クォ・ヴァディス 121

20-11

「本当にすまない!」

 そういって、クロデキルドはジーンとマクスウェルに対して頭を下げた。七月十七日午前八時である。
 昨夜の敵の襲撃において、クロデキルドは見事に敵の手にはまって眠り込んでしまい、その隙に目の前にあった「八房」の眷族紋章を奪われたのだ。
 平身低頭にもなろうというものだ。
 だが、アカギがこれをフォローする。

「あの場所に残っていた香りは「蛇昏香」という特殊な「香」だ。
 なんの防備もなくあれにあてられたら、こけゴリラだって眠ってしまう。
 それだけ強力な眠り薬なんだ」

「つまり、それだけ誰が相手でも困難な状況だったということだ。  クロデキルドが気にすることはない」

 マクスウェルはこの黒衣の女傑を責めなかった。
 実際に、あの時、周囲にいた人間は、「蛇昏香」とやらの香りで眠らされていたのだ。
 ジーンの隣に住むシメオンもやビッキー、幼ビッキーも、近くに住むイザクやタルも、である。
 誰が相手でも防げなかったのだ。

「それで、アカギさんが正体が分かるってことは、浸入してきたのは?」

「間違いない、ケイト姉さんだろうな……」

 ケイト、この名前にマクスウェルは戦慄する。
 自分のことを「甘ちゃん」と呼び、罰の紋章の恫喝に一切屈するどころか、逆にその力を思い知りながら求めてきたくのいちだ。
 この世に「バケモノ」と呼べる人間がいるとすると、そのうちの一人には入るだろう。
 ガイエンからのアンリの情報で、ガイエンでケイトが八房の眷族紋章を二つ奪ったことをマクスウェルは知っている。そして、この無人島で一つ。見事な手際だ。
 今回は、完敗だ。
 マクスウェルは両腕を広げて肩をすくめた。

 そして、彼の視線は、彼の部屋の壁際にたたずむ一人の戦士にむけられた。
 昨夜、ケイトを追い返すのに成功した戦士である。
 相変わらず、顔を何重にも布で覆っており、その正体は分からない。
 この部屋には、現在クロデキルド、アカギ、イザク、タル、ポーラ、ジーン、ビッキー、そしてヘルムートの姿がある。
 マクスウェルがしつこいくらいに席を勧めたが、その男は警戒しているのか、座ろうとはしなかった。

「あんたと会うのは俺は二度目だな。オベルではフレア王女を救っていただいて感謝している」

 マクスウェルが頭を下げた。男は無視しているが、アカギはすでにその正体を看破しているようで、余裕を持っていった。

「あの時、ナ・ナルの神木で言ったよな。俺はあんたの正体を知っている。
 ここでは、そんなに頑丈に顔を隠さなくていいぜ」

 マクスウェルが頷く。マクスウェルはその正体を知らないが、それが誰であろうとも、こうして姿を隠さねばならない理由があるのだろう。

「ここの人間は、あんたが誰であろうと、決して売りはしない」

 それを聞いてから、全員注視の中、男が顔の布に手をかけた。ぐるぐると何枚もそれをとっていき……。
 男は、三十台の前半に見える。やや長めに伸びた髪を切りもせず、だが端整に整った顔は歴戦の風格を備えていた。
 アカギ以外の全員が、その正体に驚愕した。特に大きな反応を示したのは、元クールーク第二艦隊分艦隊司令官ヘルムートである。

「生きて、生きておられたのですね……」

 マクスウェルも、数秒呆然としてからようやく声を絞り出した。

「生きていたのか、トロイ提督……」

 トロイ。その名は、元ガイエン海上騎士団員にとっては、悪鬼そのものをあらわすのと同じ言葉であった。
 十代の頃にはすでにクールーク皇国で海軍将校にあり、二十歳の頃には、数にして四倍のガイエン騎士団を全滅させたこともある。
 元ガイエン騎士団長のグレン・コットはこの男を悪夢のように恐れ、それがガイエンのクールーク恐怖症に結びついていたといっても良い。
 以降、「海神の申し子」と呼ばれ畏敬されたトロイは、群島解放戦争でマクスウェルとエレノア・シルバーバーグに敗れるまで、不敗の提督としてクールークに群島に知られたのである。
 そして、群島解放戦争で戦死したと思われていたのだが。

「久しぶりだな、ヘルムート提督。こうして再会できてなによりだ」

 やはり、かつての同僚が最も気になるのか、トロイはその端整な顔をほころばせてヘルムートに手を差し出した。
 ヘルムートは提督と呼ばれる身分だったとはいえ、分艦隊司令官でしかない。トロイなどとは身分が天地ほど違う。
 思わずその両足を音がなるほどの勢いで姿勢を正し、最上級の敬礼をした。

「そう恐縮することはない。今は私は無位無官の男だ。君のほうが提督と呼ばれる身分ではないか」

「いえ、そうは参りません。提督に失礼があっては、我が家は末代まで笑われるでしょう」

 そう言って、最敬礼しなおした。
 これに対し、タルやポーラらの元ガイエン騎士団員や、イルヤ島のイザクなど、先の群島解放戦争でクールークによって大きな被害を受けた人間は複雑な顔を隠そうとしなかった。
 その中にあって、マクスウェルが気にすることなく中立の姿勢をとっていたので、誰も暴発できなかっただけのことだった。

「お久しぶりです、トロイ提督。ご存命だったとはね、驚きです」

「誰の幸か不幸かわからんが、こうして敗北の恥をさらし続けているよ、マクスウェル提督。
 それにしても、あのエレノア・シルバーバーグもモノ好きなものだ。世を捨てた私を引っ張り出して、ラズリルのために働けというのだからな」

 その精悍な表情は、昔と全く変わらない。世を捨てたというが、彼が生きていると名を出せば、それこそ一大勢力がすぐにできるだろう。
 それほどの実力と知名度を兼ね備えた男なのである。
 だが、それで納得しない男もいる。元ガイエン騎士団のタルである。
 いくぶん挑戦的な口調で、言った。

「で、海神の申し子様は、納得してラズリルの味方をしてるのかい。
 いまさら博愛の精神で正義の味方でも気取ってるのか?」

 普段は、こんなに口の悪い男ではないが、同窓生の中でもグレンの薫等の厚い男だ。
 やはり、かつての味方を痛い目に合わせたし、群島解放戦争でも最後まで脅威の存在だった。その存在感は、良くも悪くもガイエン騎士団の心に根付いているのだ。
 ただ、トロイは落ち着き払った表情と言葉で、その挑発をいなしてみせる。

「私は正義などというものをかざすつもりはないがな。
 ただ、かつての仲間がラズリルに味方し、その存在が危険にさらされているなら、それを助けるのに、なんの仮借もいらないと思っている。
 私は一戦士にすぎぬ。私の手の届く範囲でできることをするだけだ」

「それで、エレノアからはどう言われていますか?
 我々は、エレノアがガイエンの首都オリゾンテに現われたところまではつかんでいるのですが」

 これには、ポーラやアカギか何人かが「そうなのか?」と驚いた表情をしていた。
 そういえば、以前にアグネスとの話の途中でマキシンが乱入してきたので、この話はそのまま、置き去りにされていたのだ。
 あとでみなに説明するしかない。

「私は、ただここへくるように言われただけだ。ガイエンでの仕事は終えたのでな。
 エレノアはラズリルに向かうといっていた。何をするつもりかは知らんが」

「この時期にラズリルに行くというなら、連合艦隊でクレイと対決するんじゃないのか?
 そういえば、クレイとエレノアは師弟とも聞いたが」

 クロデキルドが口を挟む。彼女はガイエンとクールークの確執に間全く興味も関係もなく、ただトロイの存在に興味を持っていた。
 マクスウェルやミツバあたりよりも、ひょっとすると剣術家として優れているのではないかと思ったのだ。

「トロイ提督といったか、私はクロデキルドだ。
 私は世の事情には疎いが、あなたの剣技に興味がある。
 どうだろうな、マクスウェル、私の我侭で彼をここに置いてやってはくれないか。
 彼と是非、剣をあわせてみたい」

「それは一行に構わない。というよりも、トロイ提督が居てくれればそれこそ百人力だ。
 どうだろうな、トロイ提督?」

「言ったはずだ、私は言われてここへ来た、と。
 こちらに腰を落ち着けられなければ、逆にどこへ行けばいいのか知らない」

 トロイが呆れ気味に言った。つい、ヘルムートとクロデキルドが笑顔で握手を交わす。
 タルはまだ難しい顔をしていたが、マクスウェルが認めたのならば、認めるしかない。
 かつての敵としてトロイの力量を認めているのは確かである。
 こうして「海神の申し子」は、オベリア・インティファーダの一員として、再び世にその姿を現すことになった。

20-12

 トロイは自らの存在を積極的にアピールしなかったが、それでも夕方になると、何人かのクールーク出身者がすでにその存在に気づき、恐る恐る訪ねてきた。そしてトロイ本人だと知ると、喜びを爆発させる者、嬉し泣きをする者など様々な反応が返ってきた。
 トロイはいちいち真顔で、それらをたしなめ、帰らせる。夜までに二十人を超える数の人間が彼を訪ねていた。

「いや、大した人気だな、トロイ提督」

 なぜか部屋に入り込んで一緒に酒を飲んでいたクロデキルドが、からかうように言う。

「提督というのはやめろ。私はもう、軍艦を指揮するつもりはない。
 一人の一般人に依頼された一人の戦士にすぎぬ」

 真顔で怒られても、クロデキルドはなぜか自分のことのように喜んでいる。
 さて、酒の飲みすぎで翌日に支障が出るのは避けたいので、酒量もそこそこにクロデキルドは部屋を後にすることにした。

「まっすぐだね。あなたみたいな男は、嫌いではない。
 では明日、剣を合わせるのを楽しみにしている」

「からかうな。何も出てきはしない」

「最初から一貫して褒めている。からかっているつもりはない」

 それでも、少し悪戯っぽくニヤリと笑って、クロデキルドは出て行った。

20-13

 七月十七日、午前九時、オベル王国。
 込み入った市街地を避け、マキシンのドラゴンは王宮に近い森の一角に着地した。
 ケイトは途中からなんとかドラゴンの脚によじのぼり、そこにつかまったまま半日、高速で飛んできたのである。
 体力もそろそろ限界だった。

「いや、助かったよ。便利だか恐ろしいんだかわからないけどね」

 ケイトは森の奥に隠していた荷物を確認する。当然、銃のバッグもそこにあった。
 何もなくなっていないことを確認すると、ケイトはバッグを肩から提げ、そのジッパーに指をかけた。
 マキシンはしゃがみこんだドラゴンスケルトンの背中を少しなで、そしてケイトのほうを向いた。

「少しは金塊分の……」

 パァン、と破裂音がした。マキシンはなにが起こったかわからず、自分のわき腹に手を当てる。
 強烈な傷みが、直後に来た。大量の血液が、わき腹から脚を伝って大地に去っていく。
 自分は何かで撃たれたらしい。それだけを、マキシンは理解した。

「貴様、ケイト……」

 苦虫を何万引きも噛み潰した表情で、マキシンはケイトをにらみ付ける。
 だが、ケイトは無表情のまま、マキシンの見たことのない筒を掲げている。
 パァン。もう一発炸裂音が響き、マキシンの左胸を貫いた。

「悪いね、マキシン。仕事の依頼は【最後の眷族紋章の入手】でね。
 つまり、あんたが持っていてラインバッハ二世が持っていない紋章も含まれるのさ。
 素直に言っても返してくれそうにないからね、悪いが死んでくれ」

 さすがに立つ力を失ったマキシンが倒れこむと、その顔を強引に持ち上げ、ケイトはその額に手を当てた。

「―――――――」

 なにごとかをつぶやくと、真っ青になったマキシンの額から白く光る物体を取り出した。
 マキシンがトラヴィスから奪った「六鬼の紋章」である。
 ケイトはそれをランタンにしまいこむと、ちらりとマキシンを見下ろす。
 その顔はすでに命が抜け出しているようで、蒼を通り越して唇まで真っ白になっていた。
 紋章の制御を失った結果、マキシンのドラゴンスケルトンが、叫び声をあげてどこかへ去っていく。

「おうおう、使い魔に逃げられる主人の気分てのは、どうなんだろうね」

 しんみりといいながら、ケイトはそのままその場を後にした。





「い、癒しの……風……」

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(初:16.09.28)