クォ・ヴァディス 108

18-5

 翌七月八日、オベリア・インティファーダは暗闇に中にいる。
 マクスウェルの負った重傷、フレア王女の誘拐、そしてなによりも、マクスウェルが最大の救出の目標としてきたジュエルの死。
 夜の紋章の話によると、恐らくラインバッハ二世は、罰の紋章に深く関わる者を誘拐しては、そこに八房の眷属紋章を埋め込んで、紋章の力を強めているという話だった。
 だが、その話も、マクスウェルには殆どとどいていなかった。
 自身の重症で全てのやる気をなくしてしまったマクスウェルは、部下たちの報告は聞くものの、自分自身は部屋にと閉じこもり、能動的な行動を一切起こそうとしなかった。

 心配事は他にもある。時は七月初旬。真夏の一歩手前だ。
 ここで、アカギが深刻すぎる問題を提起した。

「いくら湿気が低いって言っても、そろそろ真夏だぜ。
 ジュエルちゃんの遺体を早いうちに埋葬してやらないと、腐敗しちまう。
 いつもまでもこのままじゃあ……」

 だが、この意見も、マクスウェルに進言する勇気のあるものは、今のところいなかった。
 ヘルムートとラインバッハは、マクスウェルを窮地から救った英雄だし、ミツバは最後の最後にジュエルとマクスウェルを「再会させた」立役者である。
 だだ、その三人にしても、今のマクスウェルに声をかける勇気はなかった。

 ただ、アカギは勇気を出してジュエルの埋葬のことをマクスウェルに進言した。
 いつまでも遺体を空気にさらしていたのでは、湿気の低い無人島といえど、いつかは悲惨な状態になる。なによりもジュエルが可哀想だ。
 ここは、決心を決めて埋葬をしてやるのが親友のせめてもの心遣いだろう。

 全ての行動にやる気をなくしていたマクスウェルも、このアカギの助言には素直に従った。本当はラズリルかナ・ナルに葬ってやりたかったが、これも運命というヤツあろうか。
 何より、ジュエルにとどめを刺したのが自分とあっては。
 マクスウェルは、ユウ医師の遺髪を納めた墓石の隣に、ジュエルを埋葬した。
 この葬儀には、ケネス、カタリナ、タル、ポーラなどのラズリル関係者のほか、ナ・ナル出身のもの、そしてオベル海軍のリノ・エン・クルデスが参加した。

 さて、マクスウェルが意気消沈して居る間でも、連合海軍のすべての職務がなくなったわけではない。とくに、リノ・エン・クルデスにとっては、フレア王女の誘拐が痛恨の極みだった。
 もちろん、マキシンが襲ってきたときに、フレアは自分の判断でマクスウェルの元に駆けつけたのだから、一戦士の判断における結果である。
 オベル王国の家系は、なんと言っても戦士の家系である。フレアも、マクスウェルを心底心配して、彼にもとにかけつけたのだろう。リノ・エン・クルデスは、フレアのこの戦士としての決断を責めたりはしなかった。
 ところが、フレアにはもう一つ、オベル王家の跡取りという重要な役割がある。さすがにこれには、リノ・エン・クルデスは無視を決め込む訳にも行かなかった。
 結局、リノ・エン・クルデスはフレア奪回作戦を決意した。
 もちろん、マクスウェルによるジュエル奪回作戦が失敗したばかりだから、何事にも慎重には慎重を重ねなければならない。
 だが、アグネスとターニャによるラインバッハ二世艦隊引き釣り作戦が上手く行かない今、リノ・エン・クルデスは能動的な作戦行動を決意した。
 具体的には、連合海軍の全軍をもってオベル港を完全封鎖し、機を見て突入作戦を敢行するのだ。これならば、海上戦闘に不慣れなクールーク艦隊も、陸上でも戦闘を期待できる。
 だが、この作戦を実行するには、解決しなければならない問題があった。ジュエルを失ったばかりのマクスウェルに、協力を要請しなければならなかったのだ。
 オベリア・インティファーダには、キラ星の如く人材が集まっている。彼らが活躍してくれれば、作戦の成功は間違いない。
 だが、マクスウェルが例の惨状では……。

 七月八日の晩、リノ・エン・クルデスは、個人的にマクスウェルを尋ねた。
 それまでの、心理の奥底に暗いものをためた表面上の会談ではなく、真にマクスウェルを慮って夕食を供にしたのである。
 マクスウェルは、右腕を包帯で吊っていた。彼の右肩の負傷は思ったよりも重く、ジュエルの暴挙によって鎖骨が抉られるほどの重症だった。一歩間違えば、右腕が永遠に使いものにならないところだったのだ。
 マクスウェルは左利きだから、食事に支障はなかったが、それでもどこか全体的なバランスはギクシャクしていた。
 夕食は、静かに進んだ。リノ・エン・クルデスはジュエルのことは口にしなかったし、マクスウェルもフレアのことについては積極的に触れなかった。
 ただ、リノは作戦の変更については口にした。

「これまでの作戦計画では、時間がかかりすぎる。
 そこで、俺はオベル港包囲作戦に切り替えるつもりだ。
 やはり、クールーク兵も陸上ならでは動きやすかろうし、オベルを取り戻しさえすれば、事件の全ては解決する。
 マクスウェル、お前のオベリア・インティファーダの力を貸してくれないか。
 お前たちが力を貸してしてくれれば、全てを奪還できる」

「………………」

 マクスウェルはこの日、珍しく白ワインを口にした。普段は一切酒が飲めない彼である。
 そして、一つ条件を出した。極めて淡々とした口調だった。

「オベリア・インティファーダの協力については問題はありません。
 ただ、ひとつ条件があります」

「条件……?」

「はい。連合海軍がラズリル・オベル・クールーク・ガイエンと同盟を結んでいるように、我々オベリア・インティファーダは海賊のキカ一家と同盟を結んでいます」

 その告白を聞いても、リノは特段驚きはしなかった。オベリア・インティファーダには、現在キカ一家のハーヴェイがいる。荒々しい海賊そのものといった気性の男だが、彼がマクスウェルの元にいるということは、なんらかのかたちでキカ一家がマクスウェル一派に関わっているという予想はすでにしていたのである。

「うむ、なんとなく予想はついていたが」

 マクスウェルは、質素な焼肉を口にほおばると、しばらく咀嚼してから飲み込んだ。

「条件は一つです。オベル港包囲作戦はよろしい。ただ、そこに、キカ一家も参加させたいのです。
 ラインバッハ二世以外の群島の全勢力が作戦に関わることで、ラインバッハ二世は孤立感を深めるでしょう。
 そして、彼が気落ちした瞬間を狙って、海上と陸上から総攻撃をしかけるのです」

 リノ・エン・クルデスは、素直に感嘆した。ジュエルを失ったとはいえ、その軍事センスはいささかも衰えていないように見える。
 結局、リノ・エン・クルデスはマクスウェルの意見を是とした。

 フレアの奪還を、そしてジュエルの仇を。
 決してこの群島にラインバッハ二世の野望を成就させてならない。
 その一点において、二人の意見は一致していた。

18-6

 海賊ハーヴェイの影響ではないが、マクスウェルは最近、時間を見ては読書に精を出している。……というよりも、いつまでも何もしないことに疲れてきていたのだ。
 最も、ハーヴェイのような冒険小説ではなく、マクスウェルが興味をもったのは、自分がどのような状況におかれたときに、いかに行動するべきか、という類の本だった。ジュエルを失ったことがよほどショックだったらしく、人の上にたって同胞の命を守るにはどうすればいいか、ひたすら研究を続けた。
 このあたりは、一軍を預かる身として、どのように味方を守るべきか、その延長線上の知識だった。
 例えば、アカギとミズキの故郷で遊ばれるボードゲームに、「囲碁」というものがある。白と黒の駒を用いて、相手の陣地を奪い合う単純なゲームだが、これが上級者の心得ともなるとなかなか興味深い。
「囲碁十訣」というのだが、曰く、

 不得貪勝(貪ってまで勝つな)、
 入界宣緩(敵の内では緩やかにすべし)、
 攻彼顧我(攻める時こそ自分を顧みるべし)、
 棄子争先(石を捨てて先手を取れ)、
 捨小就大(小を捨てて大を取れ)、
 逢危須棄(危険になれば捨てるべし)、
 慎勿軽速(足早になりすぎるのは慎め)、
 動須相応(敵の動きに応じるべし)、
 彼強自保(敵が強ければ自らの安全を優先せよ)、
 勢弧取和(孤立しているときは穏やかにすべし)

 ……という十の戒めのことである。

 マクスウェルは、どちらかといえば慎重にことを進めるタイプだが、それでだけではいけないこともあるのだと、この十の戒めから教わることも多かった。

 さて、改めて連合海軍と共闘の約束をしたことで、オベリア・インティファーダの戦い方も変わってくる。
 これまで頑張ってくれたターニャとアグネスは激怒するかもしれないが、実際に敵が出てこない以上、こちらから攻めるしかない。
 ラインバッハ二世を港からつり出す作戦に拘り続けた二人が、果たして笑顔で方針を転換してくれるかどうか。ターニャなどは口をすっぱくして激怒するだろうな……、と思いながらも、戦闘は結果だ。きちんと結果を出せば、最終的に用いた作戦は正当化されるのだ。
 マクスウェルは、グレアム・クレイも、ラインバッハ二世も、殺すつもりでいる。殺さなければならない。
 彼等のお蔭で群島はパニックに陥り、不幸な事件も起きた。
 これ以上、彼らによる悲惨な事件を起こしてはならない。彼等の目的がどこにあろうとも。

 マクスウェルは、オベル王国の地図を広げた。
 ほぼ無人島と同じ大きさの島で、人口は約三万人。
 リノ・エン・クルデスら連合海軍はオベル港から総攻撃をしかけるとしているが、マクスウェルにはやや不安がある。
 オベル港は、大量の軍船を駐留させるには、規模が小さいのだ。
 もともとオベル王国は、天然の要害の地を利用して計画された防備に特化した島である。
 そこをただ一箇所、正面から襲うだけでは、手段が少なすぎる……。

 深夜、マクスウェルは自室にアグネス、ヘルムート、タルを呼び出した。

「なるほど、攻める場所が少なすぎるという卿の懸念は分かった。
 では、どうするつもりだ? この地図によると、まともに上陸するに場所は港しかないように思えるが」

 ヘルムートが指をテーブル上でタップさせる。
 タルも難しい顔をしており、アグネスはあからさまに不満そうな顔をしている。
 やはり、自分の努力を無にするようなリノ・エン・クルデスの作戦が気に入らないのだろう。

 マクスウェルは三人を前に、自分の考えを語った。
 なにも、せまい入り口から大軍団が攻め入る必要せいはない。
 元々、自分たちオベリア・インティファーダは遊軍であり、主力艦隊ではない。
 ならば、どこから攻めようと、攻めやすいところから攻め込めばよい……。

「正論だ。だが、リノ・エン・クルデス陛下にはギリギリまで言わないほうがよいだろうな。
 どう動くか分からない艦隊が一隊いてこそ、奇襲は成功しやすい」

 ヘルムートは同調してくれたので、とりあえずマクスウェルは安心した。
 問題は、どこから浸入するかであった。
 回答を出したのはタルだった。回答とはいっても、彼の意見は豪快きわまりない。

「ならば、港以外のあらゆる場所から浸入すればいい。
 俺たちは断崖絶壁を登る訓練を受けているし、海賊もそれくらいは期待していいだろう。
 オベルの島中から浸入すれば、あらゆる場所から攻めることができる」

「随分と乱暴な意見だな。無論、浸入できぬことはないだろうが……」

 タルはヘルムートを見る。

「オベル王国も実は、市街地が大きく開発されているわけじゃない。
 海側から浸入して森の中を移動すれば、ゲリラ戦は十分に可能だ」

 だが、マクスウェルが釘を刺す。

「アイデアとしては構わない。だが、トリスタンがそのゲリラ戦で失敗している。
 おさおさ注意は怠らぬ事だ」

 アグネス、ヘルムート、タルは、表情を引き締めて頷いた。

18-7

 オベル王国。

 マキシンの帰りを待っていたラインッバハ二世の喜びようは大変なものだった。
 なにせ、四人集まるべき【姫】のうち、もっとも困難だと思われたフレアを、マキシンがつれて帰ってきたのである。

「ジュエルは死んだよ。マクスウェルに偶然殺されたようだ」

 マキシンが言うと、ラインバッハ二世はふふんと笑った。

「かまわん。ジュエルは、紋章との相性が抜群に良かったからな。
 八房のための熟成も抜群の早さだった。これはリキエやリタでは不可能な早さだ。
 やはり、罰の紋章との関係が深い分、八房との関係も濃い物になるのだろうな」

「そしてそれはフレア王女にも言えるかもしれないということか」

「フレア王女はなんといっても当事者だ。ジュエル以上の戦力・・になるだろうよ」

 ジュエルを失ったことは残念であったが、ジュエルの体内では、十分に八房の眷族紋章の熟成が為されている。しかもその眷属紋章は、本来の持ち主、ラインバッハ二世のもとに戻ってきているのだから、何の問題もない。
 ケイトからの報告によると、ケイトがガイエンで手に入れた八房の眷属紋章は二つ。一つはマキシンが自分で宿しており、一つはマクスウェル陣営のエルフの少女が宿している。そして、ラインバッハ二世自身が所持して居るのが、ジュエルが宿していたものを含めて四つ。
 これらの眷属紋章を、一人の【姫】に埋め込み、その相性で熟成させて、「八房」の覚醒の手助けにしようというのである。
 問題は行方不明のものが一つあることだ。

「あとはケイトが戻ってきて、貴様が紋章を返還してくれれば難の問題もないのだがな」

「さぁ、どうしようかね」

 マキシンは笑った。マキシンとて力に魅入られてしまった者である。
 これほどの出力を誇る紋章を素直に返すかどうか、いまだに不分明であった。

COMMENT

(初:16.09.22)