ラインバッハ二世は走っていた。湿度の高い地下を。オベル遺跡である。
「クレイのやつめ、大口をたたきながら勝つかまけるか分からぬではないか……くそ!」
じめじめした空気の中を、地下六階まで走り抜けた。ここまできて、ようやくラインバッハ二世は肩で息をする。ところが、まだ異変があった。
どこからともなく飛んできた二つの球体が、彼の周りを回転しはじめたのだ。
「こ、これは眷族の紋章!」
声が裏返るほどに慌てて、ラインバッハ二世はそれをキャッチする。そして、それをじっと見た。
「これはリキエのものだな……。熟成が少し足らぬが仕方がない……」
ラインバッハ二世は手に取った紋章球を、相変わらず卵を飲み込む蛇のような動作で、紋章球を飲み干した。
ラインバッハ二世は激しく咳き込むながら、口元を怒りに染め目元に失望感をあらわにした。
「足りぬ……やはり足りぬ!!!!」
「どっちだ、地下か?」
マクスウェルらは、封印の間に取残されたリタを海賊一家とリシリアに任せ、自分たちは迷宮を地下四階まで追ってきた。ラインバッハ二世が何をする気かもはや知らぬ。
マクスウェルにとって、もはや関係のないことであった。
マクスウェルがラインバッハ二世に求めるのは、唯一、死であった。
トリスタン、ジュエル、ロウセン、そしてユウ医師の仇をこの手で打つのだ。
地下四階で散々迷った挙句、ようやく地下五階に来たとき、その頭上を、光の弾が通過していくのをクロデキルドがみかけていた。
「あれは、紋章ではないのか」
「まずい、リタの紋章だ。ラインバッハ二世の強い執念が、紋章を呼んでいるのだ」
シメオンが看破するが、それも遅かった。
こうして地下に紋章が向かっているということは、間違いなく地下にラインバッハ二世がいるということだ。
そして再び迷いに迷い、地下七階まで来たときだった。
そこは、ワンフロアではなかったが、比較的分かりやすい構造をしていた。
だが、問題はそこに居た人物だった。
彼は、何もかもが色素が薄かった。白に近い金髪、透明に近い蒼の瞳、そして、顔面にはりついた笑顔。
グレアム・クレイだった。
クレイは禍々しい笑顔のまま、ただ一人、マクスウェルを睥睨している。
さすがに気づいたのだろう。マクスウェルは、仲間を手で制すると、先に行け、と合図した。
クロデキルドが叫ぶ。
「馬鹿な! 君は右腕が使えないのだぞ、それで勝てるつもりか」
「やってみないとわからない。それに、これは俺の【因果】だから」
「ほう……?」
クレイが感心したようにつぶやく。
「とにかく、先に行ってくれ。俺は絶対に生き残る」
「んもう、約束だからね」
全員が階段を下りる中、ポーラだけが彼の首筋に抱きついて、キスをした。
「さすがですな、この期に及んで勝ち目があると?」
仲間が走り去っていく中で、クレイがそれを追わずに余裕ぶる。
「クレイ、あんたはこの十年間、間違い続けている。
あんたの意思には、あんたの意思は半分もない。
ただひたすらあんたの息子に会いたいという願いをかなえるためだけに動き、それを実現してきた」
「…………………………」
「だが、紋章に関わっていく中で、あんたは決定的なミスを犯した!
いくら幻影を見ようが、いくら本物に近い幻想を見ようが、「死」は「死」なんだ。
クレイ! あんたは、もはや理性的な人間ではない!」
マクスウェルが猛ると、こちらも、クレイは一喝してみせる。
「あなたは英雄などではない……ただの腰抜けですっ!」
クレイの怒号が周囲に響く。
「家族のいないあなたには分かりますまい! 家族とは人間の宝からなのです。
家族のために夢を見、家族のために涙する。たとえ幻影であろうと、私は家族のために涙する!」
クレイの表情が、穏かな表情に変化した。マクスウェルが叫ぶ。
「麗しい思い出なんて、人間の半分でしかないんだ。クレイ、あんたは罰の紋章を切り離したときに、残りの半分まで失ってしまった!
これが最後の機会だ。人間として正道へ戻れ!」
だが、クレイも黙らない。
「私は浅ましい。分かっています、笑っていただいて結構。言うなれば犬畜生の類でしょう。
どこまで堕ちてもかまわない。だが私は、あなたを倒したい……! ただ、ひたすらに!」
クレイは、左手の鋼鉄の義手をマクスウェルに向けた。マクスウェルはそこにないが仕掛けられているのか知っている。
鋼鉄製の針が、勢いよく飛び出すようになっているのだ。慌ててマクスウェルが右に避けると。次々次と五本の得張りが、彼の居た場所を貫いた。
「どうあっても、家族の願いに背いて死の演劇を続けるつもりか!」
「生きていることを証明できなければ、死んでいるのと同じなのです!ならば私は健在なのだと殺し続けるのみ!
我は人なり!愛こそ全て!」
グレアム・クレイは、次の針を義手につめると、次々発射してくる。まさに、マクスウェルに反撃のそぶりを与えないほどだった。
マクスウェルは左右前後に針を避けながら、考える。クレイは倒さなければならない。だが、どうやって?
マクスウェルの許された武器は唯一つ、罰の紋章だ。しかも、クレイの素早い動作の中心に意識を集中しなければ場ならないのだ。
ところが、このマクスウェルの思考が、一瞬の隙になった。
唯一武器になりえたマクスウェルの左腕は、クレイの針に貫かれたのだ。
クレイの針がマクスウェルの肩、肘、手の甲と次々に貫いたのである。
「うああああ!」
あまり動かせない右手で左手をかろうじて押さえながら、マクスウェルはのたうちまわった。
かろうじて毒は塗られていないようだが、激しい激痛がマクスウェルの左腕を襲った。
だがマクスウェルは、両手を構えた。罰の紋章を発射するための動作だ。
「ほう、その傷で、まだ私に対抗する気ですか。
罰の紋章は撃てるかどうかわからず、両腕は使えない。
よろしい、止めを刺して差し上げましょう」
クレイは心持ゆっくり、義手に針を仕込んだそして、マクスウェルに向けた。
「今度こそ! おさらばです!」
クレイが毒針を発射した途端にクレイの目が信じられぬ光景を写し出していた。
マクスウェルが、罰の英雄が、大きくジャンプして飛んで向かってきたのである。
思わず、クレイの毒針の目標が僅かにずれた。そのうちの一本を、マクスウェルは空中で口でかみ締めたのである。
そして、クレイに猛スピードで近づくと、その首筋につきたてた。
「ぬううううう!」
クレイの怒号が悲鳴に変わり、彼は首を押さえてどうと倒れこんだ。無論、いきおいに任せて飛び込んだマクスウェルも、地面に崩れ落ちる。
しばしば二人の怒号が鳴り響いたあと、しばらくして場は静かになった。
クレイが言った。
「戦略的勝利、戦術的敗北というヤツですかな」
「いや、お前の負けだ。俺には仲間がいる。きっと仲間が何とかしてくれる。
お前にはそれがいない。おまえの負けだ」
「くっく、手厳しいですな」
その時、地下七階に銃声が派手に鳴り響いた。
「なんだ!?」
痛む身体を起き上がらせて、マクスウェルは周囲を見下ろす。
人影らしい人影は見えないが、確かに銃声が鳴り響いている。
「なんだ、あれは、クレイ」
「私の「仲間による」引き際の合図ですよ。
ではさようなら、マクスウェルさん、罰の紋章の奪取は次にとっておきましょう。
楽しみにしておきますよ」
クレイがそういうと、クレイの身体を包む霧が、徐々に赤みを増してきていた。
そして、すうと何事もなかったように消えてしまったのである。
「馬鹿な! まだ誰の仇もとっていないかったというのに!」
マクスウェルは、口許を引き攣らせて、ガンガンと地面を撲り倒した。
オセアニセス号船上でリノ・エン・クルデス、ラインバッハ、アグネスらに正確無比の弓攻撃を繰り出していたフレア王女が、突然苦しみ出して倒れたのは、そのときだった。
オオタカの紋章を利用して縦に横に縦横無尽による王女の弓攻撃が、突然途切れたのである。
何も写していなかった王女の瞳に、一瞬影が入り込み、弓と矢を落として倒れるという、普段の彼女ならありえないことが起こった。
そして次の瞬間、フレア王女の背中から、二つの紋章球がせりだし、どこかへ飛んでいったのである。
「フレア、おい、フレア!」
抱き起こすリノ・エン・クルデスに、フレアは弱々しくすがる。
「……紋章が……ラインバッハ二世が紋章を呼んでる……」
「なんだって? 洗脳は解けたんだな? いつからだ、さっきか」
「わ、わからない……」
父王にすがりついたフレアに対し、ラインバッハが声をかけて、手を差し出した。
「大丈夫ですか? 殿下」
「あ、ありがとうございます……」
ラインバッハに抱き起こされると、フレアはこれまでのことを父親から聞かされた。
「うん、洗脳されたってことには気づいてた。出陣前に、セツさんから元帥杖を受け取ったとき、なんでセツさんが私の上にいるんだろうって。
そのときの違和感で、頭がもやもやしてた。それで、戦場に出てセツさんが死んだって……」
「なに? 本当なのか!」
「セツさん、自殺したんだって。絶対私のせいだって。だから、洗脳されたふりをして、私も死んじゃおうかって……」
「馬鹿、オベルに死を賛美する要素はないと、ラズリルでお前が言ったんだろうが。
いいな、今は身体を厭え。戦うことは考えるな」
とりあえず、娘への質問は諦めて、自分たちはこの艦隊戦の後始末に徹することにした。
紋章のほうは、マクスウェルたちに任せるしかない。
「たのんだぞ、マクスウェル……」
(初:16.10.04)
(改:16.10.18)
(改:16.10.24)