「それじゃあ聞くがね、その「オベル王家への挑戦」は誰が考えたんだい? ラインバッハ二世が勝手に作った設定の上に立って、万が一フレア王女を倒して勝利して、殺してしまったら、それこそ王家にはなむけできない作戦ではないのかい?」
「………………」
海戦といえば「正々堂々と正面から戦う」というのが、どうしてもリノ・エン・クルデスやオルネラらの思考の前提だった。
目前にいる相手を完全に無視して上陸するなど、それこそ、一部で受けいれられない案が内部からも出た。
そんなとき、エレノアはこういう論法で見方を諭した。
「ラインバッハ二世は、卑怯にもゲーム盤の上に私たちを乗せたいらしいがね。
ゲームというものは、そもそも両方に同一のルールがあって初めて成立するものさ。
ラインバッハ二世の思惑に乗せられただけのこれは、ゲームですらない。
その一方的なルールを叩き壊して、相手が納得するまで叩き壊してあげるのが、我々の役目ってことさ」
言って、ニヤリと笑うエレノアだった。
こうして、オベリア・インティファーダとの再上陸の日時のチェックが入念に為され、第四次オベル沖上陸作戦の幕が切ってあがろうとしていた。
エレノアのたてた作戦はこうだ。オベル島への大量の軍民の上陸には、どうしても大きな目くらましがいる。
そこで、エレノアは、あろうことか連合海軍の旗艦であるオセアニセス号に目をつけたのである。チープー商会から材木を緊急輸入し、オセアニセス号とそっくりの船を作る。そして偽オセアニセス号に火薬・紋章術などを満載させ、オベル島の西側から、フレア艦隊の正面に向けて放つ。無論、このとき偽オセアニセスには誰も乗っていない。
フレア艦隊の総攻撃が始まる同時に、敵中深くもぐりこんだオセアニセスは大爆発を起こす。これだけでも、相手の目を錯乱することができるはずだ。無論、相手にも多少は痛い目にあってもらうが、これで、オベル島の東側と北側から潜入するメンバーには、ほぼ気づかれづに潜入が可能なはずである。
「それにしても、偽物とはいえオセアニセスを破壊するとはなぁ……」
同音異句の意見が連合艦隊から上がった。なんだかんだ言ったところで、この艦はマクスウェルが名付け親になり、群島解放戦争終戦にいたるまでマクスウェルが指揮を執っていたのだ。
そっくりそのまま同じものを作っても、妙な感傷は出てくるだろう。
マクスウェルの象徴のような船であり、今の群島解放戦争経験者にも、そういうつもりでこの船に乗っている者も少なくなかった。
ある日、ミレイが遠慮気味に作戦の変更を求めた。
ミレイはマクスウェルに継ぎオセアニセス号二代目艦長を襲名したばかりであった。どうか他の船の偽物を爆破できないか、というのである。
やはり、大きな希望と責任を持ってこの巨大艦の助命を求めてエレノアに面会を求めたが、突っぱねられてしまった。
「わたしはむしろ、オセアニセスに恨みがあるわけじゃないから、偽物を建造するんだ。
偽オセアニセスが必要だから、この作戦を立てたのさ。
お前たちにオセアニセスに思いがあることはわかった。本物は決して傷つけはしない」
偽オセアニセスの建造は急ピッチで行われたが、なにせ元が巨大船である。
寸分違わず同じ設計で建造され、なおかつ火の手が回りやすいような工夫があちこちになされた。
さて、このとき、オベリア・インティファーダでは、エレノア・シルバーバーグよりもさらに悪辣な手段を講じた者がいる。弟子のアグネスである。
連合海軍が敵ごと偽オセアニセスを爆破しようというなら、さらにその効果を倍増させようというのである。
具体的には、人魚たちの出番を請うたのだ。
人魚たちに防水性の爆雷を幾つも持たせ、偽オセアニセスだけではなく、敵の旗艦にもとりつけようという作戦である。
敵は恐らく、一隻の敵主力艦が大爆発するなど想像もしていないだろう。そして、最初の数分でいい。敵戦艦が偽オセアニセスと交戦して居る間に、人魚部隊が敵戦艦の船底に爆薬をしかける。
これで、偽オセアニセスを破壊した敵は、その喜びのまま自分たちも海の底へ沈むことになる。そして、こうして居る間にも、連合海軍とオベリア・インティファーダのほぼ主力メンバーは、島の東側から悠々と潜伏できるのだった。
こうして、連合艦隊と、オベリア・インティファーダの突入作戦の日取りが決まった。
八月二十日。今度こそ。総てが終わる。マクスウェルはそう思いたかった。
八月十五日、ラズリルとオベル王国で、同日に艦隊の編成式が行われた。
その朝、リノ・エン・クルデスは珍しくエレノアと朝食を供にした。
リノ・エン・クルデスもエレノアも、その日の重要性を知っており、話題は剣呑な作戦のことばかりで、麗しい趣味の話など微塵も出てこなかった。
もっとも、二人とも潤色の趣味とは程遠い人物であって、エレノアが「花言葉の話でもしようかい」とでも言い出せば、彼女を知っている人間が聞けば、それはそれで場が凍りつくであろうけれど。
それはそうと、リノ・エン・クルデスは食べ物の好き嫌いは一部を除いて特になく、人が見ている分には何でも平気で平らげているようだが、実はそうでもない。一部の豆類がどうしても苦手で、食べられなかった。
ところが、その「一部の豆類」が、その日の朝食に昇ってしまったのである。リノ・エン・クルデスは、この豆を食べると体中がかゆくなってしまう症状に襲われるので、父の私生活に口うるさい娘のフレアも、父がこの豆だけを残すくせがあることには言及したことはない。
今日は大事な艦隊編成式だ。リノはずらりと並んだ多くの軍民の前に出て、カタリナから指揮杖を預かる儀式を行うことになっている。もしもそのとき、体中をぼりぼりとかきながら責任者が出てきたら、民も軍人も、みな失望するであろう。
では残せばいいではないか、とエレノアには言われそうだが、リノは妙なところで真面目だった。自分がラズリルでゲスト扱いされているされていることを知っていたから、そこで食事を残すことに後ろめたさを覚えたのである。
一皿の豆を前にして、顔面の色を赤くしたり青くしている亡国王を見て、さすがにエレノアが怪しんだ。そして理由を聞いて呆れるのと笑うのとを器用に同時にやってのけた。
「あんたねぇ、どういう事情があろうと優先すべきことの優劣はつけとくれよ。
出されたものは残さない、ああ、立派だよ。だがそのために軍民の士気が落ちて作戦が失敗するようなことになったら、なんにもならないだろ」
国王は国王らしく、最前線の指揮者は指揮者らしく、堂々と威厳を保って行動すべきである。
たかが豆ひとつで威容を台無しにしてどうする、とエレノアは言ったが、後の時代のキャリーが聞けば、重度のアレルギーを我慢しろといわんばかりのエレノアの言い草は、批判の的になったであろう。
どちらにしろ、この日、リノは珍しく出された豆を残し、ラズリル領主カタリナから軍民の前で堂々と指揮杖を預かることに成功した。
ところがこの日、オベリア・インティファーダでもにたような事件が起こっていた。
オベリア・インティファーダはあくまでリーダー・マクスウェルの私兵集団にすぎないため、軍の編成式などといった大仰な儀式とは無縁である。
マクスウェルが一言「出撃!」といえば、その部下たちはリーダーの命令に従って整然と準備をし、出撃し、戦闘し、そして命を落とす。
この集団の特徴は、なんといってもその自由度の高さである。例えば、この日の朝の会議には十五名もの人間が参加している。これは、オベリア・インティファーダの規模からすると、あきらかに多い。
しかもその中身は、同盟関係にあるイルヤの代表イザクやクールークの雄ヘルムートらはともかく、本来なら「よそ者」であるクロデキルドやミツバ、故郷では一漁民でしかないタル、正体不明の紋章術士シメオンや幼ビッキーなど、
混成もいいところであった。
マクスウェルがこれだと見込んだ人物が全員参加し、とにかく上下なく自由に発言することで、会議は活発になり、オベリア・インティファーダの内容はどんどん充実していった。
ところがこの日、開戦前ということもあってか会議の雰囲気は重苦しく、普段はかなり自由な発言が目立つビッキーやミツバでさえ静かに、アグネスとマクスウェルのやり取りを聞いている。
そして、この雰囲気に馴染めない人間もいた。タルである。
彼は普段、重苦しい雰囲気を打破して周囲を活気付けるタイプの人間であるため、こういう空気は本来苦手なのである。
そこで、一部分だけでも軽くしようかと、自分の両隣に座っていたビッキーとミツバの服のすそをちょっとひっぱった。
「それじゃあ、アグネス、人魚たちの快諾は得たんだな?」
「はい、彼女らは群島解放戦争でも無人の軍艦を操っていますから、やってみるとのことです。
リーランさんは、なぜかかなりやる気でしたが」
こういう会話を切り裂くように、タルに耳打ちされたミツバの大声が、あたりの静けさを盛大に破ってみせた。
「えー! マクスウェル様って、女の子のスリーサイズを見ただけでわかるの!?」
それに追い討ちをかけるようにビッキーが騒ぐ。
「マクスウェル君って、やっぱりエロエロだったんだー!」
ざわざわと周囲がざわつく。マクスウェルが突然の疑惑騒動に手を額に当てた。
「はい、そこ、今は静かにしてくれ。誰が言い出した、そんなこと」
ビッキーとミツバは、タイミングを綺麗に合わせて自分たちの真ん中に座るタルを指差した。
「よし、とりあえずタルは砂利の上で正座二時間の刑にする」
「そんなことはどうでもいい!」
どうでもいいことはないだろうが、意外なところから反応が来た。クロデキルドである。
「我々が今確認すべきことは、我らがリーダーが、本当にそのようなセクシャル・ハラスメント的な能力を有しているかどうかにある。
マクスウェルは疲れたようにがっくりと肩を落とすと、左手でこめかみをもんだ。
「確かに、俺にはそのような特技がある。だがこれは生来のものではない。
罰の紋章を継承したときに目覚めた能力の一つだ。決して知ろうと思って身につけた特技ではない」
生真面目なクロデキルドが相手であるからには、ごまかすこともできず、固い口調で否定も肯定もしない回答をした。クロデキルドは納得いかないのだろう、心持ち胸とウエストを隠しながら座りなおす。
ミツバが、こちらは興味深々できいてくる。
「ちなみに、私のスリーサイズがわかる?」
「あのな……」
「いいからいいから」
「こんな衆目の面前で、言っちゃっていいのか?」
「いいよ、別に隠しているわけじゃないし」
自分の隣で、まるで汚物を見るような視線を送ってくるポーラに耐えかね、マクスウェルは一瞬、ミツバを見ると、咳払いした。
「身長一六七、バスト八七、ウェスト六二、ヒップ八五」
「おお、正解!?」
身を乗り出すように拍手するミツバと、その他の女性陣の反応の差がありすぎて、マクスウェルは頭を抱えたくなる。なぜ自分がこのような目にあわなければならないのだろう。
とりあえず、タルの大馬鹿者には、永遠にミミズ風呂に入ってもらうとして、問題は自分の右隣に座るエルフの姿をした鬼神であった。
この鬼神に対しては、いかなる言葉も受け付けない。ただ、誠意あるのみであるが、それもどこまで通じるか……。
「あのな、ポーラ、言ったとおりこれは罰の……」
だが、鬼神は無言で立ち上がると、
「あなたの悪い心は、ここですか―――!!」
と、いきなりマクスウェルの負傷している右肩にチョップを叩きこんだのである。
この日、会議が行われていた建物の周囲にいた人間たちは、自分たちのリーダーの、この世のものとは思えない悲鳴を聞き、その後怒りの表情をしたエルフの少女がのしのしと出て行くのを見て会議の終了を知った。
対して、新オベル海軍の編成式は極めて謹直な空気の中で行われた。
まるで刃が空気に仕込まれているのではないかと思われるほどの緊張感の中、多くの兵士が見守る中、国王セツが、眉を八の字に曲げ、自分の前に片膝をついて御命を待っているフレア王女を見る。
これ以上異様で、これ以上哀れな景色もないであろう。セツは、元帥杖を握りながら震えていた。
「殿下、殿下、どうか頭をおあげください。殿下、私めにひざまづくなど、そのようなことは……」
「……………………」
だが、フレアは無言、かつ無表情のまま、セツの命令を待っているかのようだった。
フレアの隣で片ひざをついたクレイが言い放つ。
「陛下、失礼なことは仰られるな。フレア殿下は自らのご決断で、陛下の兵を指揮することを望んだのです。
仇敵リノ・エン・クルデスの非を認め、陛下の激に応じ、ラインバッハ二世殿と供に世に正義を示すことを望まれたのです」
「馬鹿な!」
セツが玉座から立ち上がり、二段降りた。ミドルポート兵にさえぎられ、それ以上降りることができなかった。つまり、セツの現在の行動範囲は、その程度でしかないのだった。
「馬鹿な! お二人が絆を分かつことなど、あろうはずもない!」
「しかし、事実として王女はこちらにおられる。この事実を前にして、全ての言葉は無益ですな」
「……………………」
セツには何も信じられなくなっていた。なにがなんだか分からなくなっていた。
リノ・エン・クルデスの艦隊を倒すのに、よりによってフレアに任せろという。
セツの現実は、音を立てて崩れ去っていた。同時に、彼の生涯も、くずれ始めていた。
セツは自らの元帥杖を投げ渡すようにフレアに与えると、自らはその後を見もせずに部屋に戻った。
フレアは王宮の玄関口に出、参集した幹部たちに元帥杖を掲げて見せた。
こうして、ゆがんだ戦いが始まろうとしている。
八月十八日、まず連合艦隊は、偽総旗艦オセアニセスを中心に、五隻の中艦隊でもって、オベル島の西側に布陣した。
この報を受けたグレアム・クレイは、迷わず全軍をもってこれに対抗し、自分たちも島の西側に布陣しようとした。
ところがこのとき、地元の漁船が、正体不明の艦隊が島の東側に居ることをクレイに密告してきた。
この漁船はラインバッハ二世の手厚い庇護のもとで、リノ・エン・クルデス統治時代よりも業績を伸ばした家であり、オベル王家の分裂にあきれてもいた。政治的に利用された典型的な国民といえるだろう。
グレアム・クレイの読みは速かった。島の左右両方から挟撃作戦を敢行するほど連合艦隊に余裕はないはずだ。
「ならば、どちらかが「めくらまし」であり、どちらかが本物であろう。この目で確認するほかないな」
クレイは艦隊を二つに分け、自分の指揮する三割を東側に、フレアの指揮する七割を西側に向けた。つまり、最初に見つかった西側の艦隊を最初から偽物と見抜いていたのである。
クレイ自らは西側の艦隊を見て、苦笑した。
「確かに重厚な艦隊であり布陣であるが、大勢の兵士を乗せているにしては船足が軽すぎる。
こちらは偽艦隊だ。本命は島の東側にいる謎の艦隊とみた」
そうしてグレアム・クレイはエレノアの作戦を完全に看破して見せた。
こうなると、クレイの手際は凄まじい。東西に分けた艦隊のうち、自らの指揮する西側の艦隊を猛然と動かし、フレア王女の指揮する東側の艦隊とあっという間に合流すると、すぐさま「本物」の連合艦隊の前に布陣したのである。
「へえ、見抜かれたか、さすがにやるじゃないか。こうなりゃ艦隊戦だね」
オセアニセスに乗艦したエレノアが、さも当然とばかりに言ってみせる。自分の弟子なのだから、これくらいは当然読んでくるだろう。
問題は、これからの布陣である。
リノ・エン・クルデスは、エレノアの案を要れて連合海軍の左陣のラズリル艦隊と、右陣のクールーク艦隊を大きく左右に展開し、隙あらば新オベル艦隊を包囲するように艦隊を動かす。
これに対し、フレア王女はクレイの意見を入れて、やはり艦隊を左右に展開すると、連合艦隊をいつでも包囲できるように準備しておく。
「双首龍陣」と呼ばれる包囲陣であり、どちらかがどちらかを包囲した時点でほぼ勝負は決着する。
この時代の艦主砲の有効射程距離は二〇〇〇メートルであり、これ以上離れると命中させるのは困難といわれた。それゆえに、リノ・エン・クルデスの旗艦オセアニセスと、フレア王女の旗艦インベルは自然、それくらいの距離で対峙することになった。
「まず、左右に展開する敵のどちらかに食いつく。慌てなくても構わない。
静粛に、正確な砲撃を心がけよ」
フレアは艦橋から右腕を振り下ろすと、左右に大きく突出した自艦隊のうち、左側の艦隊に砲撃命令を出した。いっせいに艦隊から煙が上がり、主砲が発射され、敵右手のクールーク艦隊に少なからずダメージを与えた。
フレアがリノ・エン・クルデスの先手をとることに成功したわけだが、フレアがここで異常なセンスを発揮した。
後にフレアの特徴ともなる一点突破・集中砲火戦法を、初めて世に示したのである。
しかも、極めて正確であった。この一斉射撃の前に、クールーク艦隊は一時期艦列を乱し、バスクとオルネラとの間に空隙が生まれた。
「その空隙を狙え。敵に復活の猶予を与えるな」
フレアの正確無比な集中砲火に、バスクは一瞬なりとも海の藻屑と消えかけたが、これは命がけで飛び込んだオルネラによって救われだが、少なくとも再編がすむまでの時間は、後ろに下がらざるを得まい。
「やってくれるじゃあないか、フレア! だが、一点集中砲火がお前だけの特技だと思うなよ」
リノ・エン・クルデスはオセアニセスの艦橋から大急ぎで指令を出す。その指令に応じて、艦隊が動くのだ。
連合艦隊の特徴は、その柔軟性にある。ターニャによる厳しい訓練のお蔭で、艦隊がリノ・エン・クルデスの手足のように動いた。
右手のラズリル艦隊に突撃指令を出したのである。一撃離脱に徹すること、本体との距離を極端に離さないこと、これら十以上の確認事項を正確に守りながら、ラズリル艦隊の一点集中砲火が始まった。
フレアほどの正確さはなかったものの、数では敵左手部隊を大きく上回る部隊である。圧倒する火力は、フレアの左手部隊を大きく傷つけ、こちらも後退を余儀なくされた。
「エレノア、そろそろ西の艦隊を動かすぞ。例の「矢」も用意しろ!」
「了解したよ」
エレノアがニヤリと笑うと、艦橋を後にした。
そうして、西の偽オセアニセス艦隊が動き出す。
(初:16.10.04)
(改:16.10.18)
(改:16.10.24)