六月二十七日、ラズリル・オベル連合海軍はオベル王国における新国王セツの戴冠式について、激烈に非難する声明を発した。
それには、実際にラインバッハ二世にオベルを奪われたトリスタンによる資料が添えられ、いかに悪辣な手段でラインバッハ二世とグレアム・クレイがオベル王国を乗っ取ったかが明記された。
オベリア・インティファーダはその存在をまだ世間に広く知られるわけにはいかないため、公式には声明は出さなかったが、開戦に向けて準備を急いだ。
この時期、マクスウェルはリタポンを少し控えるようになり、身体を動かして気晴らしをすることが多かった。
幸いにも、身近にはタル、トリスタン、クロデキルド、ゴー、イザク、そしてミツバと、彼とも互角に戦えるものが多く、対戦相手にはことかかない。マクスウェルは毎日相手を変えては、剣をやったりゴーと取っ組み合いをしたりしていた。
ラインバッハが意外に感じたのは、マクスウェルの相手をミツバが務めることが多くなったことである。
この二人は仲が悪いというわけではない。ただ、お互いの持つ「真の紋章」の関係が決定的に悪いということがあって、これまでお互いに積極的に交流を持つことがなかった。
だが、マクスウェルがミツバを指定すると、ミツバも笑顔ではないものの素直にこれに応じ、激しい剣武を演じた。
あるいは、そうすることで、軍部の上層部が一枚岩であることを周囲に見せたいのかもしれない、とラインバッハは思う。
この日も、マクスウェルはミツバを相手に、激しく戦っている。
もともと、二人の剣の相性は悪い。マクスウェルは魔術師のような動きで相手を翻弄することを好み、ミツバは完全な本能で戦う。二人とも、どんなマニュアルにもない闘い方をするため、この二人の剣武は、周囲に禅問答のようなわけの解らない印象を与えることが多く、クロデキルドなどはあまりいい顔をしなかった。
マクスウェルの双剣が上下から疾駆し、ミツバはそれを一歩ステップバックしてかわすと、大振りな一撃を真上から振り下ろす。
マクスウェルは双剣を交差させてそれを受け止め、ミツバの身体を蹴り倒して間合いを取ろうとした。けりを食らったミツバはよろめきはしたものの、倒れることはせず、自ら間合いをとった。
「酷いな、君は。女の子の身体をけるなんて、騎士道なんかに反するんじゃないの?」
「悪いな、君と夜の紋章を相手に騎士道なんて守ってると、あっという間に真っ二つにされるからね。勘弁してくれ」
二人が悪態を付き合うと、ミツバの持つ大剣の柄に施された老人の顔のレリーフが黄金の光を発した。
「やめておけ、ミツバ。罰の紋章など破壊しか目にないものが、騎士道など発揮するわけがなかろう」
たっぷりと皮肉のスパイスを効かせてその剣、「夜の紋章」が囁くと、マクスウェルに変化が起こった。
左手の紋章が紅と黒の光を発し、その顔の左半分に、禍々しい文様が浮かび上がったのである。
「そうだな、ミツバはともかく夜の紋章よ、お前などを相手に騎士道など発揮する価値もない」
その口を邪悪にカーブさせて、マクスウェルが言った。
それは、はっきりとマクスウェルの声であって、罰の紋章特有の、男女の声が何重にも重なった声ではない。
最近、希にこういうことがあった。マクスウェルの意思が喋っているのか、罰の紋章の遺志が喋っているのかわからないときがあるのである。
これは、はたしてマクスウェルがわざとやっているのか、彼と罰の紋章の融合が予想以上のスピードで進んでいるのか、誰にも解らなかった。
彼の至近にいるラインバッハやポーラなどにとっては、心配の種でしかない。
そうこうしているうちに、港のほうからイザクがやってきて、何事かをマクスウェルに耳打ちした。
それを聞いたマクスウェルの表情が、先ほどまでの邪悪さが嘘のような笑顔に輝いた。
マクスウェルは双剣を鞘にしまう。
「悪いがミツバ、続きは今度な。重要な用事ができた」
「どうしたの?」
「アカギさんとミズキさんが帰ってきたんだ。強力な仲間を引っさげて!」
言うが早いか、マクスウェルは身を翻して港に走った。
港に着くと、懐かしい顔がいた。アカギとミズキと並び、海賊キカ一家の重鎮ハーヴェイの姿を見いたしたのである。
「ハーヴェイ!」
マクスウェルが声をかけると、ハーヴェイも悪戯っぽい笑顔で手を上げた。
「よお、生きてたかシニカル坊主! 頼りないお前のために、わざわざ来てやったぜ」
「相変わらずの口の悪さですね、それで船や剣の腕が悪かったら、就職先ないですよ?」
「うるせえ! 実際に俺は強いからこれでいいんだよ」
ハーヴェイはマクスウェルにヘッドロックをすると、うりうりとその頭を小突いた。
ハーヴェイ、二十七歳になるこの海賊は、ブラウンの髪と右眼の下の切り傷跡、そして活発で元気のよさが特徴である。
キカ一家においては相方のシグルドとともに、常にキカの側近としてその傍にある。
その生涯は、群島の海賊の典型的な例と言っていいだろう。
剣は強かった。十五の歳から「義賊」を名乗って風来坊を気取り、「悪い」と評判の海賊を単独で襲っては、それらをことごとく破って自分の財としてきたが、金遣いも荒く、宵越しの貯金など考えたこともない。
特にミドルポートの領主であったラインバッハ二世を嫌い、彼の交易船を襲っては、当時その腹心であったシグルドと何度も戦いを繰り広げた。シグルドとは、この頃からの腐れ縁である。
だが、あるとき、いつものようにシグルドと小競り合いをしている最中に、当時、群島でも有数の勢力を率いていた海賊スティールに襲われ、一方の雄エドガーに助けられることになる。
生涯どこの派閥にも属さないと決めていたハーヴェイだが、命の恩人には恩を返さねばと思い、それ以降、シグルドとともにエドガーの腹心として仕えた。そして、エドガーがスティールとの相打ちで非業の死を遂げて以降は、その勢力を受継いだキカに仕えている。
その性格は荒々しく口も悪いものの、粗雑ながら節度というものはわきまえている。軍隊の指揮官であったシグルドの影響で組織内の関係についても考えるようになってからは、たとえばダリオのような無知と無教養からくる荒々しさとは別の種類の性格を持つようになっている。
ハーヴェイばなしを続ける。
ハーヴェイの自分の船に「アキヅキ」という名前をつけた。これは、彼のお気に入りの小説に登場するヒロインの名前である。
ハーヴェイは昔シグルドから、
「お前は強いが馬鹿だからな。少しは本を読め。無駄にはならん」
といわれて、いやいやながら馬鹿にされるのもいやなので、読書を始めた。しかし、これが意外といい趣味になった。
剣の訓練や海賊としての「仕事」の最中にも、暇を見つけて本を読むようになった。歴史書や哲学書もシグルドに勧められて読んでみたが、知識にはなったものの面白くはなかった。
彼が気に入ったのは、冒険小説である。まるで自分がおくれなかった憧れの過去を投影しているかの内容に夢中になった。
今も、「アキヅキ」号の彼の船室には、三冊の冒険小説を持参している。
いっぽう、ハーヴェイに読書を勧めたシグルドといえば、実際に本を読んでいるハーヴェイを見て、
「こうしてみると、やはり似合わんな」
などと言って苦笑した。ハーヴェイにとっては酷い話である。
「とにかく、俺様が来たからには百人力よ、大船に乗ったつもりでどんと構えてやがれ」
自信満々に言い放つハーヴェイに苦笑しつつも、マクスウェルはアカギとミズキを出迎えて握手した。
「今回もお疲れ様、よくやってくれた」
「ありがとうございます」
ミズキが、相変わらずの無表情で一礼した。
考えてみれば、アカギとミズキはこの事件が始まって以降、様々な任務に従事しているが、ナ・ナル攻略から今回の伝言まで、一度も任務に失敗していないのだ。
マクスウェルでさえ、罰の紋章によって支配されたとはいえオベル島攻撃という「失敗」をしていることを考えれば、恐るべき実績であった。
「おう、今回も大成功だ。キカさんはダリオとナレオをつれて、何日か遅れてくることになってる。
それで、こっちはどうなってる?」
「ああ、ついに政局が動くよ。ラインバッハ二世が、セツ様をオベルの新国王にすると発表してきた。
七月一日に戴冠式が行われる。俺も招待されたが、行くわけにはいかない」
これがエレノアであれば、素直に招待に応じる振りをしてオベルに潜入しなんらかの策を弄するか、セツ新国王を認める代わりに人質を解放しろ、と恐喝したであろうが、マクスウェルにはその思考法は至らなかった。
オベル潜入は考えたものの、潜入してからどうするか、そこから先がわからなかったのだ。
大人数で参列して、一気にラインバッハ二世を討ち取ることも考えたが、戴冠式にクレイやラインバッハ二世が出てこない可能性も十分にある。そうなると、ラインバッハ二世の策にみすみす乗ってしまうことになるだけである。
この後、首脳部を集めてハーヴェイの紹介が行われたが、とうのハーヴェイは、
「自己紹介も何も、見知った面子ばっかりじゃねーか」
……と、少し呆れていた。
同日の六月二十七日、オベル王国は快晴である。南国の特有の湿気のないからっとした晴天の下、四日後に迫った新国王の戴冠式に向け、オベル国内も騒然としている。
賛否両論のあるこの戴冠式だが、すでに南のファレナ女王国から幾人かの貴族が参列することが発表されており、少なくとも国際的にオベル王国が孤立しているわけではないのだとの宣伝も盛んにされていた。
この策謀を考案したラインバッハ二世は政治的工作と遺跡の発掘作業に、ニルバ島から帰還したグレアム・クレイは来るラズリル・オベル連合海軍との決戦に向けて、軍備の再編成に従事しており、直接的に顔を合わせる機会もすっかり減っていた。
では、オベル新国王に推されたセツの心理はどうであろうか。
セツは一時期は地下の牢獄に収監されていたが、新国王に就任することが決定してから、もとの自分の部屋に移ることを許された。
もちろん、どこに行動するにもミドルポート兵の監視の下であり、自由に自分の部屋から出ることもかなわぬ。簡単に言えば軟禁状態は変わらないのであった。
セツは、自分が新国王になることを知らされたとき、ラインバッハ二世を痛烈に非難したが、それが相手に何の痛痒も与えていないことも知っていた。
ならばいっそ縊死するかとも考えたが、オベル島が失陥してしまったときに、自分の死はオベルの全ての責任を購うものでなければならぬことを理解しており、死ぬこともできなかった。
ならばいっそ、新国王に自らなるか。
それもありかもしれない、とセツは思うようになった。
新国王を名乗る。もちろんなんの権限もないラインバッハ二世とグレアム・クレイによる傀儡政権だが、自らはリノ・エン・クルデスらとなんら敵対する意思はないことを大声でわめき続ければ、多少は周囲の目も変わるかも知れぬ。
例えば、ラインバッハ二世指揮下のミドルポート兵が、ラズリル・オベル連合海軍と決戦するとする。しかし、新国王のセツは戦いを望んでおらず、この戦いは国王の御意にあるものではない。むしろ、ラインバッハ二世は逆臣である。
兵士たちにそう思わせることができれば、ひょっとしたら兵士たちのモチベーションは下がるかもしれない。もし戦闘に及ぶことになったとしても、両軍の士気が違えば、また結果も変わってくるであろう。
もしも周囲の島々がセツ新国王を認めることになったとしても、新国王の意思とラインバッハ二世らの意思が離れていることを知れば、「君側の奸を討つ」という名目でラインバッハ二世らを討ってくれるところがあるかもしれぬ。
こうして、セツはオベル国王になることを決めた。
無論、リノ・エン・クルデスが国王に復帰するまでのことである。
そのときこそ、セツは自ら命を絶つことができるのだった。
(初:16.05.30)