クォ・ヴァディス 106

18-1

 この晩、ラインバッハ二世の使者は、マクスウェルの執務室へ通された。ラインバッハ二世の使者を迎えにあたるに当たって、その執務室は異様な雰囲気に包まれている。
 使者を連れて来たマキシンは巨大なドラゴンスケルトンの背中に寝そべって、一見には、のんびりとしているように見える。
 だが、オベリア・インティファーダの精鋭たちは、この余裕が、いざ戦闘に陥った場合、絶大なる力で少々の戦力を壊滅できる自信の表れであることに気づいている。
 マキシンは、余裕を持って事態の打開するのに絶対の自信があるのである。
 オベリア・インティファーダの面々は、剣、槍、魔法とあらゆる準備を整えたが、マキシンは、先の群島解放戦争でも、クールーク崩壊事件事件でも、第一線で活躍した歴戦の魔術師である。少々腕に自信がある程度の魔術師では相手になるまい。
 のんびりした空気に支配されたように見えて、緊張の水位は最高潮にたぎっていた。

 さて、マクスウェルの執務室に通されたラインバッハ二世の使者は、異様な風体をしていた。
 全身を黒いフードで覆い、一見には男女の区別すらつかない。
 またこの晩、ラインバッハの使者ということで、マクスウェルの腹心が、そろってその部屋にある待っていた。
 ポーラは体調の悪化を押して参列している。敵方のマキシンが使者として訪れたことで、リシリアは自ら進んで出席していた。また、やはりマキシンの関係者ということでシメオン、ジーン、幼ビッキーが参列している。この五人は、八房の眷属紋章について研究を続けており、一刻も早く真相を解明することが求められていたのである。

「さて、ラインバッハ二世からの手紙というのを見せてもらおうか」

 マクスウェルが、恫喝とも落ち着きともいえる声を発した。
 全身黒衣の使者は、ラインバッハ二世からの手紙をマクスウェルに手渡す。
 マクスウェルとしては、ラインバッハ二世が自分に求めていることが予想することもできず、ゆっくりと親書を読むつもりであった。
 ところが、マクスウェルの期待は、最も無残な形で裏切られた。
 マクスウェルの開いた新書には、何も、一文字も書かれていたのである。そしてその代わり、一本のショートナイフが包まれていたのであった。
 あまりに一瞬の出来事だったので、マクスウェルの部下たちは、一瞬、だれも反応することができなかった。ラインバッハ二世の黒衣の使者は、恐るべき敏捷性でマクスウェルに襲い掛かると、親書に包まれていたナイフを手にしマクスウェルに馬乗りになって、彼の右肩を、思い切り突き刺し抉ったのである。

「くああああ!!!」

 マクスウェルはもんどりうって後方に倒れこんだため、それ以上の傷をおうことはなかった。

「なにをする!」

 ベルムートとラインバッハが、剣を引き抜いて黒衣の使者に切りかかるが、使者の動きも大したもので、まるでダンスを踊るような華麗な動きで、二人の剣劇をかわしてみせる。
 そのときである。ミツバが、野生の勘を発揮して、黒衣の使者の背後に回ると、その黒衣を勢い良く剥ぎ取って見せた。

「………………!!!!」

 マクスウェルやポーラにとって、これ以上の悪夢はなかったであろう。
 ラインバッハ二世の使者は、十六〜十七歳の女性だった。浅黒い肌と、銀色の髪を持つ健康的な女性であった。
 マクスウェル、ポーラ、ケネス、タルにとって、最も衝撃的であったのは、この少女かかつての同窓生であることだった。
 その名をジュエルという。

 ジュエルは、両手に二刀流の剣を構えると、マクスウェルをじろりとにらみつけた。
 マクスウェルは負傷した右肩を抑えながら、いまだに幻でも見るような目でジュエルを見ている。

 本来、ジュエルは魔法が得意分野であり、腕力がタルやマクスウェルに劣るため、ガイエン訓練校時代は、魔法を中心に修得していた。
 だが、この日のジュエルはまるで別人であった。
 目標をマクスウェル一人に定めると、信じられないスピードで襲い掛かり、信じられないパワーで、剣を振り下ろす。マクスウェルは、なんとかソファをひっくり返してそれを避けようとするが、なんとジュエルの剣はそのソファさえ真っ二つにしてしまったのである。
 今にも押し倒されんばかりのマクスウェルのピンチに、ヘルムートとラインバッハの剣劇が、ジュエルの頭上をなぎ払った。さすがにこれはジュエルも距離をとる。

「ヘルムート殿、わずかで結構、時間を稼いでもらえないでもらえないでしょうか」

「それは構わんが、ジュエルの動きは早いぞ。短時間で何とかしてくれ」

「承知」

 こうして、ヘルムートは息着く暇もなく、次々と剣劇を繰り出す。
 マクスウェルが右肩を負傷し、ケネスやタルがジュエルに攻撃の手を出しづらい中で、ジュエルに攻撃を仕掛けられるのはヘルムートとラインバッハだけである。
 ラインバッハは、ヘルムートはジュエルに攻撃をし掛けている間、自分の右手のグローブを外すと、彼の固有紋章である「赤き薔薇の紋章」を発動したのである。
 この紋章は、自らの敵対する相手を魅了し、その隙に相手の弱点を切裂くというものだ。
 猛スピードで襲い掛かるジュエルの攻撃を止めるには、これしか手段は無い。

 ラインバッハは右手のグローブを外すと、真紅の光を発する紋章を、発した。これで、ジュエルの動きをを止められるはずである。あとは、ジュエルを拘束し、マクスウェルを襲った理由を聞き出せばすむことであろう。
 ところが、ジュエルの動きを止めたと思って油断していたラインバッハの背中に、強烈な痛みが走った。動きを止められたはずのジュエルが、ラインバッハの背後から背中を切りつけたのである。

「な……なに……」

 背中から崩れ落ちながら、ラインバッハは、余裕の笑顔を浮かべるジュエルを詰問した。

「な、なぜ……私の紋章は、相手を魅了し動きを止めるはず……」

 苦悶の表情を浮かべながら、ラインバッハは問うたが、ジュエルはその問には答えず、タルとケネスによって屋外に連れ出されたマクスウェルを追った。

18-2

 屋外の戦闘状況も悲惨なことになっていた。
 マキシンは、ジュエルによるマクスウェル襲撃を確認すると、自分がドラゴンスケルトンに騎乗し、空中からの襲撃に特化して攻撃を開始したのだ。
 骨だけの無残な姿をしながらも、生前の特殊能力のいくつかは継承して居るようで、その歳たるものはドラゴンブレスである。
 ただでさえ、マキシンの強烈な魔法攻撃に加えて、空中からのドラゴンブレスに対して、オベリア・インティファーダは殆どなすすべもなく、その数を減らしていく。
 唯一、ジーンの魔法攻撃と、シメオンの魔法攻撃がそれなりの戦火をあげたが、焼け石に水といわなくても、一泡吹かせるには、火力が足りなかった。

 リシリアなどは、怒りを前面に押し出して、その感情を隠そうとしなかった。

18-3

 マクスウェルの執務室を破壊し、ラインバッハを重症に追いこんだジュエルは、すっかり瓦礫と化した猫型の建物の上に立ち、呆然とたたずんでいる。
 だが、彼女の最大の仕事は終わっていない。マクスウェルを無き物とし、罰も紋章を奪うこと、そして、八房の紋章の眷属紋章を奪還することであった。

「ジュエル、君は本当に我々を裏切ったのか」

 マクスウェルの質問にも、ジュエルの返答はない。
 こうなればやむをえぬ。当初、マクスウェルの最大の目的だったジュエルの救出は、現段階では不可能に使い。
 ならばせめて気絶でもさせなければ……。
 マクスウェルは本来は二刀流だが、ジュエルによってえぐられた右肩はの傷は、どうやら鎖骨まで到達して居るようだ。ひょっとしたら折れているかもしれない。
 出血に眩暈を起こしながらも、かろうじてマクスウェルは左剣を構える。

 この二人の対峙を見ながら、ミツバが必死の声で夜も紋章に語りかける。

「あの二人を助ける方法はないの? ちょっと見ていられないよ」

 すると、夜の紋章は意外な回答を寄越した。

「危険を伴うが、方法を存在する。ただ、成功率はきわめて低い」

「成功率は低くても、可能性はあるんだね」

「そうだ。かつて、私の因果は、紋章同士のつながりを「断絶」するところにあった、
 太陽と夜の縁を切裂いたのも、それが私の「因果」だからだ」

「ちょっと待って、真の紋章の因縁を切裂けるたら、八房の眷属紋章の因縁を切裂くことだって不可能じゃないの?」

「できる。ただ、この手法は、お前に多大な負担をかける。
 それでも、やるか」

「……………………」

 しばらく沈黙を守ったあと、ミツバは言った。

「やるよ。ジュエルちゃんは友達だし、マクスウェル様は、アタシと唯一互角に戦える相手だもん。ここ助けなきゃ、女じゃない」

「よかろう。私としては不本意だが、マスターの意志には従おう」

「それで、どうすればいいの?」

 夜の紋章のレリーフが、わずかに光を放つ。

「真の紋章、眷属の紋章には、真の紋章の使い手にしか認識できぬ「糸」というか、「紐」のようなものが見えるはずだ。
 それが、繋がっている限り、因縁として真の紋章同士をひきつけるのだ」

「どうすればいいの?」

「貴様にも相当の苦痛があるぞ。かまわぬか?」

 そうこうしている間にも時間はない。マクスウェルとジュエルの戦いは、佳境に入っている。二人とも体力の限界らしく、剣を振りあげる力にも力感がない。

「ジュエルのやつは、八房の二つの眷属紋章を我が物にして居るようだ。
 このままでは、マクスウェルといえど、危ない」

「それじゃ、いくよ。二人の「絆」の見つけ方を教えて」

「ただひたすら集中しろ。マクスウェルの力は強大だ。
 ジュエルの力も、今は強大になっている。
 今のお前の力をもってすれば、その絆はすぐに見えるはずだ、
 そこへ飛び込んで、切り裂け!」

「了解!」

 ミツバは、夜の紋章と、マクスウェルとジュエルの戦いに集中する。
 確かに、うっすらとではあるが、二人の間に金色の光の紐のようなものが見える。
 これが「絆」というやつだろうか。

「ぐっ……ぬう……」

 身体がバラバラになりそうな苦痛に耐えながらも、しっかりとミツバは剣を構える。

 しかし、マクスウェルとジュエルの戦いは、うごきが鈍くなっているとはいえ、まだ続いている。
 マクスウェルは罰の紋章の力を我が物にして居るし、ジュエルも八房の眷属紋章力をほぼ引き出している。そこに飛び込んでいくのは自殺行為だと思われた。

 だが、ここで思わぬ事態が起こった、兵士たちの怒声が、空中に向けて悲鳴に変わったのだ。
 何事かと思ってかマクスウェルとジュエルが空を見上げると、そこにはマキシンのドラゴンスケルトンが夜空を滞空していたのだ。しかも、いつ間に拉致されたのか、フレア王女が意識を失った状態でのせられていたのである。

「ジュエル! 今夜の目的は達した! このまま引揚げるよ」

「………………」

 ジュエルがマクスウェルに背を向け、剣を収めた、その瞬間だった。

「させるかあああああああああああああ」

 猛スピードで突っ込んできたミツバが、真の紋章術の使い手にしかみえないジュエルとマクスウェルの「因縁の糸」を、勢いに任せて切り裂いたのである。

 マクスウェルとミツバ、ジュエルの間に、強烈な光の柱が天空に向けて突き刺さった。
 マクスウェルも、何が起こったかわからぬまま、光の柱の中で、いやな手ごたえを剣を通じて感じていた。
 そして、光の柱が納まったとき、マクスウェルは信じられぬものを見ていた。
 それは、偶然だったに違いない。ジュエルの身体にマクスウェルの剣が突き刺さっていた。ジュエルの身体からは二つの光の弾が、夜一点を目指して飛び去っていく。
 マクスウェルは、一瞬、何が起こったのかわからなかった。
 ジュエルの身体が、力なくマクスウェルの身体によりかかった。
 そして、ジュエルの感情も、体温も、マクスウェルの身体の中で失われていった。
 ただ、ジュエルの表情が、マクスウェルの良く知っている、優しいものに代わりつつあった。
 先ほどまでの無表情とは違う、人間味のあふれる表情に変わっていた。

「マクスウェル……ごめんね……」

 これが、この事件における、ジュエルの唯一の言葉となった。

「ジュエル……、おい、ジュエル!!」

 マクスウェルが揺さぶる中で、ジュエルの瞳がゆっくりと閉じられていく。
 命が、堕ちた。
 ジュエルは享年十八。ナ・ナルからスピンアウトしてガイエンに流れ着いたその生涯は、常にマクスウェルと供にあった。

COMMENT

(初:16.09.22)