オベル沖で海戦が始まった頃、キカたち侵入部隊も動き出した。浸入箇所は十三箇所。これだけバラバラに浸入すれば、いくつかは王宮にたどりつくだろう。
ある部隊は森の奥から、ある部隊は海岸沿いから敵の目をかいくぐって、オベル島内に入り込んだ。
海戦が行われているだけあってか、森の中や遺跡の中は、まったく人の気配はない。森林地帯を選んだのはキカとジーン、遺跡の中を選んだのはミツバとポーラである。
(このまま行けばすぐに王宮にたどりつきますね)
気配を消しながら、ポーラ部隊は何事もなく遺跡の入り口までたどり着く。
目の前にはオベル王宮が見える。ついにここまで来た。後は王宮に侵入し、人質を助ければこちらのものだ。
だが、ふとポーラの脚がとまった。目前に人の気配を感じたのだ。
やはり、ただでは通してくれませんか。
そう思ってその人影を確認して。
ポーラは絶望的な感覚を覚えた。
その人物は、やや長めの髪をポニーテールにした女性だった。赤い上着を着て、動きやすいズボンをはいている。
だが、ポーラの記憶に刻まれているのは、あの夜、マクスウェルにキスをしたときの記憶だった。
「フレアさん、なぜあなたがここに!」
ポーラが驚愕のあまり叫ぶが、フレアは全くの無表情で、得意とする弓矢をポーラの部隊に向ける。しかも、矢は七本もつがえていた。
「フレアさん!」
ポーラの声も届かず、フレアの弓が音を立ててはじかれた。
殆どの時差もなく、ポーラの後ろにいた七人が音を立てて倒れたのである。
「なぜこんなことを!」
ポーラの必死の叫びも、フレアの表情を変えることができない。
「くっ……」
やむなくポーラは剣を抜いた。だが、彼女を斬る自信はポーラにはなかった。
フレアは、ポーラをマクスウェルに関わるライバルだと言ってくれた。
それなりの友情も感じていたはずなのだ。それが、この有様である。
そもそも、なにが起こっているのかわからないのだ。
あるいは、ジュエルがそうであったように、洗脳されているのだろうか。
ポーラにとっては、フレアも救出すべき人質である。ここで斬り合いなど愚の骨頂でしかない。
だが、フレアの目は明らかに敵を見る目でポーラを見ていた。
フレアがゆっくりと弓に矢を番える。今度は五本だ。そして、今度はそれを空へと向けて構えた。そして放った。
「………………!」
ポーラは慌てて右側に飛び込んだが、もといた場所に、正確に矢が五本突き刺さっていた。一歩間違えれば、死は免れない。
おそるべき腕だ。だが、ポーラは見抜いた。フレアの異常なほどの弓矢の正確さは、紋章によるものだ。おぞらくオオタカの紋章によるものだろう。
ならば……。
「五鬼の紋章……」
ポーラの額が光った。自らの魔力を増幅させる、八房の眷族紋章の一つを起動させたのだ。
もちろん、オオタカの紋章は物理系の紋章である。果たして五鬼の紋章と風の紋章術で防げるかどうか、これは賭けだった。
フレアは一切の仮借なく、弓矢を構える。今度は三本。狙いは正確にポーラ。
そして一言も言葉を発せず、弓矢を撃った。
だがポーラは動かず、口と紋章とを動かした。
「切り裂き!」
それは、風の紋章の魔法だ。竜巻を起こし、相手を吹き飛ばす。
だが、ポーラのそれは自分自身でも驚くべき結果をもたらした。
五鬼の紋章によって強化された竜巻は、フレアの放った弓矢どころか、フレアごと弾き飛ばしたのである。
フレアは遺跡の岩石でしたたかに背中をうち、一言うめきつつ、ようやく立ち上がった。
ポーラとしては心配だが、こうでもしなければ殺されてしまう。
助けるには、おそらく体内に仕込まれた八房の眷族紋章を……。
ここで、ポーラは疑問に当たった。フレアは八房の眷族紋章で自我を失っているのに、なぜ自分やマキシンは無事なのだろう。なにか、体質的なものなのだろうか?
だが、この一瞬の疑問が、ポーラの隙となった。体勢を立て直したフレアが、弓矢を構えたのに気づくのが遅れたのだ。
「……! きりさ……」
ポーラも咄嗟に魔法をとなえるが間に合わなかった。フレアの放った一本の弓が、ポーラの右肩に直撃したのである。
「くっ……」
ポーラは、右肩に突き刺さった矢を抜くと、よろよろと立ち上がった。
ピンチには違いないが、まだ手がないわけではない。
「い、癒しの風!」
風の紋章術は、攻撃だけではなく回復の魔法も備えている。しかも、五鬼の紋章を持つポーラの回復魔法は、瀕死の重傷でもない限りなおしてしまうだろう。
(しかし、このままではキリがない……)
そこで、ポーラは一計を案じた。五鬼の紋章と、風の紋章との組み合わせでできる最大の攻撃を思いついたのだ。
(よし……)
「五鬼の紋章、効果最大顕現!」
ポーラは五鬼の紋章の効果を最大にした。驚きの効果だった。自分にもこれだけの魔力があったのか。自分の体内の魔力が暴走するのではないかと思えるくらい、驚くほどの魔力が体内にあふれる。
そして、フレアのほうをむいた。フレアはもう次の攻撃の準備をしている。三本の矢を弓につがえていた。ポーラは、その隙をついて切り札を放った。
「効果最大! 眠りの風!」
眠りの風は、風の魔法の中でももっとも基本的な魔法である。それだけに、効かない敵には効果が薄いが、五鬼の紋章で魔力を最高まで高めた状態ならどうなるか。ポーラはそれに賭けたのだ。
フレアの周囲の風が、薄い青色を帯び始めたそして、フレアを包み込む。
本来なら、この風が敵の眠気をさそうのだが……。
ポーラは、心臓を高鳴らせながら結果を待った。
フレアは無表情のまま眠りの風に抵抗したが、徐々に徐々に、そのうごきが鈍くなっていく。
(効いてる!)
ポーラは効果を確信した。だが油断はしない。
もう一度、五鬼の紋章を最大まで発動すると、「眠りの風」をもう一度はなったのだ。
二発にわたる眠りの風で、フレアはさすがに抵抗しきれなくなったのか、びくんと身体を痙攣させて、地面に倒れ伏した。
同時に、ポーラも地面に腰を着いた。味方と本気で戦う事がこれほど疲れることとは思わなかったのだ。
とにかく、ポーラは人質のフレアの救出という任務を達成した。
「よ……と」
ポーラは眠ったままのフレアを背負った。とにかく、このままアリアンロッドまで運ばなくてはならない。
そして、一歩目を踏み出したとき。どすりと。ポーラの首筋に激痛がはしる。
「あ……」
ポーラは思わず背負ったフレアを落としてしまうと、そのまま自分が地面に倒れこんだ。
激痛に耐えながら自分の脇を見ると、眠っていたはずのフレアが、相変わらず無表情で立ち上がっていたのである。
(ま、まさか、擬態……?)
うすれいく意識の中で、ポーラはフレアが自分の額に手を当てていることに気づいた。
熱い感覚が、額から抜けていく。ポーラにはわかった。「五鬼の紋章」を奪われたのだ。
だがポーラにはどうすることもできなかった。身体が動かない。
(ごめんなさい、マクスウェル……。ごめんなさい、ミレイさん……)
かすかに残った意識の中で、ポーラは二人に対して謝罪していたが、それが届くことはなった。
ポーラと同じく遺跡ルートを選んだミツバは、久しぶりに暴れられるとあって、自分のチームを完全に無視して、夜の紋章を振りに振った。
「そらそら、そこのけそこのけミツバ様が通るよ!」
剣の形をしているものの真の紋章である。モンスターは粉々になり、ときには遺跡の地形を変えながら、ただひたすら進んだ。
何度か道に迷ったが、そんなことは気にもしない。ただひたすら進み続けた。
ただ、この娘は運がいいのか、どれだけ道に迷っても、最終的には出口に出てしまうのである。人徳といえばそうかもしれないが……。
だが、遺跡出口付近で、ミツバは一気に表情を暗くした。
ポーラが倒れているのを見つけたのである。
ミツバは思わずポーラの胸に耳を当てた。心臓は動いている。どうやら意識を失っているだけのようだったが、彼女のチームはことごとく矢で射られて命を失っていた。
「…………………」
さきほどまであれほど楽しげだったミツバの表情が、一気に苦悶に支配された。
仲間を傷つけられたのだ。楽しかろうはずもない。
ミツバは、これまで無視していた自分のチームに指令を出した。
「ポーラちゃんをアリアンロッドまで連れて帰って。
意識を失っているだけだから、治療が早ければ後遺症ものこらないはずだよ」
「ミ、ミツバさんはどうするんです?」
おそるおそる聞いたメンバーに、ミツバは怒りの表情で答えた。
「なにがあったか知らないけど、仇をとらなきゃ女じゃないでしょ」
こうして、ポーラをチームのメンバーに任せ、ミツバは自分ひとりでオベルの館に向かった。
館には警護の兵がいたが、ミツバは乱暴にも背後から撲り倒して、館の窓から内部を見る。ほとんどの部屋には人がいなかったが、ただ一室、人間がいた。
そこにいたのは、すべての色素の薄い男だった。金に近い白の髪、白に近い青い瞳、そして不自然に顔に張り付いた笑顔。
ミツバは、にんまりと笑った。そして。
「見つけたあッッ!」
いきなり体当たりでガラスを割り部屋に飛び込むと、その男に斬りかかったのである。思い切り剣を叩きつけた。
「ぬう!?」
その男は、どうやら左手が鉄の義手であるらしく、ミツバの剣を咄嗟に受け止めた。剣と義手の金属音が部屋に響く。
「あなたはいったい!」
「私の正体なんてどうでもいい。さあ、人質の居場所を教えてから、さくっと死んで頂戴」
無茶といえば無茶な言い草だが、ミツバにとっては当然の主張だった。これが、彼女の仕事だからである。
「なるほど、マクスウェルさんのお仲間ですね。これは面白い。
だが、私も素直に殺されるわけにはいきませんのでね」
「じゃあ、他の人に聞くわ。ここで……」
叫ぶと、ミツバは大きく剣をふりかぶり、再びクレイに叩き落した。
「くたっばれー!!」
それは、真の紋章の全力の一撃だった。遺跡の地形を変えるほどの一撃である。
だが。クレイの義手は斬れなかった。平気な顔をして、クレイはつぶやく。
「この義手は特別な金属性なのでね、なかなか壊れないのですよ。
そして、こんなこともできるのです!」
言うが早いか、クレイは、ミツバの剣を受け止めたポーズのまま、何かをした。
とたん、ミツバが悲鳴をあげて崩れ落ちる。
ミツバは自分の腹に突き刺さったものを確認すると、それを自分で引きぬいた。
「なに? 毒針?」
「今回は毒は塗っておりませんがね。いかに剛力なあなたでも、その傷では戦えますまい」
「……………………」
ミツバは正直に悔しさを表情に表すと、床を何度も叩いた。
「ちっくしょー!」
「さあ、どうします? あなたに勝ち目があるとは思えませんが」
ミツバはさすがに腹に刺さった針が効いたのか、剣を杖代わりにしてようやく立ち上がった。そして。
「勝てないなら、逃げる! さらば!」
いくぶん足元はふらついていたが、針が腹に刺さったにしては大した動きだった。
入ってきた窓から飛び出ると、剣を杖代わりにしてなんとか歩いて去って行った。
クレイは、それを追わなかった。
(初:16.09.24)