クォ・ヴァディス2 003

1-2

 マクスウェルが求めてやまないものがある。それは、動乱中も、動乱後も、変わらない。
 それは人材であった。武勇、知略、政治、経済の各分野において、グループの全てをマクスウェル一人で支えるのは、不可能であった。どうしても、その手助けをしてくれる人材が欲しい。
 武勇の面では、かつてマクスウェルを鼓舞してくれたヘルムートとトリスタン、ジュエルがこの世から退場し、クロデキルドが目の前から姿を消した。
 マクスウェルはこれらの武人を惜しむ感情は強かったが、だからといっていなくなった人間を惜しむことに、いつまでも時間を費やしてもいられない。
 いま、オベリア・インティファーダで圧倒的な武勇を発揮しているのは、二名の男女である。一人はミツバ、今一人はトロイであった。
 真の紋章を剣の形で所有するミツバは、同じ境遇のマクスウェルが前回の事件で負傷し、本来の強さを発揮できなくなってから、自分と同レベルの武人がいなくなってしまったことを憂い、オベリア・インティファーダから抜けることも考えたようだが、ただ一人、トロイという男の存在がその考えを改めさせた。
 トロイは旧クールーク海軍でも傑出した提督であり、軍を動かせば、リノ・エン・クルデスのオベル海軍を奇襲で打ち破り、オベル王国占領という武勲を樹てたし、剣士としては若年の頃、数にして四倍のガイエン海兵隊を文字通り全滅させたことがある。
 戦場でも個人としても、「機」を読むのに異常な嗅覚を発揮し、ここだと思った場面では躊躇なく最大戦力をぶつけて多くの勝利をもぎとり、一度として敗北したことがなかった。
 それゆえに、この男は旧クールークにおいて、若くして「海神の申し子」と畏敬されるようになった。
 トロイの唯一の敗北となった群島解放戦争も、彼の部下ではないクールーク兵との同調が上手くいかず、彼等のミスで群島解放軍の前に大きな隙を見せてしまったことが主な敗因である。

 ミツバは、トロイの過去の成功にはあまり興味がなかったが、彼の剣の腕には多大な興味を示した。
 ミツバはラインホルトの忠告もきかず、渋るトロイをよく外に連れ出しては剣の相手をさせた。
 ラインホルトは「突発の事故が起こりかねない」と、わざわざマクスウェルに意見を陳情したが、マクスウェルは苦笑しながらその意見を握りつぶした。

 まず、ミツバという奔放な剣豪を手元においておくには、彼女を超える強さを持つ何者かが、常に圧倒的な力の差を見せておく必要がある。
 ミツバほどの人間を、なんの引き換えもなく手元においておくのは、不可能なことであった。人間、現在の居場所で自分の実力を発揮し得ないと分かれば、どこにでも飛翔していくだろう。
 自分が万全のころは、自分と罰の紋章で奔放なミツバをギリギリねじ伏せることができたし、その興味を削がれることもなかった。
 だが、前回の事件で右腕を負傷し、二ヶ月たってもマクスウェルの右腕はようやく自分の意志で上下運動ができるかできないかという回復状態であった。
 以前のように両腕に剣を持ち、華麗に相手を惑わせながら粉砕するという剣技は、もはや不可能だった。ミツバの暴力ともいえる戦闘力を前に、片手剣で対応しようなどという気は、マクスウェルには起こらない。彼はそこまで自信家ではない。

 さて、トロイ生存の噂は、群島の域を超えて旧クールーク領に徐々に広がりつつある。旧海軍において圧倒的な名声を得たこの提督のいるオベリア・インティファーダという集団に対するクールーク地方の興味は、大きくなる一方であった。
 前回の最後の海戦でオベル攻略戦に参加したコルトンなどは、トロイが陸戦に参加したため顔を合わせる機会がなく、トロイが確実に生存しているという情報を得てから、地団駄を踏んだものであった。
 それでも、コルトンは長男ヘルムートの弟であり、やはりオベル海軍で兵士を務めた次男フェルテンをオベリア・インティファーダに派遣し、本人との面会をさせている。
 フェルテンはトロイ本人と顔を合わせると、片ひざをついて感涙を流した。トロイも、フェルテンの手をとってヘルムートの死を惜しんだ。

 こうして、トロイ一人のおかげで旧クールーク勢力との関係強化に腐心せずにすんだマクスウェルだが、そのトロイは、決して自ら表立って行動を起こそうとはしなかった。常にマクスウェル提督の陰に隠れるように行動し、頼まれた事には完璧な手腕を見せるものの、それ以上のことは決してしようとはしなかった。
 トロイ本人は、あくまで自分の立場をひとりの剣士だと位置づけているようで、以前、自らが初代の艦長を勤め、その後ヘルムートが二代目の艦長を勤めた戦艦アプサラスの艦長を依頼されても、頑として受けなかった。
 現在、オベリア・インティファーダには、アリアンロッド号のタル、アラティー号の海賊ジャンゴなど実力派の艦長がそろっている。ここにトロイが加わってくれれば、それこそ百人力であったが、どうしても本人が受けないことには仕方がない。
 これにはマクスウェルも、本気でその実力を惜しんだ。

1-3

 さて、群島は人々が思う以上に広く、マクスウェルが望む人材ばかりが彼の周囲にいるわけではない。中には、彼に対して好意的でない人物もいる。
 人間、関係する全ての人から尊敬されればそれはすでに人間ではないと言うが、だからと言って、マクスウェルもごく尋常な趣味の人間であるから、自分に非好意的な人物をわざわざ身近に何人も置くようなことはしない。
 だが、ごく蓋然的な多くの例として、こういう人物は多くの場面で偶然が必然か、いずれにしても顔を合わせる機会が増えるようであった。

 マクスウェルにとって、現在もっとも厄介な男の名をダリオといった。
 群島最大の一家を率いる女海賊キカの部下の一人で、荒々しい海賊らしい海賊の男だ。
 背は低いがかなりの筋肉質で、斧を振らせても船を操らせてもまずまずの腕を示した。
 現在、キカとマクスウェルは同盟関係にあり、キカの部下もマクスウェルの部下も、それぞれの首魁の実力に対しては敬意を抱いていたようである。
 だが、キカの部下の中で唯一の例外がダリオであった。
 正義を信条とする上司のキカにほれ込んではいるが、キカの正義ではなく、あくまで自分の正義を信条に動き、それを勝手にキカの正義だと思い込んでいることが多い。
 キカは海賊らしい強さも当然持っているが、まだ外部の情報にも柔軟で、敵対しない相手に対しては利害関係をもって対処することもあるが、ダリオにはそのような柔軟さは全くない。
 ダリオはあくまで「自分の正義」を他者に押し付け、それに反する思考を「キカ姉への反逆」として勝手に判断し、キカの裁可も得ずに戦うため、キカの一家の中でも鼻抓みにしている者が多かった。
 それでいてキカへの忠誠は自分が一番だと思っている。一言で言えば、幼稚なのだ。

 普段、このダリオという粗暴な男を制御しているのは、キカ一家の参謀格を勤めるシグルドである。
 ミドルポートの官僚出身というこの異色の海賊は、理路整然と物事を語らせればキカ一家でも並ぶ者はおらず、海賊としては長いとはいえない経歴にあって、ごく自然にキカ一家のサブリーダーの地位に落ち着いていた。
 このシグルドがキカの側にいる間は、ダリオもそう派手に暴走することは少なかった。
 なにせ、文句を一つ言うと、理屈が二百ほども返ってくるのだ。短気なダリオは抗する術もなく「もう知らねえ!」とそっぽを向いてしまい、面倒くさがって相手をしようとはしなかった。
 ところが、このシグルドが、先のラインバッハ動乱においてキカの命令でガイエン公国に潜入し、皇太子の周囲を警戒する様になると、ダリオを止めるものが誰もいなくなってしまった。
 キカは、部下には鷹揚で、よほど自分の名誉を失墜させることをせぬかぎりは怒りはしなかったし、ダリオのような粗暴な命知らずも、海賊の1ピースとして欠かすことはできなかったのである。
 こうして、決してキカから推奨されたわけでもない自分流の正義を振りかざしながら、ダリオは肩で風を切って海を徘徊し始めた。

 現在も過去も、ダリオが自分の信条としているのが、絶滅危惧種である人魚の保護である。
 群島地方は大陸から独立した島々が多く、独自の生態系が多いが、この地方の人魚もそういった進化の一端を辿っている。
 通常、人魚といえば人間の上半身と魚類の下半身を持ち、水棲であることが多い。だが、群島地方の人魚は、より人間に近いフォルムをしている。
 魚類の鱗や鰓を持ってはいるが、基本的に二足歩行であり、陸棲にも水棲にも対応できるよう進化したのだ。
 完全な陸棲ではないものの、やはり他の地方の人魚とは大きく外見も異なり、いわゆる「商品価値」も非常に高い。
 こうして五年ほど前から、「剥製」目的の悪質な密漁業者によって群島地方の人魚の乱獲が始まった。当然、多くの島では密漁を厳禁しているが、生活に困窮するごく小さな島が、密漁に走って業者から言い値でたたかれる、という悲劇すら発生していた。
 群島の人魚は本来、人懐こい性質のため、現地人との交流もあったものの、密漁と乱獲ために一気に数を減らしてしまい、また悪い人間に出会うと剥製にされてしまうこともあってか、人間の前に出てこなくなってしまった。
 今では、人魚を目にするとその日はいいことがある、とさえ言われる。わずか数年で、そこまで環境が変わってしまったのである。

 この人魚を、なぜダリオが保護に走るのか、本人は語ろうとしないため理由は不明である。
 だが、本来ならこの「行動目的」は、他人からのそしりを受けるようなことは起こらないはずである。
 多くの場合、なにものかを護るということは、古来より英雄の仕事だからである。
 ところが、ダリオの場合、これが批難の的になることが多い。彼の場合、自分以外の人魚に関わる人間すべてが密猟者、という思考パターンに頭からつま先まで染まってしまっているため(自分以外に人魚を護る者がいる、という考えは浮かばないのである)、例えばある船上に人魚を見れば、その船にけんかを売り、それを破壊する以外の行動を思いつかないのである。
 つまり、人魚が本来の性質を発揮して自ら人間と交流している場面を見ても、この男のフィルターを通してみれば、それは密漁の現場でしかなかった。
 こうして動乱後、ダリオは日々海を徘徊しては、自称「人魚の保護活動」にいそしんだ。無論、無意味な破壊活動は正義を信条にするキカによって禁止されているため、ダリオはよぉーく海を睥睨し、そして人魚のいる「密漁船」を狙って「破壊」している。

 こういう体質の人間であるダリオにとって、マクスウェルという人間は面白かろうはずもない。
 たまたま「運よく」ダリオが破壊した船が本当の密漁船であって、人魚を助けても、その人魚からはきまってマクスウェルの名前を聞かされた。
 マクスウェルは無実の罪でラズリルを流罪になってから、長い長い時間をかけて海を漂流し、ある無人島に流れ着いた。
 ここで、マクスウェルはある人魚と知り合ったのである。リーリンと名乗ったその人魚は、最初はマクスウェルを密猟者と警戒していたが、すぐに意気投合し、多くのことをマクスウェルと語り合った。
 さすがにロマンスに発展することはなかったものの、このときの縁がもとでマクスウェルは人魚の保護を考えるようになった。そして群島解放軍を立ち上げ、リーリンと再会したのを機に、本格的に人魚の保護活動にはしった。
 そして現在でも、リーリンをはじめ、リーラン、リールン、リーレン、リーロンなど、十名になろうという人魚がマクスウェルに保護され、【オベリア・インティファーダ】の元で手に職を得て「自活」しているのである。
 確かに、人魚の作る海産物のアクセサリーは人気が高く、遠く赤月やゼクセン地方でも高く売れるというから、オベリア・インティファーダにおける人魚たちの経済活動も、実は馬鹿にはできない。
 群島最大のチープー商会にとっても、彼女たちのアクセサリーは人気商品のひとつである。
 つまり、人魚たちにとってマクスウェルは、種族の救い主というだけではなく、住居を提供し、「雇い主」として仕事の世話までしてくれる絶好の保護者というわけだ。感謝されているわけである。
 それが、ダリオは面白くない。必死に人魚を助けている自分が感謝されずに、人魚を利用して生活しているマクスウェルが感謝されているという現実が、この男には受け入れられないのである。
 マクスウェルがキカと同盟者であり、双方が敬意を持って交流しているため、まさか尊敬するキカの前でマクスウェルを罵倒するわけにもいかず、ダリオは自分が生きる道であるはずの毎日の「保護活動」も、もんもんとしながら行わざるをえなかった。

 ところが、ある日、事件が起こった。

COMMENT

(初:17.03.20)
(改:17.07.24)
(改:17.11.20)