クォ・ヴァディス 114

19-9

 森林地帯を選んだキカは、慎重に進んだ。
 キカは海賊であるのと同時に、世に聞こえた剣豪である。多少のモンスターが出てきたところで相手にもなるまいが、森林地帯のモンスターは遺跡ルートに比べれば弱い。
 それだけ、静かに進むことができる。

 この黒の森はオベル王家が開発しなかっただけあって、太古の森林の姿をそのまま残していた。
 あまりに広すぎるため、警戒も厳重ではなく、その点はあまり気にせず進むことができる。
 キカの剣はマクスウェルの直剣と違って、先が大きく湾曲した独特の形をしている。
 しかも、キカはカナカンのハイア門下でしか取得できないという特殊な剣の紋章を所持しており、とかく謎の多い存在だった。
 キカは海賊だけあって方向感覚にも優れているようで、自分のチームを引き連れてどんどん先に進んだ。
 背たけほどある草を切り、巨大な木の根を踏み分け、先に進むと、だんだん屋敷らしい屋根が見えてきた。
 間違いない、オベル王家の王宮である。キカは危険を顧みて、その裏庭に出たのである。
 このあたりは警戒心のつよい海賊らしい。
 陰に隠れるように姿を隠すと、キカは自分のチームに命じた。

「人質は恐らく、地下に監禁されている。
 決して見つからぬように、地下への入り口を捜せ。
 いいな、決して音を立てるな」

 キカの部下たちは、首を縦に振った。

「散れ!」

 部下たちが散るのを確認すると、キカは自分でも地下への入り口を探し始めた。
 王宮というものは、見た目は豪華でも、決して一般大衆には見せられぬ施設というものが存在する。
 キカは、そこに人質が監禁されていると読んだのだ。
 だが、気配を消して裏庭をぐるりと歩いていると、背後に急に別の気配を感じてキカは振り向いた。
 そこには、男が立っていた。立派な体格には龍と虎の刺青をいれ、立派な鼻ひげを持ち、頭は見事にそり上げている。
 キカは、この男を知っていた。群島解放戦争でも、クールーク崩壊事件でも戦場をともにしている。

「意外なところで会うな、カール。なにか用か」

「それはこちらのセリフですな。人様の館の裏庭に、大海賊ともあろうお人がなんの用です?」

 キカは、警戒心を二段階上げた。カールというこの男は、超一流の格闘家である。
 自分も剣では自信があるが、この男は拳で剣と互角の勝負かできるだろう。

「なに、ちょっとした野暮用さ。この屋敷に強引に招かれた客がいてね。その助けに来たわけだが」

「そうですか、偶然ですな。私は、この屋敷の客人を守るように雇われましてな。
 どうかお帰り願いたいものですな」

 言うと同時に、キカの顔の右側の空気が震えた。目に見えないパンチが顔を掠めかけたのだと、数秒して気づいた。

「今のは警告です。いまお帰りになるなら、追いはしません。どうぞご決断を」

「……残念ながら」

 キカは腰を落とし、二本の剣を抜いた。すぐにでも飛びかかれる構えである。

「私の辞書に、撤退って文字は載ってなくてね。特に大事な頼まれごとなんでね」

「……残念です」

 カールは腰を落とし、構えた。分厚い筋肉の迫力もあって、とんでもない圧迫感だ。
 だが、キカとて負けてはいない。全身の力を抜いて二本の剣を構え、どんな攻撃にも対応できる構えをとる。

「ほう、さすがですな。海賊にしておくには惜しい」

「ありがとうよ。しかし、海賊は私にとって天職でね」

 先に動いたのはカールだった。格闘家専門の紋章であるビャッコの紋章を発動したのである。
 この紋章は直接攻撃よりも、遠距離からの特殊攻撃にむいており、このときも掌を合わせた構えから衝撃波がとんできたのである。
 キカは咄嗟のところで左に避ける。

「ぬう、隙が大きすぎましたか。それでは!」

 今度は、カールが大きくふりかぶって撲りかかってきた。テクニックも何もない。ただ、撲るだけの動き。

「ふっ」

 キカは、これも余裕を持って右に避けた。
 カールの拳が背後の木に当たった。その木は、めきめきと音を立てて根っこから倒れていく。
 とんでもないパワーだった。人間、鍛えれば撫でるだけで相手を壊せるようになるというが、あながち嘘でもないようにキカには思えた。

(まいったな、こんな強敵の相手をしている時間などないんだが)

 一瞬の油断もできない。カールにはパワーは当然、スピードもある。
 まともに相手をしていては、負けないまでも、無傷で勝てるとも思えない。
 ともかく手を抜ける相手でもない。

「出し惜しみはなしだ。全力でいくよ」

 キカは両手の剣を構えると、なにかひとことつぶやいた。
 そして、こちらも恐るべきスピードでダッシュしたのだ。

「!」

 カールが防御の姿勢をとる暇もないほどのスピード。
 そして、キカの両剣が、凄まじいスピードで突き出される。

「ぬう!」

 キカの剣がカールを突く!突く!突く!
 これこそキカの秘奥義「隼の紋章」だった。
 カールに防御の隙も逃走の隙も与えない。ただひたすら突く!突く!突く!
 おそらく常人の突きのスピードの三倍から四倍はあるだろう。そのスピードでキカはカールを突き続ける。
 カールは全身を膾斬りにされなはらも、まだ意識はあるようで、なんとか剣劇を避けようと二歩後退する。

「無駄無駄無駄無駄!」

 キカは叫びながら逃げるカールを追う。
 だが、カールの目は死んでいなかった。血まみれになるほどの傷を追いながら、まだ勝機をうかがう。
 そして。

「ここですな!」

 今度はカールが叫ぶと、驚くべきことをやってのけた。
 キカの右剣を左掌に、左剣を右掌に自ら突き刺したのである。キカのラッシュがとまった。

「なに!」

 一瞬、キカに驚愕の隙が生まれた。カールほどの格闘家が、この隙を逃すはずもない。
 カールは剣を両掌に突き刺したまま、上半身を思い切り仰け反らせた。そして。

「ぬん!」

 キカの顔面に向けて、強烈な頭突きを叩き込んだのである。

「ぐあ!」

 勢いでカールの手から剣が抜け、それごとキカは後方に弾き飛ばされた。
 巨大な筋肉の頭突きである。ノーダメージであるはずがない。
 キカはまるで木っ端のようにころがり、しばらく立ち上がれなかった。
 かくいうカールも当然、無事ではない。達人の突きを受けまくったのだ。全身を血みどろにして片ひざをついた。

「これで少し私が有利、ですかな」

 カールはまだ立ち上がる力が残っている。だが、キカはどうか。
 これが達人同士の勝負だった。決着は一瞬でつく。
 だが、キカは立ち上がった。鼻血を袖でふき取ると、なんとか両剣を持ち上げる。

「痛いじゃないか、格闘家よ。それに、有利なのは私のほうだ。
 お前はまだ、両手が使えるか?」

 確かにカールの両掌には穴が開いている。拳を握りこめるかどうかは微妙だった。

「降参しろ、格闘家。そこまでしてラインバッハ二世とクレイに忠義を尽くすこともあるまい。
 お前は正義を好むと聞いた。ならば、このキカと同じだ。我々に力を貸せ」

 だが、カールは首を横に振る。

「それはできませんな。あなたにはあなたの正義があるように、私には私の正義がある。
 正義のかたちは一つではない」

「なぜ、クレイなどに力を貸す? お前は戦争のときはクレイを、クールークのときはイスカスを毛嫌いしていたのではないのか」

「正義の形は十人十色。今回、私の正義はクレイに共鳴した。それだけのことです」

(クレイの正義……?)

 これほど違和感のある言葉を、キカは聞いたことがない。あの私欲のかたまりのような男にもっとも不釣合いのような気がした。
 それが、このカールを動かすほどのものだというのか。

「では、まいりますぞ」

 カールは全身を真っ赤に染めて、それでも構えた。腕は開手だ。やはり拳が握れないのである。
 だが、これほどの傷を負いながらも、ダッシュのスピードは落ちていなかった。
 わずか数歩だが、あっという間にキカに近づく。
 キカは両剣を構えるが、カールの攻撃は意外な方向からきた。
 足払いだ。ダッシュからほとんどスライディングにちかいかたちで、キカの足元を襲う。

「ちっ!」

 反応がおくれた。わずかにかわし損ねたキカは、見事に転がされてしまう。
 そして上を向くと、そこにカールが足を振り上げていた。慌ててキカが左に転がる。
 どすん、と。一瞬前までキカの頭があった場所を、カールが踏みつけてた。
 キカは急いで起き上がり、剣を握ったまま咄嗟の裏拳でカールの頬をしたたかに殴りつける。

「ぬう!」

 カールは呻きながらも倒れはしなかった。
 キカの頬に冷や汗が流れる。これほどの重傷をおっても、まだキカを一撃で倒せるパワーを残しているのだ。
 いかにすればこの不倒の豪傑を倒せるのか。

「ふむ、さすが海賊王。この私がここまで苦戦する相手は初めてですな」

「私には最期であってほしいものだがな」

 カールは再び構える。やはりダッシュからのスライディングを狙っているのか、別の手があるのか。
 キカは両剣に力を込めた。カールが拳に正義を求めるなら、キカは剣に正義を求める。
 力対力だ。

「なら、こちらから行くぞ!」

 再び剣を構えた。そして、カールよりも先にキカがダッシュした。
 強烈な連続突きが、再びカールを襲う。恐るべきダッシュ力、そして恐るべき突きの速度。
 だが、キカはこのときカールの表情を確認すべきだった。彼は、わずかに笑っていたのである。
 そして、言った。

「つわものに同じ手は通じませんぞ!」

 カールは強烈なバックダッシュで、一気に間合いを広げる。
 キカがそれを追いかけて、ダッシュした。だが、カールのとった間合いは、絶妙なものだった。
 ちょうど、キカの連続突きが終わる間合いを選んだのである。
 一度連続突きを食らったカールは、その距離をたった一度でつかんだのであった。
 結果、キカは膨大な隙を見せて、カールの懐に飛び込むことになってしまった。

(しまった!)

 気づいたときには遅かった。まず、カールの膝が、キカの腹を突き上げる。そして、肘がほぼ同時にキカの背中に突き刺さった。

「があ!」

 もんどりうってキカが転げまわった。このダメージは大きい。しばらく立ち上がれずに、キカは地面に伏せて激しく咳き込んだ。

「これで、私が有利ですな」

 鮮血の戦士は、決して厳しい表情を見せる男ではない。
 だがこの穏やかな表情は、今日は悪魔の微笑みのように見えた。
 だが、キカは立ち上がった。全身を大きく揺らせながらも、まだ目から力は失われていない。

「ほう……」

 カールは素直に驚嘆した。こんにちの海賊に、これほど闘志を持ったものがいようとは。

「我が名はキカ。不倒のキカ。私を倒すことができるのは、海賊王エドガーただ一人!」

 そう叫ぶたびに、キカの胸が痛んだ。肋骨が二〜三本いかれてしまったかもしれない。それほどの一撃だったのだ。
 だが、キカは再び構えた。先ほどまでと同じ、連続突きの構えだ。
 キカが頼るのは自分の力、自分の剣のみ。ならば、構えも同じ。これに全てを賭ける。
 カールも構えた。この強敵に敬意を払い、先ほどまでと同じ構えを見せる。
 カールは、常に敵に対する敬意を忘れない。強敵になればなるほど、訓練に膨大な時間をかけてきたはずで、その時間に対しカールは最大の敬意を払う。
 そして、最大の技でもって打ち倒す。

 カールの両腕は確かに使えなくなってしまったが、まだ両足が残っている。
 カールの持つビャッコの紋章による衝撃破は、修行を積めば腕だけではなく、足からも放つことが可能だ。
 そして、カールはそれができるのだった。
 カールは紋章の力を右足に集中した。次にキカが連続突きにきたときに、カウンターで倒すためだ。
 しばらく、両者は動かない。隙を見せているのではない。力をためているのだ。
 そして。先にキカが動いた! これほどの重傷を負いながらも、まったくダッシュの速度は衰えない。
 今度はカールは後ろに動かない。カウンターを狙っている。
 そしてキカが間合いに入った!

「おさらばです! 気弾!」

 旋風脚の要領で、カールは足を一閃する。強烈な衝撃破がキカを襲う。
 今度こそ。今度こそ終わったであろう。完璧なタイミングのカウンターであった。
 そのはずだった。
 だが、勝負は終わっていなかった。カウンターは決まっていなかった。
 キカは、真正面から来たには違いない。だが、真正面からジャンプして「飛んで」きたのである。
 カールの気弾を飛び越すように、キカは一気に剣を振り下ろす。
 右剣がカールの左の首筋に、左剣がカールの右の首筋に突き刺さった。
 まるで噴水のように、カールの肩から血液が吹き上がる。
 勢いあまってキカはカールの頭上を跳び越し、その背後に転んで着地した。

「はぁ、はぁ……」

 キカは激しく息を乱し、しばらく起き上がれなかった。
 だが、自分の攻撃が成功したのかどうか確認したくて、カールのほうを向いた。
 カールは立っていた。剣を刺されたまま両腕を組み、難しい顔でキカを見下ろしている。

(はは、私の負けか)

 もう、キカに力は残っていなかった。まさに、最後の力をこめた一撃だった。
 自分を倒した相手を見たくて、キカはカールを見上げた。
 だが。

「……お見事」

 カールは一言つぶやいた。ずん、と音がした。キカの目前でその巨体が倒れたのであった。

「勝った……のか?」

 カールの身体は、ぴくりとも動かない。それを確認してから、キカはようやく立ち上がった。
 そして自分の剣を引き抜き、鞘に戻す。
 キカはカールの脇に立った。
 時間がないのは承知していたが、この強敵に敬意を払ったのだ。

「埋めるくらいしてやるか」

 そして、カールの身体に障った瞬間。

「まだ死んではおりませんぞ、失礼な」

 死体となったと思った男が急に喋ったものだから、キカはびっくりしてよろめいてしまった。

「まだ生きております。動けはしませんが」

「お前ほど頑丈な男、はじめてみたよ。驚かせるな」

 キカが呆れながら言うと、カールはヒゲを揺らして笑った。

「それだけが自慢でしてな。ところで、あなたは人質を救出にきたといわれましたな」

「ああ、館の中にいる女を何人か助けに来た」

「ならば、諦めたほうがよろしかろう」

 真剣な表情になって、カールが言った。

「なぜだ」

「客人の捕らえられている部屋は、頑丈な鍵がかかっております。
 ちょっとやそっとでは開かないように、魔法による封印がなされておるようです。
 しかも、何人もの門番が交代制で見張っております。ただごとでない警戒です」

「ふむ……」

 キカは考えた。魔法による施錠は厄介だ。自分は剣の専門家であって、魔法はさっぱりである。
 しかも、今はカールとの激闘の直後で、何人もの護衛をあいてにするほどの体力は残っていない。
 見つからないようにここはしばらく待って、ジーンかシメオンと合流したほうが確実だろうか……。

COMMENT

(初:16.09.24)