クォ・ヴァディス 115

19-10

 オベル島の東側から潜入したジーンは、やはり森林地帯を進んだ。
 そして途中でシメオンと合流すると、一緒になって王宮を目指した。
 確かに、森林地帯は遺跡に比べれば強力なモンスターは出現しないが、しかしそれにしてもこの二人は戦闘の次元が違った。
 襲い来るモンスターに対し、呪文を詠唱することもなく、ほぼ杖を一閃するだけで倒してしまうのである。
 魔法には違いないのだろうが、果たして敵が弱すぎるのか、二人が強すぎるのか。
 二人についてくるメンバーは一応剣を抜いているものの、まったく活躍の場はなかった。

 そして進むこと三時間、ミツバ、キカに次ぎ二人は王宮に到着した。
 王宮の外側の護衛はほとんどがミツバによって撲り倒されており、ほとんど無警戒に近かった。
 二人は用心し、ゆっくりと裏庭を進んだが、そこで意外な人物を見つけた。
 キカが座り込んで肩で息をしていたのである。そしてその脇では筋肉質の男が倒れていた。

「遅かったな、二人とも」

 息を切らせたまま、キカはにやりと笑った。
 どうやらこの筋肉質の男と激闘を演じたらしく、ほとんど体力が残っていないようだ。

「ちょっと待っておれ」

 シメオンが言うと、そっとキカの肌に触れ、一言つぶやいた。

「……優しさのながれ」

 すると、淡い青い光が柱となって、キカを包み込む。
 キカは心地よい感覚に身を任せて、しばらく目を閉じた。

「どうだ? 身体は動くか?」

 キカはゆっくりと立ち上がると、両手を開いたり閉じたりしてみた。そして、剣を一振りする。

「問題ない、しっかり動く。大したものだな、紋章術というのは」

 キカはシメオンのもとによると、意外なことを言った。

「シメオン、頼みがある。この男も回復させやってくれないか」

「なんですと?」

 もっとも意外な顔をしたのは誰でもない、カールだった。

「よいのか? この男は敵ではないのか」

「敵だよ。だが、殺すには惜しい男だ。ぜひ生き残らせて、もう一戦やってみたいのでな」

 シメオンはカールを見下ろした。確かに、悪人の顔ではない。
 ただひたすらに修行にうちこむ求道者タイプの人間であろう。
 ため息を一つつき、シメオンはジーンを視線を合わせた。
 ジーンはどうしてよいか分からず、シメオンに判断を任せた。

「まあよかろう。じっとしておれよ」

 そういわれなくても、カールは動けぬほどの重症である。
 キカに貫かれた肩の傷からは、いまだに流血が続いていた。
 このまま放っておくと、確かに命が危ないかもしれない。
 シメオンは、カールの首に手を当てて魔力を集注させ、つぶやいた。

「……母なる海……」

 やはり青い光が、カールの身体全体を包み込む。
 思わず浮き上がるのではないかと思うくらい身体が軽く感じた。
 そして、大きな安心感がカールの心を支配した。
 しばらくして、光がやんだ。

「どうじゃ、動けるか」

 シメオンに言われて立ち上がると、カールは右手に力を集中してみる。
 そして、岩に向けて力を放出してみた。

「破っ!!」

 触れてもいないのに、その岩が砕け散る。「遠当て」と呼ばれる技で、格闘家の奥義中の奥義であった。
 カールは律儀にシメオンに頭を下げる。

「かたじけない。このまま死ぬつもりであったが、命を助けられた以上、なにか恩を返したい」

 ジーンが、何かを思いついたように言った。

「それじゃあ、人質のいる部屋まで案内してくれるかしら。わかる?」

「人質がいる部屋は知っておる。
 だが、先ほどキカ殿にも言ったように、部屋には魔法による施錠が頑丈に為されておる。
 開くかどうかはわかりませんぞ」

「かまわないわ。開くか開かないかは試してみないとわからない」

「なるほど、ジーン殿もシメオン殿も、紋章術の使い手でしたな」

 妙に納得したようにカールが頷いた。

「では行くぞ、もたもたしている時間はない」

 キカが膝の汚れをぱんぱんと払いながら言った。今度は全員が頷いた。

19-11

 カールを先頭にしたジーン、シメオン、キカの四人は、警戒を緩めることなく王宮に入り込んだ。
 オベル王宮は広い。以前に忍び込んだロウセンも、かなりの距離を歩いてようやく地下二階のセツと対面を果たした。
 気配を読むことに長けたカールとキカが、用心しながら進んでいくが、進めば進むほど違和感は大きくなっていく。

「近衛兵、護衛兵がいませんな」

「あんたも気づいたか。この無警戒ぶりはなんだ?
 海上の戦闘で負けるはずがないから陸上の護衛はいらぬと思っているのか、それともオベル中に兵をばらまいているのか」

 カールとキカがつぶやきながら、地下への階段へと到達した。
 ここから地下に降りるとそこは、これまでの王宮らしい豪華な作りではなく、まるで岩石を彫りっぱなしにした洞窟のようだった。
 湿気が高い。薄着のジーンや上半身裸のカールは影響は薄いが、キカは何度も汗をぬぐった。

「ここです」

 カールの指差す先に、確かに扉があった。巨大な鉄製の扉だ。
 そしてカールの言うとおり、その四角いノブには何重にも鉄製の鎖が巻かれ、これまた何重にも札のようなものが貼られている。
 少なくとも、ゲストを招くような部屋でないことは確かだ。
 ジーンが顔を近づけて、札に目を通す。だが、ジーンは首をひねった。

「どうした?」

 後ろからシメオンが声をかける。

「導師、これ読める? ちょっと妙な札なのよ。魔力で封印されているのは確かなんだけど」

 言われて、今度はシメオンが目を通した。そして同じように首をひねった。

「これは、現在では失われた魔法言語だな。魔力を帯びているのは確かだが、私にも読めぬ」

「では、この扉を開けるのは不可能ということか?」

 キカが慌てて問うと、キカとシメオンは申し訳なさそうに首を縦に振った。
 まさに、そのときである。

「危ない! 避けてくだされ!」

 カールの大声がひびく。その声に反応して、キカ、シメオン、ジーンは扉から飛び離れる。
 そしてその直後、なにかが巨大な扉を勢い良く叩いた。
 キカには見えた。まるで蛇の尻尾のようなものが、扉を一閃したのだ。
 その正体を見極めようと顔を上げて、キカは驚愕した。
 いや、キカだけではない。ジーンもシメオンもカールも、驚愕と警戒とに顔を二分している。
 そこにいたのは、巨大な蛇だった。しかも、一つの胴体に頭が八つもある。
 一つ一つが独立した意志を持っているようで、別々に首を動かしていた。
 そしてその脇に、一人の人間が立っていた。
 長い金髪を縦ロールに伸ばし、豪華な衣服に包まれた身体は、見事に腹が出ている。

「貴様、ラインバッハ二世か」

 キカが叫ぶと、その男はくくっと笑った。

「人の家に無断侵入する輩に、呼び捨てにされる覚えはないな」

 言うと、ラインバッハ二世は、巨大な蛇の身体をゆっくりと撫でた。

「どうだ、可愛いだろう。無法な侵入者を一網打尽にするにはちょうどよいペットだ。
 名前は“ヒルダちゃん”だ」

 この巨大な生物につける名前にしては可愛すぎるな、とカールは一瞬思ったが、警戒を解くようなことはしない。
 ラインバッハ二世は軽い笑みを浮かべながら、「ヒルダちゃん」の後ろに下る。

「ではヒルダちゃん、こいつらは食おうが千切ろうが好きにすればよいぞ。ちょうどエサの時間でもあるしな」

 言って、ラインバッハ二世はその場を去ってしまった。

「待て!」

 キカがそれを追おうとすると、巨大な首の一つが大きくしなって炎のブレスを吐き出した。
 慌ててキカが左に避けるが、今度はその隣の首が大きくしなって氷のブレスを吐き出したのである。

「ちぃ!」

 キカが避けきれずに慌てていると、

「破ぁっ!」

 という声が響いて、氷のブレスを吐き出していた首が大きく傾いた。
 カールが「遠当て」の一撃で首をはじいたのである。

「ありがたい! 礼を言う」

「なに、回復してくれたお返しです。だが、あれを倒さねばここからは出られぬ!」

 カールが弾いた首も、他の首もなんらかのブレスを吐くようだ。
 ただでさえ巨体なものが、最低二種類の攻撃を使い分けるというのか。
 だが、一瞬の油断もできぬ。今度は真ん中の首とその隣の首が同時にしなる。
 この隙を、カールは見逃さなかった。彼のはなった「遠当て」が、真ん中の首を弾き飛ばす。
 だが、その隣の首は気にすることもなく口を開いた。
 炎のブレスだ。ちょうどジーンとシメオンの固まったところを狙ってブレスを吐き出した。
 ジーンはシメオンを左側に突き飛ばし、自分はその場で呪文の詠唱に入る。

「天雷!!」

 ジーンが杖をかかげて叫ぶと、まるで空中から湧き出てくるかのように、巨大なモンスターが出現した。
 そして「ヒルダちゃん」のブレスをものともせず、自ら巨大な落雷の一撃を加えたのである。
 しかも一撃ではなかった。三つの首に対し、強力な雷の一撃を三連発で落としたのである。
 さすがに「ヒルダちゃん」もこれは痛かったのか、巨大な鳴き声をあげて呻いた。
 その隙を見逃すキカではない。双剣を腰から抜き去ると、猛烈な勢いで飛び掛かり、剣を構えた。

「海賊の剣、思い知れ!」

 そして、空中で「隼の紋章」を発動したのである。
 強烈な突きの連発が、物凄い勢いで首の上から下までを見事に貫いていく。
 真ん中の首が、ぐったりとうなだれた。どうやら、首の一本を倒したようである。
 だが、残りは七本。油断はできぬ。
 右から二番目の首が大きくしなり、氷のブレスを吐き出す。だが、カールはこれを読みきって首の懐に飛び込んだ。

「我が鉄神拳の威力を見よ!」

 そう叫ぶと、大きく腰を回転させ、首の根本をめがけてただ、殴りつけた。
 だが、その一撃の威力は凄まじかった。拳が根本まで突き刺さり、しかもそれをえぐるように回転させたものだから、「ヒルダちゃん」はさすがに巨体をくねらせてもだえた。
 そしてこの細かな敵を駆逐しようとしたのか、一番左の首がカールを襲う。
 まるでムチが地面を叩くような衝撃が響いたが、カールは勢い良く飛び上がってこれを避けた。それどころか、頭の上に飛び乗ったのである。
 そして。

「成仏!」

 カールの鉄拳が、一番左の頭の頂上に突き刺さった。
 頭蓋骨を砕け割り、なにか柔らかな感触が手に当たった。脳である。
 カールは無残であると知りながらも、生き残るために、それを貫いた。
 なんともいえぬ悲鳴をあげて、一番左の首がだらりと垂れ下がる。

「油断は禁物だぞ!」

 そう聞こえたかと思うと、キカの剣が左から二番目の頭の口から突き刺さり、背後に貫通していた。
 これもとどめとなったのか、首がぐったりと垂れる。これで残り四本。

「感謝!」

 キカとカールが飛び降りると、今度は四本の首がまとめてしなった。どうやら同時にブレスを吐き出すらしい。
 だが、ジーンとシメオンの動きが速かった。二人はほぼ同時に呪文の詠唱を終えたのである。

「「雷神!!」」

 合体魔法だ! 巨大な氷の塊が地面から突き出したとかと思うと、巨大な蛇の胴体部分を貫く。
 さらに続く強烈な雷の一撃が、四本の首を次々と打ちぬいた。
 四本の首のうち、二本が首の中でブレスが暴発したらしく、首が爆発して四散した。
 これがとどめとなった。巨大な氷に貫かれた胴体が二度と動くことはなく、すべての首が地面に横たわったのである。

「ふー。一度はどうなるかと思ったが……」

 キカが汗をぬぐうと、カールがぱんぱんと手を叩いた。

「いや、皆さんお強いですな。感服した」

(巨大蛇の胴体を貫通するような鉄拳の男に言われるのも妙な感じね)

 褒められたにも関わらず、ジーンはやや複雑な顔をした。

 そして、四人は疲れた身体に鞭打って、本題に戻ることにした。
 とはいえ、この巨大な扉は魔法によって封印されている。
 この場にいる人間ではこの扉は開けられない。恐らく、なにかキーワードとなるものがあるはずだ。
 例えば、シメオン曰く失われた魔法言語によるパスワードとか……。

「ともかく、一度ここを離れよう。我々がここにいてもできることはない」

 シメオンが言った。残念ながら、それが真実だった。
 ジーンは貼られた札を一枚剥がそうとしたが、まるで静電気のような強烈なショックがきて、剥がすことも不可能だった。

「ここまで来ておきながら、帰るしかないのか……」

 キカが失意の言葉をもらした。それが、全員の想いと重なった。

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(初:16.09.24)