クォ・ヴァディス 118

20-3

 クレイのオフィスをあとにしてから、ケイトはとりあえず宿を一室借りて旅の疲れを癒すことにした。
 手元にある七五〇万ポッチを使えば宿屋を一年でも二年でも貸し切れるだろうが、そんな無駄な思考にケイトは縁がない。
 そもそも、ガイエンでの仕事の前金である二五〇万ポッチですら、ほぼそのまま残っているのだ。合計一千万ポッチを所有するケイトは、この瞬間、群島でも有力な資産家に違いない。
 その二五〇万ポッチと七五〇万ポッチの二つの金塊を乱暴に服の内ポケットにしまいこみ、とりあえず腹を満たすことにした。午後から仕事の話があるらしいので、酒は控える。
 ケイトは金に対しては無頓着だったが、食には拘った。任務中は粗末な乾パンや握り飯が続くことが多い分、食えるときに豪勢に食事を取っておくことが体力を維持する秘訣だと思っている。
 もちろん、自分の運動能力と良く相談しての食事量である。肥満した忍びなど、なんの価値もない。任務に失敗して、無残に骸をさらすだけの存在となろう。

 ケイトは美食ではあったが食通ではなかったから、出されたものはなんの文句もなく食べた。そもそも、忍び飯というものが美味とは程遠いものなので、普通に何でも美味いというのが本音のところだったが。
 この日も、まだ昼だというのにその宿屋の用意できる最高級の料理をずらりと並べ、一品一品かみ締めるように、見事に完食した。その食べっぷりに宿屋のお上も感動したようで、妙な礼を言われた。

「美味かったよ。また、夜も頼むわ」

 そういうと、精神的にも胃袋的にも満足して、ケイトは王宮に向かった。
 王宮では決して精神的に健康ではない依頼が待っているに違いないからである。


「おお、良く来てくれた。待っていた」

 ラインバッハ二世は午前中に比べてやや落ち着いているようで、(ケイトから見て)正気に見える。
 あのランタンをどうしたのか興味はあったが、聞きはしない。そこまで契約の内にないからである。
 ケイトは銃を入れたバッグを肩からさげたまま、仕事の話を切り出した。

「さて、今回はなにをさせようというんだい。
 暗殺か、強奪か、それとも売春か」

 ケイトのジョークはたまに刺激が強く、人を選ぶことが多いが、ラインバッハ二世はその数少ない人種の一人らしい。
 くすりとも笑わなかったが、見事に聞き流した。

「任務を達成してくれるなら、強奪だろうが、売春だろうが好きにしてくれてかまわん。
 ただ、今回の任務はちと難しいぞ」

「ほう」

 それを自分への挑戦と受け取ったのか、ケイトは顔をしかめて契約書を見た。
 その任務の内容はこうである。

【行方不明の「八房の紋章」の最後の眷族紋章の獲得。期限は一週間。
 報酬……前金三五〇万ポッチ、達成時三五〇万ポッチ】

 紋章一つの獲得に七〇〇万ポッチだから、これも破格といえば破格すぎる報酬である。
 ただ、「行方不明」の文字が気になった。

「また紋章か。あんた、よほどの紋章フェチなのか、ほかに金の使い道がないのか」

 呆れたように言うが、ラインバッハ二世はまったく表情を変えずに返した。

「契約書の内容以外のことでしゃべるつもりはない。
 私が期待している回答は二つだけだ。「YES」か「NO」か」

「……………………」

 疲れたように一つため息をつくと、ケイトは言った。

「わかった、やるよ、やりゃあいいんだろ。
 行方不明ってんなら、宝探しみたいで興味がないわけでもない」

「よろしい、では前金の三五〇万ポッチを持ってこさせよう」

「あ、ちょっと待ってくれ」

「うむ?」

「実は、以前のガイエンの一件での一千万ポッチがそのまま残ってるんだ。
 どうせ金塊にするなら、それと今回のを二つにまとめてほしい」

「ふむ、では六七五万ポッチを二つ分用意すればよいのだな。
 二つで二・八キログラムの金塊になるが、結構なかさばりになるのではないかね?」

 さすが商人だけあって、このあたりの計算は速い。

「忍びの任務には物は少ないほうがいい。多少重くなっても、数を減らしておきたい」

「なるほど、よろしい。すぐに用意させよう」

 ケイトは懐から二五〇万ポッチと七五〇万ポッチの金塊を二つ取り出すと、ラインバッハ二世に投げ渡した。
 見るべきものが見たら失神する光景かもしれない。
 そうこうしているうちにも、ラインバッハ二世の部下がケースを持ち込んだ。
 このあたりの対応の早さも、商人としての腕の見せ所なのだろう。
 ケイトは自分でケースを開いた。約三キログラム、一般の人間が一生かかっても見ることのできない風景であろう。
 ケイトはそれを受け取ると、これも乱雑に内ポケットにしまいこんだ。

「では契約完了だ。成功を期待しているぞ」

「ま、やってみるさ。実は当てがないわけじゃない」

「ほう、それは朗報だ」

 わざとらしく感心しているラインバッハ二世を無視して、ケイトは王宮を後にした。

20-4

「なるほど、それで私のところに来たのかい」

 そう答えたのは、紋章術士のマキシンである。
 マキシンは王宮の裏庭ですっかりペットと化したドラゴンスケルトンの調教具合を見ていた。
 彼女が宿しているのも「八房」の眷族紋章のひとつだから、モンスターの使役一つにも気を使うのだ。
 実は、ケイトもマキシンとは戦友といえば戦友である。積極的に交流を持っていたわけではないが、知己ではあった。
 それに、どちらかといえば闇に属する者同士、会話が合うこともある。

「まあね。私がこれまで奪ってきた眷族紋章は、ふたつともまともに宿されたものじゃなく、外科手術で強引に埋め込まれたものだった。
 もし、最後の眷族紋章を持っている者がいて、宿している可能性の高い場所、高い人物なんかに心当たりはないかな」

「強引に外科手術って、そっちのほうがよほど珍しいと思うがねえ」

 呆れたようにマキシンが言った。普段は好戦的なマキシンにしては珍しい反応で、やはりある程度は気が合うのかもしれない。

「まあいい、手っ取り早く紋章術講座をしてやる」

「ああ、頼む」

「たいていの場合、魔力が高い場合と低い場合で、紋章を宿せる場所が異なる。
 魔力の低い場合、利き手の甲。ここが唯一、紋章の宿せる場所だ。
 そして、次に魔力の高い場合、逆手の甲にも紋章が宿せるようになる」

「ふむ」

「そして、最高レベルの魔術師になると三箇所目、つまり額に宿せるようになる。
 額は脳にもっとも近いから、それだけ強力に紋章術を発動できるのさ。
 もちろん、私も三箇所同時に紋章を宿せるわけだが」

「あ、それなら私も可能だよ。
 たぶんあんたほどの出力はないが、一応額にも宿せる」

「ほう、専門の魔術師でもないのに大した物だ」

 珍しく褒めておいて、マキシンは話を続ける。

「もっとも、紋章と使い手との間にも「相性」というのがあって、いくら魔力が高くても全能力を引き出せない場合がある。これは、魔力が高いほど、その弊害も大きい。
 私の場合、特に苦手な紋章はないが、風の紋章がもっとも使いやすい」

「ほう」

「では、八房の眷族のように、超がつく特殊な紋章はどうなるか。
 実は、これは良く分かっていない。なにせ、これまで世に出たことのない紋章だから、誰も研究したものがいないし、使用したものにしか実感が分からないのが事実だ。
 この私のようにね」

「あんたは、これまでに二つ、八房の眷族紋章を宿したんだろう?
 それぞれの反応はどうだった?」

「異なるものだった。一つは強烈な幻影を見せてきたし、一つはなんというか、常に軽い酩酊感のようなものがある。
 常に戦いに誘うような感覚、かな」

「……大丈夫なのか」

「それを克服するのが紋章術士の腕の見せどころさ」

 言って、マキシンはドラゴンスケルトンの背中を撫でる。
 生命を失っても気持ちいいのは気持ちいいのかスケルトンはおとなしく背中を丸めている。
 ケイトには、やや不気味に映るが。

「じゃあ、本題だ。最後の【八房の眷族紋章】を持っていそうな者だが……」

「ああ、それが聞きたかった」

「レベルの高い紋章術の使い手を当たるのが順当といえば順当だな。
 紋章術の研究をしていて、偶然に高レベルの紋章を発見するパターンってな、意外と多いんだ」

「高レベルの紋章術士……といえば、やはり軍や国の研究機関に属しているのかな」

「そうとも限らん。私の知る限り、在野にもレベルの高い紋章術士はけっこういるもんさ。
 とっておきの場所を教えてやろうか?」

「取って置きの場所?」

「そうだ公的機関でもないのに、高レベルの魔術師が集結している場所があるのさ。
 ジーン、シメオン……群島解放戦争に参加したお前なら知っているだろう。
 しかも、過去そこから眷族の紋章が一つ出ている。フレア王女が奪ったものだが」

 過去に自分が奪われたものだが、とはさすがに言わなかった。

「そんなところがあるのか」

「ああ、教えてやる。このオベルの北、無人島に本拠を置くマクスウェルの一派さ」

「マクスウェルか……」

 やや難しい顔をして、ケイトは口元を指で押さえた。いぶかしげに、マキシンが表情を見る。

「どうした」

「いや」

 ケイトはため息をついて両手を広げた。

「私はあの甘チャンのことをけっこう気に入っているモンでね。
 しかも、そこには私の妹分、弟分がいる。どうしたモンかと一瞬思ってね」

 呆れたようにマキシンが目を細める。

「ほう、冷徹なプロフェッショナルかと思ったら、けっこう人情家じゃないか。
 じゃあ他の場所をあたるかい? まだガイエンに転がってる可能性だってあるんだろ」

 からかうとまでは行かないが、意外な感じでマキシンは言った。

「ただ、マクスウェルの元には真の紋章が二つある。そして、強力な紋章術士が何人もいる。
 紋章は紋章を呼び合うものだ。私はマクスウェルのところが、最も可能性が高いと思うがね」

「……………………」

 数秒、ケイトは指を唇に当てたまま考え、そして目元を引き締めた。

「よし、決めた。そこで「仕事」を決行する」

 言うと、自分の懐からなにかのカタマリを出すと、マキシンに握らせた。
 マキシンが何かと思うと、それはどうやら金塊であるらしい。

「お、おい、これは……」

「情報料だよ、とっておけ、死ぬまで遊んで暮らせるぞ」

 言って、ケイトはその場から足早に姿を消した。珍しくポカンとするマキシンを残して。

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(初:16.09.26)