クォ・ヴァディス 129

22-6

 翌八月十七日、オベリア・インティファーダとキカ一家はオベル島の西の海岸沿いから、再び侵入した。
 艦隊戦が東の端で行われている以上、その逆から浸入することで、相手の油断を狙ったのである。
 前回の浸入と大きく異なっているのは、マクスウェルが浸入メンバーに参加していることであった。
 無論、右肩の負傷で戦闘では役に立たないが、彼のフォローとしてキカ、ミツバとトロイ提督が参加している。
 これだけのメンバーに守られた集団は、少しばかり戦闘力の高いだけの集団など、まったく相手になるまい。

 今回、オベル王宮のを浸入を目指すグループは三つである。ハーヴェイ、ダリオ、ナレオ、キカ。クロデキルド、イザク、トロイ、ミツバ、マクスウェル。そして、ポーラ、リシリア、ジーン、シメオンである。
 前回のように大集団でかからなかったのは、艦隊戦のほうにもオベリア・インティファーダ部隊が参加しているからで、実力派のメンバーがどうしても手薄になってしまうからであった。
 今回、特に守るべきグループは、なんと言ってもクロデキルドのグループであった。なにせ、クロデキルドは例の「魔法の暗号」を知っているのだ。彼女を守りきらない限り、人質の救出は不可能であるように思えた。
 キカとジーンは、カールの案内で地下の人質の部屋を知っているため、気配を消しながらも、地下室の大きな扉の前でクロデキルドたちを待つことにした。

「しかし、今回の艦隊戦でフレア王女を救出できそうかな」

 岩にキカが背を預けながら言うと、ジーンが答えた。

「艦隊戦に勝たなければなんともいえないけれどね、私たちは私たちの目的を果たしましょう」

「そうだな、人質の救出が三人同時でなければいいのなら順番は必要はないか」

 そうこうしているうちに、クロデキルドたちがやってきた。鎧に僅かな血の跡が就いていることからも、途中でモンスターに襲われたかもしれない。
 誰も、クロデキルドたちの様子を咎めない。この程度の奇襲にやられる程度のクロデギルドではないからである。
 では、始めるか。キカが、荘厳な口調で言った。

 キカたち十五名のつわもの達を、背後にしたがえながら、その手を、扉に当てた。クロデキルドの手が淡く光る。
 そして、例のキーワードをクロデキルドがつぶやこうとした瞬間。
 洞窟が大ききゆれた。岩盤が崩れ、天井から大きな岩が落盤してくる。
 キカにとっては、経験のある風景だった。

「ラインッバ二世! 今度はなんのようだ! 今度こそ邪魔はさせぬぞ!」

 ジーンが天井を見てみると、半ば人間の形を残したモンスターが、五匹ばかり天井に張り付いている。
 粘着質の皮膚をしているのか、体表は油のようなもので覆われており、まるで蛇のように長い舌を口から出し入れしてきた。

「何度も、人の客室を荒らす様なものに言われたくないのものだな。
 さあ、存分に立ち会いたまえ、メルリンちゃん、ムーニエちゃん、ティボールドちゃん、マデリネちゃん、アレイスちゃんが相手だ!」

(次から次へと、よくもまあモンスターばかり繰り出してくることだ!)

 そうこうしているうちに、粘着質の皮膚に覆われた五体の人間型のモンスターが、メンバーの前に立ちふさがる。
 ここでキカは選択を誤らなかった。

「我々の使命は、クロデキルドを守ることだ! 決して近寄らせるな!」

「了解! いっくよー、食らえー!!」

 まず先人を切ったのはミツバだった。だが、勢いよく斬りつけたのはいいものの、油粘膜質の皮膚が災いしてか、夜の紋章はその皮膚をぬるりと掠めてしまった。

「げっ!」

「次はわたしの番だ!」

 キカが両手の剣を構えると、出しおしみになしに一気に隼の紋章を発動させた。
 恐るべき速度で繰り広げる突きの乱舞! だが、結果は恐るべきものだった。
 その乱舞のことごとくが、敵の身体の表面上をすべり、ダメージらしいダメージを与えられないのである。

「ここどうやら、剣術では手に負えないようだ。ジーン師、頼むぞ」

「効くかどうかは分からないけどね」

 じわじわと近づいてくるモンスターに、ジーンの詠唱が始まる。
 そして、ジーンの詠唱が完成する。

「激怒の一撃!」

 ジーンの杖の先から強烈な稲光が放たれたと思うと、それが五連続の落雷と化して次々にモンスターの動きを止めた

「さすがだ」

 ところが、この感嘆も無駄に終わった。あれだけの雷撃を喰らいながらも、モンスターは緩慢として動きでマクスウェルたちに近づいているのだ。

「ほう、剣も通じない、魔法も通じない。どうするつもりだ、リーダー?」

 キカが剣を構えて絶望的な表情をする。
 だが、マクスウェルは諦めていなかった。マクスウェルは左腕を五匹の敵に向けると、グローブをはずす。
 そして、手の甲をモンスターに向けたのだ。現れたのはわずかな赤色の光だった。
 だが、その効果はおどろくべきものだった。剣も魔法も通じなかったモンスターが、光を浴びた途端に黒色の粒子と化して空気中に散っていったのである。

「相変わらずの破壊力ね。でもあまり使ってはダメよ」

「わかってる。これっきりだ」

 マクスウェルの口調をよそに、キカが静かに言った。

「クロデキルドのが詠唱が終わるようだぞ」

「…………【To be crucified a second time.】」

 クロデギルドの言葉に、扉に頑丈に巻き荒れた鎖が、まるで蛇のように自然に崩れ落ち、そして青い光を発する魔法の呪札がぱらぱらと地面に落ちていく。
 完全に、扉の封印が解けた瞬間だった。

「やった!」

 マクスウェルが左手でキカとハイタッチし、喜びを満面にしたミツバとクロデキルドが、重い扉を重い音を立てて明けて見せた。
 中は、異様な光景だった。足元は強い蒼の泉が湧き出し、リキエとリタは、全裸のまま、目と口を魔法の封印を思しき紋章の布で封印されている。

「シメオン、これはなんだ」

「過去に失われた紋章の封印の一種だよ。現在は失われてしまったがね」

「じゃあ、リキエとリタとの中に封印が施されているのか?」

「間違いない」

 と、その時であった。突然、地面が揺れたかと思うと、変化があった。
 天井から吊るされていたリキエの身体が、突如激しく痙攣をはじめたのだ。

「な、なんだ!?」

 何とか転ぶのは阻止したものの、マクスウェルはバランスをくずして壁に体重をあずけていた。
 それほどの大きな揺れだったのである。

「あ!?」

 リシリアがリキエの身体の異変に気づく。痙攣がマックスに達したと思うと、その腹の部分から、紋章球と思しき二つの球体が飛び出し、どこかに飛んでいってしまったのである。

 慌ててシメオンが叫んだ。

「あの紋章球を追え! あれは、きっとラインバッハ二世の体内に吸収されるはずだ。
 ラインバッハ二世は、すでにガイエンの二つ、ジュエルの二つを取り込んでいる。
 このまま取り込ませたら、手も足も出なくなるぞ!」

「わかった!」

 マクスウェルは、すぐさま自分のパーティーをキカ、クロデキルド、ジーン、ポーラ、トロイ、シメオンを選ぶと、後のメンバーにはリタの様子を見てくれるように頼んだ。
 オベル国内は、風雲急を告げている。

22-7

 同八月十七日、クレイとエレノアの艦隊戦は、怒涛のごとくの展開を見せていた。
 偽オセアニセスの爆発によってすでに三隻の軍艦を失いながらも、グレアム・クレイはそれでも残存兵力を上手く蛇のように動かしていた。
 エレノアは始めて指揮する連合艦隊を有機的に動かし、決して相手に隙を見せることとなく、大胆にして慎重に軍を動かしている。
 たいして、グレアム・クレイは、数の有利を活かして何とか相手の尻尾に食らいつこうとしていた。ちょうど上から見ると、クレイの新オベル海軍は鮮烈を伸ばし、エレノアの連合艦隊を尻尾から食いつこうとしている。之に対して、連合艦隊も、ちょうど円を描くようにその尻尾に食いつこうとしていた。
 これは、できれば双方にとって取りくたくない戦術であった。このまま長期化すれば、消耗戦に突入してしまうこ疑いないからである。
 インベル、ネーブラ、ヒエムスを失ったとはいえ、新オベル海軍には未だにテンペスタース、ヌービアムという二隻の戦艦が現役である。のも関わらず、連合海軍にはそこまでの余裕はない。
 お互いに火矢と砲弾を打ち合いながら、消耗戦はいよいよ泥沼にはまろうとしている。

(勝てるの……?)

 アグネスは、旗艦アプサラスの艦橋から、勝利を確信できず戦場を見渡していた。
 ところが、艦長のヘルムートが、アプサラスの艦橋からアグネスに背を向けまま、意外なことを言った。

「アグネス、オベリア・インティファーダの艦隊を戻す準備をしろ。
 そして、機を見て艦隊を下げるのだ」

「どうしてです。戦は勝っています。このまま突入したほうが……」

 よろよろと力なくヘルムートの身体が、倒れこんだ。

「提督、ヘルムート提督!」

 アグネスの身体がヘルムートを受け止めたとき、その胸板の中心に、矢が一本突き刺さっているのが見えた。
 恐らく敵の流れ矢が、ヘルムートを襲ったのだ。

「提督……提督!」

「いいか、オベリア・インティファーダはマクスウェル提督が戻るべき場所だ。
 その場所を、失わせてはいかん」

「はい、はい、わかりました。はやく治療を……」

「無駄だ。心臓に達している。助からん」

 言うと、ヘルムートは右腕をかかげ空をつかもうとしたが、それが力なく落ちた。

「ああ、もう少し大人になったマクスウェル提督と、酒を酌み交わしたかった。
 下戸である提督をからかってやりたかったのに……」

 驚くほど優しい表情で、ヘルムートはこの世から退場した。
 ヘルムートは三十三歳。クールーク司令官として全力を尽くし、マクスウェルの朋友として常にその側にあった。
 アグネスはヘルムートの遺体を抱きしめ続け、いつまでも泣きじゃくっていた。


 ところがこのとき、新オベル艦隊にも驚くべき情報がもたらされていた。

「国王陛下、縊死」

 つまり、セツが自ら命を絶ったというのである。
 セツはフレアに元帥杖を渡してからしばらく呆然としていたが、突然、監視のミドルポート兵に襲いかかると、その剣を奪い、首に突き刺してしまったのだった。
 誰も、剣を奪われた兵士ですら反応できないほど素早い動きであったらしい。

 グレアム・クレイは、自艦のヌービアムから、かろうじてフレア王女の指揮するテンペスタースに乗りこんだ。

「殿下、国王陛下が崩御されました。ここはいったん引いて、陸戦にうつりましょう。
 この情報が敵に流れてからの消耗戦は、こちらの不利になります」

「………………………」

 フレアは、艦橋の窓から戦場を眺めると、らしくもなく笑った。なんの感情もない微笑だった。

「もうひとつ手があります」

「は、それは」

「大挙突撃して一艦でも道連れにするのです」

「殿下、それはまいりません、私が言うのもおかしいが、生き残ってこその戦いです。
 死ねばただの屍、なんの意味もありません」

「あなたは船を降りなさい、クレイ。あなたはやらなければならないことがあるのでしょう?
 ならば、ここで死ぬことはない。あなたはあなたのやるべきことをやりとげなさい」

「……?」

 クレイは、あまりに理性的なフレア王女の語りに、違和感を感じていた。
 この人は、本当に洗脳されているのか?
 いつの間にか、洗脳が解けているのではないのか……?

「殿下、あなたは……」

「早くしないと、怖い人たちに殺されるわよ。
 撃ち方やめ! 全艦機動停止!」

 

 こうして、戦闘は終了した。
 フレア王女は、ラインバッハ二世に洗脳されたまま、アグネス、リノ・エン・クルデス、オルネラ、ターニャ、といったオベリア・インティファーダと連合艦隊の中心メンバーに取り込まれた。
 これだけのメンバーに取り囲まれてなお、フレアは無表情を通し、リノ・エン・クルデスの表情を曇らせている。
 自身が弓矢の使い手だけあって、後ろでの両手を括られている。

「お前は、自身がラインバッハ二世によって洗脳されているという自覚はあるのか」

「……………………」

「そもそも、八房の紋章とは何なのだ」

「……………………」

 すべてがこの調子であった。会話が成り立たぬ。

「どちらにしろ、あたががたに時間はありまません」

「どういうことだ?」

 リノ・エン・クルデスが疑問をていした瞬間、ゆっくりと隠し持っていた弓矢をフレアは手にした。

「セツさん・・は死んだわ。自殺だそうよ。ラインバッハ二世もオベル遺跡でとうに、マクスウェルとたかたかっていることでしょう。あなた方も、これで最後です」

「なんですって?」

 一番初めに激昂したのはラインバッハであった。
 だが、その激昂も、いつの間に構えたか、フレアの放つ弓矢の勢いに押さえ込まれてしまった。


 グレアム・クレイは、戦場の隙を突き、小型船でオベル島まで戻ると、その脚で高山を昇り始めた。王宮を目指し始めたのだ。

「王女には申し訳ないが、わたしにはまだやらなければならぬことがある。
 王女の道に幸運のあらんことを」

 そのクレイの頭上を、二つの光が、遺跡のほうに向かって飛んでいった。

COMMENT

(初:16.10.04)
(改:16.10.18)
(改:16.10.24)