お酒のある夜には - Sugar -


 イギリス、ロンドンの一角に、若い女性に人気のある「イリュージョン」という名のバーがある。
 そう特別に広いと言うわけではないし、特別に安いというわけでもない。
 でも、小洒落たセンスに、種類の多いカクテル、更にマスターが頼りがいのある若い女性だということも手伝ってか、 ここには多くの男女が常連として通っている。
 たまにだけど、この店はマスターの顔なじみという客限定で、正規のオープン時間前に店を開けることもあった。
 今のお客も、そういった類の客だ。
 マスターは、若い女性格闘家としても知られる本名不明の麗人、キング。
 客の名は、不知火舞、そして、ユリ・サカザキ。


「らからさ〜……、舞ひゃんもキングひゃんも、聞いれる〜……?」

 すでにべろべろの状態で、殆どカウンターに突っ伏しているのは、ユリ・サカザキだ。
 普段は三つ編みにしている長い黒髪を解き、とろんとした目と真っ赤になった顔で、それでもグラスを放さずに、舞とキングを等分に見やる。

「はいはい、ちゃんと聞いてるわよ。またお兄さんとケンカしたんでしょ?」

 さして呆れているふうでもなく、微笑みながら応えたのは、不知火舞。
 ユリはあまり化粧はしないし、服装も意識してあまり目立たないようなものを選んでいるが、舞は完璧にメイクを施し、その抜群のプロポーションを際立たせるような衣装を好んで着ている。
 今日も、腰までありそうな長い黒髪をポニーテールにし、体型がはっきりとわかる紅いロングのワンピースを見事に着こなしていた。

「ユリ、いい加減で止めときなよ。あんた、酒にぜんぜん免疫がないんだから」

 マスターでありバーテンダーでもあるキングが、ショートの金髪とカクテルシェイカーを軽めに振りながら、年下の友人に注意を促したが、

「ほえ〜?」

 ……ユリが理解しているかどうかは、かなり怪しい。


 けっこう長い付き合いである三人は、こうしてキングの店で集まることが多い。
 キングがイギリス、舞が日本、ユリがアメリカと、国籍も住んでいる場所もバラバラだが、数ヶ月に一度の頻度で、こうして集まっていた。
 言いだしっぺは、毎回違う。
 マスターであるキングが二人を呼ぶ時は、同窓会みたいな感じで。
 舞が二人を呼ぶ時は、恋人であるアンディ・ボガードとのノロケをほろ酔い気分で語り、他の二人と恋愛について語るため(と称して、二人の恋愛進行度に探りをいれるため)。
 ……そしてユリが二人を呼ぶのは、同居している兄、リョウ・サカザキへの、鬱憤晴らしである。
 リョウは、妹に対してある程度は理解あるが、反面、どうにも頑固な性格をしている。
 それが、明るく活動的なユリと、たびたび衝突をしてしまうのだ。
 ユリにとっては、リョウは兄であるのと同時に、自分を育ててくれた親代わりであり、現在の保護者でもある。
 ケ ンカもある程度まで進行してしまうと、ユリはどうしてもリョウに逆らえず、ストレスを溜め込んでしまうのだった。
 こうしてみんなで集まり、お酒を飲んで語り合いながら、それを少しでも発散させようとユリ本人は思っているらしいのだが。
 普段、酒を飲まないユリは、アルコールに対して耐性が全く無い。
 いつも真っ先に、味だけは大好きなマンハッタン(ライ・ウィスキーベース、スイートベルモット+アロマチックビター+レッドチェリー)を頼むと、キングが止めるのも聞かずにぐびぐびやっては、まともに文句を言う前にべろべろになってしまう、というのがいつものパターンだった。
 まぁ、それでもぼそぼそと、しっかり愚痴はこぼすわけだが。


 そして、今回もいつもと同じ。
 幹事であるユリが真っ先に酔いつぶれた。
 それでも無意識に兄に対してぶちぶちと愚痴をこぼすユリに自分のコートをかけてやり、舞は自分の席に戻る。
 舞が好んで飲むのは、トム・コリンズ(ドライ・ジンベース、レモンジュース+シュガーシロップ+ソーダ水+レモン+チェリー)だ。
 舞はユリほど酒に弱いわけではないし、自分の酒量というものをきちんと弁えているから、あまり強くないカクテルを時間をかけて楽しむのが常だった。

「私、思ったんだけどね」

「ん?」

 これからの本開店の準備を終え一休みしながら、キングは舞の隣に座った。

「ユリちゃんって、本当にお兄さんのリョウさんが好きなのね」

 手の中でグラスを廻しながら、舞はくすくすと笑った。

「そうか? いつも文句ばっかり言ってるような気がするけどな」

 こっちは商売用のソーダ水をちびちびとやりながら、キングは苦笑した。

「そう、それよ。
 確かに文句が大半だけど、そうじゃない時でもユリちゃん、お兄さんのことしか言ってないような気がしない?」

「言われてみれば、そうかな」

 グラスを持ったまま、キングは少し考える。
 ユリは舞の惚気話を聞くのが好きなわりに、ロバートという兄公認の相手がいるのに、そういえばその話は余りしないような気がする。

「ねぇ、キングさんって私よりユリちゃんと付き合い長いでしょ?」

「まぁ、二年かそこらだけどね」

「ユリちゃんってさ、ブラコンの気があるの?」

「いやぁ、それは無いと思うよ」

 笑いながら、キングはグラスをカウンターに置いた。
 ユリに関しては、キング自身が彼女を巡る事件の中心近くにいたから、良く知っていた。
 彼女の明るい性格も、いかに過酷な過去を過ごしてきたかも。

「たぶん、ユリにとって、リョウの存在は大きすぎるんだよ。
 兄であり、父であり、母であり、師匠の一人であり」

「そっか、ユリちゃんってリョウさんに育てられたんだよね」

「そ。まぁ、ことがことだからユリも詳しくは話さないけどね。
 リョウがどんなに苦労したか、ユリも良く理解してるから、兄貴に心配をかけたくないのさ」

 すっかり寝入ってしまったユリの頭を軽くなでながら、キングは応える。
 確かに、ユリがロバートに対して好意を持っているのは確実だが、もともとユリは恋愛に対してさほど積極的な性格ではないし、それ以上に彼女に対してリョウの影響力が大きいから、これから二人の仲が急に進展する、ということはないだろう。
 ロバートはとうぶん、片思い同然の、やきもきした毎日を送らなければならないだろうな。
 思わず想像して、キングは笑ってしまう。
 キング自身も、リョウと同じ苦労をしている。
 リョウは妹を、そしてキングは弟を、苦労しながら育てたのだ。
 だから、育てられた側のユリの気持ちも、育てた側のリョウの気持ちも、よく解るのだった。

「なるほどね、みんな、色んな生き方してるんだ……」

 と、自分自身も波乱の人生を歩んでいる舞が、何かを言い聞かせるように呟いた。


 暫くユリの話で盛り上がったあと、舞が唐突に話題を変えた。

「ところで、キングさん。自分自身、そのリョウさんとの間はどうなってんのよ。
 けっこう噂で聞くんだけど?」

「う……」

 ほろ酔いの艶っぽい、にまっと笑顔を浮かべた舞に詰め寄られ、キングはちょっとたじろぐ。
 そして、アカラサマに視線を舞からはずすと、がばっと立ち上がった。

「あらやだ、もうこんな時間。さぁ、開店の準備をしなくっちゃ!」

 白々しい言い逃れをしながらキングが立ち上がる。
 キングが女言葉を使うのは、決まってなにかしら誤魔化しごとをする時である。
 彼女を知る者なら、誰だって知っていた。

「あ、こら、逃げないでよ! 話を聞かせなさいってば」

「ほらほら、これから客を入れるんだから、舞はユリを奥の部屋に連れてって。
 ここに寝させとくわけにはいかないだろ」

「話を聞かせてくれれば、連れて行くってば」

「なんのことやら、さあさあさあさあ」

 ずいずいずいずいと長身のキングに押しやられ、舞も負けじと大きな胸で押し返す。
 ユリが幹事をしたときの、いつもの風景だった。

 そんななか、一人静かに寝息を立てながら。

「お兄ちゃんの、馬鹿……」

 これも、いつもの風景だった。

(Fin)

COMMENT

 400HITを踏まれた相原癌さんからのリクエスト小説。
 すいません、オチがついてません。
 うーむ、「ユリサカ小説を」ということだったのに、ユリのセリフが三つしかない。
 さぁ、どうしよう(笑)。
 なんとなく大人の酒場の雰囲気を出したかったんですけど、難しいものです。

(初:05.03.03)
(改:05.03.05)