真の紋章対自分自身。考えてみれば、これほどまでに最悪のカードがあっただろうか。
世界の創世に関わる、いわゆる神様を一人で倒せというのだ。考えただけで絶望感しか浮かんでこない。
しかも、相手は親友の相方ヨーンだ。本物かどうかは知らない。自分がわざわざ戦いにくい相手を選んだのかもしれない。
考えてみれば、ヨーンとは会話したことがない。挨拶くらいはしたことがあるが、キリル曰く、ヨーンは人間界の言葉が喋れないそうだった。
ところが、こちらにきてはどうだ。饒舌に紋章について喋っている。
ここで、マクスウェルははっとした。ヨーンが言葉を話せるということは、ここは異世界と同じだ。つまり、紋章の内部の世界というのは、異世界と通じているというわけなのだろうか?
考えても答えは出てこないが……。
この戦い、どう考えてもマクスウェルに勝ち目はない。右腕を肩から抉られ、左肩も左腕もグレアム・クレイの毒針に貫かれている。しかもマクスウェルの主武器は二刀流である。片腕だけでもバランスがとれないのに、両腕が使えないのでは……。
つまり、使える武器は罰の紋章唯一つ。しかも、自分は魔法の専門家と言うわけではない。無尽蔵な魔力を蓄える真の紋章に勝てるわけがない……。
しかし、マクスウェルはかろうじて左手を、罰の紋章を構えた。親友の使い魔にむけて構えた。
「ああもう、やるしかないよなあ!」
なぜか。自分は神ではないからだ。マクスウェルと名づけられた一人の人間だからだ。神になるのなんて、真っ平だ。
「戦うのですね。勝目などないというのに」
ヨーンが静かに右の蹄をマクスウェルに向けた。そして次の瞬間、グリーンの弾丸が、マクスウェルのもといた場所を貫いた。
マクスウェルが慌てて左によける。自分のもといた場所で大爆発が起こった。だが、ヨーンの攻撃は止まらない。次々と弾丸がマクスウェルを貫こうと左右に放たれる。マクスウェルは転がりながら攻撃のチャンスを狙う。
剣は使えない。武器は罰の紋章のみ。こちらは小回りの効かないビーム系の飛び道具だ。遠距離から打ち合って勝目があるか?
やってみるチャンスはある! わずかにヨーンの攻撃がやんだ。その隙を逃すマクスウェルではない。膝立ちで構えると、自由の利かない左手を左半身で振り回す様に罰の紋章を当たり一面に放射してみる。
埋蔵の魔力量が違うとはいえ、こちらも真の紋章だ。直撃すれば良い勝負になるかもしれない。
だが、ヨーンは半身をずらすと、罰の紋章をするりと避けて見せた。そして、一発の攻撃に対して十五発の弾丸が返ってきた。やはり、紋章の撃ち合いでは勝目はない。
ためしに、もう一度、今度も左腕を鞭のようにふるい、罰の紋章のビームを当たり構わず振りまいてみた。
「くっ!」
どうやら、運よく一発が命中したらしい。ヨーンは左腕を押さえ、しばらくよろめいた。
ならば、体術勝負だ。この隙を見逃さず、一か八か襲い掛かって、殴り合いに持って行く。
(今だ)
攻撃の僅かな隙を突いて、マクスウェルはヨーンに襲い掛かった。そして勢いよく押し倒し、飛び乗った。
自由の利かない両腕ではなく、腰でヨーンの身体を固定し、脱出しようとするヨーンの動きを封じる。
やはりだ、肉弾戦ならこちらに利がある。
「悪いな、後でキリルには謝っておくよ」
言った刹那、マクスウェルの頭突きがヨーンの顔面にめりこんだ。左肩に全力が入らないので、床と後頭部の間に僅かな隙を作り、後頭部を思い切り床にたたきつける。
ごっ、と鈍い音がして鼻のつぶれた確かな感触があった。
(もう一発!)
正確に、ヨーンの顔面の中心に頭突きが叩き込まれる。
(これでどうだ)
これでKOか。マクスウェルの逆転かと思われた。
「ぐぁああああああ!」
だが次の瞬間、ヨーンの紋章弾がマクスウェルの左肩を貫通したのである。かろうじて腕は落ちなかったが、くっついているのがふしぎなほどの重症であった。
だが、ヨーンは憤怒の表情でマクスウェルの身体を後方に蹴り倒すと、鼻血を衣服の袖でふき取った。
「なんとも乱暴ですね。ならば、こちらもそのつもりで参りましょう」
ヨーンが言うと、すうっとその右手に剣が現れた。
だが、マクスウェルは笑っていた。唯一の武器は通じない。それでも彼は、笑っている。
ヨーンがさすがに怪しんだ。
「両腕は使えない、罰の紋章も効かない。この期に及んで微笑など、なにがあなたをそうさせるのですか」
「さあな、笑うことに意味はないんじゃないかな。
でも、笑った分だけ人は自信を持って生きていける。笑った分だけ、人は戦える!」
「心の問題というわけですね。覚えておきます。
ですが、実際にあなたにうつ手はすでにない。
紋章弾から逃げるのも、そろそろ限界でしょう。
それとも、両手の使えない状態で、剣ならば勝ち目があるとでも?」
ヨーンは痛いところをついてくる。
実際に、このヨーンが本物かどうか、確認する術はない。
キリルもここにはいない。ここにあるのは、八房の紋章が移し続ける惨状の歴史だけだ。
それが、巨大な筒状の空間に流され続けている。
「戦いを求めるのが人間の本質なら、永遠の平和なんて悪魔の囁きだ。
君を止めようとしての俺の死は、一人の愚か者の最期として歴史に刻まれる。
だが、俺は諦めない。君を封印し、罰を封印し、群島の平和に一役買えるなら、一度くらい死ぬのも面白い!」
叫んで、マクスウェルは胸のペンダントを瀕死の左手で握り締める。
トンを超える紋章のかけらから抽出した魔力を凝縮したものだ。
イザクにもジーンにも止められた禁断の手法。
「永遠の平和……真の紋章の誰もが望みながら達成できない永遠の夢想。
それさえ達成できれば、
しかし、それはあくまで永遠の夢想です。人は数千年をかけて戦い続けた。
それを今さら止めるなど、無理なこと」
ヨーンは剣を構える。ショートソードを上段に構える。
「確かに、永遠の夢想かもしれない。だが、たったひと時の平和なら、実現できる!」
「絵空事です! 戦いは終わらない!
ヨーンがダッシュしてくる。そして、剣を振り下ろす。
だが、この期に及んでまだマクスウェルは微笑んでいた。
これが最期の手段だ。これが破られれば、もう勝ち目はない。
マクスウェルは、左手でつかんだペンダントを、ヨーンの剣先に差し出した。
ヨーンの一撃を、そのペンダントで受け止めたのだ。
マクスウェルのペンダントが崩壊した。
瞬間、凄まじい魔力が放出される。真の紋章の魔力に匹敵するこの力!
ヨーンが狼狽して周囲を見渡す。周囲の景色が、次々と崩壊していく。
「あなた、あなた何をしたのです!?」
「紋章のかけらを一トンばかり集めてね、爆弾を作った。八房の紋章を破壊するのさ」
「ば、ばかな、そんなことをしたら、オベル王国は滅亡するかもしれないのですよ」
「そうはさせない」
叫ぶと、マクスウェルは左手の罰の紋章を胸の前で構えた。
「これまでの贖罪と許しをかけて請う! せめて、彼らを救ってくれ! 全ての力を出し切れ、罰の紋章―――!
たまには、俺の言うことを聞け――――!!」
マクスウェルの左腕が赤く光った。そして、すべての視界を焼き尽くした―――。
このときすでに、オベル遺跡に潜入したメンバーは脱出にかかっていた。これまでとは地震の規模が違う。このままでは、遺跡そのものがくずれてしまうだろう。
だが、ポーラ一人が言うことを聞かず、その場に残ろうとしていた。
「ポーラ! すぐに逃げろ。この地震はこれまでとは違う! 遺跡が崩れ落ちるぞ!」
「いやです、まだマクスウェルが中にいるのです。私一人逃げられません!」
「だが、お前が死んだらマクスウェルが悲しむ。生き残れ! 彼のために」
「いやです! 彼を待ちます!」
シメオンの説得にも、ポーラは頑として聞かなかった。
そのうち、壁面の巨大な女性の顔が崩れ落ち始めた。
八房の紋章が崩壊を始めたのだ。
「紋章が崩壊を始めた……! 時間がない」
シメオンは、やむなくビッキーから預かった鏡をキカに預けた。
この鏡を使えば、アリアンロッドにいるビッキーのもとにいつでも瞬間的に帰ることができる。
「だが導師はどうする!」
預けられたキカは、らしくもな狼狽して問うが、導師はにこりと笑うだけだった。
「なに、私ももう一枚、幼ビッキーの鏡を持っている。相棒を信じて残る少女がいるのだ。見捨てるわけにもいくまい。さあ、行け!」
キカは少し逡巡したが、彼女も相棒も部下もいる存在である。ぞんざいにはできない。
「撤収! アリアンロッドに帰還する!」
そう叫ぶと、仲間を周囲に集めて瞬時に消え去った。
ポーラは、どんどん崩れ去る洞窟の中でも気丈にも涙も流さずにマクスウェルを待っていた。シメオンはその気丈さに、好意を覚えていた。
アリアンロッドで、キカやハーヴェイたちが待っている中でも、海上は大時化の状態にある。
だが、ビッキーも、ジーンも、ダリオも、ミズキも、アカギも、タルも、ミツバも、誰一人としてオベル王国から視線を離そうとしない。
誰も、彼等のリーダーが死ぬなどとは思っていないのだ。夜の紋章も沈黙し、じっとオベル王国を睨みつけている。
これまで、どんなことがあっても、彼等のリーダーは生残ってきた。何度死に掛けても、復活を遂げてきた。愛する人物をその手にかけても、復活してきたのだ。そんな彼が、たかだか紋章を相手にして死ぬわけがない。
巨大地震で、オベル王国の半分、遺跡部分がくずれ始めた。巨大な島の一部が、なくなろうとしている。
八房の紋章も、永遠に海に帰るのだろう。だが、海に帰ってはならぬ人物がいる。
「遅いよ、ばか―――――!」
ミツバが叫んだそのときである。アリアンロッドの艦橋の片隅で、どさどさどさという音が響いた。
全員の視線が向くと、そこに人の山ができていた。シメオンはじめ三人の人間が折り重なって苦渋の顔をしていた。
その一番下でシメオンとポーラに押し潰されていた人間が、最も重症に見える。
思わず、誰も彼もが近寄って、様々な声をかける。誰の声から答えればよいか分からず、声の主はおろおろとしていた。
人の波を書き分け、ミツバが涙顔でゆっくりと語りかけた。
「おかえり」
「……ただいま」
じつはもうちょっとだけ続くんじゃ。
(初:16.10.05)
(改:16.10.18)
(改:16.10.24)