フィールド・オブ・ドリームス(前編)

01

「真、野球やったことあるか?」

 プロデューサーがそんなことを言い出したのは、もうそろそろ暑さが事務所に染みだす六月半ばだ。
 少数精鋭の765プロはこの時期、みな仕事で出払うことが多く、昼にフルメンバーが揃うことは少ない。
 今日も、やよいと伊織が海外ロケでいない。普段はおとなしいやよいだが、なぜか無人島のロケではハメがはずれることが多く、毎回伊織を振り回しているのが実情だ。
 しかもこの「無人島生活シリーズ」は人気が高く、「お料理さしすせそ」「高槻やよいのやよい式ラジオ」と並んでやよいの代表作になっている。伊織にとっては災難以外の何者でもないだろう。

「野球ですかぁ」

 雪歩の淹れてくれたお茶を飲みながら、真は髪をなで、やや呆けたような表情をした。
 視線の先には、真が公園デートでプロデューサーに買ってもらったクマのぬいぐるみが置いてある。

「キャッチボールくらいならしたことありますけど」

 真は最近まで、少女らしい趣味とは縁がなかった。しなかった、のではなく、させてもらえなかった、というのが実情だが。
 ぬいぐるみや少女マンガなどを集めだしたのは、父親に内緒でアイドル活動をはじめ、それを父親に認めさせてからだ。それでようやく、父親も真が女の子らしいことをするのを許してくれた。
 子供の頃はそれこそ男子のするような遊びばかりしていて、グローブとボールを握ったこともある。

「でも、数えるくらいしかやったことないですよ。それがどうしたんですか?」

 プロデューサーがノートパソコンから目を離し、両腕にぶら下がろうとする亜美と真美をようやく引き剥がして、真のほうに向いた。

「野球の始球式のオファーがきたんだ。人気カードの後半戦の最初の試合。どうする?」

「へえ、すごいじゃないですか」

 企画書を受け取り、目を通す。キャッツ対カーズ、確かに人気球団の対決だ。このカードは毎回、キャッツのイメージカラーのオレンジと、カーズのイメージカラーの赤色でスタンドが埋め尽くされる。
 真にオファーを出してきたのはゲームを主催するカーズだった。真っ赤なユニフォームが特徴的なチームだ。

「始球式といえば、この間、346プロの姫川さんがキャッツの試合で投げていましたね。
 姫川さんはキャッツの熱狂的なファンで有名ですから、そうとうな喜びようだったみたいですよ」

 小鳥が事務仕事の手を止め、書類の山を恨めしそうに眺めている。

「あ、そのニュース、ボクも見ました。綺麗なフォームで投げてましたよね」

 真が企画書を見直して、ある点に気づいた。開催試合が秋田になっている。

「あれ、プロデューサー、カーズって確か広島のチームでしたよね。
 試合が秋田ですることになってるんですけど、なんでですか?」

「ああ、プロ野球は主催するチームが、本拠地以外の球場で試合を主催することがあるんだ。
 カーズは広島のマツコスタジアムが有名だけど、東北にもけっこう縁があるんだ」

「というと?」

「今のカーズの二軍の本拠地が岩国にあるんだけど、そこにおちつくまでに紆余曲折あってな。
 一時期、東北地方でたくさん試合をしてたんだよ。カーズの二軍の本拠地を東北に、なんて話が出たこともある」

「一軍と二軍でホームが違うんですね」

「珍しくはないぞ。一軍二軍でチーム名が違う球団もあったし」

「へえー」

 野球といえばニュースを見るときに目にする程度で、試合を見ることもあまりない真にとっては新鮮な話題だった。野球好きのやよいがいれば、さらにマニアックな知識を披露してくれたかもしれない。

「カーズは暗黒期が長かったが、ここ二年ほど調子がいい。
 それに今年はメジャーからエースの久保田投手が帰ってきて、ファンの熱も最高潮だ。
 この始球式で、カーズファンにも東北の野球ファンにも名前を覚えてもらえると思うぞ」

「そんなこと言われると、受けざるをえないじゃないですか」

 企画書をプロデューサーに返しながら、真は苦笑した。

「でも、なんでボクに始球式が? 野球に関わる仕事ってしたことありましたっけ」

「ああ、それな。球場名を見てごらん」

「球場名?」

 再び企画書を受け取り、目を通す。そこには「秋田市営菊地運動公園硬式野球場」という名前が載っていた。

「あ、ボクと同じ名前の球場なんだ。それでオファーがきたんですね」

「それだけじゃないぞ。その球場にとって、この試合は特別な試合なんだ」

「特別な試合って?」

「その球場にとって50年ぶりの、そして最後のプロ野球の試合となる。
 1921年にできた古い球場で、何度かリニューアルもされたが、老朽化が進んでしまってな。
 別の場所に新球場が建設されることになって、菊地球場は閉鎖が決まったんだ。
 秋には閉鎖されて、冬には解体が始まる」

「解体……」

「ちなみに、50年前の試合もキャッツ対カーズだったそうだ。
 17-13の乱打戦でキャッツが勝った。10本のホームランが乱れ飛んだ伝説の試合だったらしいよ」

「すごい試合だったんですね。ちょっと見てみたかったな」

「だな。90年間市民に愛された球場の、最後を飾る始球式だ。
 いい仕事だと俺は思うよ」

「うん」

 一瞬しんみりしたが、すぐに真は表情を入れ替えた。
 基本的に、真はまじめな性格だ。受けた仕事には全力で取り組む。
 特に、こういう歴史を聞かされれば、やる気も跳ね上がる。それは、歌でもダンスでも、始球式でも変わらない。

「わかりました、受けますよ、始球式。ああいうユニフォームも、一度は着たいと思ってたんですよね」

「よかった。ユニフォームは専用のを作るからな。希望の背番号があったら教えておいてくれ」

「分かりました」

 カーズというチームは球団グッズの製作に執念を燃やしており、さらに独特すぎるセンスでも有名だ。
 選手がヒーローインタビューで名言を発するたびに、それをTシャツにして売り出し、しかも飛ぶように売れる。
 今回も、765プロと何らかのかたちで提携して、真のグッズを売り出すかもしれない。プロデューサーとしては、それが楽しみでもある。

02

 真の練習は、その日から始まった。
 真が運動神経のかたまりと言っても、本職はアイドルであるし、なにより本格的にボールを投げた経験がない。
 真はまず、投手のフォームを研究することから始めた。小鳥に頼んで、動画サイトを検索してもらい、投手の動画を探す。

「ボールを遠くに投げるのって、意外と難しいんですよね」

「マウンドからホームベースまで、18.44メートルあるそうよ。
 女性が始球式をする場合は、マウンドよりもホームベース寄りに立って、山なりの球を投げることが多いみたい」

「姫川さんも、マウンドより前から投げてますね。
 ボクもそうするのが確実かな。でも球場にとって大切な試合だから、全力は出したいな」

「真ちゃんが上手く投げれば、ホームまで届くと思うけど」

 真がパソコンから離れ、投球動作をしてみる。
 力は感じるが、まだまだ硬い動作だった。プロデューサーが立ち上がり、真の隣に立つ。

「ちょっと力みすぎだな。腰で身体を廻して、肩で腕を押し出すように投げる感じでいってみるといい」

「肩で腕を押し出す……」

 もう一度、投げる動作をやってみるが……。

「なんだがぎくしゃくしてるなあ。上半身と下半身がバラバラに動いてる感じですね」

「まあ、ほぼ初体験だからな。最初から剛速球が投げられれば、みんな名投手だよ。
 こればっかりは慣れるしかない」

「うう、素人だからしかたないけど、なんか悔しいなあ。
 練習がしたい! プロデューサー、練習がしたいです」

 心底くやしそうに、真が言う。
 真は考えるより体が動くタイプだ。理屈よりもとにかく動いて、身体に覚えさせていく。
 なまじ運動神経がいいので覚えるのは早いが、ついていける人間も少ない。
 765プロで真に張り合えるのは響くらいだろう。

「練習熱心なのはいいことだ。だけど、相手がいなきゃキャッチボールはできないけど、あてはあるのか?」

「は?」

 何を言ってるんですか? という表情で、真はプロデューサーを見上げた。

「プロデューサー、今日は午後からオフでしょ? 時間ならあるじゃないですか。
 日が暮れるまで付き合ってもらいますからね」

「……マジか」

「マジです」

 こういうことを言い出すと、意外と頑固な真は聞かない。

「俺、運動らしい運動なんて当分してないんだけどな」

 真にきらきらした目で見上げられながら、プロデューサーは絶望の目でため息をついた。

03

 千早と春香が河川敷の公園に来たのは、昼過ぎだった。
 歌番組の収録を終え、小鳥から真のことを聞いて遊びがてら様子を見に来たのである。
 二人が公園についたときには、ばしんばしんといい音が響いていた。

「真! ちょっとペース早すぎだ! もうちょっとゆっくり投げろ」

「何言ってるんですかプロデューサー! ようやく調子が出てきたんだから、もうちょっとつきあってくださいよ」

 その言葉通り、真は調子がいいらしい。あまり綺麗なフォームではないが、しゃがんで構えるプロデューサーにむけて、勢いのいい球を投げている。
 距離は10メートルほどだろうか、急造投手にしてはスピードが十分に出ていて、なにより真が楽しそうだ。

「真は本当に身体を動かすことが好きなのね」

「真らしいよね」

 くすくすと微笑みあって、春香が真に大きく手を振った。

「真ー、遊びに来たよー」

「あ、春香、千早、仕事終わったの?」

「うん、今終わったところ。はい、お土産」

 言って、春香がスポーツドリンクを差し出した。
 元の体力が違うのか、汗をかいて腰を抑えているプロデューサーと違い、真は汗のひとつもかいていない。

「始球式をやるそうね。調子はどう?」

 千早が問うと、真は笑顔で右腕をぶんぶん振り回した。

「まだマウンドからホームまでの距離は届かないけどね、調子はいいよ。
 もうちょっと練習すれば、ノーバウンドで投げられると思う」

「そのあたりはさすが真だねー。私なんて半分も届くかどうか」

「やる気があるのはいいけれど、無理をしてはだめよ。
 野球は怪我が多いスポーツだと聞いているし、手術をする投手も多いそうだから」

 春香が苦笑し、千早が深刻そうに眉をしかめる。真は右手を握り締めて頷いた。

「やるからには全力を尽くすけど、怪我するほど無茶はしないよ。
 とりあえず、ホームベースに届くストレートを投げるのが目標だね」

 まだ腰を抑えながら、プロデューサーが話しに加わる。

「真は筋がいいし、女性にしては球速があるからな。コツさえ覚えればすぐに届くようになる。
 もう少し体の力を抜いて、スムーズに腰から肩が動くようになると大丈夫だ」

 春香と千早が見守る中で、二三度、真が投球フォームをしてみせる。
 まだ腕だけで投げているようなフォームで、これで10メートルも届くのは真のパワーがあってこそだろう。

「もうちょっとぎこちないですね」

「まだ20球くらいしか投げてないからな。投げれば投げるほど体が慣れてくるさ」

「そう言ってもらえると嬉しいです。届くまで練習につきあってもらえるんですよね?」

「なに?」

「つきあってもらえるんですよね?」

「いや、もうすぐ日が暮れるんですけど……」

「大丈夫ですよ、ここは照明がありますから。
 やろうと思えば、明日の朝まで練習できます!」

「そう急ぐなよ、プロ野球の後半開幕までまだ一ヶ月もあるんだ。
 プロでも一試合に100球くらいしか投げない時代なんだから、お前がいま無茶をすることはない」

「えー……。はやくかっこいい速球が投げられるようになりたいなー」

「お前もスポーツ経験者ならわかるだろ、焦りは禁物、だ。
 大丈夫だよ、時間を見つけて練習していこう。俺も運動不足の解消に付き合うから」

「本当ですか!?」

「ああ、俺も素人だから受けるくらいしかできないけど、できることは付き合うぞ」

「やったー! 約束ですよ、プロデューサー!」

 嬉しそうに飛び跳ねる真を見て、プロデューサーも微笑んだ。
「運動量」という言葉の意味が、真と一般人とでは違うのだと思い知るのは、はやくも翌日のことだ。

(続く)

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(15.03.03)