01:
闇。当時の私が、そんな言葉を知っていたか、知っていても理解していたか、それはもう記憶の外だ。
だけど、私の進んでいた道から、突然に光が奪われた。その感触は、まだ覚えている。
精神的な痛覚だったはずなのに、肉体的な痛みを確かに感じた。
02:
八月二日。大好きな人の誕生日。
―――そして、大好きな人の、最後の日。
あの人は、笑顔のまま、私の記憶から去っていった。
03:
夜と闇が違う意味を持つ言葉だということは、今の私は理解している。
だけど、当時の私には同じ意味だった。私から何かを奪おうとする、暗い場所。
そこに行くたびに、私は常にビクビクしていた。
「あっちへ行って! 遠くへ、遠くへ行って!」
04:
そう叫んだところで夜が朝に変わるわけではないのに、私は一心不乱に言い続けた。
そして、それが無駄だと分かると、今度は心の中で唱えながら、布団の出来るだけ奥へもぐりこんだ。
その手が何を掴みたかったのか、いまの私にはもう分からない。
05:
だけど、その私の幼い混沌を、包み込んでくれた光があった。
「眠れないのか」
そう言って、優しく包み込んでくれた。
それもまた幼い、か細い光。まだまだ小さく、頼りない光。
だけど、その小さな光が、あのときの私の世界の全てだった。
06:
眩しかった。ただ、眩しかった。
私の小さな視覚を、全て照らしてくれた。
社会は無常だ。幼い私たちに、天から垂らされた蜘蛛の糸なんてどこにもない。
幼い私たちに興味を持っても、救いをもたらしてくれる人なんていなかった。
みんな、自分の生活で手一杯。
07:
それでも、私は幸福だった。
私には家族がいた。血を分けた兄が。
その事実がどれだけ心の救いになったか、本人にはいまさら恥ずかしくて言えない。
隣に兄がいてくれる。私にとっては、それだけでよかったのに。
08:
決して人並みの生活なんて求めていなかった。
ただ、兄とその日の生き延びられれば、私は幸せだった。
同情なんていらない。憐れみなんていらない。二人の世界に他人なんていらない。
そう思っていた私を、兄は叱り付けた。
兄は静かに、そして悲しんで言った。
09:
「ユリ、たとえ獣でも、他人と関わらなければ、世で生きていくことはできないんだ。
まして人間なら尚更だ―――」
兄の哀しみが、私には分からなかった。
他人なんて、関わったら関わるだけ、私たちから何かを奪っていく。
お父さんとお母さんを奪ったのは人間なのに。
10:
兄は、口を真一文字にして、なにかわかったようにつぶやいた。
「そうか、お前に人間の素晴らしさを教えてやることが、俺の生きる理由なのかもしれない―――」
兄は、そう言った。
11:
確かに、矛盾はあったのかもしれない。
他人との接触は認めないのに、兄との生活は護りたい。では、兄は人間じゃないのか―――と。
兄は兄だ。それ以上でも、それ以下でも、それ以外でもない。
私の世界は、兄との世界だった。そこに他人が入り込む隙なんていらない。
12:
私はただ、怖かった。兄を失うことを恐れた。
私たちにはもう、失うものなんてなにもなかった。
―――お互い以外の、なにも。
13:
そして、あの日から四回目の八月二日、兄は、傷だらけになって帰ってきた。
14:
私は動転しすぎて、何を言ったか覚えていない。ただ、兄を抱きしめて泣いていた。
兄は、そんな私の顔や髪を優しくなでて、弱々しく微笑んでいた。
15:
私は、もう全てを諦めていたのかもしれない。
トンネルをいくら走っても、出口などないのだと。
でも、兄は諦めていなかった。
諦めずに走り続けていれば、いつかは出口にたどりつくことを。
その出口の作り方を、兄は知っていた。
16:
その兄の心が、私の心を啓いた。
私が何を言っても、兄は傷ついて帰ってくることをやめなかった。
私の言葉では、この人を変えるのは無理だと分かった。
だったら、自分が変わるしかない。
すべては兄のために。そう思いながら始めたことが、この数年後、私の命を救う。
17:
それ以来、私が笑顔になるたびに、兄が傷ついた。
兄が傷つくたびに、私は獣から人間に近づいた。
いかに幼くても、その螺旋の残酷さに気づかないわけじゃなかった。
そして、いつしか思うようになった。
私は、この人のために死ぬために、今を生きているのだと。
18:
思えばこのとき、誰かのために命を捨てる覚悟ができたことは、私には幸いだった。
なぜなら、自分のためだけに命を捨てる愚かさから決別できたからだ。
自分のためだけに命を捨てるのは、利己の極みだ。兄の生き様を見ていて、そんなことは絶対にできない。
19:
もちろん、それは覚悟の話だ。実際に命を捨てるなど、それこそ兄が死に物狂いで止めるだろう。
兄がくれた命、兄が築いてくれたこの生活。その中に、私を悲しませる要素なんて全くない。
兄の全てを犠牲に構築された私の命を、私は兄のために死ぬ覚悟で、生き抜く。
―――すべてを賭けて。
(fin)
八月二日に複雑な思いを持つユリ・サカザキが、子供時代を思い返してつぶやく、といった体で書いてみました。
「龍虎の拳」(とKOF)を題材に書くのも久しぶりです。ここ何年かは、ずっと「幻想水滸伝4」が中心だったので。
いやに章が小分けになっていますが、この短編は私がtwitterを始めて、試験的に連載してみたものです。
一枠140字でなにが書けるのかやってみたんですが、これは構成力が試されますね(笑)。実にいい経験です。
今後も、思いついたネタはとりあえずtwitterのほうに小分けにしてみて、こちらのほうに清書する、という手法をしばらく試してみると思います。
(初稿:17.08.25)