クォ・ヴァディス 119

20-5

 その晩、ケイトからランタンを受け取り、最後の仕事を依頼したラインバッハ二世は、地下の洞窟にいた。キカたちか浸入し、扉の開放を諦めた洞窟である。
 キカたちが倒した巨大なモンスター「ヒルダちゃん」の死体はすでに片付けられ、洞窟は以前の湿気と静かさを保っている。
 静かさを保っているということは、ほかに誰も来ていない、ということだ。彼と、彼に傅く部下以外。

 ラインバッハ二世は、巨漢の部下二名に、扉に頑丈に巻かれた鉄鎖を十分ほどかけて外させると、今度は自分がその前に立った。

「――――――――」

 彼の部下は、その言葉を聴いたことがない。少なくとも、群島の言葉ではないらしい。
 すると、ドアノブに添えられた彼の手が青く光った。そして、そこに貼られた封印の紙が次々と落ちていく。
 部下がそれを集めようとすると、ラインバッハ二世が言った。

「それに触らぬほうが良いぞ。私以外が触ると大怪我をする」

 そして、ラインバッハ二世一人が洞窟の部屋へと入っていく。
 そこは「泉の部屋」だ。底の浅い泉だが、何かの魔力が満ちているらしく、水は常にうっすらと青い光を放っている。
 そこに、残った三人の【姫】が吊るされていた。
 リタ、リキエ、フレアの三人が、両手を頭上で封印され、裸身のまま吊り下げられていた。
 相変わらず、両目と口を魔術の札で封印され、一目には生きているのか死んでいるのかも分からない。
 ラインバッハ二世はフレア王女の前に立つ。
 フレア王女は、最初となった前回のテストで、さっそく八房の眷族紋章を一つ奪ってくるという実績をたてていた。

「素晴らしい。やはり【罰の紋章】に近い者のほうが、【八房】の影響を受けやすいのだろうな。
 その点はジュエルも素晴らしかった。体内に仕込んだ眷族紋章の熟成は、素晴らしく早かった」

 まるで人形に聞かせるように、不気味な笑顔で、ラインバッハ二世は言う。
 ケイトやマキシンが見たら、冷笑するか見下げはてるか、そんな反応になるだろうが、彼は全く気にしないだろう。
 ぶつぶつと言い終えると、ラインバッハ二世は懐から「紋章」を二つ取り出す。
 それはケイトが持って帰ってきたものではなく、倒されたジュエルの体内に埋め込まれていたものだ。
 そして。

「…………………………」

 なにを思ったか、淡く光るその紋章球を、一つずつ、ゆっくりと飲み込んだのである。
 ごくり、ごくりと、ラインバッハ二世の喉元が大きく震える。
 それはまるで、卵を飲み込む蛇を思わせた。
 そして、ニヤリとしながら、その腹を両手で押さえた。

「……ふふふ、素晴らしい……」

 それがなにの確認なのか、知る人物は、ここにはいない。
 そして、今度はケイトから預かったランタンを取り出し、中の紋章球を手に取った。

「ふむ、これらは、まだ【練成】が必要だな。
 フレア王女にはもう二つ埋め込んでしまったから、これらは君らにあげよう」

 また人形相手の返事のない会話を楽しみながら、ラインバッハ二世は、手にした紋章球を、そっとリキエの腹にあてる。
 そして。

「――――――――」

 またしても、群島の言葉でない文言を唱えながら、紋章球をぐっとリキエの腹に押さえつける。
 すると、ずぶずぶと音を立てながら、それはリキエの腹に吸い込まれていった。
 ビクン、と、リキエの身体が震える。それは、おぞましくもエロティックな光景だった。
 相手がラインバッハ二世でさえなければ、である。
 ラインバッハ二世をもう一つの紋章球を、同じようにリタの腹に埋め込んだ。
 こちらは、リタがまだ十三歳ということもあって、背徳感に満ちた光景であった。

「よし、引揚げる」

 ラインバッハ二世は、巨大な扉を閉めさせると、自ら札を拾い上げて再び封印し、ノブを鉄の鎖で巻かせた。

「あと一週間だ。一週間以内に、全ての紋章球がそろい、遺跡の地下八階の発掘も終わる。
 私の夢が、かなうのだ……」

 部下たちにはなんのことか分からないが、とにかく、彼の野望が結実しようとしていることだけは確かだった。

20-6

 同じ晩、宿の部屋でケイトは襲撃の準備に余念がない。
 とはいえ、仕事は短時間で済ませるのが常道だから、大した準備はない。自分が死なぬだけの準備をすればいいのである。
 ただ、グレアム・クレイから預かった銃については、ケイトは迷っていた。
 確かに使いこなせれば便利であろうが、大荷物には違いない。
 一週間フルに使って、銃の使い方に慣れてから仕事に使うか、それとも今回は置いていくか。

(便利すぎる道具というのも厄介なものだな……)

 そう思って、ケイトは少し違う方向に思考した。
 自分にとって銃が便利すぎる道具というなら、自分やマキシンだって、ラインバッハ二世にとって「便利すぎる道具」に過ぎないのではないか。
 いまは金をばらまいて公平な仕事をしているが、使い終わった自分たちを、ラインバッハ二世はどうするつもりなのだろうか。
 殺すのか? いや、ラインバッハ二世の部下が何人かかろうと、自分やマキシンが倒せるはずがない。
 それはラインバッハ二世自身が知悉しているだろう。だからこそ、自分やマキシンを部下ではなく、公平な商売相手と見ているのだ。

(ヤツは、いったいなにがしたいのだ……?)

 だが、そこまで考えてケイトは思考を止めた。
 忍びの思考は、任務に一直線であればいい。しかも大金のかかった任務だ。
 ケイトは両手をにぎり、人差し指だけを立てて、目を閉じて集注した。

「搭・蝶・戦・苑・式・武……」

 静かな声で、静かに呪文のような声を上げる。
 これは、ケイトの里に伝わる精神集中法である。
 他にもいくつか伝来の方法はあるが、もっとも手っ取り早いこの方法を、ケイトは好んだ。
 なにより、この方法を用い出して、一度も任務の失敗がないのだ。
 いわばジンクスのようなものでもある。

「……よし」

 十秒ほど唱えてから、ケイトはすっくと立ち上がった。
「今回」は銃を使わない。なんだかんだ言ったところで、ケイトがマクスウェルやアカギ、ミズキを気に入っていることは確かだ。
 だから、眷族の紋章を彼らが持っているならともかく、そうでない限り、暴発する危険性のある武器は今回は使わないことにした。
 では、仮に、だ。彼等自身が眷族の紋章を頑強に守っていたら?

(……そのときは、殺すのみだ)

 そこには、必殺の視線があふれていた。

20-7

 同時刻、オベリア・インティファーダも沈黙していたわけではない。
 マクスウェルのもとに、中心メンバーが全て集められている。
 問題は、キカたちが封印を解けなかったという魔術の札である。
 ジーンがその文字の形状を記憶しており、正確に紙上に再現して見せた。
 シメオン曰く、現在は失われたという魔術言語らしく、誰か読める者がいないか、というわけである。
 もちろん、シメオンやジーンが読めなかったものが、他の者が読めるはずもなく、マクスウェルも期待は薄かった。
 だが、意外な者が声を上げた。クロデキルドである。
 クロデキルドは難しい顔でジーンの再現した文字をにらみつけた。そして、一言言った。

「……なるほど、今回、私が「呼ばれた」理由はこれかもしれぬな……」

「ま、まさか……」

 思わず怪我を忘れてつんのめったマクスウェルが、肩の痛みを思い出してうめいたが、ほぼ全員の視線がクロデキルドに集中する。
 クロデキルドは目を閉じ、やや声を上げてその「呪文」を詠唱してみせる。

【Quo Vadis, Domine ? Whither Goest Thog,lord ?】

「【……主よ、主よ、どちらに行かれるのですか?】
 ……と、たしかそういう意味だったと思う。私の生地に伝わる、古い古い言葉と伝説だ」

 思わず、場がしんとした。マクスウェルが思っていたとおり、この女傑は只者ではなかったのかもしれない。
 一人冷静を保ちえたシメオンが、尋ねた。

「それで、その【主】とやらは、どう返答したのだ?
 おそらくそれが、その封印を解くキーワードであろう」

 ふたたび、全員の視線がクロデキルドに向く。
 クロデキルドは緊張しつつ言った。

「【主】はこう答えた。【To be crucified a second time.】。「もう一度刑罰を受けに行くのだ」……と」

「………………」

 皆、深刻な表情で考え込んでいる。
 その意味するところを考えている者もいれば、これで人質を解放できるとその成功を信じる者もいた。
 ただ、マクスウェルの思考は、より深刻だった。

(二度目の【罰】……。どういう意味だ……。まさか、まさか……)

 彼は、ぐっと左腕を握り締める。
 その様子に感づいたのか、ポーラがそっとその手を握り締めた。

「大丈夫です。私が、私たちがあなたを守ります。
 あなたは何も心配ぜず、私たちを導いてください。ただそれでいいのです」

 今度は、タルがその上から手を重ねた。

「その通りだ。お前は偉そうにふんぞり返ってりゃいいんだよ。
 そのために、俺たちがいるんじゃねーか」

 幼ビッキーが、いたずらっぽく笑って杖を掲げた。

「魔術師たちよ、今こそ、己の研究命題の究極に至るときである。
 真の紋章の探求こそ我らの真価にして深化させ、進化にいたる要因である。
 マクスウェルを守り、ミツバを守り、真の紋章の何たるかを己に、世界の歴史に知らしめよ!
 戦士たち、そして騎士たちよ! 私たち個人の力は小さなものだ。
 だが、小は集まって大に至り、やがて至強を打ち倒す剣となる!
 戦いの流れとは、想いの流れだ! 自らの心のうちに、強く強く武器を握れ。それが私たちの最強の武器なのだから!」

 シメオンはあえて無視したが、クロデキルドがつっかかった。

「ビッキー! 貴様、そのような他人の恥をえぐりさらすようなことをだな……」

「なんだ、恥だと思うことをそなたは大声で叫んでおったのか?」

「ぐっ……」

 クロデキルドは歯を食いしばりながら退散した。
 これは、相手をしてはいけないタイプの女だ。そう決め付けてそっぽをむいてしまった。
 だが、思わずマクスウェルが笑い出してしまい、その笑いが場の全員に伝播した。
「暗号」を解読して見せた立役者のクロデキルドとしては報われない。

「だが、この謎が解けたのはクロデキルドのお蔭だ。本当にありがとう、礼を言う」

 マクスウェルが頭を下げると、釣られて両隣のポーラとタルまで頭を下げた。
 今度は気恥ずかしそうに、クロデキルドは頭をかいた。

「とにかく、目的は決まった。俺たち再びオベル島に潜入し、人質の封印を解く!
 そして、できればグレアム・クレイとラインバッハ二世を倒すんだ。
 この二人がいる限り、同じことは必ず繰り返される。
 連合艦隊と合同し、今度こそ二人を倒す! ロウセンとジュエル、トリスタン、そしてユウ医師の仇を討つ!」

「おー!」

 まず、ミツバが元気よく声を挙げた。これを好ましく見ながら、ヘルムートとイザクが拳を突き上げる。
 やれやれ、という顔をしながら、キカとジーンが微笑みあった。
 己の中の武器を強く強く握りめる――クロデキルドの言葉を、マクスウェルはかみ締めていた。

COMMENT

(初:16.09.27)