クォ・ヴァディス 116

19-12

 オベリア・インティファーダとキカ一家のうち、王宮への潜入に成功したのはキカ、ジーン、シメオン、そしてミツバの四組だった。それ以外の九チームは、巨大モンスターと遭遇したり、敵兵に発見されたりして戦闘に発展し、王宮でキカたちが絶望する瞬間まで間に合わなかったのである。
 間に合わなかったのは、連合海軍も同じだった。リノ・エン・クルデスは、敵艦隊の帰港を防ぐためにオベル港を破壊し、その後、自分を含めた決死隊を募って上陸するつもりだった。この決死隊には、オルネラも志願していた。
 そして小船でもって二百人程度の人間で、岩石に押し潰されたオベル港に接岸した。
 あとは、この岩石の山を乗り越え、オベル王宮まで突入できれば一気に攻め落とすこともできただろう。
 しかし、そのときだった。先頭からやや遅れて上陸したリノ・エン・クルデスの目前で、大爆発が起こったのである。
 しかも爆発は一度ではなかった。二度、三度と、異なる場所で爆発が起こった。
 場所は狭い。しかも足場の悪い岩石の上である。ある者は逃げようとして足を滑らせ、ある者は攻撃してきた者を捜して狼狽した。
 リノ・エン・クルデスはさすがだった。驚愕はしたが狼狽はせず、爆発のもとを冷静に捜した。そしてそれをはるか上空に見出した。
 ドラゴンスケルトンが、骨だけとなった翼を広げて飛んでいた。そして、そこから火球を吐き出していたのである。当然、乗っているのはマキシンだろう。

「くそう、爆発の正体はあれか!」

 敵が空を飛んでいるのなら、打てる手段は二つしかない。弓矢による攻撃か、紋章魔法による攻撃である。
 だが、敵の高度が高すぎて、恐らく弓矢では届くまい。
 そして、名だたる魔術師は皆オベリア・インティファーダに参加している。
 だが、リノが諦めるわけにはいかなかった。彼は指導者であり、作戦のトップなのだから。

「弓矢部隊! あの上空の敵を狙え! 思い切り引き絞って狙うんだ!」

 ここはさすがに訓練された軍隊である。リノの命令が即座に届き、部隊が整然と並んで上空を狙い、いっせいに矢を放った。
 だが、さすがに敵の高度が高すぎた。矢は届くことなく、バラバラと落ちていく。
 だが、リノは諦めない。次は紋章部隊を召集した。これなら距離は関係ない。やはり二十人程度の部隊が整然と並び、いっせいに詠唱を始めた。
 宿している紋章はみなバラバラだ。マキシンが強力な紋章術の使い手とはいえ、一発でも当たれば効果はあるだろう。そして、紋章部隊の攻撃が始まった。
 次々と色の異なる一撃が上空に飛んでいく。リノは焦っていた。こんな場所でもたもたしている時間はないのだ。遅れれば遅れるほど、フレアを救出するのが遅くなってしまう。
 だが、リノの焦りは不安となり、そしてやがて絶望に変わった。
 部隊の放った二十を超える紋章術は、全て弾き飛ばされたのである。自然に外れたわけではない。人工的な力で弾き飛ばされたのだ。

「ええい、諦めるな! 次の一撃を用意!」

 慌ててリノが指令を飛ばすが、結果も同じだった。二十近い紋章術が、ことごとく弾かれる。これがマキシンの能力だというのか。
 そして、その返答は強烈だった。今までよりももっと強力な火球が、次々と吐き出され、あちこちで大爆発が起こった。こうなると、狭い場所に密集している決死隊は的と変わらない。
 リノ・エン・クルデスは迷った。ここで多数の犠牲を出しても無理やり突破するか、それとも一旦退却して機を待つか。
 そして、リノは決断した。

「撤退! これ以上は敵の的になるだけだ。迅速に撤退せよ!」

 リノの命令は光の速さで全軍に通達され、爆発の中を生き残った兵士たちが次々に小船に乗り込んだ。
 そして、生き残りたい兵士たちの強力な腕力によって、オールが全力で動かされた。
 マキシンは海上にも二〜三発火球を打ち込んだが、それ以上追い討ちをかける様子はなかった。
 どうやら、上陸した敵兵だけに目的を絞っていたらしい。

「……くそっ!」

 リノは、左掌に右拳をたたきつけた。
 確かに、海戦には完勝した。完全なる勝利と言ってもいいだろう。
 だが、本来の目的は達成できなかった。これは勝利の喜びを上回る悔しさであった。
 自分は、自分の娘すら助けられないのか。
 絶望に近い気分でリノはがっくりと肩を落とした。あとは、マクスウェルのオベリア・インティファーダに期待するしかない自分が情けなくもある。
 だが、次の瞬間、彼のわずかな希望は打ち砕かれた。オベル王宮の方角から、赤色の紋章弾が打ち上げられ空中で炸裂した。
 これは「任務失敗、撤退セヨ」という合図だった。

19-13

 任務が失敗したとて、納得しない人間もいる。その代表がトリスタンだった。
 トリスタンは途中で虎の大型モンスターと遭遇し、部下四人を失いながら辛くも勝利し、最後に王宮に到達した。
 彼は、人質救出の任務は頭にない。それは他の人物に任せればよい。時間的には、ちょうどキカたちの脱出とトリスタンの潜入が入れ違いになった。
 だが、そんなことはトリスタンには関係ない。彼の任務は唯一つ。ラインバッハ二世の殺害だった。
 トリスタンは怒っていた。怒りに身を任せてオベル王宮に正面から乗り込む。彼がこれほど興奮したのは、初めてかもしれない。
 艦隊戦が終了したことで、王宮にはちらほらと兵士の姿が見える。
 トリスタンは憎むべきミドルポートの軍装をした男たちを、片っ端から斬り伏せた。
 右からくる兵士をなぎ倒し、流れるように左から来る兵士の首に剣をつきたて、そして背後を向いて背中から切りかかろうとしていた兵士を切り倒した。
 この日のトリスタンはまさしく悪鬼だった。もともと、剣技は軍内でもトップクラスである。攻めさせても強いが、トリスタンの持ち味は相手に攻めさせての反撃の防御の技だった。
 五人、十人、十五人。トリスタンが動くだけ死体が増えた。やがて恐れをなす兵士が増え、この復讐者の邪魔をするものは徐々に減っていった。

「どこにいる! 隠れても無駄だ、ラインバッハ二世―――――ッ!!」

 歩を止め、トリスタンは何度も叫んだ。一般の兵士たちを何人殺害しても、今日の彼にはなんの感傷もない。
 ただひとり、ラインバッハ二世だけをもとめて彼は王宮内をうろつく。
 そして、恐れをなして壁際で震える兵士を捕まえ、その首をつかんで締め上げた。

「言え。ラインバッハ二世はどこにいる」

「い、言いますから殺さないで」

「言え!」

「お、王宮の庭でさきほど見かけました」

「確かだな」

「は、はい、間違いありません」

「よし」

 復讐鬼はついに目的の居場所をつかんだ。足早に彼は庭に向かって歩を進める。
 そして。その人物は確かに庭にいた。
 ラインバッハ二世が、まったく場違いな様子で薔薇を愛でていたのである。

「みつけたぞ、ラインバッハ!」

 ラインバッハ二世はわざとらしく振り向くと、これもわざとらしく微笑んで見せた。

「ほう、トリスタン君ではないか。今日は何か用かね。
 用がないなら、一緒に薔薇の観賞でもいかがかな?」

 わざとらしい言い草に、トリスタンの精神の糸がついに切れた。
 彼は剣を構えた。

「オベル民衆の仇、我が部下の仇、そして……ユウ先生の仇! 今こそ取らせてもらうぞ!」

 だが、ラインバッハ二世はあろうことか、うっすらと冷笑を浮かべた。
 今日だけで十人以上を葬った剣を持った相手に無防備。この男の考えていることは、トリスタンには全く分からない。
 ラインバッハ二世が言った。

「君の部下が死んだのは、君の指揮が悪かったからだ。それに巻き込まれたユウ医師は不運だったがね。
 気づかないのかね。君が私を恨むのは筋違いだ。君の恨みは、すべて君の無能によるのだよ。
 君の部下を気遣って死ぬべき存在は、私ではない。君だ!」

 トリスタンの白皙の顔が、怒りで真っ赤に染まる。
 これまで怒りだけでオベル王宮に乗り込んだようなものだが、今は怒りのレベルが違った。
 剣を構えなおし、腰を落とし、そして。

「おおおおおおおおおおお!!!!!」

 雄たけびを上げながら、ラインバッハ二世に斬りかかる。
 相打ちになっても構わない。自分は今日、死ぬつもりでここにいるのだから。
 ただひとり、ラインバッハ二世さえ倒せばいいのだった。
 ラインバッハ二世との距離が近づく。あと二十歩。十五歩。十歩!
 それでもラインバッハ二世は薄ら笑いを浮かべていた。
 そしていよいよトリスタンの剣がラインバッハ二世に届こうとした瞬間である。
 ラインバッハ二世がぱちんと指を鳴らした。その途端に、トリスタンの視線が斜め横にずれ、わき腹に強烈な傷みが走った。そして、真横に横転した。

「!?」

 なにが起こったかわからず、トリスタンは自分の身体を見た。
 虎だ。巨大な虎が、トリスタンのわき腹に食いついていたのである。
 そして、腹の皮を食い破り、内臓に牙を突きたてようとしていた。

「……!! ぎゃああああ!!」

 生きたまま人が食われるという地獄そのものが、ラインバッハ二世の目前で展開されている。
 トリスタンは必死で暴れ、虎の牙から逃れようとしたが、その巨体は人間の腕力では取り除けなかった。

「ぎゃあ、くっ、あああっぐあ!」

 虎の牙がつきたてられるたびに。トリスタンの顔は真っ青になっていく。
 自分は死ぬのか。このまま虎に食われて死ぬのか。
 ラインバッハ二世に刃の一つも突きつけずに死ぬのか。
 いやだ、いやだ、いやだ――――。

「くっくっく、その虎は成長期でね。食欲は旺盛だよ。
 君も人の役には立てなかったが、虎の役には立てるようだ」

 ラインバッハ二世はこの尋常でない状況を薄笑いで見ていた。

「ちなみに、その虎の名前はキャサリーンちゃんだよ。
 可愛がってもらいたまえ」

 言って、ラインバッハ二世はその庭を立ち去った。

「…………………――――――――」

 自分の内臓を半分食いちぎられた時点で、トリスタンの意識はすでになかった。
 そして、今後も戻ってくることはないだろう。
 トリスタンは享年二十七。病と闘いつつオベル王家に戦士として仕えた、激動の人生だった。

19-14

「トリスタンが……トリスタンが帰ってこない……」

 潜入に成功したオベリア・インティファーダとキカ一家のメンバーが次々と帰還してくる中で、トリスタンの姿だけが欠けていた。
 マクスウェルは震える左手でテーブルの脇をつかみ、なんとか立っている。
 彼はいやな予感が強くした。潜入前に生き残れとしぶとく説得したが、一度死を決意した者の覚悟を変えるのはそう簡単なことではない。これは、マクスウェル自身がそうだから、よくわかる。
 リノ・エン・クルデスに対しても、トリスタンは「死ぬためにオベリア・インティファーダで戦う」と宣言したらしいことも聞いていた。
 リノ・エン・クルデスの説得でも、マクスウェルの説得でも、トリスタンの心を救うことはできなかったのだろうか。
 トリスタンの覚悟を知っているミツバが呟いた。

「まさか、一人で王宮に突っ込んで戦死とか……」

「嘘だ!!!!」

 マクスウェルが左手でテーブルをたたきつけた。
 何人かの船員が、満身創痍の総指揮官の方に向いた。
 マクスウェルは目元に怒りをたたえてミツバに詰め寄る。

「あのトリスタンが死ぬなんて嘘だ! 彼は強いんだ。誰にも防御の剣技で負けたことがないんだ!
 オベルでもトップクラスの剣の使い手なんだ! 死ぬはずがない!」

「わかってる、わかってるって。言ってみただけだよ、ごめん」

 あの奔放なミツバがたじたじになってひっこむほど、マクスウェルの焦りは強かった。
 結局、連合艦隊とキカ一家には先に無人島に帰ってもらい、マクスウェルは何日か隠れつつ待つことにした。
 そして七月十五日、オベルのセツ政権から公式発表があった。
 連合艦隊が卑怯にも攻め込んできたこと、だがセツ政権はこれを撃退したことなど、虚実の入り混じった報告だったが、一つの凶報が確定した。

 ――――元オベル近衛兵指揮官トリスタン、戦死――――。

 マクスウェルはこの報に接すると、アリアンロッドの自室に閉じこもった。
 そして中から長時間にわたってすすり泣く声を、多くの船員が耳にした……。

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(初:16.09.25)