ミツバとポーラが持ち込んだ「導師の紋章球」を、ジーンはテーブルの上におき、自分はその周囲を難しい顔でうろうろとしている。
普段は落ち着いているジーンの様子を知っているクロデキルドが、珍しそうに眺めていた。
「どうされたのだ? 普段は頼まれれば進んで研究をするのに、今回は乗り気ではないではないか」
クロデキルドが言うと、ジーンはため息を一つついた。
「これの、持ち込まれた経緯が問題なのよ」
「経緯? ミツバとポーラが倒した導師とやらの紋章だろう? 普通の紋章と違うのか?」
「その導師が、この世の人間ではないわけ。いわば、時を止めた永遠の特殊な都市の人間なのよ。
マクスウェルの罰の紋章をもってしても倒し切れなかった。おそらく、ポーラとミツバでも倒しきれていない」
「気味の悪い存在だな……。ということは、その導師が持つ紋章というのも、特殊な紋章球なのか?」
「恐らくね。私はその導師と知り合いなのだけど、あまり近づきたくない存在だわ。
もちろん、この紋章にも」
気味の悪そうな顔をするジーンに、思わずクロデキルドが含み笑いをした。
「なるほど、天下のジーン殿にも苦手なものがあったわけだ。
これはいい話の種になりそうだな」
思わずイらっとした表情で、ジーンは口を尖らせた。
「周囲に言いふらしたら、強制的に落書きがしたくなる落書きの紋章でも埋め込むわよ」
「それも結構だ。私には紋章術への適正がないらしいから意味はないだろうが、好きなようにしてくれ」
「じゃあ、いつか額に「牛丼」って
言って諦めたのか、ジーンは椅子にすわり、導師の紋章に手をかざした。
クロデキルドも表情を入れ替え、真剣な表情で眺めている。
ジーンの手が光を発し、紋章球が淡く光る。これが、五分ほど続いた。
「…………………」
ジーンが真剣な表情のまま考え込んでいる。
クロデキルドも表情を崩さずに問うた。
「やはり、特殊な紋章なのか」
「……そうね。八房の眷族紋章であることに違いはない。
ただ、その効果が特殊すぎるわ」
「と、言うと?」
「これの持ち主が再生思念、ということで、強い意思がある限り、この世に意志が復活し続けることは言ったわね」
「ああ、一種の執念のようなものか」
「そう。この紋章は、そのプロトタイプのようなものよ。
強い意思を持つ人間が宿すと、その肉体が死しても意思は死なず、復活を繰り返す。
眷族の紋章だから、永遠にその効果が続くわけではないけれど、たちの悪い人間が宿してしまうと、少少厄介ね」
「それもやはり、ラインバッハ二世が狙っているのか」
「間違いないわ」
「厄介な……」
クロデキルドが、やや怒りの成分を表情に残してため息をついた。
最近、紋章術というものに多少理解が出てきたクロデキルドでも、許せるものと許せないものがあるのだった。
クロデキルドは、人間の目的というのは、自身一代で成し遂げてこそ意味があると思っている。
志を同じくする人間が目的を共有するならともかく、邪悪な志を何代もかけて持ち続けるなど、これほど愚かなことはない。
そして、邪悪な志であればあるほど、人間の心にすみついてはなれぬものだと、クロデキルドは知っているのだった。
クロデキルドは、テーブルに手を置き、少し体重を預けて言った。
「このような紋章ばかり集めて、ラインバッハ二世とやらはなにがやりたいのだ?
私は、ヤツがマクスウェルからジュエルを奪った、それだけで心が煮えくり返りそうなのだ!」
「残念ながら、それはわからないわ。眷族紋章を集めていることからも、八房の紋章で何かがやりたいのかもしれないけど、目的は不明」
「下衆め!」
テーブルの上で、クロデキルドはぎゅっと拳を握り締めた。
ジーンとクロデキルドは、どんな紋章かを報告するため、マクスウェルの自室を尋ねた。
マクスウェルの自室は、外観は再建がすんでいるが、ジュエルがマクスウェルを亡きものとするために大暴れしたため、内部はほとんど手付かずのままだ。
ソファーは真っ二つにされ、仕事机も刃による傷で仕事ができるような状況ではなかった。
それでもマクスウェルが文句を言わないのは、自分よりも先に末端の兵士たちの居住区から再建するように命令したからだ。
兵士たちの家は、マキシンのドラゴンブレスの影響で、焼け落ちてしまった家も多い。まずはそちらから再建するようにと、マクスウェルは命じたのである。
ジーンとクロデキルドがマクスウェルを訪ねると、マクスウェルはベッドに横になって、その脇にキャリーが座っていた。
ジュエルによって抉られたマクスウェルの右肩の傷が化膿を始めており、目が離せぬ状態が続いていたのである。
だが、二人を見るとマクスウェルが起き上がりかけたので、これはキャリー、ジーン、クロデキルドの三人がかりで止めた。
やっとマクスウェルが落ち着くと、ジーンは、例のポーラとミツバが持ち帰った紋章を、箱に入れたまま見せ、どのような紋章かを説明した。
「再生思念……か。うーん……」
マクスウェルは右腕を包帯で吊った状態で器用に腕を組んだ。
「ジーンさん、一つ質問なんだが、思念だけこの世に残って、なにか意味があるのかな?
例えば、霧の船の導師は、思念だけでなく身体もこの世に残り続けていた。
だけど、思念だけこの世に残っても、身体がなければ何もできないような気がする」
「そうね、思念の強さにもよるけど、一番考えられるのは「憑依」ね」
「憑依……?」
クロデキルドが、また気味の悪そうな顔をする。
「そう、誰かの身体に憑依して、目的を達するの。
例えば、真の紋章を集めたり……」
そう聞くと、マクスウェルはぞっとする。
思いだけがこの世に残るとすれば、目的を達する手段がないから怖くはない。
だが、強力な意志の持ち主がこの紋章をつけたまま死んだあと、これまた強力な指導力、あるいは行動力の持ち主に憑依したとすれば……。
そして、あるいはグレアム・クレイなどがこの紋章を入手したとすれば。
「……ある意味、八房の眷族紋章の中でもいちばん厄介な紋章だな」
「そうね。取り扱い一つで、世界が亡ぶかもね」
マクスウェルが本当に困ったような表情で、首をかしげた。
「どうするかなあ。どこかに隠しておくのが一番いいと思うんだが……」
「そうだな……。ポーラのときのように「宿してください」と頼むのは危険すぎる」
しばらく三人が無言で考え込んだ後、マクスウェルが言った。
「わかった。その紋章、俺が宿そう」
「なに?」
「俺なら、真の紋章の影響で寿命で死ぬことはない。
少なくとも、何百年かは影響はないはずだ」
クロデキルドがジーンとマクスウェルを順に見る。
ジーンは、これに反対した。
「言ったはずよ。あなたがマクスウェルでいられる時間は、長くて一年。
あなたがどうなるか分からないけれど、導師の紋章と罰の紋章が思わぬ融合でもすれば、最強最悪の破壊兵器が誕生することになる。賛成はできないわ」
「……………………」
結局、この日は答えは出なかった。
(初:16.09.22)