PRIVATE REBELLION 01

 七月三十日。八月を目前に控え、サウスタウンも夏の熱波の襲来が本格化する頃。
 サカザキ家も、たまの休日を掃除に費やしている。普段の家事は妹のユリが一手に担ってはいるが、ユリとて道場の師範代の仕事があり、家事ばかりに時間が取れるわけではない。
 リョウは極限流総帥代行として、家にいない日も少なくなく、そこでたまに二人揃って休日が出来ると、総帥代行といえど容赦なく掃除に借り出されるのだった。
 とはいえ、リョウは掃除に向いているとはいえない。手を抜くことはないが、おおらかな性格が災いしてか掃除そのものは大雑把であり、また気になったところが出てくるとそこから前に進まないため、リョウが任されるのはもっぱら洗濯だった。
 この日も、リョウは大量の洗濯物を前に、洗濯機の前に小型の椅子を持ち込んで、洗濯機とにらめっこをしている。
 ユリは自室と廊下の雑巾がけを終えた後、一息ついてキッチンに立っている。
 リョウは、キッチンの妹に聞こえるように、声を上げた。

「しかしなあ、お前ぐらいの年代の女の子が、洗い物を俺のとごっちゃにしていいのか」

 そう言うと、洗濯物の山脈の中からあるものを取り出してみる。白いブラジャーだった。
 キッチンから妹の声が聞こえる。

「うちは昔からそうでしょ? 今さら気にしたりしないよ」

「カーンのとこの兄妹は、絶対に一緒にしないって言ってたけどな」

「リリィちゃんとこはリリィちゃんとこ、うちはうち。
 いちいち二人ぶん分別してたら、時間と水道代の無駄だわ」

 そう言いながらユリがキッチンから顔を出すと、洗濯機の前で待ちぼうけの兄が、自分のブラジャーを広げてみていた。

「……一応聞くけど、妹のブラでなにやってんの?」

「いや、ブラのホックの数が……」

「……。いま、誰かと比べたでしょ」

 ユリの右の眉が角度を上げ、その声が少し震えた。
 リョウは、咄嗟にブラジャーを洗濯物の山に戻す。

「いや、決してそういうわけではない」

「嘘をつけー!」

 ユリの両手が、リョウの頬をつねり上げる。

「一応教えてあげるけど、ブラのホックは、カップが上がるほど増えるの!
 誰と比べたの、言いなさい!」

「……マリア」

「あんなおっぱい星人と一緒にするなー!」

 ユリが兄の頬をつねったまま、それを引き剥がそうとするリョウともみ合いになって、二人で転げまわる。
 この兄妹にとっては日常風景であるのだが、部外者にとってはやや奇異に映るかもしれない。
 だが、今日の珍客はそんなに奇異とも思わなかったようで、二人を見ながらくすくすと笑った。
 真っ先に気づいたのはユリだ。わずかに遅れてリョウも気づいた。この二人は、一般人に比較して危機察知能力に優れている。

 その客は、玄関が開いているのをいいことに、申し訳程度に声をかけ、上がりこんでキッチンから二人を眺めていた。
 ブラウンの長い髪をなびかせた長身の美人である。咄嗟にユリが起き上がって、目を丸くした。

「マリアお姉ちゃん!」

 マリア、と呼ばれた女性は、いたずらっぽい笑顔で軽く手を振った。
 ユリが、なぜか少し引き攣った笑顔で答えたのに対し、リョウが起き上がった。

「相変わらず、仲が良いわねえ。少し妬けるわ」

 笑顔のマリアに、リョウが手を差し出した。

「久しぶりだな。いつこっちに戻ってきたんだ?」

「ついさっき。サウスタウン空港から直行よ」

「なんだ、連絡をくれれば迎えにいったのに」

「あなた忙しいでしょう? だから負担になりたくなかったの」

「今さら、そんなことを気にするお前とも思えんが」

 リョウの手を握って、マリアは微笑んだ。
 ユリは妙にいづらそうに、キッチンの奥に消える。
 リョウに一つ微笑むと、マリアは忍び足でそっとユリを追いかけた。
 そして、冷蔵庫を開けたユリの背後から、がばっと抱きつく。そして、その胸をわしづかみにした。

「ひゃあ!」

「んー、ユリも久しぶり! この肩と胸を抱くと、こっちに帰ってきたって実感がわくわ」

「お姉ちゃん、いいから手を離して。お兄ちゃんが見てるって!」

「んー? お兄ちゃんに見られて恥ずかしいのかな? 大丈夫、リョウも妹の成長を確認できて喜んでるわよ」

「んなわけないでしょ!」

 ユリは無理やりマリアの手を胸から剥ぎ取ると、少しマリアから離れて深呼吸した。
 ユリは、このスキンシップ過剰な四歳上の幼馴染が、どうも苦手である。決して嫌っているわけではないし、恩人の一人でもあるのだが、この手のタイプはあまりユリの側にはいないので、対処の方法がわからない、というのもあった。

 マリア・サラトガ。リョウと同い年で、兄妹の父タクマが最初に開いた極限流道場の隣に住んでいた少女だ。
 同年代と言うこともあってか兄妹と仲良くなった。もともとオープンな性格だったが、マリアがリョウに一目惚れしたこともあってか、「将来はリョウのお嫁さん!」と勝手に自分の将来を決定して、その好意を周囲に隠したこともない。
 空手を習うことはなかったものの、よくサカザキ家に入り浸っては、リョウの隣をめぐってユリと反目した。
 サカザキ家が離散した直後、兄妹を一時的とはいえ保護したのはマリアの父親だった。マリアは「私もリョウを護る!」と気を張って、幼少のリョウからたどたどしい空手を習ったこともある。
 しかし、マリアの父親の仕事の都合で、一家は故郷のオーストラリアに戻ることになった。父親はできれば兄妹をオーストラリアに連れて行きたかったようだが、リョウは母親の眠る街を離れる気にはならず、深夜、ユリを連れてサラトガ家を飛び出した。
 以来、この三人は会うことも無く、連絡を取ることもできず成長した。

 リョウがマリアと再会したのは、Mr.BIG一味によるユリ誘拐事件から一年程が経ってからだ。マリアはオーストラリアの高校を出た後、サウスタウンの大学に進学するため、この街に戻ってきたのである。
 無論、マリアにとって、それは両親を納得させるための口実にすぎず、実際はリョウを探すためだった。
 しかしそのとき、マリア・サラトガの名は、一部の人々によってチェックされていた。

 ギース・ハワード。

 ギースは、自身が開催したKOFの結果、極限流空手が自らの思い通りにならぬと悟ると、今度はマリアを自らの本拠地に誘拐し、リョウを手駒にしようとしたのだ。Mr.BIGの同じ徹を踏んだわけであるが、結局この企みは失敗し、マリアはリョウの手で救出され、ギースは日本へと逃亡した。

 それ以降、マリアはアメリカとオーストラリアを行き来する忙しい日々を送っており、サカザキ家への訪問はそんなに多くはなかった。
 だから、たまに会うことが出来ると、マリアのこの兄妹に対するスキンシップは、やや過剰気味となるのが常だったのである。
 ユリにとって、マリアのような性格の女性はあまり身近に存在しなかったため、いつの間にか深刻ではない苦手意識を持つに至っている。

 一つには、ユリ自身の持つ「閉鎖性」にも原因があるだろう。
 幼い頃、リョウと二人で過酷な生活を送ったユリは、当時、身近に寄ってくる大人たちを警戒して、極めて深刻な人間不信になっていた時期がある。
 その影響か、明るさを取り戻した現在でも、ユリは無造作にプライベートの奥深くに浸入してこようとする相手に対して、拒絶反応を示してしまうことがあるのだ。

 一例として顕著なのは、ユリは自分と兄以外の人間が作った料理を、自分から進んで口にすることがほとんどないことが挙げられる。
 人付き合いなどで外食をする機会がないわけではないが、そのときも誰かが料理を口にするのを確認してから、自分でも口に運ぶ。他人のつくった料理が自分に害をもたらさないか、無意識に警戒しているのだ。
 ユリが料理などの家事に達者になったのは、外で戦っている兄の生活をフォローするのが第一であったが、幼いなりに自分たちの命を護ることを最優先した結果でもあった。

 マリアはリョウとユリにとっては幼馴染ではあるが、その頃の記憶はユリにはほとんど残っていない。相手の親愛の感情は理解は出来るが、だからと言って無条件で自分の心の奥にまで招待できるかといえば、それは別の判断だった。

 ユリは、キッチンにこもってコーヒーの準備をしながら、マリアとリョウの座るテーブルを、相手から見えないように凝視している。
 リョウは、相手によって態度を変えることはほとんどない。それは相手が女性だろうが、男性だろうが変わらない。誰にとっても、彼は「親愛なる友人」であり、それ以上でもそれ以外でもなかった。
 だから、一部の女性は彼の態度にヤキモキしながら、

「リョウ・サカザキは、女性からの好意に不感症なのではないか」

 ……などという言葉を囁きあう。
 リョウが本当にそのような性質なのかどうかは、誰にも分からない。リョウが自分の性質を理解しつつそのような態度を崩していないのなら、その意見は誹謗以外の何者でもないのだが。

 ユリがさっと思いつくだけでも、そのような女性の数は五指に余る。キング、藤堂香澄、四条雛子、沙藤真琴、そしてマリア。
 不思議なことに、この中で自分からリョウに好意をぶつけている女性は、幼馴染のマリア一人だけだった。
 リョウのほうから求婚させよう、などと計算高いことを考えて行動するようなメンバーではない。
 単なる照れなのか、奥ゆかしさなのか、それは本人たちにしかわからない。

 ユリが見ている前で、リョウとマリアの距離が近い。
 熱いコーヒーを入れながら、ユリは妙な苛つきを感じる。
 コーヒーを入れ終わってテーブルに持っていくと、ちょうどマリアがリョウの腕に自分の腕を絡めていた。
 リョウも困惑の表情を浮かべてはいるが、突き放したりはしなかった。
 わけもわからずユリが苛つきを自覚して、三つのコーヒーカップを乗せたトレイは、テーブルに乱暴に叩きつけられた。コーヒーがこぼれなかったのが奇跡であったろう。
 まるでショート寸前のエンジンのように真っ赤になったユリは、マリアを三白眼でひと睨みしてから、

「ちょっと出かけてくる!」

 と、部屋着のTシャツとレギンスのまま、乱暴に扉を閉めて出て行ってしまった。
 リョウは呆気にとられたまま、マリアはある程度ユリの事情を理解して、それを見送った。

(To be continude ...)

COMMENT

 マリアは2013年の「パチスロ龍虎の拳」からのゲスト出演で、あのストーリーを無理やり「龍虎の拳」シリーズとつなげようとした結果、ギースの動きがかなり不自然になってしまったかも。
 本当は別のネタに繋げて大長編にしようかとも思ったのですが、それだとマリアを出した意味がほとんどなくなってしまうので、元のアイデアのまま行くことにしました。
 ただ、あのマリアをそのまま出すと、名前の変わったユリア(北斗の拳)以外の何者でもないので、その辺は少しアレンジしてあります。
 あと3〜4枚続く予定です。

(初稿:17.08.25)