クォ・ヴァディス2 001

 歴史の大河というものの流れを、遅いととるか、はやいととるかは、人それぞれであろう。
 群島の歴史に詳しい女性歴史家ターニャの言を借りれば、「充実している人間の人生は早く、怠惰に日を過ごす者の時間は遅い」となる。
 ターニャは「俗諺である」と加えているが、若き日のターニャの一日が激動に支配されていたのは確かであると思われる。
 彼女が群島にその身をおいてから、安定した一日というものが、果たして何日あったであろうか。こう孫に問われて、老ターニャは記憶を頼りに両手の指を折り始めてほどである。
 ただ、その激動の人生を後悔していないことは確かであった。
 偉大なる師に出会えたし、目的を同じくする多くの仲間を得た。兄弟弟子とは喧嘩ばかりしていたが、それでもそれがよいカンフル剤となって、ターニャの強烈な上昇志向は、確たる目的を得て、偉大なる業績に形を変えて後世に残ることになった。
 あれから、果たして何年経つか。
 彼女の「仲間たち」でも、生存しているよりも死者の国に旅立った者の数のほうが多くなったのは事実である。
 ターニャはそれをさびしいとは思うが、悲しみはしない。不死の存在などこの世にはいない。「自分だけは死なないだろう」と誰もが思うが、全員がその期待を裏切られる。
 ターニャの「仲間たち」の中で、当時と変わらぬ姿を留めて生存しているのはただ二人だけである。

 人間は姿を変えていくが、では、大地は姿を変えずに、悠久の時間にその身を置いているのだろうか。
 これも否だ。様々な災害、人為的な開発などで、大地もその姿を刻々と変えながら歴史の流れの中に漂っている。


 太陽暦三〇九年の群島地方における動乱、いわゆる「ラインバッハ二世の動乱」にともなって、群島地方における情勢は、それ以前とではどのように変化したか。
 それを知るには、ターニャの大著「パニッシュメント・ブリーフィング」の第九〇巻を紐解いてみるのをお勧めする。
 小難しいことを小難しい筆致で綴るのが大好きな彼女らしい筆で、その情勢を解析している。

 まず、群島諸国連合の存在は、おおきく様変わりをした。
 ガイエン公国や旧クールーク皇国の一部が参加するなど、参加諸国は大幅に増えたものの、それ以前に絶大な求心力を持っていたオベル王国の地位が大きく後退した。
 これは、政治的には先の動乱の原因となったラインバッハ二世の姦計を防ぐことができず、地理的には大地震によって「オベル遺跡」の大部分が海中に崩れ落ちてしまい、国王リノ・エン・クルデスの威信に小さくない傷がついてしまったからであろう。
 オベル王国は、国王の地位のいざこざも重なり、一時期はリノ・エン・クルデス自身を批難するデモの数も多かった。無論、リノ・エン・クルデスはこれらの全ての開催を許し、自分に対する批判からも批難からも逃れたことはない。答えるべきことには全て答えたし、謝罪すべきことにはすべて謝罪した。
 だが、それでも(あるいはそれゆえに)リノ・エン・クルデス自身の求心力の低下は免れようもなかった。

 残った島々の中で大きなダメージが残ったのはナ・ナルであろう。ロドルフォというたった一人の若者の無知と慢心が招いた惨劇によって、島民の六割が死亡するという、最悪の結末を迎えた島である。
 現在は、リーダーのアクセル、及びエルフのセルマが頑張っているおかげで、なんとか崩壊と瓦解の一歩手前で立ち残ってはいるが、それでももう半歩後ろに逸れれば、島は崩壊するぎりぎりの状況である。
 楽観的な要素は一ミリグラムも存在せず、ナ・ナルの復興は、群島諸国連合全体の大きな問題となっていた。

 では、地位が低下した島ばかりかというと、そうでもない。
 まず、先のリノ・エン・クルデスに協力してオベル王国を再興させたラズリルが、一気に連合のリーダー同然の地位に躍り出た。
 自らその権勢を喧伝はしない冷静さを持ってはいるが、連合におけるその発言力の大きさは、新参のガイエンやクールーク諸派にも一目瞭然であった。
 今や、連合内でなにを決めるにも、ラズリルの機嫌を伺うのが、振興諸派のお約束のようになっていた。ラズリル自身が否定しても、その傾向は暗に続いた。
 当然、これを面白からぬ目で見ている者も多い。ガイエン公国の皇太子、キャンメルリング公爵ギネなどは、その代表だった。彼は、親友がラズリルの出身であることから公にラズリルへのご機嫌伺いの行脚を批難することはなかったが、自らは動乱の後、ラズリルに足を運んだことはない。
 彼自身、群島の島々にたまらない魅力を感じていた時期もあるだけに、この諸島の反応は面白いはずもなかった。

「いい歳をして、憧れが破壊される状況を悲しむわけでもないが、現実とはいつもこういうものかもしれないな」

 と、彼は、永遠に失われた右眼を覆う眼帯を軽く触りながら、親友に語った。
 その親友、フィンガーフート公爵スノウは、遠慮がちに肩をすくめた。

 そして、ラズリルのほかに、もう一つ、勢力を増した島がある。
 それは奇妙な島だった。どこの国の公式の歴史書でも「国」と定めてあるのに、自らは徹底して「国」と呼ばれることを避けていた「島」である。
 公式には「オベリア・インティファーダ」と呼ばれるその島は、全「国民」を逢わせても五〇〇名に満たないであろうが、この五〇〇名が恐ろしく強力な戦闘能力を有していると言われた。
 群島解放戦争、クールーク動乱、ラインバッハ動乱と、たった一人のリーダーのもとでひたすら戦い続けた戦闘集団であるそれは、各々がそれぞれに高い特技や技能を持つ、恐るべき職能集団でもあった。
 あえて「国」と定められることを避け続けることから、彼らを「キカに次ぐ無法者の集団」と定義する者もいたが、それは正解でも誤りでもあった。
「オベリア・インティファーダ」は正式に群島諸国連合に加盟する「集団」であり、自らは周囲に対して「国である」と一度も明言したことがなかったからである。
 ではなぜ、そのオベリア・インティファーダが国際的には「国」扱いになっているかというと、周囲のリーダーが、彼等のリーダーに対して一目も二目も置いているからであった。たかが集団であるのに、国と同レベルでの対等の付き合いを認められている、そんな集団だったのである。

 そんな「オベリア・インティファーダ」のリーダーの名を、マクスウェルという。
 外見的には、たった一つを除いては際立った特徴のない中肉中背の男性で、チョコレート色の髪とブルーの瞳を持っているが、一見には大集団を率いる精神的なエネルギーや、大剣を振り回すような圧倒的なパワーとは無縁である。
 だが、彼に一度会ったものは、その存在を無視できぬようになるし、忘れることもなかなかできまい。彼の特徴、それは、その細面に浮き出た、禍々しい赤と黒のまだら・・・の文様であろう。
 彼の顔面の左半分には、その呪術的とも思える文様がくっきりと浮かび上がっており、彼はこれを隠すようにフードで顔を覆っていることが多い。これは、彼の体内に巣食う偉大な、あるいは兇悪な存在によるものが原因であり、そのたった一つの原因によって彼は他の人間とは隔絶した存在となっていた。
 彼は、その過去からこう呼ばれることも多かった。曰く、「罰の英雄」、と。

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COMMENT

 さて、始まりました「クォ・ヴァディス」第二章です。
 前回でもけっこう好き勝手絶頂にさせていただいたものの、今回もまたその傾向は収まらないとは思いますが、とりあえずよろしくお願いいたします。

(初:17.01.25)