母の面影 前章C

6

 あれから、なかなか大変だった。全開モードのユリをリョウがムリヤリ引っぺがし、強引にその場を纏めてしまったのだ。

 結果、ユリはぶすっとして兄を睨みながら、もくもくと食事を続けている。
 もっとも、香澄がおかわりを頼むと笑顔でご飯をよそってくれたから、心から本気で怒っているわけでもないのかもしれない。

 このへんは兄妹の機微なのか、この兄妹が特別なのかは香澄にはわからない。
 香澄にも瑞穂という姉がいるが、姉は身体が弱く、気弱なところもあった。だから、自分が藤堂流を継いだこともあって、香澄はいつも気丈にしていた。
 もし姉が頼りがいのある状態だったら、自分は格闘などせず、こんなふうに「妹」として行動したりしたのだろうか。

 しばらくその険悪(もどき)な状態が続いたが、リョウの話が香澄に向いたところでそれも終わりを告げた。

「で、正直なところ、なにがあったのか、できれば話してくれないかな」

 話したくなければかまわんが、とリョウは付け加えた。ユリも大きく頷いている。
 香澄はちょっとだけ迷ったが、結局はすべてを話した。隠すようなことでもないし、その理由もないと感じたからだ。なにより、リョウの前だと安心して話せる気がしていた。

 タクマを追った父親を探してサウスタウンに来たこと、ここに来ればなにかわかると思ったこと、財布を落として街中を彷徨ったこと、そして襲われたこと。

「うーん…………」

 香澄の話を聞いて、リョウはすまなそうに腕を組んだ。

「悪いが、ここには竜白氏は来られていないな。俺たちの親父も、ここ半年ほど『修行だ』とか言って家を出たままだ。
 しょっちゅう放浪してるから、俺たちもどこに行ったのかわからん」

「そう……ですか……」

 香澄はちょっと項垂れてしまった。これで父親の手がかりがひとつ消えた。それも、一番確実だと思われた手がかりが。

「香澄はこれからどうするの? まだアメリカを捜すとか?」

 ユリから、これまた痛い質問がとんだ。財布をなくして一文無しだったことを、今更ながらに自覚してしまった。

「あー……」

 がっくりと頭を下げる香澄。

「あ、あたし、なんか変なこと言った?」

 ユリが心配そうに香澄をのぞきこむ。香澄はあわてて「ち、違います違います」と、オーバーに否定してみせた。

「私、いま一文無しなんですよぅ……。だから、捜すとか帰るとか以前に、それをなんとかしないと……」

 同時に大きくため息をついた。
 よく考えてみたら、リョウが立て替えてくれたという自分の診察代も払えないのだ。情けない……。
 そう思うと、もうひとつため息が出た。

「お父さんをサウスタウンで捜すつもりなら、ここをベースにしてもかまわんぞ?」

 なにげにリョウが言った言葉に、香澄は「へっ?」と頭を上げた。少し意表をつかれたせいか、気の抜けた表情だったが。

「そうだね。ここなら、サウスエリアの真ん中に近いから、サウスタウンにいる間は行動しやすいかもね」

 兄の言葉に、ユリが自然に反応した。

「え? で、でも、迷惑なのでは……」

 香澄が言うと、ユリが微笑んで香澄の肩をぽんぽんと叩く。

「ぜんぜん迷惑じゃないって。ロバートさんやキングさんだって、サウスタウンに来るときはここをベースにしてるんだから」

「はぁ……」

 ちなみに、ロバートとはイタリアの大富豪の子息であり、リョウとは「竜虎」と並び称されるほどの極限流の達人である。
 またキングとはロンドンのバー「イリュージョン」のマスターを務める女性で、過去サウスタウンにいたこともあり、やはり極限流に浅からぬ縁のあるムエタイの達人である。香澄は二人とも面識があった。
 もっとも、ロバートに関しては、未だに香澄は彼のことを「カルシア」だと思っているが。

 ユリに言わせると、ロバートもキングもお金持ちなのに、この街にくるたびにわざわざホテル代をけちって極限流道場に泊まりにきては、タクマ・サカザキの長〜い昔話につき合わされている「変わり者」だそうだった。

 ここでリョウが「正真正銘の変わり者のおまえに言われちゃ、いかに・・・ロバートでもかわいそうだろ」などと余計なことを口走って、妹から、両頬をむに〜っと引っ張られたのは余談だが。

 兄の頬を引っ張ったままユリが言うには、サウスタウンにくるたびにここに泊まる知り合いは多いそうで、変わったところでは、道場破りにきて、死闘の末にリョウに敗れた「如月流」を名乗る派手な忍者が、そのまま何日か居着いたことがあった。
 その時は、ぶつぶつ言いながらも家事や弟子の修行を手伝ってくれて、再戦を期して日本に帰ったらしい。

「何というか……、アメリカとは思えないほど大らかですね……」

 香澄が驚いて感想を述べると、再びユリを引っぺがしたリョウが、豪快に笑った。

「まぁ、そうは言っても、よく泊めるのは面識のあるヤツばかりだし、見た目によらず、この建物もセキュリティはしっかりしてる。それに、いざとなれば極限流の免許皆伝者が何人もいるからな」

『なにかあったら半殺し』というわけだ。香澄は思わず想像して苦笑してしまった。
 赤くなってしまったほっぺたを抑えながら、リョウは続ける。

「まぁ、君もまだ起きたばっかりなんだろ?
 もうしばらく体を休めて、頭を落ち着けてから決めたらいい。財布が返ってくれば一番いいんだろうが、なんにしてもこれからのことだしな」

「はい、ありがとうごさいます。申し訳ありませんが、しばらく御厄介になります」

 香澄は正直に感謝して、好意に甘えることにした。
 このままこの家を出てもどうにもならないし、頭のほうはどうやら正常に戻ってきてはいるが、体のほうはまだ節々が痛むのも事実だった。

 それにもうひとつ、香澄がこの兄妹に対して興味がわいて来たこともあった。
 目の前の二人はどうにも緊張感に欠けているが、格闘家としては、その強さにおいてかなりの知名度を誇る兄妹である。その普段の生活を観察してみたい、と、藤堂流古武術の継承者として思ったのだ。

「あ、そうそう」

 そんな香澄の心理を知ってか知らずか、ユリは性懲りもなく兄にチョークスリーパーを、どうやら手加減一切なしでかけながら話し掛ける。

「香澄のバッグ、私が預かってるよ。中身は見てないから、後でなくなってる物とかないか、確かめたほうがいいよ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 安心しきっていたのか、自分の所持品のことをすっかり忘れていた。いざという時のために入れていた藤堂流の胴着や、着替えなどがなくなっていなければいいのだが。

 その時。

「スキありっ!」

 ユリに首を締め上げられて真っ赤な顔をしていたリョウが、ユリの意識が香澄に行った一瞬の隙をついて、チョークスリーパーから脱出すると、椅子に腰掛けたまま逆にユリの体を自分の前面に持ってきて、チョークスリーパーをユリにかけ返した。

「きゅう」

 という空気が抜けるような台詞が、ユリの口から漏れる。どうやら、がっちりと決まってしまったらしい。

『今のは……』

 香澄の表情が思わず真剣になる。

 あまりにもさりげない動作なので見逃すところだったが、今、リョウがユリの体を入れ替える動作は、あきらかに合気道のそれだった。相手の力を利用して、相手の体を操ったのだ。

 格闘家という人種は『二重感覚・・者』だと言ったのは誰だったか。
 他の行動に集中していても、近くの、自分と同じ人種の使う力の流れを、まるで違う器官が働いているかのように、敏感に感じ取ってしまう。
 香澄の今の状態もそれだった。
 ほんの小さな動作にすぎないが、極限流の強さの一端を垣間見たのかもしれない。

「ん、どうした?」

 香澄の真剣な視線が自分に向けられているのを悟って、リョウは香澄に顔を向けた。香澄は慌てて「すいません」と視線を逸らす。
 恋愛の経験の無い香澄はまだ、命の際から引き上げてくれたリョウが、彼女にとって特別な存在になりつつあることを、自覚しきれていなかったのである。
 リョウと真正面から視線が合うとどもってしまうことにも、その原因が解らないことにも、恥ずかしさを感じてしまう香澄だった。

 ただ、失神寸前のユリが、弱々しくタップしていることに、二人とも気付いていなかったことだけは、事実だった。


 それから、どたばたした朝食が終わると、ユリは首を押さえて咳き込みながら後片付けをはじめた。どうやらこの家に「手加減」という言葉はないようだった。

 リョウはこれから道場を開けるという。
 香澄はユリから自分のバッグを受け取ると、そのまま宛がわれた部屋に戻って再び眠りについた。
 自分は無事だった、と安心したのと、リョウとユリの掛け合いを見てリラックスできたせいか、それはとても深い眠りだった。



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(06.06.21)