クォ・ヴァディス 117

20-1

 結局、七月十三日の「第三次オベル沖海戦」は、リノ・エン・クルデスら連合海軍の戦術的勝利、戦略的敗北とでもいうべき結果になった。
 リノ・エン・クルデスは連合艦隊を完璧に動かし海戦に完全勝利したものの、オベル島への上陸へは失敗し、上陸に成功したオベリア・インティファーダとキカ一家は最大の目的であった人質の救出、及びラインバッハ二世、グレアム・クレイの殺害に失敗したのである。
 とくに連合海軍を震撼させたのは、上陸メンバーの一人ポーラを倒したのがフレア王女だった、という事実である。考えられる答えはひとつしかない。なんらかの手段、恐らく八房の紋章の眷族紋章によって洗脳されていたのであろう。ジュエルのときと同じように。
 リノ・エン・クルデスとマクスウェルは、苦悶するしかない。なんとか手段を考えないと、それこそジュエルのときの二の舞になる。味方同士が再び剣をあわせなければなくなるのだ。
 しかもだ。ラインバッハ二世のもとにはもう一人、リキエが捕らえられている。最悪の場合を想起すると、マクスウェルは背筋がぞっとする。
 ジュエルを失った時点で、もうこの世に失うものなどないと思っていた。だが、まだその可能性が残っているのだ。
 極論すれば、現在ラインバッハ二世のもとで暗躍しているケイトとマキシンすら、かつての戦友である。いつまでこんな歪んだ状況が続くのか、考え始めるとマクスウェルは憂鬱な気分が収まらない。
 こんなときには剣でも振って気分転換ができればいいのだが、肩の傷がそれも許してくれなかった。

 リノ・エン・クルデスはマクスウェルとともにトリスタンの葬儀を行うと、いったん艦隊をラズリルに戻すことにした。
 無人島の港の能力は、この大艦隊がいつまでも滞留することを許さなかったのだ。
 敵勢力はほぼ打ち倒し、港も大破させたため、敵海軍がすぐに大規模な軍事行動にうつるとは思えなかった。ただ、救わなければならない人質がいる以上、いつでも出撃ができるようにつねに準備は整えておく。
 キカ一家は無人島に残留し、オベリア・インティファーダと戦い抜く。そういう約束だからである。

「では、またな」

 旗艦オセアニセスに乗艦する直前、リノ・エン・クルデスはマクスウェルと左手で握手を交わした。
 再会したときのように互いに白と黒の鎧に身を固めて、わざとらしい儀式を必要としない、ごく普通の握手だった。この二人の確執も長く続いたが、それもいったん収束したと、ターニャとアグネスは思っている。
 左手での握手になったのは無論、マクスウェルが右腕を使えないためだ。

 一方で、それぞれの後背に控えるポーラとミレイは、複雑な顔をしていた。本来なら、ここにフレアがいなければいけないはずなのだ。
 マクスウェルへの挑戦権を宣言した本人が、その相手であるポーラを襲うという事実は、ポーラにとってもミレイにとってもショックだった。

「今後、どうなるのだろう」

 その思いが強い不安となって、二人の心の中を吹き抜けていった。

20-2

 そんな中、七月十四日、一人の女性がオベル王国の地を踏んだ。
 腰からは二つのランタンのようなものを下げ、肩には長い筒型のバッグを担いでいる。
 ケイトが任務を終え、ガイエンから帰ってきたのだった。
 そのケイトは、無残に破壊されたオベル港を見て、冷ややかにため息をついた。

「オベル王も思い切ったことをやる。ここまで破壊したら、漁民から恨まれように」

 そう思いつつ、ケイトはオベル王宮に足を向ける。
 確かに、巨大な岩石に押し潰された桟橋は無残な様相を呈していたが、この港の復旧に密かに燃えている男がいた。
 技術者のマニュである。マニュはラインバッハ二世から、オベル港から岩石を除去するために、オベル遺跡と同じく「横に動くえれべーたー」を二基設置してくれ、と依頼されたのだ。
 オベル遺跡に設置した「えれべーたー」との報酬を合わせて考えると、マニュはすでに四半世紀は遊んで暮らせるほどの大金を手にしたことになる。もちろん弱気とはいえ筋金入りの技術者であるから、仕事には手を抜かない。
 彼はオベル港に「えれべーたー」を設置するための現地視察を何度も重ねていた。

 そして、そのマニュに負けないほどの報酬を約束されていたのがケイトである。もっとも、その報酬は決して人前では披露できない、暗黒の手腕がもたらすものであるけれども。
 ケイトはオベル王宮でラインバッハ二世に会った。
 ラインバッハ二世は艦隊戦で完敗し、商売の基本である港を破壊されたというのに、妙に機嫌がよかった。
 理由は聞くまでもないだろう。おそらく、自分が仕事を完遂してきたからである。
 ついでにいえば、オベル王女が「五鬼の紋章」をリノ・エン・クルデス一派から奪ってくれたことも機嫌のよさに繋がっていた。ポーラがマクスウェル一派だと知らないラインバッハ二世は、娘が父親の味方を突破して紋章を奪ったと思っているのだ。
 連合艦隊とオベリア・インティファーダは同盟関係にあるから、細かく言えば間違いではないが……。
 ケイトは腰のランタンを外し、ラインバッハ二世に渡した。

「それがお約束の「八房の紋章」の眷族紋章だ。一つのランタンに一つずつ、二つ手に入れてある。
 まさか切腹の介錯まですることになるとは思わなかったが、あんたにはそれなりに価値があるんだろう?」

 大事そうにランタンを扱いつつ、ラインバッハ二世は笑顔だった。

「もちろんだ。これは今の私にとっては命ほど価値のあるものだ。本当によくやってくれた」

 ケイトは小さくため息をついて、わざとらしく頬をかいた。

「ま、あんたがそれを使って世界征服しようと、自殺しようと、私には関係ないけどね。
 約束の報酬さえいただければそれでいい」

「おお、そうだったな、喜びで忘れていた。すまない」

 ラインバッハ二世がぱちんと指を鳴らすと、やや大きめのケースを持った部下が入ってきた。
 そしてケイトの目の前でケースを開けてみせる。黄金の輝きがケイトの目に染みた。

「七五〇万ポッチ相当の金塊、一・六キログラムを用意した。
 コインで渡すよりも軽いと思ったのだが、どちらでも用意できるが、どうするかね?」

「結構だ。サンタクロースじゃあるまいし、コインの大袋を抱えて歩くわけにもいかないだろ」

 ケイトはケースを受け取ると、無防備に脇に挟み込んだ。
 七五〇万ポッチといえば、一族が三代は遊んで暮らせる金額だが、ケイトは金額そのものにはあまり興味がないようで、ケースの扱いも杜撰といえば杜撰である。

「じゃあ、また何か仕事があったら呼んでくれ。もっとも、そのときあんたにそんな金が残っていればの話だがね」

 ケイトが皮肉っぽく言ったが、ラインバッハ二世は冗談と受け止めたようで、口の端でかすかに笑った。

「それは頼もしい。では、少し疲れを癒して、午後にまた来てくれ。依頼したい仕事がある」

 こちらも本気で仕事が来るとは思っていなかったのか、ケイトは少し口をしかめたが、ひとこと「分かった」と言って部屋を出て行った。
 ラインバッハ二世は、嬉しそうにそのランタンをいつまでも弄んでいた。


 ランタンを渡したケイトは、そのままオベル港付近にあるグレアム・クレイのオフィスを訪ねた。
 ここは第三次オベル沖海戦で奇跡的に破壊を免れ、攻撃当時にはクレイもここを離れて王宮にいたという運の良さである。
 クレイはここでいつものように書類の決裁を行っていた。先の海戦の敗北についての報告書が多い。
 先の敗戦は、意外な手段で攻めてきた敵に対応できなかったオルグレンの狭量と、まるで状況を見ずに暴走したヤンセンとの連携の失敗が原因であると結論付けられていた。
 ヤンセン提督は戦死してその咎を購ったが、オルグレン提督がどのような面で戻ってくるのか、クレイには興味がある。

(あまりいい趣味とは言えないな)

 一瞬、クレイは苦笑したが、すぐに書類の決裁に戻った。
 あの敗戦、戦術的には完全なリノ・エン・クルデスの勝利である。オルグレンは商船クルーの命を大事にして攻撃できず、ヤンセンはそれを無視して攻撃しようとして失敗した。
 ならば、自分ならばどうしたか? 自分ならば、リノ・エン・クルデスの奇策に勝利できただろうか?
 自分ならばできた、とクレイは思う。もしクレイが現場の指揮官であれば、艦隊を三分割し、二部隊を敵の後方に隠しておく。そして、常に味方商船のいない方角を選んで砲撃を加えたであろう。
 しかも実のところ、この海戦の敗北に戦略的な意味はほとんどない。というのも、近いうちにファレナ女王国の二つの貴族家、ゴドウィン家とバロウズ家から、応援の艦隊が到着することになっており、これで敗戦したオルグレンとヤンセンの残存部隊が帰ってくれば、数的にはむしろ海戦前より増えることになるのだ。
 こうなると、ヤンセンは完全な無駄死にということになる。本人としては浮かばれまいが、グレアム・クレイもラインバッハ二世も「自業自得だ」といわんばかりに冷たい目をするだろう。
 問題は、やはり港の復旧である。オベル港の破壊。これだけはリノ・エン・クルデスの思考がグレアム・クレイの裏をかいた。本来、オベルはリノ・エン・クルデスが取り戻すべき土地であり、決して土地と人を傷つけるような攻撃はしてこないだろう、と読んでいたのだ。それが、こうも見事に破壊してくるとは思わなかったのだ。
「えれべーたー」技術者のマニュが「一週間でなんとかしてみせます」と、彼にしては強気な発言をしており、彼に頑張ってもらうほかない……。

 ふと気づいて扉のほうを見ると、やや長めの黒髪をポニーテールにした女性が立っていた。ケイトである。

「すまないね、何度もノックしたけど返事がなかったから勝手に入ったよ」

 ぶっきらぼうに言うと、クレイの許可も取らずに来客用のソファに腰を下ろした。

「これはこれは、もうしわけありません。少し考え事をしていたものですから」

 そう言いながら、俊敏なクレイはすぐに場の違和感に気づいていた。
 ケイトとコンビを組んでいたはずの「あの男」がいない。
 そして、「あの男」の所有物であったはずの銃のバッグをケイトが持っている。
 考えられることは一つだった。

「なるほど、【彼】は死亡したのですね?」

 クレイがストレートに問うと、ケイトは軽く頷いた。

「ああ、こう、自分の口に銃口をつっこんでぶっ放したらしい。
 あれで死因が【他殺】だってんだから、八房の眷族紋章も悪趣味な効果があったもんだよ。
 さすがに死体は持ってこれないから、これだけは持って帰ってきたけどね」

 言うと、ケイトは銃の筒型のバッグをテーブルに置いた。

「こいつはどうするんだい、ハルモニアに返還するのかい?」

「ここでの行動方針はすべて私にゆだねられていますから、返還しようとしまいと自由ですがね。
 ただ、かなりの特殊技術ですからな、私には扱えるかどうか。
 どうです、あなたが使ってみる気はありませんか?」

 ケイトは脚を組みかえると、バッグの中から銃を取り出した。
 実際に【あの男】が発砲している場面を目にしているから、準備の仕方くらいは分かるが、自分が扱えるかどうかはやってみないとわからない。

「さて、興味はあるけど、どうしようかね。
 こんなもんが流通でもしようものなら、世界の戦いが一変するだろうね」

「そうでしょうな。特に陸上での戦いでは、歩兵も騎兵も関係なく一網打尽にされるでしょう。
 まさしく「歴史が変わる」発明です」

 しばらく照準器を覗き込みながら、ケイトは思考した。
 あのとき、マノウォック公爵ハーキュリーズを射殺したときも、キャンメルリング公爵ギネの邸宅を襲撃したときも、最低でも八百メートルは離れていた。
 完全に使いこなすことができれば、無敵の暗殺者になれるかもしれない……。
 そこまで考えて、ケイトは頭を振った。

(万能無敵の自分自身か。誇大妄想の極みだな)

 このあたりは、暗殺者ケイトと紋章術士マキシンとの考え方の差であろう。
 紋章術士は、常に自分で戦うために研究する。強力な自分になるために、強力な紋章術の研究をするのだ。
 だが、それと忍びの理論は違う。任務の成功のためならなんでも利用する。敵も味方も一族さえも。そして自分は生き残って闇の報酬を受け取るのだ。
 このあたり、ケイトとマキシンに討論でもさせてみれば面白かろうとグレアム・クレイは思っている。
 ケイトがクレイを見た。

「弾丸はすぐにでも手に入るかい?」

「【彼】が残していったものが二ケース、二十発ほど残っています。
 あとはハルモニアの「組合」に請求すれば送ってはくるでしょうが、あまりに数を請求すると怪しまれるかもしれませんな」

「そうか」

 ケイトは銃をバッグにしまいこみ、それを背負って立ち上がった。

「ちょっと興味はあったんだ。研究はしてみるよ」

 そうして、ケイトはハルモニアの銃を手に入れた。
 アメリアの予言した「最悪の暗殺者」が誕生するのかどうか、いまだ歴史は沈黙している。

COMMENT

(初:16.09.25)