クォ・ヴァディス 109

18-8

 七月九日夕方。マクスウェルは、ミツバとポーラをつれ、ジュエルとユウ医師が葬られた小高い岡へ来ていた。
 マクスウェルは右肩の傷がいまだにいえておらず、厳重に薬を塗られ、包帯でぐるぐる巻きにされたうえに首から右腕を吊っていた。
 なにせ、ナイフによって肩の骨まで削られたのだ。しばらくは本格的な戦闘どころか、戦闘の指揮すらしないほうが良いといわれていた。

 ここのところ、珍しくミツバが大人しい。
 相変わらず夜の紋章をかついでいるものの、以前に比べて大言壮語が減ったのは確かだった。
 ジュエルとマクスウェルの戦闘中、なんとかジュエルを正気に戻そうした結果、偶然とはいえ、マクスウェルの剣がジュエルの身体を貫いたのだ。そしてこれが、ジュエルの直接の死因になった。
 さすがにミツバにとってもこれはショックだったようで、暇を見つけてはジュエルの墓参りに来ているようであった。

 三人は夕方までユウとジュエルの墓参りに参拝したあと、雑談がてらゆっくりを住宅街まで戻っている。
 先日のマキシンによるドラゴンスケルトンによる襲撃と、ジュエルのマクスウェル襲撃によって、ほとんどの住宅がめちゃめちゃに破壊されてしまったのである。
 もっとも、ネコボルト族の住宅は、少ない資材で再建が可能なため、住宅はすぐに建てられる、問題は兵士たちの心境だった。

「マキシンかあ。次から次へとまあ、よくも大道芸を出してくるもんだねえ。
 前回は空を飛んで魔法合戦やらかしたと思ったら、今度はドラゴンで火ぃ吹いて来るんだもん。
 何者なのよあいつは」

 その前回の決戦で海を叩き割ったミツバがぶつくさ言うと、ポーラが答えた。

「彼女は、強力な「八房の眷属」紋章をやどしているのです。
 初回にマキシンが宿していた紋章は、今は私が宿していますが、これは普通の五行の紋章とは明らかに存在そのものが違います。
 これらの紋章は、五行の紋章術と違って身体能力を向上させるのではなく、過去に蓄積された紋章の力を本人の魔力に応じて引き出すことができるのです」

「え!? じゃあ、ポーラちゃんもマキシンと同じことができるの?」

 ポーラは苦笑した。

「私にはそこまでは無理です。わたしの適正は、そこまで魔力に特化しているわけではありませんから」

「どちらにしても気をつけてくれよ。それだけ強力な紋章だ。消費魔力も尋常じゃないだろう」

 マクスウェルに心配されて、ポーラは優しく微笑んだ。

 夕方の天気は良好で、明るい夕日が大地をオレンジ色に照らしている。
 三人は、思わず草原に腰を下ろした。そして、夕日を眺めている。
 戦争中でも、そうでなくても、自然の営みはは変わらない。普段は剣呑な研究にいそしんでいる三人も、思わず童心に帰っていた。

 ところが。異変が起こった。三人が夕日を眺めていると、自分たちの周囲が急に暗くなり始めたのだ。
 薄暗い煙が充満し始めたのか、ここだけ特異な空間に閉じ込められたのか、とにかく薄暗い霧のような煙に包まれたのである。
 そして、気がつけば、見たこともない空間に飛ばされたようだった。
 広い広い円形の場所。あたりは薄暗く、視界は悪い。

「え!? ちょっと、なにこれ!?」

 思わずミツバが立ち上がる。視界は狭い。妙に湿気が高く、普通の空間でないことは一目瞭然だった。
 ポーラもミツバも、この空間に足を踏み入れるのは初めてだが、マクスウェルは二回目だった。
 最初はテッドと供に、霧の船に乗船したときだ。ということは、この奇妙な空間を演出した者の正体は自然に解るといううものだった。

「導師! 今頃何のようだ。俺たちは、おまえに何の用もないぞ」

 くっくっく、というバスの声が響いた。
 そして、その巨大な姿が三人の目前に現われる。身長はマクスウェルの倍はあるだろう。
 巨大な爬虫類のようなものを身体に纏い、身体は空中に浮いている。

「ちょっと、なによあれ……」

 ミツバが驚くのも無理はない。明らかにその姿は人間ではなかった。
 魔術を極めようと失敗したバケモノ、というイメージをミツバは持った。

「あれは、真の紋章を集めているらしい導師さ。
 俺の前に姿を現すのは二度目だがな」

 マクスウェルが解説すると、導師は骨に響くようなバスの声で言った。

「くくく、弱っているな、マクスウェルよ。前回は不覚を取ったが、今回はそうはいかん。
 今度こそその紋章、奪い去ってくれる

 余裕の笑いをさえぎって、ミツバが叫んだ。

「ちょっと、あんた何者? 人が弱っているところにのこのこ出てきて、紋章を奪おうなんて、それでもあんた男なの?
 マクスウェルが相手するまではないわ。私が相手してあげる」

「ほう、根拠のない自信は死につながるぞ。まあいい、マクスウェルの相手はキサマのあとにゆっくりしてやる

「ちょっと、ミツバ、大丈夫か? 相手は魔術師だぞ」

 マクスウェルが言うと、ミツバはポーラと視線をあわせ、剣を構える。

「ポーラちゃん! あとは頼むよ!」

「はい、任せてください」

 ミツバは叫ぶと、夜の紋章を思い切り大きく振りあげた。そして、

「いっけーーーーーーーーー!!」

 巨大な魔力を秘めた夜の紋章は、まるでその場の景色を破壊するのではないかと思うほど強烈な勢いで魔力を弾き出したのである。
 すさまじい地響きと、煙を残してまでも、導師はこの最初の一撃を耐え切った。

「へえ、やるじゃん」

 導師は明かに狼狽した様子で、口角泡を飛ばしながらミツバに詰め寄る。

「キサマ……キサマは何者だ! 今のは真の紋章ではないのか!」

「私は星辰剣のミツバ。真の紋章を持っているのは、なにもマクスウェルだけじゃないってことよ!
 さあ、もう一発いくよーーーー!!」

 ミツバは剣を大きくふりかぶり、勢い良く、振り下ろす。まるで巨大地震のような激しい揺れが地面を揺らし、 バトルフィールドをめちゃくちゃに破壊しまくる。
 だが、流石に二度目ともなると導師も対策を瞬時に考えぬき、ミツバが大きく剣を振りかぶった瞬間、まるで弾丸のように指先から魔力を弾き出そうとした。もし打ち出されれば、隙だらけのミツバは、無事ではすむまい。
 だが、今度はポーラが動いた。ポーラの額が光る。八房の紋章の一つ、第五の紋章を起動させたのだ。

「させません! 護りの天蓋!」

 ポーラの声が響いたのである。
「護りの天蓋」は、流水の紋章の最大奥義で、広範囲の魔法奥義を封印してしまう魔術である。
 本来、ポーラに「護りの天蓋」を使えるだけの魔力はない。
 だが、ジーンたちがマキシンから奪った、自らの魔力を増幅する「第五の紋章」の効果と、先日のマキシンの急襲から、シメオンから流水の紋章を借り受けたことがポーラを救った。
 シメオンは、ポーラが自ら「第五の紋章」を宿した勇気を評して、できるだけこの女戦士を守ろうとしたのである。

 完全に虚を突かれた導師に、ミツバは全く容赦という言葉を知らなかった。

「いくよ、三発目ーーーー! 食らえーーー!」

 豪、という音が鳴り響き、ミツバの振り下ろした星辰剣のエネルギーは、正確に導師の中心を貫いた。
 導師の慟哭があたりにひびき、導師の身体が空中に溶け込んでいく。

「ば、ばかな……我は、世界に復讐するために力を……こんなところで……」

「冗談じゃないわ。復讐なりコントなり別の世界で好きなだけやってなさい」

 ミツバが呟くと、それまでうす暗く包まれていた周囲の風景が、もとの夕日の輝く風景に戻っていく。

「ミツバ、ポーラ、本当にすまない。俺が本調子なら手助けできたんだが……」

 すまなさそうに言うマクスウェルに、ミツバが喝を入れた。

「肩が満足に動かない人間は大人しくしてなさい。あんたのフォローのために私たちがいるんだから。
 病気や怪我の人間にでしゃばられちゃ、逆に迷惑よ」

 いつものように軽めの毒舌で返されて、マクスウェルは苦笑した。
 そのときである、ほほえましく二人のやり取りを見ていたポーラが、地面に小さな箱が落ちているのを見つけた。

「どうしたの、ポーラちゃん」

「さっきは見当たらなかったのですが、あの導師を倒してから落ちていたようです。なんでしょう?」

「開けてみようよ♪ さあさ、さあさあ」

 結局、ミツバの勢いに押されて、ポーラはその小さな箱を開けた。
 中に入っていたのは、どうやら紋章球のようだった。

「ねえ、これってまさか……」

 剣呑な表情で、ミツバはポーラを見つめた。
 これはもしかして、ジーンやラインバッハ二世が捜している紋章球ではないのか。

 しばらく考えた後、ポーラは、箱の蓋を閉めた。

「これは危険です。ジーンさんやシメオンさんに研究を頼みましょう」

「えー? 試しに自分で使ってみたいと思わない?」

「私は、世界滅亡の責任はとれません。やりたいなら、世界の果てであなた一人でどうぞ」

 結局、紋章球は、ジーンとシメオンに預けることに決まった。
 だが、マクスウェルの考えは異なっている。

(ガイエンのアンリの報告では、ケイトが八房の眷属紋章を二つ奪っている。
 そして、ポーラが持つのが一つ、マキシンの持つものが一つ、ラインバッハ二世の持つものが三つ。
 もしもこれが八房の眷族紋章ならば、八つの紋章が全て現われたことになる……
 いったい、どうなるんだ……)

18-9

「あなたたち、これをどこで見つけたの!?」

 ポーラとミツバが持ち込んだ紋章球を見て、ジーンが珍しく声を張り上げた。

「いやー、散歩の途中で変な導師に襲われたもんだから、倒したら落ちてました」

 事実といえば事実だが、ミツバの説明には説得力がない。
 ここで、ポーラが説明を加えた。
 ジュエルのお墓参りのとちゅうに、煙幕のような黒い霧に囲まれたこと。
 自分の倍ほどもある導師とやらに襲われたこと。
 どうやら、導師は真の紋章を狙っていたこと。
 そして、ミツバとポーラの連携プレイでこれを撃退したこと。

 ポーラの説明を聞きながら、ジーンは驚愕の表情を隠そうとしなかった。
 あの永遠の都からやってきたリジェネレーターの導師が、たかだか少女二人に倒されたというのか。
 恐らく、悔いが残る最後だったであろう。ヒクサクとは別の意志で真の紋章を集め、世界に復讐しようとしていたのだから。

「ともかく、これはしばらく預からせて。どんな効果があるのか解らない紋章だし、しばらく研究してみるわ」

「あ、ジーンさんでもわからない紋章ってあるんですね。
 どんな紋章でも三秒くらいでスパッと参上、スパッと解決!
 残念、それはオベルでも二番めだ! とかいってカッコ良く登場するかと思っていたのに」

 ミツバが笑いながら言うと、ジーンは思い切り疲れたような表情で、ミツバとポーラを部屋から追い出した。
 ジーンは考える。これで、こちらの所有する八房の眷族紋章は二つ。ガイエンにあるものを数に入れれば八つの紋章が全て出揃ったことになる。
 これがはたして、群島の救いの神になるのか、ひたすら破壊をもたらすものになるのか。ジーンも、考えあぐねている。

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(初:16.09.22)