母の面影C

 その晩、リョウは香澄の部屋を訪れた。

「香澄くん、いるか?」

 ドアをノックすると、「はい、どうぞ」と返事が聞こえたので、リョウは遠慮なく中に入った。  この辺、ユリから「デリカシーがない!」といつも注意されるのだが、ノックを待つようになっただけ自分は成長したと、当の本人は思っている。

 香澄は実家からの荷物を片付け終えていて、部屋の端には丁寧に解体されたダンボールが立てかけてあった。

「あ、リョウさん。今日はどうもありがとうございました」

 香澄は入ってきたリョウの前に正座をすると、深々とお辞儀をした。




「いや、ユリと仲直りできたのなら、よかった」

 リョウは香澄の前、部屋のほぼ中央に腰を下ろす。そして、周りを見渡してみる。

 ここはもともと客間で、クローゼットがあるだけであとは何もなかったのだが、香澄が入居してからもベッドが入っただけで、さっぱりしたまま殆ど変わらない。
 香澄は自分の荷物を器用にさほど大きくないクローゼットにしまいこんでいて、16歳の女の子の部屋にしては生活感はあまりない。ベッドの枕元に置かれた何冊かの本が唯一、それを感じさせてくれる。

 もっとも、香澄は起きると真っ先にキッチンに向かうし、夜までリョウかユリといることが普通だった。部屋ですることといえば寝ることだけだったから、香澄としてはあまり気にもしていなかった。

「それで、なにか?」

 香澄が、部屋を見渡しているリョウに、不思議そうに問うた。彼が手に持ったままの、小さな木の箱も気になった。

 リョウは、意識を引っ張り戻されて、咳払いを一つすると、改めて香澄を見た。

「香澄くん、実家から胴衣が届いたんだって?」

「あ、はい。二着入ってました。今まで以上に精進しなければ」

 香澄は、気を引き締めるように目を閉じた。
 これまでは「極限流の一門下生」と同じ扱いだったが、これからは「藤堂流の継承者」として「極限流を研究」することに邁進しなければ、と改めて心に誓っている。

 リョウは隠すように持っていた小箱を、香澄の前に置いた。香澄はお預けをくらった飼い犬のように、その箱が気になって仕方がない。三秒前の誓いが早くも心の隅に追いやられてしまっていた。

「それで、だ。俺から君にこれを返しておく」

 リョウに目で合図され、香澄は木製の小箱を手に取った。思った以上に軽い。香澄は恐る恐る中を開けてみた。

「あっ!」

 中に入っていたのは、赤く長細い一本の布だった。香澄はそれを手に取る。香澄は、それが何なのか、記憶の蓋を開けるまでもなく瞬時に理解できた。

 香澄がリョウと初めて格闘で対戦した日のことだ。
 圧倒的な実力差を見せ付けられて完敗して後、「絶対に強くなるから」と、リョウに忘れられないよう、再戦を誓って自分のつけていた鉢巻を渡していた。その、鉢巻だった。

「覚えていてくださったんですか!?」

 香澄は身を乗り出し、鉢巻を握り締めてリョウに詰め寄った。だがリョウは驚くことなく軽く微笑んだ。

「勿論だ。対戦した後に、こういうものを渡されたときは、全部覚えてるよ」

 リョウは香澄を落ち着かせて、自分も少し足を崩した。

「本当はもっと早く返しておくべきだったが、いい機会だと思ってな。やはり香澄くんが藤堂の胴衣を着るなら、その鉢巻は必要だろう」

「はいっ」

 本当は母が送ってきた荷物の中には鉢巻も二本入っていたのだが、自分の思い出深いものを当の人物から直接渡されると、やはり思い入れも違う。

「これからは責任重大だぞ、香澄くん。君はあくまでも藤堂流の継承者だ。その君が、特に極限流の道場で研鑽をつむことの意味を、よく考えろ」

 リョウは、真剣な顔になって、香澄を見据えて言った。香澄は姿勢を正し、ごくりと唾を飲み込んだ。

 そうなのだ。リョウやユリはもちろん、他の門下生たちも、香澄が藤堂流の使い手であることは知っている。その渦中で修行することは、即、藤堂流の評価に繋がるのだ。藤堂の胴衣を着るということは、それを更に顕在化させることになる。訓練といえど、安易な行動は、すぐに藤堂の名を貶めてしまうことになるだろう。

 つまり、負けられない、ということだ。極限流にも、自分にも。

「ありがとうございます! まだまだ弱いけど、これまで以上に精進します。そして、いつかまた私が強くなったら、本気で闘ってくださいっ!」

 香澄は改めて気を引き締め、自分にも言い聞かせるように決意を吐き出した。

「おう、いつでも待ってるからな」

 リョウは微笑んで、香澄の誓いを受け取った。

 リョウにしても、今回のことが転機となって、香澄が精神的に一つ大きくなることを期待している。それは、師匠というよりも、どちらかといえば父・兄的な存在としての心境だったかもしれない。より沢山の経験をさせて、香澄の成長の足しにでもなれば、と思っている。
 それは、ユリを育ててきたリョウだからこそ持てる、感情だった。



 翌日、同じ胴衣が群れる極限流の道場に、白の胴衣に紺の袴、手甲に鉢巻という、異彩を放つ姿で香澄が立っていた。いつも香澄と一緒に訓練をしている門下生たちも、姿どころか目つきまでしっかりした香澄の姿に、賞賛のため息がもれる。

「師匠! 香澄さん、どうしちゃったの? メチャクチャかっこいいじゃん!」

 マルコが、驚愕してリョウのもとに駆け寄ってくる。

「あれが、本来の香澄くんの姿さ。気をつけろよ、これまでと同じ気持ちで挑んだら、ぼこぼこにされるぜ」

 リョウが笑いながら言った。

 今日はユリも下りてきていて、香澄と話をしていたのだが、その周辺にはあっという間に門下生たちの輪ができていた。女性の門下生たちから矢継ぎ早に飛んでくる質問に、やや困りながらも香澄は笑顔で答えている。

 すでに香澄は、この道場ではユリとならぶ人気者である。
 東洋から来た頭のいい格闘家。明るく、礼儀正しく、慣れない英語だがはきはきと会話のテンポがいいので、誰からも分け隔てなく好かれていた。

「よし、始めるぞ! みんな、整列っ!」

 リョウの勇ましい掛け声に、門下生たちの輪は崩れ、綺麗な列になって並び終える。師範代であるユリはリョウの隣に立っているが、香澄は門下生に混じって列に並んでいた。

「よろしくお願いしますっ!」
『よろしくお願いしますっ!!』

 誰よりも大きな声で号を発し、香澄は鉢巻を締めなおす。

 リョウに誓った決意。それを実現させるための戦いを、始めるために。



COMENT

 はい、「前章」から足掛け8本にわたりましたが、ようやく完結です。
 もう時効だろうから暴露しますけど、実はこれ、2002年に「人間喜劇」というサークルから出した「Gate of the Novels Vol.1 藤堂香澄SP」に収録した「KASUMI Wake up!」という長編シリーズの1エピソードだったりします。基本的に原作は18禁なので、色々と書き直してはいますけど……。
 あの当時はまだ、私は香澄萌えでした。今読んだら恥ずかしいなんてもんじゃないですけど、せっかくあるものだし、当時の遺産(すでに遺跡扱い)は有効に活用しようということで、蔵出ししてみた次第です。評判よくてホッとしました(^^;)。 (06.06.21)