クォ・ヴァディス 125

21-5

 七月二十六日、マクスウェルとアカギで散々遊んだケイトは、予定を早めてオベル王国へ帰ってきた。
 ラズリルに足を伸ばしてもよかったが、さすがに自分がラインバッハ二世と手を組んだことを知っている者の存在を恐れたのだ。マクスウェルが知っていたということは、その同盟者である連合艦隊の関係者が知っている可能性もある。
 なんにしてもラズリルは連合海軍の本拠地ということもある。様々な政治的な思惑が渦巻いているだろう。

 商船から港を見たとき、さすがのケイトもおどろいた。
 第三次オベル沖海戦で、連合海軍によって破解された港は、一週間後にはすでに巨岩は取り除かれ、あとは桟橋を張り替えるだけとなっていたのである。
 これはもちろん技術者マニュの活躍によるものだった。彼は「横に動くえれべーたー」を二日で設置し終えると、あとは巨岩の破壊を土の紋章術士たちにゆだね、自分たちはひたすら岩を排出することに徹したのである。
 こうして遺跡の発掘と同時に軍民総動員で行われたオベル港の復興は、二週間も待たずして完成しそうであった。
 このあたりの読みがリノ・エン・クルデスを上回っていたかそうでないか、彼と歴史は沈黙している。

 もちろん、ラインバッハ二世に側は急ぐ必要があったのである。
 エックス商会の船を入れるのに、そしてこの一週間後にはやってくるファレナ貴族連合軍の入港を歓迎するのに、港は絶対に必要だった。
 そして完成を一週間以内に控えたオベル港から入港したケイトは、マキシンが訪ねてきたのとは別の宿に別名義で部屋を借りると、そのままクレイのオフィスに足を向けた。

 クレイのオフィスは、港再建の喧騒から取り除かれたように静かである。ここだけ別の空間に存在するかのようだった。
 軍の再建のために仕事は多いが、散文的な仕事ばかりで、少し飽きもしていたのだろう、クレイは書類から眼を離して腕を伸ばした。
 彼は決して血沸き肉踊るような悪鬼羅刹の血祭りをその手で直接的に演出しようと思っていたわけではないが、時にクールに徹底できないときもあるらしい。
 自分で船を駆って直接指揮ができれば、と思うこともあるのである。
 もちろん、それは軍師の仕事ではなく提督の仕事だから、口には出さない。
 彼ができるのは、適宜に提督たちに作戦を授けることであって、勝利に導くことであった。
 もちろん、彼の策を活かすか殺すか、それも提督の実力のうちであったけれど。

 そのクレイは、珍しくテーブル上に地図と模型の船を広げ、あれこれと動かしている。船を少し動かしては考え込み、考え込んでは水を飲んだ。
 これがカナカンの酒であったなら、彼の師に状況をなぞらえる人物も出てくるかもしれない。
 前回、艦隊戦が大敗に終わったのは、こちらの攻撃を封じた挙句に港まで盛大に破壊したリノ・エン・クルデスの強引な攻めにやられたからである。こちらは、そこまで強引に破壊に徹し切れなかった。
 無論、この強引すぎる攻撃と彼の守るべき港を破壊した彼の戦術は、批難の対象としてラインバッハ二世もグレアム・クレイも最大限利用した。
 彼がどのような作戦を行ったか詳細なデータをつけて、諸国にその卑怯さを説いた。もっとも、外国の反応は薄くなりつつある最近では、この手がいつまでも有効に働くか分からないが。
 この外国、特にクールーク、赤月方面の手ごたえが著しく弱くなっていることを、クレイは実感として感じていた。
 それはどうしてか? 考えるまでもない、エレノア・シルバーバーグが裏で動いたからであろう。群島解放戦争でも、赤月帝国が動くと情報を操作し、クールークのほぼ全将兵を南から北に移して見せた。
 そして、群島の紛争を終わらせるために、実際に赤月を動かし、赤月とクールークの新たな紛争を起こして見せたのだ。何でも使う、とはこういうことを言うのだろう。クレイトしては平伏するしかない。
 では、赤月とクールークがこの紛争に興味をなくし、ガイエン公国ら群島の諸国・海賊一家にそろってそっぽを向かれてしまった現在、すでにラインバッハ二世、グレアム・クレイに勝機はないのだろうか?
 否だ。まだ勝機はある。そのためのファレナ女王国からの援護艦隊と、真の紋章なのである。
 そして、これはラインバッハ二世にもいまだ秘密であるが、ハルモニアから「吠え猛る声の組合」のメンバーが、この数週間のうちに秘密裏にこのオベルに潜入してくることになっている。「組合」のメンバーは、ケイトと同じく諜報と暗殺のプロフェッショナルだ。彼等が表裏で動けば、連合海軍上層部もふんぞり返って入られまい。
 最初は人質も戦術のうちに入れていたが、あれだけ港を豪快に破壊してきたリノ・エン・クルデスである。人質も考慮に入れずに攻めてくる可能性が百に一つでも存在する。
 もちろん、人質もろとも相手を攻め滅ぼせば、たとえ戦闘には勝利しても、その後の国策は苦慮するに違いない。オベル王家は非人道国家の印を押され、群島諸国連合は名前だけの空洞の存在となるだろう。

 クレイは、考え続ける。
 これ以降の主戦力は、援護艦隊ではなく、ハルモニアからの「声の組合」のメンバーになろう。彼等がオベルに到達するまでの間に、まずは残存艦隊と援護艦隊で連合艦隊と一戦しておき、その出鼻をくじいておくべきではないか……。

「……レイ、おい、グレアム・クレイ!」

 自分の考え事に没頭しすぎて隙を見せるなど、そう年に何回もあるわけではないのに、どうも相性というものがあるようだ。
 クレイは、名前を呼ばれていることに気づいて、扉のほうを見る。一週間前と同じように、暗殺者ケイトがそこにいた。

「どうした、隙だらけだぞ、グレアム・クレイ。
 それでラインバッハ二世との同盟を守ることができるのか?」

「はっはっは、これは手厳しい。私も年でしてね、反射神経が鈍る場合もあるのですよ。
 戦場では不覚は取りませんから、それで相殺ということで」

 言うと、今度はケイトに客席を勧めた。もっとも、ケイトは進められる前から座るつもりだったらしく、まったく遠慮はしなかった。

「それで、今日はなに用ですかな」

「ああ、気が速いかと思ったが、例の弾丸の件がどうなったかと思ってね。
 二週間で届くのは可能なのか?」

「その点ならご安心を。二週間、つまりあと一週間で届くよう手はずを整えました。
 来週にはお目にかけることができるでしょう」

 もっとも、そのときには「声の組合」の他のメンバーも弾丸と一緒にやってくることになっていますがね……。
 思ったが口には出さず、クレイは話題を変えた。

「ところで、その仕事金としていただいた六七五万ポッチにかなり余剰が出ましてね」

「まぁそうだろうね、額が額だからね」

「そこで、その一部をお返しいたしますので、私の依頼を受けていただけませんかな」

「…………なに?」

「…………………………」

「…………………………」

「…………………………」

「……本気か?」

「はい、なにもそう何度も力を貸せとは言いません。ただ一度、あなたの腕を見せていただきたいのです」

「…………………………」

 さすがにケイトは妙な顔をした。グレアム・クレイの依頼というだけでも闇の香りしかしないというのに、この内容は……。

「いかがですかな」

「……まあいい。ただし、一度だけだ。二度はないよ」

「はい、充分です」

 怪しみの表情を崩さぬケイトに、クレイははりついた笑顔で礼をした。

21-6

 さて、グレアム・クレイと同盟を結んでいるもう一方、ラインバッハ二世のほうは、何もかもがうまくいき、先の艦隊戦で大敗したにもかかわらず、恰幅のよい腹を突き出して喜んでさえいる。
 八房の紋章の八つの眷族紋章が揃った今、最優先にすべきは遺跡の発掘であり、すでに七階部分までの発掘をほぼ終えていた。
 遺跡内におけるモンスターの襲撃がなくなり、トリスタンらによる遺跡外での妨害がなくなり、さらにマニュが設置した「横に動くえれべーたー」のお蔭で人員と土砂の両方の排出時間が驚くほど短くなった。さらに、ラインバッハ二世はここにもう一つ、最新技術を用いた。
 オレーグという技師を招いたのである。
 オレーグは細身の調子のいい男で、マニュとは正反対の性格のようだったが、彼は実に興味深い発明をしていた。
 十五センチメートル×十センチメートル×二十センチメートルくらいの大きさの箱を、彼は持参した。その縦に長い箱は、取っ手が二本着いているほかは、小さな穴が一つ開いているのみである。
 ただ、この穴の中身が世紀の発明であったのだ。
 ラインバッハ二世は話しこそ聞いていたものの、実物を見るまではどうも信じられなかった。なにせ、「過去に映ったものを再現放映する箱」と言われても、ピンと来なかったのだ。
 しかし、実際に、その穴をのぞいて見せられたのは、先に自分の艦隊がリノ・エン・クルデスら連合艦隊に叩きのめされたときの映像であった。
 まるで書物をそのまま再現したかのような臨場感に、ラインバッハ二世はさすがに顔色を変えて驚く。自分の艦隊がどのように動いたか、敵がどのように動いたか、手に取るように分かったからである。
 このような発明があれば、本人がその場にいなくても、例えば、遺跡の先遣隊が持ち帰った映像を、後に研究グループが室内で研究することも充分に可能になる。
 構造を一瞬で理解したラインバッハ二世は、映像はどの程度まで拡大できるのか、どの程度の高感度があるのか、など、手早く質問し、納得の答えを得ると、ラインバッハ二世はオレーグに大金をわたし、王宮から去らせてしまった。

 同じ技術者であるマニュからは、自分の発明で世界を変えようという気概をその弱気の中から感じ取り、それに賭けたラインバッハ二世であるが、眼鏡のオレーグは自分の新発明をいかに高く権力者に売り込むか必死で、技術者としてのプライドを感じられなかったのである。
 そのような中途半端な商人のような気概では、マニュのように短期間で偉大な発明をすることは難しかろう。ラインバッハ二世は手元においておく価値なし、との烙印をオレーグに押してしまったのである。
 当のオレーグ本人は、自分が軽べつされたことに気づいていなかった。そもそもの目的が大金であったから、本人は満足したので、何の問題も起きなかった。
 ちなみに、ラインバッハ二世がオレーグに手渡したのは、マニュとの契約金額の十分の一にも満たぬ額だった……。

 ともかく、この発明品「カメラ」を先遣隊に持たせ、遺跡地下八階の発掘の前に一度映像を取らせてくることにした。
 映像部隊はすぐに、地下七階から地下八階に通じる階段付近を撮影してきた。

「御覧のように、地下八階の土質は、あきらかに地下七階までとは異なります。
 リノ・エン・クルデスは冷静に八階を埋め立てたようで、純度の高い土を盛りながら、徹底的に固めつくして埋めたようです」

「ふむ、魔法などによる封印は為されていないのだな?」

「はい、現在のところその反応はありません。地味ですが確実に封印しようとした後があります」

「それだけ重要なものがねむっておるのだ」

 ラインバッハ二世は、数々の証言から、すでに地下八階がぶちぬきのワンフロアであるとの証言を得ていたから、躊躇はしなかった。
 地図の東の壁を指刺し言った。

「重要なものが眠っているのはここだ。ここに到達するまでは、火薬と紋章術をうまく使って素早く掘削するのだ。
 この階はワンフロアだから、ある程度は爆破しても構わん。
 期限は一週間だ。一週間以内に発掘を終えるのだ!」

「はっ!」

 担当者が敬礼して、次々と執務室を出て行く。このはきはきした空気が、ラインバッハ二世は好きだった。オレーグのような拝金主義者ののんびりした空気など、残念ながらラインバッハ二世には必要なかったのだ……。

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(初:16.10.03)