クォ・ヴァディス 113

19-7

 オベル沖で海戦が始まった頃、キカたち侵入部隊も動き出した。浸入箇所は十三箇所。これだけバラバラに浸入すれば、いくつかは王宮にたどりつくだろう。
 ある部隊は森の奥から、ある部隊は海岸沿いから敵の目をかいくぐって、オベル島内に入り込んだ。
 海戦が行われているだけあってか、森の中や遺跡の中は、まったく人の気配はない。森林地帯を選んだのはキカとジーン、遺跡の中を選んだのはミツバとポーラである。

(このまま行けばすぐに王宮にたどりつきますね)

 気配を消しながら、ポーラ部隊は何事もなく遺跡の入り口までたどり着く。
 目の前にはオベル王宮が見える。ついにここまで来た。後は王宮に侵入し、人質を助ければこちらのものだ。
 だが、ふとポーラの脚がとまった。目前に人の気配を感じたのだ。
 やはり、ただでは通してくれませんか。
 そう思ってその人影を確認して。
 ポーラは絶望的な感覚を覚えた。
 その人物は、やや長めの髪をポニーテールにした女性だった。赤い上着を着て、動きやすいズボンをはいている。
 だが、ポーラの記憶に刻まれているのは、あの夜、マクスウェルにキスをしたときの記憶だった。

「フレアさん、なぜあなたがここに!」

 ポーラが驚愕のあまり叫ぶが、フレアは全くの無表情で、得意とする弓矢をポーラの部隊に向ける。しかも、矢は七本もつがえていた。

「フレアさん!」

 ポーラの声も届かず、フレアの弓が音を立ててはじかれた。
 殆どの時差もなく、ポーラの後ろにいた七人が音を立てて倒れたのである。

「なぜこんなことを!」

 ポーラの必死の叫びも、フレアの表情を変えることができない。

「くっ……」

 やむなくポーラは剣を抜いた。だが、彼女を斬る自信はポーラにはなかった。
 フレアは、ポーラをマクスウェルに関わるライバルだと言ってくれた。
 それなりの友情も感じていたはずなのだ。それが、この有様である。
 そもそも、なにが起こっているのかわからないのだ。
 あるいは、ジュエルがそうであったように、洗脳されているのだろうか。
 ポーラにとっては、フレアも救出すべき人質である。ここで斬り合いなど愚の骨頂でしかない。
 だが、フレアの目は明らかに敵を見る目でポーラを見ていた。
 フレアがゆっくりと弓に矢を番える。今度は五本だ。そして、今度はそれを空へと向けて構えた。そして放った。

「………………!」

 ポーラは慌てて右側に飛び込んだが、もといた場所に、正確に矢が五本突き刺さっていた。一歩間違えれば、死は免れない。
 おそるべき腕だ。だが、ポーラは見抜いた。フレアの異常なほどの弓矢の正確さは、紋章によるものだ。おぞらくオオタカの紋章によるものだろう。
 ならば……。

「五鬼の紋章……」

 ポーラの額が光った。自らの魔力を増幅させる、八房の眷族紋章の一つを起動させたのだ。
 もちろん、オオタカの紋章は物理系の紋章である。果たして五鬼の紋章と風の紋章術で防げるかどうか、これは賭けだった。

 フレアは一切の仮借なく、弓矢を構える。今度は三本。狙いは正確にポーラ。
 そして一言も言葉を発せず、弓矢を撃った。
 だがポーラは動かず、口と紋章とを動かした。

「切り裂き!」

 それは、風の紋章の魔法だ。竜巻を起こし、相手を吹き飛ばす。
 だが、ポーラのそれは自分自身でも驚くべき結果をもたらした。
 五鬼の紋章によって強化された竜巻は、フレアの放った弓矢どころか、フレアごと弾き飛ばしたのである。
 フレアは遺跡の岩石でしたたかに背中をうち、一言うめきつつ、ようやく立ち上がった。
 ポーラとしては心配だが、こうでもしなければ殺されてしまう。
 助けるには、おそらく体内に仕込まれた八房の眷族紋章を……。
 ここで、ポーラは疑問に当たった。フレアは八房の眷族紋章で自我を失っているのに、なぜ自分やマキシンは無事なのだろう。なにか、体質的なものなのだろうか?

 だが、この一瞬の疑問が、ポーラの隙となった。体勢を立て直したフレアが、弓矢を構えたのに気づくのが遅れたのだ。

「……! きりさ……」

 ポーラも咄嗟に魔法をとなえるが間に合わなかった。フレアの放った一本の弓が、ポーラの右肩に直撃したのである。

「くっ……」

 ポーラは、右肩に突き刺さった矢を抜くと、よろよろと立ち上がった。
 ピンチには違いないが、まだ手がないわけではない。

「い、癒しの風!」

 風の紋章術は、攻撃だけではなく回復の魔法も備えている。しかも、五鬼の紋章を持つポーラの回復魔法は、瀕死の重傷でもない限りなおしてしまうだろう。

(しかし、このままではキリがない……)

 そこで、ポーラは一計を案じた。五鬼の紋章と、風の紋章との組み合わせでできる最大の攻撃を思いついたのだ。

(よし……)

「五鬼の紋章、効果最大顕現!」

 ポーラは五鬼の紋章の効果を最大にした。驚きの効果だった。自分にもこれだけの魔力があったのか。自分の体内の魔力が暴走するのではないかと思えるくらい、驚くほどの魔力が体内にあふれる。
 そして、フレアのほうをむいた。フレアはもう次の攻撃の準備をしている。三本の矢を弓につがえていた。ポーラは、その隙をついて切り札を放った。

「効果最大! 眠りの風!」

 眠りの風は、風の魔法の中でももっとも基本的な魔法である。それだけに、効かない敵には効果が薄いが、五鬼の紋章で魔力を最高まで高めた状態ならどうなるか。ポーラはそれに賭けたのだ。
 フレアの周囲の風が、薄い青色を帯び始めたそして、フレアを包み込む。
 本来なら、この風が敵の眠気をさそうのだが……。

 ポーラは、心臓を高鳴らせながら結果を待った。
 フレアは無表情のまま眠りの風に抵抗したが、徐々に徐々に、そのうごきが鈍くなっていく。

(効いてる!)

 ポーラは効果を確信した。だが油断はしない。
 もう一度、五鬼の紋章を最大まで発動すると、「眠りの風」をもう一度はなったのだ。
 二発にわたる眠りの風で、フレアはさすがに抵抗しきれなくなったのか、びくんと身体を痙攣させて、地面に倒れ伏した。
 同時に、ポーラも地面に腰を着いた。味方と本気で戦う事がこれほど疲れることとは思わなかったのだ。
 とにかく、ポーラは人質のフレアの救出という任務を達成した。

「よ……と」

 ポーラは眠ったままのフレアを背負った。とにかく、このままアリアンロッドまで運ばなくてはならない。
 そして、一歩目を踏み出したとき。どすりと。ポーラの首筋に激痛がはしる。

「あ……」

 ポーラは思わず背負ったフレアを落としてしまうと、そのまま自分が地面に倒れこんだ。
 激痛に耐えながら自分の脇を見ると、眠っていたはずのフレアが、相変わらず無表情で立ち上がっていたのである。

(ま、まさか、擬態……?)

 うすれいく意識の中で、ポーラはフレアが自分の額に手を当てていることに気づいた。
 熱い感覚が、額から抜けていく。ポーラにはわかった。「五鬼の紋章」を奪われたのだ。
 だがポーラにはどうすることもできなかった。身体が動かない。

(ごめんなさい、マクスウェル……。ごめんなさい、ミレイさん……)

 かすかに残った意識の中で、ポーラは二人に対して謝罪していたが、それが届くことはなった。

19-8

 ポーラと同じく遺跡ルートを選んだミツバは、久しぶりに暴れられるとあって、自分のチームを完全に無視して、夜の紋章を振りに振った。

「そらそら、そこのけそこのけミツバ様が通るよ!」

 剣の形をしているものの真の紋章である。モンスターは粉々になり、ときには遺跡の地形を変えながら、ただひたすら進んだ。
 何度か道に迷ったが、そんなことは気にもしない。ただひたすら進み続けた。
 ただ、この娘は運がいいのか、どれだけ道に迷っても、最終的には出口に出てしまうのである。人徳といえばそうかもしれないが……。

 だが、遺跡出口付近で、ミツバは一気に表情を暗くした。
 ポーラが倒れているのを見つけたのである。
 ミツバは思わずポーラの胸に耳を当てた。心臓は動いている。どうやら意識を失っているだけのようだったが、彼女のチームはことごとく矢で射られて命を失っていた。

「…………………」

 さきほどまであれほど楽しげだったミツバの表情が、一気に苦悶に支配された。
 仲間を傷つけられたのだ。楽しかろうはずもない。
 ミツバは、これまで無視していた自分のチームに指令を出した。

「ポーラちゃんをアリアンロッドまで連れて帰って。
 意識を失っているだけだから、治療が早ければ後遺症ものこらないはずだよ」

「ミ、ミツバさんはどうするんです?」

 おそるおそる聞いたメンバーに、ミツバは怒りの表情で答えた。

「なにがあったか知らないけど、仇をとらなきゃ女じゃないでしょ」

 こうして、ポーラをチームのメンバーに任せ、ミツバは自分ひとりでオベルの館に向かった。
 館には警護の兵がいたが、ミツバは乱暴にも背後から撲り倒して、館の窓から内部を見る。ほとんどの部屋には人がいなかったが、ただ一室、人間がいた。
 そこにいたのは、すべての色素の薄い男だった。金に近い白の髪、白に近い青い瞳、そして不自然に顔に張り付いた笑顔。
 ミツバは、にんまりと笑った。そして。

「見つけたあッッ!」

 いきなり体当たりでガラスを割り部屋に飛び込むと、その男に斬りかかったのである。思い切り剣を叩きつけた。

「ぬう!?」

 その男は、どうやら左手が鉄の義手であるらしく、ミツバの剣を咄嗟に受け止めた。剣と義手の金属音が部屋に響く。

「あなたはいったい!」

「私の正体なんてどうでもいい。さあ、人質の居場所を教えてから、さくっと死んで頂戴」

 無茶といえば無茶な言い草だが、ミツバにとっては当然の主張だった。これが、彼女の仕事だからである。

「なるほど、マクスウェルさんのお仲間ですね。これは面白い。
 だが、私も素直に殺されるわけにはいきませんのでね」

「じゃあ、他の人に聞くわ。ここで……」

 叫ぶと、ミツバは大きく剣をふりかぶり、再びクレイに叩き落した。

「くたっばれー!!」

 それは、真の紋章の全力の一撃だった。遺跡の地形を変えるほどの一撃である。
 だが。クレイの義手は斬れなかった。平気な顔をして、クレイはつぶやく。

「この義手は特別な金属性なのでね、なかなか壊れないのですよ。
 そして、こんなこともできるのです!」

 言うが早いか、クレイは、ミツバの剣を受け止めたポーズのまま、何かをした。
 とたん、ミツバが悲鳴をあげて崩れ落ちる。
 ミツバは自分の腹に突き刺さったものを確認すると、それを自分で引きぬいた。

「なに? 毒針?」

「今回は毒は塗っておりませんがね。いかに剛力なあなたでも、その傷では戦えますまい」

「……………………」

 ミツバは正直に悔しさを表情に表すと、床を何度も叩いた。

「ちっくしょー!」

「さあ、どうします? あなたに勝ち目があるとは思えませんが」

 ミツバはさすがに腹に刺さった針が効いたのか、剣を杖代わりにしてようやく立ち上がった。そして。

「勝てないなら、逃げる! さらば!」

 いくぶん足元はふらついていたが、針が腹に刺さったにしては大した動きだった。
 入ってきた窓から飛び出ると、剣を杖代わりにしてなんとか歩いて去って行った。
 クレイは、それを追わなかった。

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(初:16.09.24)