アグネスがジャンゴ一家の本拠地を訪れたのは、その晩のことだ。
アグネスが個人でビッキーのテレポートのお世話になる機会はほとんどない。マクスウェルがビッキーの個人的な健康を考慮して、テレポートの使用を厳重に制限していたし、マクスウェルが本拠地を離れることが多いというオベリア・インティファーダ独自の事情もあり、軍師であるアグネスが島をそうそう離れるわけにもいかなかったのだ。
個人的に不愉快なことでもあったのか、縦に大きく横に雄大なジャンゴは、伸びっぱなしのモヒカンを乱暴に揺らし、通されたアグネスに背中を向けたまま、一瞥もくれずに言い放った。
「実入りが少ねえ」
「実入り?」
アグネスが問い直すと、ようやくジャンゴはアグネスに視線を向ける。だが、友好的とはいいがたい。
「おおよ、先の騒ぎ(ラインバッハ動乱)を警戒してか、どいつも俺たちの
商船や貿易船も、どいつもどこぞの国軍やら傭兵やらの
おかげで、こっちは商売上がったりだ」
「はあ」
アグネスは間の抜けた返事を返しながら、やや眉をしかめた。
海賊にもいろいろと種類があって、キカのように正義を旗印に、強欲な者ばかりをターゲットにする者もいれば、このジャンゴたちのように、自分よりも弱い者、襲いやすい者ばかりを狙う無頼漢も少なくない。
どちらが正しいというのではなく、自分たちがいかに生き残り、利益をせしめるか、スタイルを確立した結果がこうなっているのだ。もちろん、ただ暴れたいがためだけに道を踏み外した者も多い。
これは海賊業界の事情なので、門外漢のアグネスがどうこう言えることではない。
ただアグネスとしては、ジャンゴ一家もオベリア・インティファーダの息のかかった「組織」であるから、そうそう問題行動に出られても困るのだが。
ジャンゴがアグネスを睨んだ。
「そうして困っているところへ、軍師さんの登場だ。どうせ、ろくでもない話を持ってきやがったんだろ?」
明らかに歓迎されていないが、アグネスも自分たちの生き残りをかけて来ているのだから、引くわけにもいかない。
「オベリア・インティファーダが行動を起こします。あなたがたにも動いてもらわなければなりません」
「あの坊主の命令か」
「そうです」
坊主、つまりマクスウェルの指令なら、動かなくてはならない。なんといっても、マクスウェルはジャンゴたちの「スポンサー」である。
しかも、逆らえば一撃で自分たちを消滅させうる力を持った「スポンサー」なのだ。
金と破壊力を同時に持った「スポンサー」ほど厄介なものはない。ばらまかれた金に飛びついた満足顔のまま、背後から消し去られたりしたらたまらない。
「今度はなにをさせるつもりだ。
言っとくが、俺たちは先の騒動で部下を殺されてる。どうせ厄介ごとだろうが、命の危機にかかわるような厄介ごとはごめんだぜ」
「申し訳ありませんが、おそらく命にかかわる厄介ごとです。
場合によっては、キカ一家とことをかまえることになります」
真剣さがあまり感じられない口調のせいか、ジャンゴは一瞬聞き逃しそうになったが、表情を驚愕に支配されて沈黙し、やっと一言ひねりだした。
「お前ら、馬鹿か」
そして乱暴にテーブルに腰を落とし、その巨体を落ち着けた。アグネスとしては海賊にマナー教室のひとつでも開きたくなるが、いまはそれを言っているときではない。
「あのキカ一家にケンカを売る気か? キカ一家の勢力がどれほどのものか知ってて言ってるんだろうな。
しかも、個人的に強い奴がそろってる上に、奴らは艦隊戦もそこそここなしやがるぞ」
ジャンゴに言われなくても、キカ一家が強大な「集団」であることはアグネスも知っている。
海賊の一家としては群島最大。荒くれ者が多いが、頭領のキカをはじめ、シグルド、ハーヴェイなど、個人的武勇に優れた者も多い。
しかも、キカがカリスマ的な求心力を発揮しており、部下の海賊たちはキカの命令があれば死ぬまで戦うだろう。
これまでにそのような前例はないが、たまたまそこまで苦戦する相手がいなかっただけの話だ。
要は、「強い」のである。
「念のためにもう一度聞くが、本気なのか」
「何度でも答えますが、本気です」
アグネスの危機感に満ちた表情を見て、ジャンゴは絶望的な顔をした。そして、顔を右手で覆ってため息をついた。
「これでお前らがスポンサーじゃなけりゃ、お前を今ここで殺してるところだぞ」
「活動の準備資金は十分に渡っているはずですが?」
「金の問題じゃねえ。たしかに俺たちは金が大好きだが、金額より命の危機のほうが大きけりゃ、すっ飛んで逃げるぜ。それが俺たちの処世術だからな」
これは海賊でなくてもそうだろう、とは、アグネスは思う。
誰でも金よりも命のほうが大切だ。確かに金でたいていの幸福は買うことができるが、命の買い直しなどできはしない。
「危険の大きさで考えてください。マクスウェルさんを敵に回すのと、キカ一家を敵に回すのと、どちらが生き残る可能性が高いか、ということです」
キカ一家を敵に回すのであれば、立ち回り次第ではうまく逃げることもできるだろう。敵味方から「臆病者!」とそしられる可能性もあるが、彼らは他者の評価など気にはしない。
だが、マクスウェルを敵に回せば、それこそ一撃死だ。あの「罰の紋章」から逃げおおせる自信など、いかにジャンゴでもありはしない。
「それに、私たちはあなたたちにキカ一家に正面から当たって玉砕しろ、というのではないんです。
当面はキカ一家の一人であるダリオを捕まえて、マクスウェルの元に連れてきてほしいんです」
「ダリオか、奴が
ジャンゴが思いのほかまじめな顔で聞いてくる。この海賊にもこのような表情があったのか、とアグネスは思った。
自然と、自分の声も低くなる。
「私たちの仲間を殺しました。さしたる正義も理由もなく」
「………………」
先ほどまでの睨みつけるような表情と異なり、ジャンゴの視線が少し落ち着いた。しかし、危機感の暴風がその表情から去ったわけではない。
ジャンゴは天井を見上げて大きくため息をつき、腕を組んだ。そして、アグネスを一瞥した。
「まあいいだろう、もらった金の分だけは動いてやる。ただ、お前らが不利になるようなら、俺たちは逃げるぜ」
「はい、それで結構です」
すまして言うアグネスが面白くないのか、ジャンゴは表情を苦味ばらせた。
「それと、帰ったら坊主に伝えとけ。動くときは自分に得か損か、よーく判断して動けってな。恨みで海を走ると
海賊が説教をする、という現象が不思議だったのか、アグネスは少しポカンとしたが、ジャンゴも自分が説教くさいことを言ったという自覚はあるようで、面白くない表情をしたままアグネスの前から立ち去ってしまった。
だが、ジャンゴの台詞は、そのままアグネスがマクスウェルに言いたい事だった。
なんの理由もなく殺された人魚の命は、確かに貴重なものである。その事実に対して、マクスウェルたちは毅然とした態度を貫かなければならない。
だが、オベリア・インティファーダを結成した目的は、そのような恨み事のために群島に騒ぎを起こすことではないはずだ。ないはずだった。
もっと大きな問題を解決するために結成された集団なのだ。問題を起こすためではなく、むしろ、問題を解決させるために組織されたはずなのだ。
その結成思想をかんがみれば、組織がマクスウェルの個人的な感情に支配されるような状況は正しくない、とアグネスは思わざるを得ない。
……いかにマクスウェルの個人的な盛名に頼り切った組織であるとはいえ。
そのような傾向は、どこかで正さなくてはならない。
……誰が?
それは、おそらく自分だろう。渋るマクスウェルを焚きつけてオベリア・インティファーダを結成させた自分が、無責任に傍観を決め込むわけにはいかない。それくらいの自覚はアグネスにもある。
自分が命がけでマクスウェルを説得し、軌道修正させ、集団を正しい方向に導かなくてはならない。
それは、軍師として担うべき職務からそう逸脱する作業でもないはずだ。
そして、そのための覚悟は、すでに自分の中にある。
そう自分に言い聞かせて、表情を引き締めなおし、アグネスは「瞬きの手鏡」をひらめかせた。
アグネスが無人島に戻ると、そこにアカギとミズキが待っていた。真夜中、というにはやや早いが、一般の家庭ならばすでに寝静まっている時間である。
二人はすでにマクスウェルの書状を預かっており、それぞれアカギがラズリルへ、ミズキがオベルに向かうことになっている。彼らのリーダーの手紙を、それぞれのリーダーに手渡すためだ。
普段、マクスウェルはこういう仕事はミズキ一人に任せ、アカギはボディガードとしてマクスウェルの傍につめていることが多い。
これは、ミズキの口の堅さと、アカギの柔軟な状況分析力を信頼した、マクスウェルなりの役割分担だった。
アカギは長身で細身の男性だ。まるで軍艦の舳先のように突き出した特徴的な髪型が目立つが、その長い手足を利した隠密行動や諜報に優れる。
彼の相棒であるミズキは、アカギよりも頭ひとつ背が低い女性である。肩や太ももを大胆に露出し、セミロングの黒髪をしている。鉤爪を用いた戦闘力でもアカギに劣ることはないが、彼女の特殊性は、どんな極限状態においても秘密を守る、という一点において傑出している。
人間くさく感情を露出させるアカギに対して、ミズキは感情をほとんど見せない。これは、彼女の生来の特徴なのか、意識して抑え込んでいるのか、相棒のアカギにも判然としない。
だが、彼らがマクスウェルに仕え始めた群島解放戦争からの三年間、二人はマクスウェルの期待を一度として裏切ったことはなかった。それゆえに、彼らはマクスウェルから重要な仕事を任されるのだ。たとえば、今夜のように。
自分の部屋に戻ろうとしたアグネスを、そのアカギが呼び止めた。
「よう、お疲れさん。早速だが大将(マクスウェル)から預かった「瞬きの手鏡」を、今度は俺たちに預けてくれ。それを使って、まずミズキちゃんがオベルに向かう」
「ということは、マクスウェルさんが手紙を書いたんですね?」
「そうだ。今日中にオベルのリノさんと、ラズリルのカタリナさんにそれを届けることになってる」
アグネスはアカギの話を聞きながら懐から小さな手鏡を取り出すと、それをアカギに手渡しながら言った。
「お二人、すいませんが少し待ってください。マクスウェルさんの手紙とは別に、私の手紙を両首脳に手渡していただけませんか? すぐに支度しますから」
この言葉を、アカギは驚いて、ミズキは無表情に聞いた。
アグネスに正したのはアカギだ。
「それは別にかまわないが、大将の手紙と別にしていいのか? あとで何か手違いが出るようなことは勘弁してもらいたいもんだが」
「ご心配なく、マクスウェルさんの手紙の内容をフォローするようなことですから、手違いは起こりません」
言いながら二人を部屋に招きいれ、テーブルについたアグネスは、慣れた姿勢で手早く、そして短くなにかを紙にしたためると、それを封筒に入れて二人に手渡した。
ミズキが手鏡と手紙を預かり、アグネスの部屋を後にする。ビッキーの元に行き、オベル王国に「飛ぶ」のであろう。
部屋に残されたアカギが、ゆっくりと壁に体重を預けた。
「俺は政治的なことはよくわからんが、要するにオベルとラズリルに加勢を頼みに行くのか?」
前回のラインバッハ動乱で、ナ・ナル島がオベルに大して牙をつきたてた際、オベル国王リノ・エン・クルデスは、まずラズリルとミドルポートに使者を送り、この二国を味方につけた。そうすることでリノは、オベルとナ・ナルの単なる諍いを、群島諸国連合内の大事件に「仕立て上げて」見せた。
今回も、マクスウェルがその手段を模倣したのではないかと、アカギは思ったのだ。
アグネスはテーブルについたまま、大きく背伸びした。夜も遅い。眠気が強く襲ってきている。
「マクスウェルさんが、いきなり他国を巻き込んで助勢を請うことはありませんよ。
あれだけ怒っていても、マクスウェルさんは根っこは冷静な人ですから、恩のあるラズリルやオベルを、計算ずくで戦渦に巻き込むことはしないでしょう。
まず独力でやれるだけやってみて、どうしても駄目なら力を借りる、そんなところじゃあないですか?」
アカギが首をかしげる。
「怒り倒しているように見えても、頭は冷えてるってことか。
じゃあ、なんでわざわざ大将のとは別に、手紙を増やしたんだ? 大将の手紙を見れば、お偉方は理解できるんだろう」
「いや、ちょっとした裏技です」
言って、アグネスはいたずらっぽい笑顔を見せる。
「私の手紙は、わざと乱暴に怒りまくっているような文面にしました」
「? なんでまた、そんなことを?」
「二通の手紙を見れば、怒り心頭の部下と、少しだけ冷静なリーダー、という図式になります。
つまり、部下が怒りまくって大変だけど、私はそれを暴発させない程度には冷静だよ、という状況になるわけです。
でも、いつ抑えられなくなるかわからないから、俺たちが大変なことになっているのは理解してね、と相手が思ってくれれば、危機感をあおることはできるでしょう?」
にっこりと微笑むアグネスに、アカギが長い腕を折りたたんで少しあきれた。
「よくもまあ、そんなことを考え付くな」
「小細工ですよ。誇れるようなものでもありません」
「なるほど。で、軍師殿としては、どのあたりが落としどころだと思ってるんだ?」
「正直、私たちには、キカ一家と争って無駄にできる時間も、資源も、兵力もありません。
当面は、なんとかキカ一家との正面対決を避けるために、全力を尽くすべきだと思います。
そのためには、
アカギがアグネスから視線をはずし、難しい顔で視線を泳がせた。
「まあ、そのあたりかな。俺たちも、そしてたぶん大将も、キカ一家と本気でケンカするのは避けたいところだしな。
ケンカになったら、どっちも無事にはすまねえ。泥仕合になんかなったら、冗談でも笑えない」
「マクスウェルさんも、キカさん個人にはなんの恨みもないでしょうしね」
「まあな。特にキカ一家と対決して、同盟関係にあるリノさんまで芋ヅル式に敵に回すようなことになると、俺たちゃジ・エンドだ」
「…………………」
今度は、アグネスが難しい顔でうつむいた。アグネスのこのような表情は珍しいので、アカギが興味ありげに見つめていると、アグネスが口を開いた。
「そうですね、リノ陛下は絶対に敵に回したくないところです。
アカギさん、群島解放戦争が終結した後、リノ陛下がマクスウェルさんにこの無人島を与えたのは、なぜだと思いますか?」
「なぜかって、そりゃ大将がラズリルから流刑になった後、最初に流れ着いたのがこの島だからじゃないのか?」
「もちろん、それもあるでしょう。しかし、それが最大の理由じゃないんです」
「どういうことだ」
「考えても見てください。この島は群島のほぼ真ん中にあります。そして、マクスウェルさんは「真の紋章」を持っている。
エルイール要塞や大艦隊を一撃で吹き飛ばす威力のある「兵器」が、群島のど真ん中に存在するんです。
この状況で、分別があるであろう各地のリーダーが、声高に自分の意見を主張できると思いますか?
同時に、マクスウェルさんの背後にオベル国王がいるとわかっている状況で、声高にオベル王国に対して反抗できますか?」
「……最初から、それが目的だった、とそう言うのか?」
「それが主眼だったかどうかはわかりませんが、目的のひとつではあったと思います。
リノ陛下は、マクスウェルさんに人情ある処置を与えるのと同時に、そういう政治的な思考を働かせることができる人なんです。
あのラフな言動にばかり目を奪われていると、足元をアリ地獄に絡めとられるかもしれません」
「やれやれ……」
アカギがため息を吐き出しながら、頭をかいた。
「それじゃ、はっきりとした味方はいない、と思ったほうがいいのかな」
「そうですね。周りがすべて敵だと思うのは悲観的過ぎますが、今回は群島内の勢力が相手ですから、ゼロから味方を作るくらいの覚悟はいるでしょう」
「毎回のことだが、大将が絡むと、なんでもおおごとになるなあ……」
アカギがそうひとりごちたところで、ミズキがそのリノ・エン・クルデスの手紙を持って帰ってきた。
今度は、アカギがマクスウェルの手紙を持って、ラズリルに飛ぶ番だった。
(初:18.01.01/前半部)
(改:18.01.02/後半部)