ついに、決戦の日が決まった。七月十三日。
この日、連合艦隊は、拿捕した二十隻以上のエックス商会の船を先頭に、オベル港を目指す。そして、オベリア・インティファーダとキカ一家は、それに先んじてオベル島の北方に潜むように駐留し、密かに上陸を目指す。
マクスウェルは、昨夜のポーラとの一件があり、妙にギクシャクした動きをしていたが、オベリア・インティファーダだけが持つ「流れの紋章」のことをキカにだけに話した。
行動を共にするのだから、キカにだけは話しておくことにしたのだ。
これで恐らく、オベリア・インティファーダとキカ一家は、連合艦隊がオベル港に迫る前に、オベルの裏側に潜むことができるだろう。
「なるほど、この世には便利な紋章があるものだ。まさか船につける紋章があるとはな」
妙に感心するキカに、マクスウェルは頼んだ。
「お願いがあります。この紋章のことは、連合海軍には秘密にしておいてください。
連合海軍は正面から戦います。この紋章のことが知られてしまうと、早いうちに敵に対策を立てられてしまうかもしれません」
キカはしばらく難しい顔で考えたが、マクスウェルの頼みを了承した。
「わかった、我々も海賊だ。政府軍に知られたくない秘密もある。
この紋章のことは、リノにもオルネラにも黙っていよう」
「ありがとうございます!」
少し心配だったのだろう。マクスウェルは満面の笑顔で礼をした。
「ところでマクスウェル」
「はい?」
「さっきからたまに様子がおかしいが、昨夜なにかあったのか?」
「へ?」
マクスウェルは使える左手で自分の顔をぺたぺた触って見せたが、それがキカの質問への雄弁な答えだった。
キカはくすくすと笑った。
「人の色恋沙汰にどうこう言うつもりはないがな。決戦が近いんだ。気を抜くなよ」
つまり、キカにはすべておみとおしなわけである。急に気恥ずかしくなって、マクスウェルは真っ赤になってうつむいた。
ただ、同様に怪しい行動をしている人物もいた。ポーラである。
ラインバッハが対ジュエル戦で背中に重症を負ってから、マクスウェルの護衛はアカギ、ミツバ、ポーラが交代で務めていたが、ポーラの様子がこの朝から明かに妙であった。
マクスウェルの後方に控え、彼の背中を見ながら赤い顔をし、なんどもため息をついていた。
そして、マクスウェルの仕事姿を見てはポーッとして、これまた真っ赤な顔をしてため息をつく。
あまりの怪しさに、ミツバが何度か聞いた。
「ポーラちゃん、顔真っ赤だけど、どったの? 風邪?」
「え? い、いや、け、けっしてそういうわけではなくて、私はただマクスウェルの護衛として……」
あまりにしどろもどろな回答に、アカギはピンときたのだろう、ミツバの耳元で囁いた。
「こりゃあ、あれだよ、恋わずらいってやつで……」
「うあああああああああ!」
アカギの囁きが終わる前に、思い切り振りかぶったポーラが剣の鞘が、アカギの頭を直撃した。
可哀想なアカギは、ものの見事に急所を直撃され、その場に卒倒した。
ちょうどクロデキルドとの会談を終えたマクスウェルは、妙なポーズで倒れこむアカギを見て、不思議そうな顔をしたが、ミツバが何事もなかったかのようにウィンクをしたので、可哀想なアカギは卒倒したままおいていかれることになった。
オベリア・インティファーダとキカ一家は、上陸メンバーについて何度も見当を重ねた。
今回、右腕も「罰の紋章」も使えないマクスウェルは、船上から指揮に徹する。
オベリア・インティファーダからは、トリスタン、トラヴィス、ゴー、クロデキルド、イザク、ジーン、シメオン、ポーラ、ミツバなどが。キカ一家からは、ハーヴェイ、ダリオ、ナレオ、そしてキカ自身が中心になって上陸メンバーを指揮することになった。
そして、ミズキとアカギが、必要ならば敵地に潜入して敵を混乱させる。
いずれも一騎当千のつわものたちであり、このメンバーでそうそう敗北は考えられなかった。たとえマキシンがドラゴンスケルトンを率いて襲ってきても、である。
ただ、マクスウェルはトリスタンだけは何度も説得した。彼はこの戦いで死ぬつもりでいたからだ。マクスウェルは、生きている限り、雪辱を果たす機会はいくらでもあると言った。
トリスタンは頷いたが、マクスウェルの説得が通じたのかどうか、マクスウェルにもわからなかった。
これらのメンバーが、島のあちこちから秘密裏に上陸し、オベル王宮に奇襲をかける。部隊の数は十三。これだけの数があれば、誰かが敵をひきつけている間に、誰かが王宮に到達するだろう。
マクスウェルは、中心メンバーを集めて言った。
「この作戦の目的は、単に人質の解放じゃない。ラインバッハ二世、そしてグレアム・クレイの殺害だ。
失敗は許されない。……だが、失敗しそうなら逃げても構わない。生き残りさえすれば、次の作戦できっと出番がある。
皆、死ぬな。生き残れ」
死ぬな、というあたりがマクスウェルらしいところだった。
一方で、連合海軍も正面からの攻撃作戦に関して綿密な打ち合わせが行われた。
エックス商会の商船を前面に押し出して相手の攻撃を封じ、その後方から連合艦隊が砲撃を敢行する。
この場合、敵艦隊がオベル港から離れない場合は、オベル港を破壊しても構わない。敵艦隊がオベル港に帰港することを防ぐためである。
そして、うまく敵を殲滅した場合、自分たちがオベル港から決死隊を募ってオベル王宮を目指して上陸する。先に上陸しているはずのマクスウェルやキカたちと連携して、オベル王宮を落とすのだ。
ミレイは作戦を確認しながら、ぐっと手を握り締めた。
(フレア様、必ず、必ずお助けいたします。もう少し、お待ちください)
七月十一日、連合艦隊は、拿捕したエックス商会の商船を引きつれて出航した。合計四十隻、総旗艦はオセアニセス号である。
そして同日、オベリア・インティファーダとキカ一家は、夜、密かに出航した。全二十隻。こちらの総旗艦はマクスウェルの乗るアリアンロッド号であった。
連合艦隊には秘密にしてあるが、オベリア・インティファーダにもキカ一家にも、全ての船のスピードを圧倒的に上げる「流れの紋章」が装備されているため、連合艦隊よりも先にオベルに到達するだろう。
そうして七月十二日深夜、オベリア・インティファーダとキカ一家は、オベルの北側に到達した。オベル島の北側は、黒の森と呼ばれる未開発の大森林が広がっている。キカたちは、ここを浸入箇所に選んだ。
十三組、一人が五〜七人のグループを引き連れて浸入して一日待ち、連合艦隊がオベル南側で戦闘を始めてから混乱に乗じてオベル王宮を目指すことになっている。
マクスウェルは、未だに戦えない自分に未練があった。罰の紋章が使えなくとも、右手が使えさえすれば、戦力になる自信はあったのである。だが、動かないものは仕方がない。ここは上陸組みを信用するしかない。
一方、連合艦隊の指揮を執るリノ・エン・クルデスは、完璧に艦隊を動かしていた。
エックス商会の船まで一糸乱れぬ動きで艦隊を構成している。
彼らは、脅されて無理やり艦隊に構成されたはずだった。しかし、いざリノ・エン・クルデスの指揮下に入ると、本来は商人である自分たちまで、まるで軍人たちのような動きになってしまうのである。
これでは、リノ・エン・クルデスとラインバッハ二世と、どちらが味方か分からない。
そして、七月十三日午前九時、ついに艦隊戦が始まった。
エックス商会の船を前面に押し出した連合艦隊は、新オベル艦隊から一定の距離をとり、砲撃を開始した。
このとき、新オベル艦隊では、ヤンセンとオルグレンの間で意見がぶつかりあっていた。
「商船など、調達しようと思えばいくらでもできるではないか。
敵は卑怯にも商船を盾に砲撃しているのだ。ここは商船ごと吹き飛ばすべきではないか」
そう主張するヤンセンに対し、オルグレンはうんざりした表情で返事をかえした。
「クレイの指示は、挑発に乗らぬように港を守ることだ。それに、商船の船員も貴重な命である。
卿はその味方の命ごと吹き飛ばせというのか」
一糸乱れぬ連合艦隊の艦隊運動に対して、新オベル艦隊は妙に動きがギクシャクしている。
ヤンセンとオルグレンの連携がうまくいっていないのだ。
積極的に攻撃しようとするヤンセンと、商船員の命を重要視してそれをいさめて妨害しようとするオルグレンの艦隊が、完全にバラバラに動いていた。
リノ・エン・クルデスは、ここがチャンスだと思った。前面に押し出したエックス商会の商船を後ろに下げ、連合艦隊全艦でもって砲撃を開始した。
リノ・エン・クルデスの選んだタイミングは、まさしく神がかりといって良かった。ヤンセンの攻撃をオルグレンが妨害しようとした瞬間に、商船群を後退させ、連合艦隊全艦の砲撃が、新オベル海軍に集中した。恐るべき命中精度で、次々と砲撃を成功させていく。
当初、海戦には慣れていないと思われていたクールークのオルネラたちも、リノ・エン・クルデスの勢いに乗せられたのか、初めての海戦とは思えぬ命中率で砲撃したのである。
ここへきて、オルグレンがついに撤退を決断した。
「おのれ、ヤンセンの愚か者め! 作戦を台無しにしおって!
撤退だ、撤退せよ! 陸上戦に持ち込んで篭城戦にうつる!」
だが、このタイミングもリノ・エン・クルデスによって完璧に読まれていた。
リノ・エン・クルデスは連合艦隊の半数に命じた。
「ラズリル・クールーク艦隊はそのまま敵船を砲撃! オベル艦隊は港を破壊することに集中しろ!
敵に帰る場所を与えるな!」
そして、その命令は正確に実行された。
オベルの港は、桟橋のすぐ後方に断崖絶壁が控えている。オベル艦隊は、そこを攻撃したのだ。
次々と艦砲が崖を打ち抜き、岩石の群れが桟橋を次々と押しつぶした。
こうなると、巨大な軍船がとまるどころではない。
「ちい、オルグレンめ! クレイの犬めがとことん邪魔をしおって!」
ヤンセンの舌打ちはオルグレンに向けられたものか、クレイにむけられたものかわからなかったが、とにかく自分たちが窮地に陥ったことは確かだった。
「ええい、こうなれば強行突破するのだ! 敵中を突破して反転し、オルグレンと敵を挟み撃ちにする!」
こう叫んだのが、ヤンセンの最期の言葉だった。
ケネスの指揮するヤム・ナハル号の放った砲弾が、ヤンセンの旗艦マルドゥーク号の艦橋に直撃したのである。
マルドゥーク号は驚くほど短時間で炎に包まれ、その姿を海中に消した。
一方で、オルグレンの旗艦ラーヴァナ号も何発か被弾し、煙を上げていた。
だが、頭に血が昇って死亡したヤンセンと違い、オルグレンはまだ冷静だった。
「退避、退避だ! 生き残った艦はどこにでも良いから逃げろ!
オベルに戻るチャンスは必ずある。それまで生き延びるのだ!」
こうして午後四時三十分、ヤンセンは戦死し、オルグレンはどこへともなく逃げ去った。
連合艦隊の被害は、轟沈ゼロ、艦橋破壊二、艦体損傷二。まさしく完勝であった。
リノ・エン・クルデスは、前回の第二次オベル沖海戦での汚名を、完全に返上した。
だが、まだ戦はここからだ。破壊した港から陸上部隊をなんとか上陸させ、マクスウェルたちと合流しなければならなかったのである。
(初:16.09.24)