Alternative(後編)

 さて、今晩のメニューは、あさりのピラフ、ひらめのボンファム、さやいんげんのベーコン巻き焼き、そしてレタスのコンビネーションサラダである。
 ユリ本人にも、ややバランスがとれていないように思えたのだが、冷蔵庫の余り物を吐き出して作ったにしては上出来だったので、満足はしていた。
 いくら自分が落ち込んでいても、近所のファミリーレストランに行って、長時間待たされた挙句に、安価チープ不味まず料理ディナーを食べることを思えば、片時の手間如き、惜しむべきではなかった。

 リョウはどちらかといえば日本食びいき、ユリは洋食好きと言うことで、サカザキ家の夕食は、一日おきで和洋が続き、たまに和洋折衷になるのがお決まりである。
 もっとも、リョウは基本的に出されたものは何でも平らげるし、このジャンルにかけてはある意味、格闘以上にプロ魂を持つユリも妥協しないので、食事のことでサカザキ兄妹が揉めることは殆ど無いと言っていい。
 唯一の例外が、甘口のカレーであるが。



 夕食を終え、一息ついたとき、ユリは思い切ってリョウに質問をぶつけてみる事にした。
 やはり、答えの出ない思考の迷宮をうろつくことに、ユリは自分でも不毛さを感じていたのである。

「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」

 テーブルの対面に座るリョウは、読んでいた新聞から目を離し、ユリにその目を向けた。

「なんで…………、こっちアメリカだったの?」

 ぽつりと漏らすような声の質問に、リョウの視線に、やや訝しげな光が入り込んだ。
『なにか、問題でもあったか?』
 そう言われたように感じて、ユリは大慌てで両手を振った。

「ああ、いやいやいや。深い意味はないんだけどね。ただ、なんでなのかなって、ちょっと気になったから……」
「そうか」

 リョウは何か思っているようではあったが、一度視線を下げ、新聞を適当に畳みながら、こちらも大きいとは言えない声で、一言だけ答えた。


ここアメリカには、母親おふくろの墓があるからな……」


 そのたった一言が。
 ユリの重かった心の、少なくとも欠片の一つを、落としたように感じた。


 ああ、そうか。
 お兄ちゃんにとって、これは選択肢オルタナティヴなんかじゃなかったんだ。
 たぶん、ずっと昔からの、お兄ちゃんの決意デターミネーション……。今になっては、事実の追認でしかなかった。
 だから、相談するとか悩むとか、そう言った次元の話じゃなかったんだ……。


 それは、普段からユリ自身も理解していると思っていたことだった。何故、気付かなかったのだろう?
 そんなことも忘れるほど、視野が狭くなっていたのだろうか。


 リョウは続ける。

「俺は、お袋の事故を間近で見て、騒動の最初から最後までを憶えてる、多分唯一の人間だ。その俺が、お袋の墓の傍を離れちゃ、親不孝だと思ってな。
 ただ、それだけだよ」

 その時、同じ場所にいながら、事故のことも母のことも記憶していないユリに気を使うように、静かな物言いながらも、リョウははっきりと言い切った。

「そっか……。そうだったんだね……」

 言いながら、ユリは安心したように、小さなため息を吐き出した。
 まだ、自分の考えが纏まったわけじゃない。けれど、リョウの『決断』の理由と真意とが、その絡まった思考のほつれを解くのに、一定の方向性を与えてくれたことも、確かな事実だった。

 わからなかったリョウの考えはわかった。あとは、ユリ自身が考えることだった。


「少しは、参考になったか? ユリ」
「え??」

 突然言われて、ユリは目を白黒させて、視線を兄に向けた。

「えーとぉ……、ひょっとして、ばれてた?」
「当たり前だ」

 リョウは苦笑気味に顔を綻ばせながら、軽く頭をかいた。

「お前が悩んでいたのは、俺だけでなく皆知ってた。ただ、その時期を遡って考えて、これが原因じゃないかとは思ってたよ。
 もっとも、ロバートも、薄々は感づいてたみたいではあるけどな」

「そっか……」

 なーんだ、と、ユリは少しだけ損した気分になった。
 こんなことなら、やっぱり最初から、リョウかロバートに相談でもしていればよかったんだ。
 悩んだことが時間の無駄、とまでは思わないけど、あんなに自分に惨めな気持ちを持たずにすんだのに。

「まぁ、ちょっと真面目な話をするとな」
「うん」

 ちょっと取り澄ましたリョウの物言いに、ユリも自然と姿勢を正す。

「このことに限った話じゃないが、お前が色んなことで悩み、それを解決しようとした時、色んな知識や意見が、お前の耳に入ってくるだろう。
 俺は、それらを全部取り込めとも、全部無視しろとも言わん」
「わかってるよ、お兄ちゃん。自分で考えて、自分で決めるんだよね」

 それは、幼い頃より、リョウがユリに言い聞かせてきたことだった。
 自分に関わることを最終的に決めるのは、自分自身に他ならない。だから、そんな時に迷わないために、真面目に勉強して、多くの知識を得るように、と。

「そうだ。俺は昔に、自分で自分の道を決めて、そのことに後悔はしていない。
 お前には、まだ時間がたくさんあるし、たくさんの道がある。それまでに、決断する時に困らないだけの知識と、それを取捨選択する力を磨いておけばいい。
 今はまだ、慌てることは無い」
「うん」
「だけどな……」

 言うと、リョウは少し身を乗り出して、いきなりユリのおでこに軽めのデコピンをかました。
 ぽこっ、という実にいい音が響く。
 いきなりのことに、ユリは防御することができず、まともにそれを受けて、思わずおでこを押さえた。

「痛ーい! なにするのよ、いきなり!」

 けれど、リョウはそ知らぬ顔でユリの抗議を聞き流すと、平然と座りなおす。

「おまえな、自分で解決できそうにないと思ったときは、迷わず周囲に相談しろよ。
 お前がふさぎこんでる時、俺もそうだが、ロバートも門下生のみんなも、けっこう心配してたんだぞ」
「う……、ごめん……」

 ちょっと小さくなって、ユリは俯いた。
 おでこには、しっかりとデコピンのあとがついている。指先で軽め、とはいっても、『無敵の龍』と呼ばれる格闘家の腕力である。そりゃあ、あとだってつこうというものだ。

「男に相談しにくけりゃ、キングや舞ちゃんだって、周りにはいるんだ。自分で決断することも勿論大切だが、周囲に心配をかけさせない、というのも、大切なことだぞ?」
「はぁい……」

 しゅん、とすっかり小さくなってしまったユリを見て、『言い過ぎたかな?』と、リョウは思う。
 ユリにとって、リョウの言葉が常に重い意味を持つのは、ユリ自身が自覚している以上に彼女が兄に対して信頼と尊敬の念を抱いているからだが、当のリョウ自身は、これまた自分が思っている以上に、ユリに対しては甘いのだった。
 リョウは静かに立ち上がり、ユリの隣をすれ違いざま、その頭を軽く撫でてやった。

「ま、今回のことはもういいさ。
 晩メシの後始末は俺がしとくから、今日は早く寝て、明日、道場のみんなに、明るい顔を見せてやれ。
 お前が暗いと、どうも道場も暗くなるし、ロバートにも覇気が無くて困る」
「うん、わかった」

 ちょっと微笑んで、ユリは頭を撫でていたリョウの手に自分の手を合わせ、そして……。

 勢いよく立ち上がりながら、ユリは掴んだリョウの腕を引き込んだ。リョウは思わず、ユリのほうにつんのめる。

「デコピン、おかえしぃ!」

 自分のほうに倒れてきたリョウのおでこに、逆の手で、思いっきり引き絞った弓の如きデコピンを、躊躇無く弾いた。
 ぽこっ、ではなく、ばちん!という、すごい音がダイニングに響く。

「ぐぼぁ!」

 リョウは思わずおでこを押さえながらも、なんとか倒れずに体勢を立て直すが、その隙に、ユリは軽い足取りで、ダイニングのドアのところまで離れてしまっていた。

「ユリ〜、お前な〜!」

 なんと言っていいかわからず、でもとりあえず何か言ってやろうと、リョウがユリに視線を向けると。

「お兄ちゃん、ありがとー! 後片付け、よろしくー!」

 実に楽しそうな声を響かせて、ユリは既に走り去っていた。

 リョウはおでこを押さえたまま、呆然とした後。
 思わず、苦笑した。

「まったく、あいつは……」

 ま、ある程度元気を取り戻したんなら、良しとするか。

 そして夕食の後片付けをするために、システムキッチンのほうに足を向けるのだった。



 翌日、道場には、元気なユリの姿と、それを安堵するようなロバートと門下生と姿があった。

 ユリの悩みが消えたわけじゃない。しかし、その意味と、重さは変わった。
 いつか決断の時は来るし、それまでに考えなければいけないこと、知らなければいけないことは、沢山ある。
 ロバートとのこと、リョウのこと、両親のこと、そして、友達のこと。
 でも、それまでの心の持ちようが解っただけでも、今回ふさぎこんでいたことが無駄ではなかったと、ユリには思えるのだった。
 ユリは、孤独ひとりではないのだから。

 もっとも、おでこについたデコピンのあとのことまでは、ロバートにしか語らなかったけれども。



COMENT

 さて、前半の初稿の掲載から約二ヶ月。「ゆりぶろぐ!」の方に本作の「前・後編」を「完全版」として先に公開しちゃうという、意味不明の順番で、改めて後半の公開となりました。
 このあたり、本当は同じ管理者の異なる二つのサイトで同じ作品を公開、というのは好ましくないのかもしれませんが、今回ばかりは特殊な事情が色々重なっちゃったので、大目に見ていただければ幸いです。

 さて、今回は、KOFでのユリやリョウのプロフィールに「国籍:日本」とあるのがちょっとだけ違和感を感じて、書いてみたものです。ユリはまだ決断していませんが、どちらを選ぶのでしょうね?
(05.06.23)