クォ・ヴァディス 135

EP-1

 八月二十五日、オベル王国は、リノ・エン・クルデスが正式に国王に復帰し、全ての事実が明らかにされた。
 オベル遺跡に真の紋章があったこと、英雄マクスウェルの活躍により、それらの驚異はすべて取除かれたこと。
 国王を僭称し、戦中に縊死したセツについては、表立ってこれに触れなかったが、リノ・エン・クルデスは個人的に手厚く葬り、人目に付かぬ場所に小さな墓を作った。
 オベル王国の商人たちは、細々としたラインバッハ二世の商売に嫌気が差していたから、ある程度の自由が利くリノ・エン・クルデス国王の下での商売を歓迎した。やはり俺らの国王はリノ陛下さ、というわけである。
 同時に、リノ・エン・クルデスは、無人島に拠るオベリア・インティファーダを、正式に国家と認める案を群島諸国連合に提出した。
 この群島の紛争を解決したのはなんと言ってもマクスウェルであり、多くの人間が彼を慕って島に来る以上、へんに集団として放っておくよりも、改めて国家として認めさせる道を選んだのである。
 この選択に真っ先に賛成したのはネイ島のチープー商会であった。ついで、マクスウェル一派に助けられたナ・ナル島が賛成し、イザクがオベリア・インティファーダの一員として活躍したイルヤ島も早くもこれに賛成した。
 意外だったのは、ガイエン公国がこれに賛成したことである。これまで群島諸国連合とは一歩はなれて様子を見ていたガイエンは、現在はマクスウェルの幼なじみスノウ・フィンガーフート公爵が宰相を務めているだけあって、この案に飛びつくように賛成した。
 と同時に、ガイエン公国が連合に加わること、壊滅的な被害をこうむったナ・ナルの復興に全力で支援することなどが決定された。

「ところで、フレアはどこにいる? ここ数日姿が見えないが」

 八月三十日、リノ・エン・クルデスは腹心に問うと、どうも無人島に出かけているようであった。

(またか……。フレアのヤツ、マクスウェルを婿にするとか言い出すまいな……)

 リノ・エン・クルデスが額を押さえて嘆息した。

EP-2

 八月二十七日、無人島のオベリア・インティファーダにおいて、アプサラス艦長ヘルムートの葬儀が行われた。
 ヘルムートは勇猛な軍人であり、落ち着いた大人であったから、なにかとマクスウェルの相談相手として活躍したものだった。
 ヘルムートの遺体は、父親であるコルトンがクールークに引き取ったが、マクスウェルが遺髪を残してくれと頼んだときは喜んで承諾した。
 マクスウェルは、ジュエル、トリスタン、ユウ医師とともに、ヘルムートの遺髪を埋葬した。

「まるで弔い稼業だ」

 と、マクスウェルは悲しみ、熱を出して寝込んでしまった。
 このとき、彼の側にいたのはポーラ、フレア、ミツバ、ミレイである。
 マクスウェルが寝込んでいるとき、その知らぬとことろで、熱い戦いが繰り広げられていた。
 誰がマクスウェルの世話をするかで、ひと悶着起こっていたのである。

「前にも言ったよね、私は私を押していく。彼を幸せにするのは私よ」

 とフレアが部屋に入ろうとするのを、ポーラが羽交い絞めで止める。

「マクスウェルの状況を考えてください。両手が使えない上に、熱が出ているのです。
 おとなしくしているべきなのですよ。これだから王族ブルジョア育ちは」

「なにぃ〜?」

 これらに対して、ミツバは真剣な表情で「星辰剣でふっとばしたら静かにならないかな」と物騒なことを言っている。
 結局、この騒ぎに加わらず、ミレイはおかゆをつくっては両手の使えないマクスウェルに食べさせ、お褒めの言葉を頂き、幸せの絶頂にあった。

 これらの騒ぎを見ながら、幼ビッキーがシメオンやジーンと話に花を咲かせている。

「そなたはこれからどうするのじゃ? ハルナに戻って研究を続けるのか?」

「いや、しばらくはここに滞在するつもりだ。なにせ真の紋章の実物があるのだからな。
 マクスウェルには悪いが、その治療がてら様子を見させていただくことになるだろう」

「そうか、ジーン殿は?」

「私はすぐにでも出立するわ。ソルファレナでは、太陽の紋章が大変なことになっているしね」

「そうか、難儀よな」

 そこへ、クロデキルドが会話に加わった。

「ビッキー、約束だ。そろそろ私をアストラシアに帰してもらいたい。
 ここに未練がないかといえば嘘になるが、やらねばならぬことがある」

「わかった。この鏡を持っていくがいいだろう。行きたい場所を強く思って鏡を振るのだ」

「それで戻れるのか?」

「可能性は高い。本来なら、真の紋章の力で戻ってもらうつもりだったが、マクスウェルが真の紋章の中で戦ってしまったからの。
 罰の紋章もしばらく力を使えまいし、お詫びにその鏡を差し上げよう」

「そうか、呼び出されたときは驚いたが、色々と世話になったな。ありがとう」

「こちらこそ、マクスウェルの片腕としてよく世話になった。感謝する」

 そう言って、ジーンとシメオン、幼ビッキーとクロデキルドは握手を交わした。

EP-3

 八月三十日、キカ一家が無人島を後にした。
 キカはキカらしく、何も言わずにマクスウェルの左肩を叩いた。マクスウェルは、両腕供に戦傷で動かない。それでも比較的傷の浅い左肩をたたいたのは、「しっかりしろ」といいたかったのかもしれない。
 キカは海岸にマクスウェルを呼び出し、「約束」の件を聞いた。

「それで……、ブランドのヤツは何か言っていたか」

 視線は遠い。聞きたいのか、それとも聞きたくないのか、自分でもわかならない様子だった。
 マクスウェルは少し躊躇したが、自分から言い出したことだ。約束は守った。

「あばよ、キカ。あっちで、あいつとエールでも一杯やってるさ……と」

 しばらく静かに聞いていたキカが、含み笑いをした。
 あいつはそういうヤツだった。粗野な人間に見えて、細かい気の利くヤツだった。
 豪快なエドガーの片腕として、細かいことをフォローするのはブランドの役目だった。

「なるほどな、そういうヤツだったな、お前は」

 キカはもう一度含み笑いをしてから、右腕を首からつり、左腕を包帯で厳重に巻いているマクスウェルのほうを向いた。

「それで、両腕はどうなんだ。罰の紋章は?」

 今度はマクスウェルが苦笑いをする番だった。

「両腕が動くようになるには、もう少しかかりそうです。おかげで、ポーラやフレアさんが大騒ぎしてくれています」

 キカが大きな声を上げて笑った。どちらがマクスウェルの世話をするかで、いつもあの二人はもめている。
 もっとも、その影で結局世話をしているのはミレイだったわけだが。

「罰の紋章の意志は、今は完全に沈黙しています。
 八房の紋章の中で「紋章爆弾」をわざと使って、その被害からオベルを守るのに、罰の紋章の全ての力を使いました。しばらくは、覚醒することはないでしょう」

「そうか」

 ため息をついて、マクスウェルの両肩に手を置くと、キカは静かに言った。

「頑張れよ、オベリア・インティファーダ、マクスウェル国王殿。では、またな」

「国王はやめてください。どうしてこうなるんでしょう、俺はこの事件の後、闇に消えるはずだったのに」

「そういうものだ、諦めろ」

 マクスウェルに背中を向けて、笑顔を見せると、キカは彼女らしく、悠然と去って行った。
 群島最大のキカ一家は、活動を再開するまですぐであろう。

EP-4

 そして同日、ラズリルに駐留していたクールーク艦隊が、出航する日でもあった。

「カタリナ団長、頼みがあるのだが」

 まさに出航直前、オルネラがカタリナにそっと語りかける。

「はい、なんでしょう」

「私が責任を持って、できるだけ旧クールークの勢力をまとめあげるつもりだ。
 そこでだ、私たちの一派を群島諸国連合に加えていただくよう、オベル国王に進言していただけないだろうか。
 なにも、クールーク再興に群島の力を借りたいわけではない。
 ただ、今回の事件を体験して、真の紋章の恐ろしさを知ったつもりだ。
 私はかつて敵国の人間だった。だがそれでも、群島の危機に駆けつけたいのだ」

「まあ」

 カタリナは嬉しそうに、手をぽんと叩いた。

「それはこちらからお願いしたいくらいですわ。
 私たちは最初、クールークの方たちを信用できずにいました。
 しかし今回、群島のために戦って下さって、それが杞憂であることは分かりました。
 よろこんで、リノ・エン・クルデス陛下に進言させていただきますわ」

「お願いします」

 オルネラとカタリナは、握手を交わして、カモメの飛ぶ空を見上げた。

「守りたいものですな、この海を、そしてこの空を」

「まったくですわね」

 そうして感傷にひたっていると、弟のバスクが声を張り上げる。

「姉上ー! そろそろ出航ですぞ。乗船してください」

「……まったく、風流のないやつだ」

 オルネラは金白色の長い髪を風に流し、苦笑して見せた。

「では、いずれお会いしましょう」

「団長もお元気で」

 そういい残して、オルネラは軍艦に乗り込んだ。

「なにをお話しだったのですか姉上?」

 バスクが語りかけると、ふふっと笑ってオルネラが空を見上げた。

「クールークの将来のことさ」

COMMENT

(初:16.10.05)
(改:16.10.18)