「暗号の謎」を解いたマクスウェルは、とりいそぎそれを手紙にしたため、ミズキに持たせてラズリルへ送った。
この手紙の中で、マクスウェルは再度の攻撃の必要性を説き、早いうちに作戦を発動すべきだと説いた。
もちろんマクスウェルは、艦隊というものが簡単に出撃できるようなものではないことは知悉している。だからこそ、あえて「はやいうち」と日時を明言しなかった。
連合艦隊の再出撃までは、最低でも十日はかかるだろう。オベリア・インティファーダ単独で挑んでも構わないが、そうなると敵艦隊とグレアム・クレイ、ラインバッハ二世と少なくとも短期間に三連戦となる可能性が高い。
確かに人は集まったが、それだけの被害に耐えられるか、という自信はマクスウェルにはない。
「さらに人が要ります。それも有能な人が、です」
アグネスが普段から口をすっぱくして言っていることだが、このときはさらに激しく言った。
マクスウェルも耳が痛くなるほど聞いているので、あえて聞かない振りをしてもよかったが、このときは素直に話を聞いた。
そこで、真っ先にスカウトしたのが、キカが先日オベルに浸入した際に戦った格闘家、カールである。
この偉丈夫は、最初は「私はあなたたちに拳を向けたのですぞ」と、頑として死さえ望んだが、「その覚悟を二人の悪を滅ぼすのに助力してほしい」と怪我のマクスウェルから頼まれると、この正義漢はYESというしかなかった。
また、ヘルムートからの急報を受けて、その地元からヘルムートの父親で、旧クールーク第二艦隊を率いた勇将コルトンが急遽、参戦することも決まった。
だが、ミズキがラズリルにむかったものの、これが早すぎた。
艦隊が帰港するのは二日後の晩だというので、ミズキはそのまま帰ってきたのである。
「こればかりは仕方ない。落ち着いて帰るまで待とう」
……などと言ったマクスウェルが、もっともせわしなく部屋の中をうろうろしていた、という事実は、キャリーやポーラなど、同時代人の多くが目撃談として記録している。
このとき、アグネスが思い切ったことを言った。
「どうせ、前回の海戦の直前には、連合艦隊がこの島の付近にいたことは察知されていたと思います。
なら、この際に正式に独立を宣言しちゃいましょう。
そのほうが人を集めやすくなりますし、なによりいちいち連合艦隊の影に隠れながら活動しなくてもよくなります」
マクスウェルは流石に迷った。
アカギやミズキではないが、知られていないからこそできる活動というのもある。
すべてを公にする必要はないが、どこまで公にすべきだろうか、という問題もある。
それを問うと、アグネスは明快に答えた。
「ならば、マクスウェル様がリーダーであること、ジャンゴ一家とキカ一家が仲間になっていることくらいは公開して構わないでしょう。
独立宣言は、とりあえず内々に、ラズリル、ガイエン、ナ・ナル、ネイ、イルヤ、ミドルポート、そしてチープー商会に対して行います。
そして、連合艦隊と合同で「オベルを取り戻す」と宣言書を出すんです」
アグネスの説は、とりあえず政治的な体裁を最低限、整えようという案である。
マクスウェルはその案を取り上げたが、反対がなかったわけではない。
もっとも頑強に反対したのは、ジーン、シメオン、幼ビッキーら紋章術士だった。
「この島には、本来なら世に出てはならぬ【真の紋章】が二つもあるのだぞ。それを自ら公開してどうする?
オベル王がそなたにこの島を与えたのも、本来は【罰の紋章】が政治的に利用される可能性を恐れたためでないのか?」
シメオンの言うことももっともであった。さらにジーンが加える。
「付け加えて言わせて頂くと、あなたと【罰の紋章】との共存関係は限界に来ているのよ。
あなたがリーダーであることをさらせば、そのことまで自然に群島中にさらされてしまうことになるわ。
私はそんなことを看過も賛成もできない」
こう言われてしまうと、【罰の紋章】以外にも負傷のあるマクスウェルは途端に弱気になってしまった。
そこで、マクスウェルは折衷案を採用した。
ナ・ナル、ネイ、イルヤの三島において、「無人島にこういう組織があるよ」ということを噂として教えておくことにしたのだ。
とはいえ、ナ・ナルの二人のリーダー、アクセルとセルマはとっくに知っているし、イルヤの代表であるイザクはここにいるので、改めてうわさとして流すのもおかしな話であったが……。
とりあえず仕事がなくなったミズキが、この噂を二日かがりで次々と三島にまいたが、これが後々意外な結果を呼ぶことになる。
そして二日後の七月十六日、改めてミズキはマクスウェルの親書を携えてラズリルへと「飛んだ」。
事件が起きたのは、まさにその晩のことである。
七月十五日、オベル王国のケイトの宿を意外な人物が訪ねてきた。
マキシンである。マキシンは宿屋のお上にケイトの特徴を伝えると、ようやく面会できた。二人は宿屋の酒場で一度落ち合うと、市街に出た。
つまりは、宿屋の酒場ではできない話をするためだ。
「しかし、あんた偽名で宿泊してるんだな」
「馬鹿か、忍びが本名で一般宿に宿泊するわけはないだろ」
そう、マキシンはケイトの名を出して、宿屋のお上から怪しまれていたのである。
「で、あんたが使ったユキカゼさんってのは、実在の人物なのかい?」
「ああ、うちの里の伝説的な忍びだよ。もう何世代も前の人だけどね」
いぶかしげな表情を崩さず、ケイトはマキシンにストレートに問うた。
「で、話ってのはなんなんだい? 私も暇じゃないんだけどね」
「そう、その暇じゃないあんたのために、私が一足翔けてやろうと思ってね」
「?」
「マクスウェルの無人島までどんなに急いでも船で約三日、往復で考えたら一週間という期限はギリギリだろ?」
「だから?」
「わからないかい? 私がドラゴンでそこまで連れてってやろうっていうんだよ。
私のドラゴンなら半日で着く。まさに一ッ飛びさ」
「ああ、そりゃありがたいが……」
あり難がっているのか、不信に思っているのか、ケイトの表情は見事に二分されている。
「おや、私がこんなことを言うのは不思議かい?」
「これが不思議じゃなけりゃ、世界史のなにが不思議だって話だね。
あんたは自分のためにしか動かないと思ってたからさ」
「まあね、私のためでもあるよ。あそこには、私がすり潰さなきゃならないヤツが何人かいるんでね。
私も情報がほしい。それに……」
「それに?」
「あの情報料、ありゃやっぱりもらいすぎさ。一回くらいはおみ足を運ばせてもらわなきゃ気がすまない」
マキシンは金の相場に詳しいわけではないが、一・四キログラムの金塊が百万ポッチや二百万ポッチではないことくらいはわかるつもりだ。
紋章術の基本的なことをレクチャーしただけであれではもらいすぎだと、さすがのマキシンも思ったのである。
「はぁ、正直なところ、かなりありがたいお話ではあるが、私の仕事は強奪であって、強盗殺人ではないからね。おおごとにするつもりはないよ?」
「それはそれで構わないよ。私は勝手に上から見ているから、仕事が終わったら何らかの方法で教えてくれりゃいい」
「わかった、じゃあ、島のすぐ南の海域まで連れて行ってもらおうか。そこから泳いで上陸する」
「ほう、あんた仕事用の道具を持って泳げるのかい」
「……泳ぎや体術は、仕事の基本中の基本だろ」
「はは、私は自分でも空を飛べるんでね、泳いだ経験がないんだ。
腰まで使ったことはあるがね」
本当にまかせて大丈夫か、とケイトは不審に思ったが、それでもこれほどありがたいはなしもないので、二人の「契約」は成立した。
決行は七月十六日晩。出発はその昼である。
そうしてミズキのいない七月十六日の晩、正確には七月十七日午前一時三十分。ケイトはまんまと無人島への潜入に成功した。
泳いでずぶ濡れになった服を一度全て絞り、黒を貴重とした衣装に着替えると、しっかりと防水対策をほどこしたランタンのようなものをとりだした。
これはハルモニアが開発した紋章用のランタンではなく、ケイトの里に伝わる眠りの香である。市販できない類の薬物だけあって、効果は抜群で、少なくとも自分が仕事中に自分の近くで人が起きることはあるまい。
だが、まずは有力な紋章術士の住居を割り出さねばならないので、その香はいつでも使えるようにしておくだけだ。
そうして、さも怪しくないかのように住居街を歩いて、ケイトは呆然とした。
(こりゃまた、マクスウェルも小じゃれた趣味に走ったね……)
ネイ島にちなんだ猫型の多くの建築物に呆れながら、ケイトは早速「カモ」を探した。
自分のことを知らない夜警のメンバーを探すのだ。
連合艦隊や新オベル海軍に比べれば数は少ないが、オベリア・インティファーダはすでに「一大勢力」である。必ず自分を知らない名もなき勇者がいるだろう。
そして、それは案外簡単に見つかった。
「すまないが、ジーンさんやシメオンさんの家はどっちだったかな。ちょっと紋章の様子がおかしいので見てもらいたいんだ」
この戦士は、素直な青年であるらしく、すぐに二人の家を教えてくれた。
(ふふ、マクスウェルの部下らしい実直さじゃないか)
そこに好意を覚えたのか、ケイトはこの男を殺さなかった。
(ゆっくりお休み……)
男の背後から近づくと、ゆっくりとさきほどの「香」を嗅がせたのである。
男はまるで魔法にでもかかったように、がっくりと腰を落とすと、その場で寝息を立て始めた。
(さて、それじゃあ本番といこうか)
自分が眠ってしまわないようにきちんとマスクをすると、ケイトは「眠りの香」を強烈に焚きながら、最初に本命であるジーンの部屋へと向かう。
まだ大人が眠るには早い時間だが、この「香」は魔法の産物ではないので、魔力の高さは関係ない。如何にジーンやシメオンが優れた魔術師であっても、この眠りの誘いから逃げることは不可能だろう。
部屋には灯がついている。誰か起きているのだろうか。ケイトは部屋の窓の鍵をはずし、窓を少しだけ開いて、そこから「眠りの香」を充分に部屋の中にいきわたらせた。
(よし、もういいだろう)
ケイトはマスクをしたまま、堂々と部屋の扉を開けて入る。どうやらジーンは不在のようだが、ケイトの知らぬ黒衣の女性戦士が、剣を抱えるように眠っていた。
そして、その女性、クロデキルドの目の前のテーブルに、紋章球が一つ、大事そうに箱に収められていた。
ケイトとしては、いっそ手でも叩いて悦びたかった。
(ビンゴ!!)
脳内で喜びを百万回ほど爆発させた後、ケイトは慎重に紋章球を手にし、それを例のランタンに放り込んだ。
これであとは上空のマキシンに知らせれば一件落着だ。誰も傷つかない。誰も死なない。
だが、現実はそうは甘くなかった。ケイトがジーンの部屋から出て、ドアを閉めるために背を向けたとたん、背後から「香」を焚いていたランタンが割られたのである。
「誰だ!」
そこには、長身の男が立っていた。冒険者風の衣装に身を包み、顔を布で厳重に覆っている。そこからは、顔の形を想像するのが難しい。
(なるほど、しっかり対策しているヤツもいるってことだな)
ケイトは知らなかった。この男がエレノア・シルバーバーグの依頼でマクスウェルとかつての仲間を助けるために、群島中を駆けずり回っていたということを。
そして、かつての味方であり、敵であったということを。
ケイトと男の距離は約一メートル。だが、マキシンに語ったように、ケイトの仕事は今回は紋章の奪取であり、殺人ではない。
しかも、この男はかなり強力な戦士と見た。そんな強敵と、仲良く時間を潰している暇はない。
ランタンを破壊されたことで両手が開いたケイトは、右腕でくないを目の前の戦士に投げつけるのと同時に、左腕で上空に閃光弾を放った。あとはマキシンがきてくれるまで時間を稼がなければならない。
男はケイトの投げ暗器をことごとく剣ではじいて見せたが、だが至近距離での戦闘を嫌がったのか、一度距離をとる。ケイトはそれを逃がさずくないで追い討ちするが、そのくないは男の身体の直前で「なにか」に弾き返された。
(……なるほど、魔法か何かを使ってるね)
ケイトは瞬時に看破し、飛び道具を控えた。こうなれば、投げるだけ無駄だ。
そして、男が次に間合いに入ろうとしたとき、ごうと風が吹いた。何事かと思うと、巨大なドラゴンの骨が自分たちの直上を飛んでいたのである。
ドラゴンの翼が一閃し、男の身体を巻き上げてさらに距離を離す。ケイトはここぞとなかりに投げ紐をドラゴンに投げつけ、その脚にくくりつけた。
「遅いよ、マキシン! あと数秒で
「無茶を言うな、高高度から一瞬で来てやったんだから、ありがたく思いなよ!」
「はいはい、じゃあ任務完了だ、帰るよ!」
こうして、ケイトをぶら下げたドラゴンスケルトンは、わずかに鳴声を上げ、飛び去った。
これで八つの眷族紋章が、すべてラインバッハ二世に手元に集まることになった。
男はゆっくりと構えを解くと、その様をいつまでも見上げていた。
(初:16.09.27)