とある街角にて

「ったくもう、どこほっつき歩いてんのよ、あのお馬鹿。
 今日は大切な話があるって、あれだけ……」

 ちょうど気温の暖かくなってきた季節。
 街行く人の衣服も、一週間前よりも一枚薄くなり、そろそろ春の声も聞こえようかという午前中。
 マチュアは、息を切らせて街を走り回っていた。

 普段は年齢相応か、あるいはそれ以上の冷静さと賢明さを発揮するマチュアも、最近は気紛れな同居人に引っ掻き回されっぱなしだった。
 八神庵。
 彼女と、彼女の相棒であるバイスの同居人の名前である。
 最初は同じオロチの力を受け継ぐ者として、バイスと共に八神を監視する任にあったマチュアだが、後を追い回しているうちに八神のことを気に入ってしまい、バイスと二人して八神に寝返ってしまったのだ。
 八神と言う男は、良くも悪くも世間と隔絶した男だった。
 他人に迎合するということをまったくせず、口数は少なく行動も不規則で、何を考えているか全く解らないのに、一種独特の美学さえ感じさせてしまう生き様は、オロチ一族の実力者であり、これまで強者の理論を平然と貫いてきたマチュアとバイスさえ虜にしたのだ。
 その八神は、今日も今日とて早朝からふらりと出たきり、昼過ぎまで帰っていない。
 マチュアの相方であるバイスは、こと生活に関する限り八神に勝るとも劣らぬマイペースっぷりで、ちっとも当てにならないから、八神の世話を焼くのはいつも彼女の仕事だった。

「あー、もう」

 朝から歩き回ること三時間。
 マチュアは繁華街からちょっと外れたところにある自動販売機に寄りかかって、安っぽい缶コーヒーのプルトップを開けた。
 そして、半分くらいを一気に飲み干す。

「まがりなりにもオロチ八傑衆の私が、なんでこんなことを……」

 若い頃に大成功を収めた老年の元歌手が昔を懐かしむような表情で、マチュアはため息をつく。
 それも仕方がない。
 オロチ一族の最高意思決定機関に属しながら、マチュアもバイスも、自分の意思でそれを裏切ったのだ。
 今更言っても仕方がないことはわかっているし、なによりマチュアが、この小市民的な異国での生活を楽しんでしまっているのだから、誰にも言いようがないのである。
 だから、せめて八神に文句か小言の一つでも言わないと気がすまない。
 いつも「煩い」の一言で八神は済ませようとするが、それじゃ済まないこともあるのだと教えてやらないと気が済まない。

「さて、と」

 八神の探索を再開しようかと、歩き出そうとした瞬間。

「ようっ!」

 いきなり背後から肩を叩かれた。

「…………っ!!」

 半分は意識し、半分は意識しない動作で、マチュアは一足飛びに自動販売機から離れる。
 そして、構えをとった。
 如何に普通の生活を送っていようと、彼女はオロチ八傑衆の一員であり、オロチ一族最強の戦士の一人だった。
 その彼女に、気配さえ感じさせずに近づいてきたのだ。
 只者であろう筈もない。
 マチュアは改めて相手を睨みつけ。
 ……そして、驚く。
 そこにいたのは、やけに大柄な男だった。
 182cmある八神も、日本人男性の平均に比べれば大柄だが、この男は更に大きい。
 190cm位あるだろうか。
 そして、若い。
 加えて、短く刈った頭を真っ白に染め、首にはハートをあしらったチョーカー。
 目立つことこの上ない男だった。
 そして、マチュアはこの男を、それこそ八神以上に良く知っていたのだった。

「あなたは……七枷……様」

 思わず構えを解くと、マチュアはその場に片膝をつき、所謂臣下の礼をとる。

「気づかぬこととはいえ、四天王の方にこのご無礼、お許しください」

 マチュアが言うと、七枷と呼ばれた男は、人懐こい笑顔を浮かべ、けらけらと笑った。

「ああ、良いって良いって。
 そんなにしゃちほこばんなくったって、気楽にいこうぜ」

 言って、ぽんぽんとマチュアの肩を叩く。

「姉さんの方が年上なんだ。
 姉さんだって、年下に傅くの、複雑だろ」

 この男の名を、七枷社、という。
 かつてマチュアとバイスが所属していたオロチ八傑衆、その中でもトップクラスの実力者を「四天王」と称するが、この七枷社はその筆頭格を務める、云わばオロチ一族のトップだった。
 
 年齢は20代前半とマチュアよりも五歳ほど若いが、オロチ一族としても格闘家としても、実力・品格ともにマチュアの遥か上を行く存在なのだ。
 マチュアは、確かに冷徹で冷酷な一面を持つ女性だが、一方で常識も持っている。
 だから、自分よりも上の存在に対し、本心でなくても、守ろうと思えばいくらでも礼節を守ることができた。
 例え相手が「かつての」上司であっても。
 だからマチュアは、気さくで型に嵌らない性格の七枷が、そういう言い方をするのを予測し、その言葉を待ってから立ち上がった。

「しっかし、聞いたぜ、姉さん。
 ゲーニッツ司祭の命令を蹴っ飛ばして、八神についたんだって?」

 七枷は、知ってか知らずかマチュアと同じコーヒーを購入し、何が嬉しいのか、笑顔のままマチュアにむきなおる。
 ゲーニッツは七枷と同じ四天王の一員だ。
 特にオロチに対し信心篤く、口調も丁寧だから「司祭」の通り名で呼ばれる。
 その裏には、オロチに対して反目するものを容赦なく血祭りに上げる残虐性も内包していたが。

「さすがに情報が早いのですね。
 と、言うことは、私はここであなたに殺されるのですか。
 裏切り者として」

「さあ、どうしてくれようかな」

 飲み干したスチール製の空き缶を、親指と中指で握りつぶし、七枷は口の筋肉だけで笑ってみせる。
 マチュアの背筋に、ぞっと悪寒が走りぬけた。
 一瞬のうちに湧き出た冷や汗が、衣服を背中から塗らした。
 目を見るだけで、彼との実力差は痛感できた。
 彼がマチュアを殺そうと思えば、わずか数秒でことは終わるだろう。
 そして、その未来は変えようがないことを、彼女は本能で悟っていた。
 一瞬で覚悟を決めたふうのマチュアを見て。
 七枷は、ぷっと一つ吹き出した。

「……え?」

 毒気を抜かれたようにマチュアが呟くと、七枷が大声で笑った。

「心配しなくても、俺は姉さんたちを殺しはしないよ。
 逆に感心してるんだぜ。
 司祭を怒らせたら怖いって知ってるのにそれでも裏切るんだ、気骨ある話じゃないか」

 言って、マチュアの肩をばんばんと叩く。
 マチュアは、状況が飲み込めず、ぽけっとしたまま七枷を見上げていた。

「え……と。
 なぜ、私は殺されないのでしょう?」

「決まってる、そんな必要がないからさ。
 確かに赤毛(八神)を放置しておくわけにはいかんが、オロチの復活はまだまだ先だ。
 司祭が言うほど焦る必要は無いと、俺は睨んでる。
 それまでは、好きにさせとくさ」

 あんたとバイスもな、と七枷は付け加える。

「いいのですか? 例えオロチの復活が始まっても、私たちは八神から離れませんよ?」

「ああ、構わんよ。
 いや、逆に姉さんたちが八神にくっついていてくれたほうが都合がいいんだ。
 姉さんたちや司祭には解らないのかもしれんが、俺にはオロチの血に連なる者がどこにいるのか、大体わかるのさ。
 纏まっていれば纏まっているほど、より細かく確実に、な」

「……隠れても無駄……ということですか」

「まぁ、そういうこと。
 ゲーニッツのおっさんは姉さんたちを探すのに躍起になってるけど、俺がいる限り、本当はそんな必要はないの」

「……どうして、それをゲーニッツ様に忠告なさらないのです?」

 当然の疑問を、マチュアは七枷にぶつけた。
 聞くと七枷は、まるで悪戯する子供のような表情で微笑んだ。

「面白ぇからさ。
 あの始終説教くさい司祭が、呆気に取られる顔を見たくてな」

「…………………………」

 確実に呆れるであろうゲーニッツより先に、マチュアが呆れた。
 ゲーニッツ司祭は、一族で最強とまで言われる力を持ち、誰よりも広い視野と遠大な知略を持ちながら、常に七枷をトップとして、一歩引いていた。
 なるほど、確かにこの人格の雄大さ・器量の大きさは本物だ、と、マチュアも認めざるを得なかった。
 単に、面白がっているわけではない。
 ちゃんと将来を見据え、マチュアもバイスも、そして八神さえも、いざとなったら捕獲できるような状態にしておいて、遊ばせているのだ。

「呆れた人。
 あなたは、オロチの一族と自分の趣向のどちらを……」

 大切にしているのかしら?
 そう言葉を続けようとして、マチュアは口を閉じ、首を振った。
 それは、彼女が言うべきことではなかった。
 自分の趣向を大切にした者。
 それは七枷ではなく、紛れも無く彼女の方だったからだ。
 不思議そうに彼女を見やる七枷に、マチュアは会話の方向性を変えた。

「それで、貴方は今日はどうしてここに? 気まぐれに私に接近を?」

「ん〜、いや、正直言って全くの偶然だ」

 七枷は、手遊びされてすっかり原型を無くしてしまったスチール缶をやっとゴミ箱に放ると、どかっと大きな背中をビルの壁に預けた。

「シェルミーとクリスと、ちょっと買い物に出る約束してたんだけどさ。
 待ち合わせ場所が解んなくてな、これが。
 オロチの気配を辿れば会えるかと思ったが、シェルミーより先に姉さんに会っちまった」

 苦笑しながら「ありゃりゃ」とばかりに両手を広げる七枷を見て、マチュアはがっくりと方を落としてため息をつく。
 オロチ四天王のトップがショッピングで迷子……。

「それで、必死で探してたわけなんだが…………げっ、もう1時かよ! 待ち合わせ時間が過ぎちまった!」

 七枷は腕時計をちらりと見て、大慌てで左右に首を振るが、もちろんこんな路地裏でいくら首を振ったって、ショッピングに用立てられそうな店など見つかるはずが無い。

「それで、待ち合わせ場所はどこなのっ」

 見るに耐えなくなったのだろう、マチュアが、背ばかり大きくなった不出来な弟をしかるような口調で、七枷を見上げる。

「んー、ビルの前の、ショッピングモール」

「あなた、それ方向が逆ですよ。
 そこなら、駅前の号線を左に入って……」

「げっ、そうなのか! 普段、バイトで行く方向とは逆だから、路地を間違えちまった」

 苦笑する七枷の大きな背中を、それこそ姉のような表情でマチュアは叩く。

「ほら、感心していないで行くっ! 大切な相棒が、待ちわびてるんでしょ。
 女は、怒らせたら怖いんだから、早く行きなさい!」

「おうよ、有難うな、姉さん!」

 一瞬、爽やかな笑顔を残して、七枷は走り去る。
 ……が、大通りに面した路地の入り口で、一旦その足を止めた。
 肩越しにマチュアを振り返ったそのヒトミは、紛う事なき、オロチ四天王のそれだった。

「姉さん、次に会う時はオロチ復活の時だ。
 そのときゃ八神ともども、問答無用で惨殺してやるから、それまで壮健でな」

「お互いにね」

「ああ」

 そうして、七枷は走り去った。


「さて、と」

 マチュアも一息つくと、路地裏から大通りに足を向けた。
 人を探しているのは、七枷だけではないのだ。
 自分も、八神を探すのにまた走り回らなければいけない。

「ま、あながち徒労と言う訳ではなかったし、小言も少なめにしておこうかな」

 言いつつ、マチュアは、再びそのしなやかな自慢の足で走り出すのだった。


 ちょうど気温の暖かくなってきた季節。
 待ち行く人の衣服も、一週間前よりも一枚薄くなり、そろそろ春の声も聞こえようかという午前中。
 冷や汗だったマチュアの汗も、幾分、その温度を上げていた。

(FIN)

COMMENT

 実はKOFでは、オロチ一味が、ユリ・サカザキ、リョウ・サカザキに次いで好きです。
 社の食えないようで抜けたところとか、妙に家庭的な悩みを抱えるクリスとか。
 結局、KOF本編では、社と庵の因縁はグダグダになったっぽいけど、もうちょっと公式でフォローしてほしかった気がします。
 このまま消えていくにはみんな惜しいキャラですし、ネタがあればまた書いてみたいですね。

(更新日不明)