さて、アカギで散々遊んだケイトの次のターゲットは、マクスウェルである。
この日、マクスウェルは執務室で連合海軍が次にこちらにこれる時期などについて、リノ・エン・クルデスやカタリナの手紙、各種資料など、膨大な書類に囲まれていた。
右腕を負傷で吊っているので、ポーラが秘書代わりに彼の側にいる。どうも最近は護衛というよりも秘書のほうが板についてきたらしいが、ポーラ自身はそれもどうかと思っている。
ケイトが木の上からマクスウェルの部屋をのぞいてみると、今日マクスウェルの側にいるのは、ポーラ、リシリア、アグネス、ミツバ、ビッキーなどである。
ごく偶然だが、若い女性ばかりに囲まれていた。こうなれば、ケイトが「遊ばない」わけにはいかないだろう。
ケイトはわざとらしく厳しい表情をつくり、だが実際には笑いをこらえて、マクスウェルの部屋の扉を叩いた。
「はーい」
マクスウェルが書類から離れられないので、代わりにミツバが返答する。
ミツバは今日はただ朝から暇なのでここにおり、しかも決して静かにしていることができないという、マクスウェルにすればはた迷惑な客だった。
それでも追い返さないのは、罰の紋章と夜の紋章の関係を少しでも良くしようと考えていることと、ミツバのにぎやかさもたまには気分転換になるからであった。
これでマクスウェルの負傷がなければ、最高の剣舞の相手なのだが、マクスウェルは未だに右肩の負傷が癒えておらず、ミツバとしては欲求不満の募る日が続いている。
なにも、マクスウェル以外の剣豪が弱いといっているのではない。ただ、真の紋章を全開にして暴れて互角に戦える相手がこの世に何人いるか、ということであった。
「邪魔するよ」
なんの気兼ねもなくすっと入ってきたケイトに、マクスウェルが一瞬、ぎょっとした顔をした。
自分を「甘ちゃん」呼ばわりした闇のくのいち。マクスウェルとはなにもかも対極にいる彼岸の者。マクスウェルが畏敬する人間の一人である。
「…………………」
「どうした? ハーレムのお楽しみのところを邪魔をされて怒ったか?」
数秒、時を忘れたマクスウェルは、改めて咳を一つした。
「意外な人が堂々とやってきたから驚いただけだ。いまラインバッハ二世のところにいるんじゃないのか」
「だったら、こんなに優しく近づいてくるもんか。それとも、襲撃がお好みか?」
「よしてくれ」
先日の襲撃だって、誰にも気づかれることなく、紋章を一つ奪取していくという手際の鮮やかさだったのだ。
本気で襲撃されたら、なにをされるか分かったものではない。
「それで、御用は?」
マクスウェルにとっては、一秒でも早くご退散願いたいので、ことを急ぎたい。話もそっけない。
ところが、ケイトは来客用のソファに腰を下ろし、退散する様子もない。
「私は以前、マクスウェルに依頼されたあるものを持ってきただけだが」
「依頼……?」
それまで、ケイトを剣呑な目で見ていたポーラが、今度はマクスウェルとケイトとを同じような目で見ている。
慌ててマクスウェルが否定した。
「ちょっと待て、俺は何もケイトさんに依頼なんかしちゃいない。これは何かの間違いだ」
「間違いだ、は酷いね、マクスウェル。確かに、こんなに女の子のいる前じゃ、公表できないのは分かるけどさ」
「…………………」
とたんに、ポーラの目が逆三角形になる。アグネス、ミツバやビッキーも怪しげな顔で自分たちのリーダーを見つめていた。
ただ一人、リシリアだけが「やっぱり悪い心の持ち主だったのか?」と、何かをまっているかのようにわくわくした表情をしていたが。
「だから、俺は無実だといってるだろう。いいぜ、ケイトさん、俺が依頼したってものを見せてもらおうか。
俺には全く心当たりがないけどな」
この瞬間、ケイトの勝ちは確定した。
ケイトは懐から取り出した小さな箱をテーブルにのせた。
全員が、それを見ている。表情は様々だ。ポーラはあからさまに怪しんでいる。
アグネスは、見てはいけないものを見ているようだが興味が隠しきれていない。
本当にとんでもないのはリシリアで、いつでも旋風の紋章を発動できるように用意さえしているようだ。
そしてケイトが言った。
「カナカンの安心ブランドの強精剤&催淫剤。こんなもんに三〇〇万もかけるとは、物好きだね」
「催淫剤……?」
と、ビッキーが不思議そうな顔をしたので、ケイトはわざわざ教えてやる。ちなみに、マクスウェルはすでにポーラが羽交い絞めにしている。
「要するに、男も女もエロッエロになる薬のことさ」
「…………………」
どのような反応を示すか選択に迷ったのか、数秒置いてから、ビッキーはマクスウェルにとって最悪の選択をしてくれた。大声で叫んだのである。
「ひゃ――っ! マクスウェルくんって、エロエロだったんだ――!」
「きゃあー信じられなーい、星辰剣!」
こちらは完全に悪ノリであろう、ミツバは「つい」背中の真の紋章を構えると、そのまま振り下ろしてしまったのである。
威力は最低限まで落としてあるが、それでも家一軒を破壊するには充分だった。
ケイトは慌てて崩壊する家を抜け出し、側の木の枝に飛び移る。
だが、「味方」の攻撃がこれで終わったわけではないようで、家の残骸の中からは少女の声で「輝く風!」という声が聞こえていた。
昼ごろ、ケイトは海が見渡せる小高い岡の上にいる。
さらに昇れば、登山家ならばやる気を出すであろう高山もあるにはあるが、残念ながらケイトの趣味の中には登山はない。それは他の人間に任せよう。
海にかこまれ、広大な平地があり、複数の温泉があり、森林や高山など、様々な自然の要害に囲まれているこの島は、ミレイに言わせれば「英雄の隠れ家に相応しい」ということになる。
この島は、マクスウェルが漂流中に偶然発見し、戦後リノ・エン・クルデスに与えられて居住するようになってからマクスウェルがほぼ一人で住んでいた。その気になれば彼はこの島に名前をつけることもできただろうが、マクスウェルは自分の住居周りをあまり大きな話題で満たすことを好まなかったようで、この島の名前も「無人島」のままにしている。
もっとも、現在オベリア・インティファーダのこれだけの人数のうち、この事件後にどのくらいの人間がここを去るかは未知数だ。マクスウェルを慕ってここに住むままの人間も一人や二人ではあるまい。この島もこの事件(が無事に解決するならば)の後、「無人島」と呼ばれ続けるには無理が出てくるだろう。
一時期、この島を商売の本拠地にしようとしたチープーが「チープー島」と呼ぼうとしたことがあったようだが、これはまったく定着しなかった。それどころか商売自体が軌道に乗らず、本拠をネイ島に移している。
ようやく目的の人間を捜してやってきたのは、マクスウェルである。
彼は右手の負傷のほかに、顔や左腕に新しい負傷ができたようで、絆創膏を目立たないようにそこかしこに貼っていた。その姿を見て、ケイトが笑った。
「いや、ここの女は恐ろしいね。自分のリーダーを本気で殺しに来るんだから」
「誰のせいだよ……」
マクスウェルは頬を撫でながら、一人ごちる。
「あんたが来る前は平和だったの。しかも、とんでもないもの持ってきてくれたな。
チープーから聞いたら、あれは本物の催淫剤で、本当に三〇〇万ポッチするそうじゃないか。
どれだけ
マクスウェルはむくれたが、目的が達成されたケイトは笑うしかない。
そう、群島を左右する戦さだの大作戦だの、大層な目的に関わっている自分のお気に入りを、からかってみたくてわざわざ六〇〇万ポッチもかけたのだ。
家一軒破壊されたことを思えば、目的は充分に達成されたと見ていいだろう。
「悪かったね、しばらくぶりに、アカギやあんたたちのしかめつらしくない顔を見たくなったんでね」
「アカギさんにもやったのか。アカギさんの両頬がビンタで真っ赤になっていたのはそのせいか」
「くっくっく、そりゃあ悪いことをしたね。らしくもなく、ミズキがエキサイトしたんだろうさ」
「……あとで謝っておいてやれよ」
対抗手段なし、といった体で諦め、マクスウェルは草原に座り込んだ。
静かな風が、この異色な二人組みの間をかける。
「それで?」
マクスウェルは言った。
「ん?」
「それで、なんで今ここにいるんだ?
あんたがガイエンで二人の公爵を襲って、二つの八房の眷族紋章を奪ったことは知っている。
ラインバッハ二世の指示で動いてたんだろう?」
「ほう、知っていたか」
「その程度の情報網は持っているさ。そのあんたがなんでここにいるのかわからないのが怖いんだ」
「ちょっとは「甘チャン」の域から脱したかね、好青年?」
「……何人も死に追いやった。「好青年」はよせ」
おそらく、敵へのそれよりも、その死を止められなかったトリスタンや、自らの剣で貫いてしまったジュエルへの悔恨がそうさせるのだろう。「好青年」と呼ばれたマクスウェルは、露骨に嫌そうな顔をした。
「それで、どうしてあんたがここにいる? ラインバッハ二世との契約は切れたと言っていたな」
やや話が前後したが、マクスウェルは話を本題に戻そうとした。
「私の目的は、話した通りさ。悪戯以外の用は特にないよ」
「わかった、じゃあ言い方を変えよう。ラインバッハ二世は何をするつもりなんだ?
何をするつもりで紋章を八つも奪い、フレアさんやリキエさんを誘拐した?」
「おっと、私は相手が「元」でも契約相手のことはただじゃしゃべらないよ。信頼も仕事のうちでね」
ふう、とマクスウェルはため息をつく。
この女性は、確かにプロフェッショナルだ。ただ、妙な瞬間にプライベートとプロフェッショナルを切り替えてくる。妙にやりにくい。
「ただでは、ということは、これ次第、ということか?」
マクスウェルは胸元からコインを取り出した。過去、どこかの王朝が作ったものの、全く世に流通しなかった一〇〇万ポッチ硬貨である。現在は、額面を越えて一三〇万ポッチの価値はあるだろう。
「それプラス、私の気分次第、ということさ」
マクスウェルは難しい顔をして手元でコインをまさぐっている。
マクスウェルの資金源は、ラインバッハが投資してくれた貴重な「ラインバッハ資金」と、それをチープーとの商売に投資して増やしたものだ。
オベリア・インティファーダの一派の数に比較すれば潤沢な資金があるが、それも無駄にできるものではない。
こういった「情報料」のたぐいは、必要だとは思えても、表に出せぬ金のような気がして、まだマクスウェル自身がたっぷりと使うには、あまりいい気はしなかった。
「まあいい、話してもらおう」
マクスウェルはこの場は割り切って、一〇〇万ポッチコインを弾く。ケイトがそれを勢いよく顔の前でキャッチした。
ケイトは「ラインバッハ二世に比べたら桁が一つ足りないな」と思いながらも、この「甘チャン」が出せるだけの精一杯を出したのだろうと思うと、苦笑いに近い表情でマクスウェルの隣に座った。
「ラインバッハ二世は、【八房の紋章】と表裏一体の関係にある【罰の紋章】に近い女を何人か集めたようだ。それで、リタ、リキエ、ジュエル、フレア、という組み合わせだったのだろう。
そして、【八房】の眷族紋章をその女たちの体内で【熟成】させて、より【鋭敏】にすることで、自らのうちに取り込んだときにその効果を倍増させることを狙っていたらしい」
「待ってくれ!」
マクスウェルが慌てて立ち上がった。
「囚われている者の中にリタがいるのか? なぜだ?」
「そんなことは、私は知らないよ」
呆れたような、困ったような表情をしながら、ケイトが言う。
「それともう一つ、これは私は意味がよく分からないが、【もうすぐ地下七階の発掘は終わる】そうだよ。ゆっくりしている時間はなさそうだね、マクスウェル」
言うと、今度はケイトが立ち上がると、マクスウェルの胸を右拳でとんと叩いた。
そして。
「あんたの活躍、楽しみにしてるよ。せめてアカギとミズキを頼む」
そう言い残して、ケイトの影はマクスウェルの目前から消えた―――。
まるで狐につつままれたような気分で、マクスウェルは立ち尽くしていた。
ケイトとの話を終えると、マクスウェルは自室に戻った。
ミツバやリシリアによって破壊されてしまった執務室ではなく、寝室のほうである。
そこで、心配そうな表情をするポーラにいったん部屋に戻ってもらい、自分は一人で考え事をすることにした。
ケイトの話から見えてくるもの、【罰の紋章】の現状から見えてくるもの、様々なことがあったからである。
(初:16.10.01)
(改:16.10.03)