クォ・ヴァディス2 004

1-4

 10月4日、マクスウェルらは無人島沖で艦隊訓練を行った。
 ヘルムートが戦死してから、いまだアプサラス号の艦長が決まっていなかったのである。
 オベリア・インティファーダには、海の戦士が集まっているとはいえ、艦長を任せられる人間はそうそう見つかるわけではない。

 そうして幾人かの俊英がマクスウェルら幹部の前で艦の指揮をとったが、残念ながら彼らのリーダーを満足させることはできなかった。

「操船は悪くないが、砲撃の散布界が広すぎる。
 これでは、艦長だけじゃなく、砲撃手まで入れ換えなきゃいけなくなる」

 マクスウェルがため息混じりに言うと、隣りのアグネスが受け継ぐ。

「いっそ、フェルテン氏にお願いしてみましょうか。
 コルトン提督の技術を受け継いでおられるかも」

 フェルテンはヘルムートの弟だ。
 トロイに会うためにコルトンが送ってきた使者で、現在無人島に滞留している。

 マクスウェルは、そっと後ろに視線をやる。
 そこには、旗艦アリアンロッドに同乗したトロイが、静かに体重を壁に預けていた。
 マクスウェルは複雑な表情を浮かべた。
 かつてクールーク第一艦隊の指揮を執り、若くして「海神の申し子」と偉才を詠われた大提督である。

 しかし、戦後は自らの死の噂を隠れ蓑に、一切表の世界にでなかった。
 マクスウェルに味方してからも、自ら裏方に徹して、目立とうとはしない。
 マクスウェルは嘆息する。
 彼さえ重い腰を上げてくれれば、このような人選で迷わなくてもすむのである。
 彼さえこの話を受けてくれれば、オベリアインティファーダは、アリアンロッドのタル、アラティーのジャンゴ、そしてアプサラスのトロイと、優れた艦長三人で、飛躍的に艦隊の機動力を上げ、命令系統を統一できる。

 マクスウェルは現実家であったから、優れた艦長と一本化された命令系統を欠いて海戦に勝利できるなどとは、かけらも思っていなかった。
 少しでも勝率を上げるには、最低限、この二つは欠かせぬものであり、トロイはその両方を期待してもいい艦長だった。

 マクスウェルが再び嘆息しかけた時、彼らの本拠地から、一隻の中型船が、灯火で連絡を出しながら出港していくのが見えた。
 アエーシェマ号だ。
 一般的な漁船より大きいものの砲門はなく、戦闘にはむいていない。
 この日は人魚たちが沖に出たいというので、その足を務めることになった。

 現在オベリア・インティファーダには、14人の人魚が保護されているが、彼女らは自らのスキルを生かし、アクセサリーなどを製作している。
 その材料集めのため、自ら海に出ることもあるし、集団の船が沖に出るときには、それに同行することも多かった。

 マクスウェルの視線からアエーシェマ号が遠く小さくなってゆく。
 人魚たちは自身でも遠くまで泳いで行けるが、彼女たちの保護を買って出たオベリア・インティファーダのメンバーの目の届くところで活動してもらうことが多い。

 確かに、所有する全ての船に「流れの紋章」をとりつけ、この時代の群島の常識をはるかに越える速度を持つオベリア・インティファーダの船なら、人魚の海中での最高速度に充分対抗できる。
 だが、流れの紋章のことは群島内でも秘中の秘であり、おいそれと全速を出すわけにもいかぬ。
 結局、様々な状況を考慮すると、人魚たちは船の周囲で目的を果たすしかなかった。
 なお、アエーシェマ号にはオスカルが同乗している。一見には女性にも男性にも見える、不思議で妖艶な容姿の持ち主だが、近づいてみれば意外に体格の良いことに気づくだろう。
 先の動乱で縊死したオベル王国の宰相セツなどは、最後までオスカルのことを女性だと思っていたようだ。
 この男は細かいところに注意が届き、人魚でも見逃してしまいそうなアクセサリーの材料を発見できる。
 また、ファッションの関係でも人魚たちのセンスに一目置いているようで、彼女たちとの関係も良好だった。

 今日の人魚たちの「仕事場」は、本拠地の沖、十キロほどの海だった。
 人魚たちはおぼれる心配はないため、船が碇をおろした途端に、「待ってました」と言わんばかりの勢いで海に飛び込んだ。
 人間たちは人魚の心配をするが、一度海にもぐってしまえば、人魚が人間に発見される可能性はきわめて低い。
 人間たちが海中に仕掛けた漁業用の網にさえ気をつければ、人魚が捕獲される可能性はほとんどない。
 人魚が捕獲されるのは、人間の野心と人魚の好奇心が不幸な結合を果たしたときくらいである。
 だからこそ、人魚たちは人間にとって「希少価値」があるのだが。

 海に飛び込んだ人魚、クララ、ヤスミン、シンディの三人は、順調に「仕事」を進めた。
 クララとヤスミンは海底を這うように泳いで、煌びやかな貝類を幾つも手にしては、船に上がってオスカルと談笑している。
 シンディは小さめの網を脇に抱えて高速で泳ぎ回り、これまた輝くようなうろこを持つ魚を捕まえて、得意げにオスカルに見せた。

「あら、今日は特別に綺麗な貝や魚を獲ってくるのね。
 そんなに褒めてほしいのかしら」

 オスカルが微笑みながら、彼独特の女性口調で尋ねると、子供っぽい年少のヤスミンは意地と頬を膨らませる。

「私達が綺麗なものを獲ってこないと、あなたたちの収入が減るけど、いいの?」

 オスカルは幼い意地っ張りに苦笑しながら、その背中から抱きついた。

「生意気に大きなことを言うじゃないの! 誰から教わったのかしら、リーリン姉さん?」

「わーたーしーがーかんがえたー!」

 長身のオスカルに振り回されながら、ヤスミンは意地を張るのを止めない。
 得物をまとめながら、クララとシンディは、元気な二人を見ながら微笑んだ。
 こうしてみると、人魚たちのあいだで流れている人間へのを警戒心を植えつけるような噂は、明らかなデマのようにも思える。
 オスカルをはじめ、マクスウェルたちはいい人だし、自分たちを心配している気持ちはよく伝わっている。
 元来、人魚たちは警戒心のうすい種族ではあるが、こうしてマクスウェルたちに心配してもらうと、「じゃあ、少しは気をつけようか」という気分にもなるのだった。

 人間という種族全員が善意の持ち主ではないことを、彼女らは知っている。
 いや、知っているつもりだった。
 だが、善意の持ち主であっても、決して人魚の味方であるとは限らぬことを、シンディたちは思い知らされるのである。

 人魚たちの今日の活動も順調に終わり、アエーシェマ号が「さあ帰ろうか」と碇を上げたとき、事件は起こった。
 突如、彼らの前に一隻の船が猛スピードで近づいて来たのだ。
 喫水の低いその船は、海賊のキカ一家に通じる特徴であったのだが、残念ながらオスカルの知識はその方面に豊かではなかった。

「ちょっと、あれはなによ」

 警戒のアラートを一段階あげてオスカルが呟いた時。

 近づいてくる船から、粗暴で粗雑な怒鳴り声が響いた。

「オルラア! テメェらも人魚狩りの連中か! このキカ一家のダリオ様が、正義の鉄槌を食らわせてやらあ!」

 オスカルが船長に逃走を具申する暇もなかった。
 ダリオ指揮のチャンピオン号は、彼の性格そのままに乱暴だった。
 ダリオとはこういう男だ。
 他人の言動を意にも介さず、自分の言いたいことを言い、自分の正義を自分勝手に振りかざす。
 この場合、オスカルが人魚を保護する立場の者だといくら言っても、ダリオは聞く耳を持たないであろう。
 彼の主観に基づいて視界に映った事が全てだからである。
 ダリオにしてみれば、彼の船以外の船に人魚が乗っている、それだけでその船を爆砕する充分な理由になった。
 自分以外の者が人魚を保護しようとしている、そのような発想は、彼の思考にはない。
 自分が思い付いたことは、他者は思い付かない。
 ある意味、学者から最も遠いこの男が、そのような学者的な思考に沈みこんでいるのである。
 このような自己中心的な思考法は、いくらキカに注意されようと治らなかった。

 その結果、マクスウェル貴下のアエーシェマ号は、海賊船チャンピオン号の猛攻にさらされた。
 元が少し大きな漁船程度の規模と施設しかないアエーシェマ号は、どうすることもできない。
 まるで蛇花火のようにのたうち回りながら逃走を開始したアエーシェマ号の船上で、オスカルは船長に流れの紋章の最高速度を出すように指示し、人魚たちには危険を避けて海中に避難してもらおうとしたのである。
 そしてオスカルが人魚たちに目を向けたとき。

 オスカルの視界に信じられぬ光景が映りこんだ。
 同乗していた人魚三名のうち、さきほど彼が抱きついたヤスミンは、横腹に大穴を開け、すでに息絶えていた。
 そしてシンディは片足を失い、床を這いずっていたのだ。
 オスカルは歯を食い縛り、口の右側をつり上げて怒りを表したが、全ては遅かった。

 オスカルの怒りと後悔に一瞬遅れて、アエーシェマ号は流れの紋章の全速力に達した。
 こうなれば、オベリア・インティファーダに追い付ける船は群島には存在しない。
 ダリオは自分の視界から急速に消えていく「密漁船」を追いかけるよう指示したが、無駄だった。

「ちっ、逃がしたか! だが、忘れるんじゃねぇぞ! このダリオ様がいる限り、この海での無法は絶対に許さねぇ!」

 ダリオの雄たけびは、オスカルの耳には届かなかった。

1-5

 アエーシェマ号は散々な目に合いながらも、夕方には無人島に帰りついた。
 無残に破壊された船を見ながら、何事かと住人たちが集まってくる。
 最初は野次馬根性で見に来たメンバーたちも、「仲間」の人魚が攻撃にさらされたと知るや、大慌てで動き出した。
 ヤスミンの遺体は丁寧に陸に上げられ、重症を負ったシンディは急ぎ呼ばれた担架で医務室に運ばれた。
 しかし、シンディは片足を失っており、今後も海に出られるかどうかは絶望的であろう。
 一人怪我を免れたクララは、突如訪れた衝撃に精神をわしづかみにされてしまい、震えるばかりで会話もできない状態だった。
 クララにはリーリンとリーランが付き添い、看護を買って出た。
 いま人間がクララに言葉をかけるのは、逆効果だと思われた。

 オスカルは真っ先にリーダー、マクスウェルに報告した。

「ごめんなさい、リーダー。すべて私の不注意が原因よ。
 アエーシェマ号の快足なら、ダリオの船からもっと早く逃げることもできた。
 私がもたもたしていたから逃げ遅れて、最悪の結果になってしまったの。
 私は、全ての罰を受け入れるわ」

 オスカルは唇をかみ締めながら、彼らのリーダーに頭を下げた。
 彼らのリーダーが幾分、不安定な状態にあることを、オスカルは知らないわけではない。
 だが、彼を心配するあまり、報告すべきことを怠ってしまえば、事態によっては彼らの集団の息の根が止まることもありえる。
 ことがメンバーの不幸に関することであるから、なおさら怠るわけにはいかなかった。

 マクスウェルは当初、無表情でオスカルの言葉を聞いていた。
 その報告を聞き終えてから、マクスウェルは口を開いたが、オスカルを責める言葉は一言も出てこなかった。
 かわりに別のことを聞いた。

「その船は、ダリオの船で間違いないのか。見間違いじゃないんだな?」

「ええ、大声で自己紹介をしてくれたわ。船長に確認してくれてもいい、間違いないわ」

「…………………」

 マクスウェルは、しばらく黙り込んだ。
 誰に向ける言葉であっても、激しい怒りの一喝を覚悟していたオスカルは、頭を上げて彼のリーダーの顔をちらりと覗き見る。
 マクスウェルは確かに怒っていた。
 口許をかみ締め、目を引き攣らせ、誰かを殴る直前のように両の拳を震わせていた。
 そして、同じく震えるような声を絞り出す。

「許さんぞ、下衆め……!」

 それは、一切のフィルターを排した、純粋な感情だった。
 怒りと罵倒と軽べつとを、隠すことなくマクスウェルは吐き出した。
 そして、マクスウェルは側に控えていた若い女性軍師に、怒りの声を張り上げた。

「アグネス! 島の守備に必要なものを残して全ての船を出せ! ジャンゴ一家にも命令を飛ばせ!
 ダリオを俺の前に連れてこい! 手足をもぎ取ろうが、咽喉や眼球を潰そうがかまわん! 必ず生きたまま引きずり出せ!」

 ダリオの行動は、仲間を守るために集団を立ち上げたマクスウェルの精神に、最も醜悪な色のペンキをぶちまけることになった。
 ジュエルやヘルムート、トリスタンを失った直後の彼の神経を、最悪の形でかきむしった。
 この大人しい男にしては珍しく、彼は怒りを隠そうともしない。

 彼を制御しなくてはならぬ立場のアグネスは、当然ながら首を横に振る。

「ダリオさんを害すると、キカ一家との全面抗争に発展する可能性があります。
 我々はまだ、軍備の再編成で手一杯で、そんな余裕はありませんし、下手をすれば群島諸国連合が敵になりますよ!?」

 アグネスは「人魚一人のために」とは言わなかったし、言えなかった。
 今のマクスウェルの前でそれを口にすることは、自分で自分の死刑宣告書にサインするようなものだ。
 マクスウェルにとって仲間とは、血より濃い絆を形成するものだ。
 他種族だからと打算が働いてしまう自分とは違う。
 マクスウェルは、アグネスの心配を一蹴した。

「そうさせないのが、君たち軍師の仕事ではないか!  俺は、皆を守るためにオベリア・インティファーダを立ち上げた。
 目的を達すれば解散するとはいえ、それまでのメンバーの安全の全責任は俺にある。
 いかなる理由とはいえ、俺はその責任を投げ出すわけにはいかない!」

 酸味を強烈ににじませたマクスウェルと、いまだ動転しているアグネスの視線がぶつかった。
 アグネスはマクスウェルに逆らう気など毛頭ない。
 だが、オベリア・インティファーダの本来の目的に関係のないこの事件に対して、集団の持てる力をすべて動かすべきか。

 アグネスには、今回の「事件」における最善の行動がすでに思い浮かんでいる。
 キカ一家に事実を告げると同時に、ダリオの身柄の引渡しを要求するのだ。
 そして、群島諸国連合の座長であるリノ・エン・クルデスに、仲介役を引き受けてもらうのである。
 感情に支配されたマクスウェルでは、キカはのらりくらりと話を引き伸ばすかもしれない。
 だが、リノ・エン・クルデスの通告であれば、キカもなんらかの動きを見せるだろう。
 キカはダリオと違って、単純な海賊ではない。
 誰を味方に引き入れ、誰を敵にまわすべきか、冷静に群島を俯瞰している。
 そして、リノ・エン・クルデスの力をよく知っている。

 先の動乱において国の内外に深い傷を負い、連合の実質的な手綱はラズリル代表のカタリナの手に移ったが、リノ・エン・クルデスの存在感は未だに連合内においては小さくはない。
 キカ一家は、群島に点在する海賊たちのなかで最大の規模を誇り、その獰猛な戦闘力は一国の海軍に匹敵すると言われる。
 しかもこの集団は海軍のようにルールにがんじがらめにされることもなく、海上でその自由を最大に謳歌するのだ。
 しかも、本拠地である海賊島は殆ど知られていない。
 万が一、マクスウェルとキカが争うことになった場合、なにも要素がない状態でリノがどちらを支持するかは微妙なところだ。

 根気よくリノ・エン・クルデスに自分たちの状況を説く必要がある。
 マクスウェルの集団は、期限つきとはいえ連合の一員であり、小さからぬ波風を立てた責任は、当然追求されるだろう。
 あるいはそこからリノの支持が離れていく可能性もある。
 アグネスは、ことの複雑さを思って、頭を抱えた。

COMMENT

(初:17.09.30)