体に対する興味は、その探究心の大きさは別にして、マリアもどうやら他の花組の隊員とあまり変わらないようだった。



 その後、さくらとすみれの謝罪で大神は二人と和解し、その謹慎処分を解いた。しかし、二人はそれぞれ剣と薙刀の訓練で一ヶ月、大神にみっちりとしぼられるはめになったというのは、また別の話。


<<FIN>>


初稿:02.10.22
改稿:06.01.29
(あとがき)
 怒られ役をさくらとすみれで書いてしまいましたが、これってアイリスと紅蘭のほうが適役だったような…。