クォ・ヴァディス 89

14-6

 トリスタン、クロデキルド、イザクの三人の使者は、宿屋の一室を割り当てられた。とはいえ、ここで泊まるわけにもいかない。カタリナら首脳部の会議の結果が出次第、それを伝えに即座にマクスウェルの元に帰らねばならないのだ。
 この旅の二つの目的のうち、一つ、クロデキルドが海上戦闘に慣れることはほぼ達成された。イザクの見る限り、あの動きができれば戦場で集団戦闘になっても足手まといにはなるまい。
 問題は、もう一つの目的だった。つまり、カタリナらの会議の結果である。これが解らなければ、マクスウェルの元に帰っても意味がない。

「マクスウェルは主戦論を説いたが、オベル国王がそれにのってくるかな、イザク」

 クロデキルドに問われると、イザクが眠たげな目もとにしわを寄せて応えた。

「私の知っているオベル国王は、どちらかと言えば慎重派だがな。今回ばかりは乗ってくるのではないだろうか。
 国を奪われて、さらに亡国のそしりを一生享受して生き残るよりは、まずは一戦して先の敗戦の恥も含めて撃砕する道を選ぶのではないかな」

「しかし」

 と、トリスタンが言った。

「先ほど、国王陛下は私に「死ぬな」と仰いました。生き残っても恥を雪ぐチャンスを待つのがオベル流の思考ですが」

「しかし、それも国があってこそだ。何事も起こらなければ生き残ることもできようが、仮に負けに負けを重ねて敗者の地下にまで落ちれば、また立場は変わってくる。
 しかも、ここで一戦しなければ、オベル王家は戦いもせずに逃げ腰で口で文句を言うしかできぬ者たちの集団だと思われてしまうぞ」

 クロデキルドが腕を組みながら、柱に背を預けた。

「どちらにしろ、戦うしか道はない、ということだな。となると、我々にとっても初陣となる。
 気を引き締めねばなるまい」

 珍しく、イザクがニヤリと口元を引き締めたとき、カタリナ、リノ・エン・クルデス、オルネラの会議も、似たような結論に至っていた。

「どのみち、私は戦うつもりだ。剣電弾雨の中を生き残らなければ、必死の中に活も見出せぬ。
 だが、この戦いがターニャの言うオベルの「内輪もめ」になってしまった以上、キカどころか、ラズリルとクールークを巻き込むのは心苦しい。
 戦いに参加するかどうかは、お二方の判断にゆだねたい」

 神妙な顔つきで腕を組み、リノ・エン・クルデスはつぶやくように言った。最初の応えたのはカタリナだった。

「先の戦いでは、ラズリル軍にもラインバッハ二世に因縁があります。マクスウェルの恩に応えるためにも、戦いに参加するのは当然のことでしょう」

 すると、オルネラが長いプラチナの髪に指を通し、足を組みなおした。その場に弟のバスクがいれば、「似合わぬ演技だ」と思うに違いない。

「私たちはここに「戦うために来た」。それ以外の選択肢は存在しない。陛下の心配は余計なものですな」

 力強い四つの視線を受けて、リノ・エン・クルデスは心底嬉しそうに天井を向き、呟いた。

「わが人生に快なり」と。

 そして、会議の結果は、ほぼマクスウェルの思考どおりになった。無人島の南を主戦場として、ラインバッハ・クレイ連合軍……あるいは「新オベル王国軍」というべきか……と一戦交えることにした。
 もちろん、周囲の国々に対して現在のオベル王国のありようの非人道性を激しく説くことも忘れていない。何事にも宣伝活動は必要だった。自分こそが正しいのだと、説得力の在る説明で説いてまわらぬことには、思わぬ国が敵にまわるとも限らぬからである。

 結局、トリスタン、クロデキルド、イザクの三人は、会議の結果を受けてマクスウェルの元に帰還した。しばらく船で沖合いまで出てから「流れの紋章」を船から外し、幼ビッキーの「鏡」の力で一瞬にして無人島まで戻ったのである。
 オベリア・インティファーダにも、周囲には知られてはいけない秘密と言うものが二つも三つも存在し、それを隠すのに細心の用心を払わなければならなかった。
 こうして、その夜はふけていくように思われた。だが、事件は起こった。

14-7

 マクスウェルの使者がラズリルを後にして三十分ほど経ったあとである。
 このとき、リノ・エン・クルデスは中庭に、カタリナは私室にいた。この二人の下に、同時に使者がやってきたのである。
 無論、マクスウェルからではない。セツからの使者であった。

「セツからだと!」

 リノ・エン・クルデスは、使者の手から手紙をむしりとるように奪うと、一気に広げて一気に読んだ。
 その内容は、激烈だった。リノ・エン・クルデスは国を奪われたと言うのに戦うこともせず、ただ口を開いて悪口を言うだけの愚か者である。
 もしもそれなりの勇気があるなら、応じてやるからとっとと戦いに出てくればよいのに、それもしないということは、オベル王家は勇気のかけらもない臆病者の集団である。
 降伏の用意が在るなら、愚かなる貴様らがかろうじて生きていけるだけの財産は残してやる。ただ一片の勇気が残っているなら戦いの用意をせよ。新国王セツが、貴様らをまとめて打ち滅ぼすであろう。

「なるほどな。ターニャの予想通り、まずは俺の怒りを買おうとしているな。
 そして、戦場において小さなミスを重ねさせることで、われわれを自爆に持っていこうという腹だ。
 安い策だ、乗ることはない」

 しかし、ラインバッハ二世がセツの名を使ったことはリノ・エン・クルデスを強く刺激した。幼い頃からの忠臣が、自らを全否定してきたのだ。いい気がするわけがない。
 リノは手紙を丸めてしまうと、一瞬、剣の柄に手をかけた。それを見た使者が、恐れをなして部屋を飛び出してしまった。ミレイが恐る恐る言う。

「陛下、使者を斬殺するのは戦場のマナーに反するのではありませんか」

「なあに」

 リノは意地悪く笑うと、剣の柄をぽんと叩いた。

「使者の肝を試しただけだ。あれが真にセツの使者なら、逃げたりなどせず、一言二言私見なり忠告なりを加えてくるさ。
 そうでないということは、本当はオベルに関係のない者だ。例えば、ラインバッハ二世の関係者……とかな。
 いずれにしても、この使者が宣戦布告のそれになったことは間違いない」

「はい」

「これが戦争になった以上、その終わり方は四つしかない。
 一つ、当事国どちらかの降伏。
 一つ、関係のない第三国の和平調停。
 一つ、当事国どちらかの全滅。
 そして……、当事国双方の全滅だ」

「今回、戦争になるにしても、ラインバッハ二世の目的が全く見えません。
 グレアム・クレイがついていることからハルモニアが背後にいること、真の紋章が絡んでいるだろうことは想像できますが……」

「なに、何が奴らの目的だろうが、こちらのやることは一つだけだ。やつらを全滅、もしくは降伏に追い込めばよい。他のことは考えなくていい」

「そうですね。こちらには訓練をつむ十分な時間もありましたし、なにより罰の紋章を持つマクスウェル様がおられます。力強い味方ですね」

「………………」

 意識したことではないが、ミレイがマクスウェルの話題に触れたとたんに、リノ・エン・クルデスの表情が険しくなった。
 そろそろ水に流さなくてはならない。自分でも大人気ないと解っているが、どうしても理性の底で拒否して居る自分がいることも解っていた。
 どうしても自分から頭を下げる必要はない。やつのほうから頭を下げてくればよいではないか、と。

 だが、いま公私を混同する時間はない。リノは短く手紙をしたためると、怯えてばかりのセツの使者を呼び戻した。

「このリノ・エン・クルデスに勇気が見たいのならば、すぐに来い!
 何十艘もの船を並べて押し寄せてくるがいい! 貴様らに相応しく、金メッキの柩に納めて返してやるからな!」

 その怒涛の迫力に、使者は背を丸めて逃げ帰ってしまった。
 リノ・エン・クルデスには後輩にミレイが着いている。この小柄でもっとも王に信頼されている部下は、最近になってようやくマクスウェルを失った悲しみから立ち直りつつあった。それには、ラズリルの剣術師範で親友であるグレッチェンの気遣いが大きかった。
 リノは、ミレイに対して今後の戦争の予想を語りだした。

「この戦。先のオベル沖開戦のように「真っ当な戦闘」になるとは考えにくい」

「先日の……巨大生物が再び現われる確率が高い、と?」

「そうだ。おれはそれらモンスターの対応に、マクスウェルを推すつもりだ。
 前回の巨大生物を瞬間に消滅させた。この事実を前にして、彼以外に託す人間はいない」

「しかし……。マクスウェル様は異能の力を得ているとはいえ、たった一つの命です。
 あの巨大生物を消滅させた後、マクスウェル様がいかに苦しんだか陛下もご存知のはず。
 それを命令でもって強制すると、そう仰るのですか」

 しばらく、リノ・エン・クルデスは無言をとした。そして、意外にも落ち着いた声で言ったのである。

「ミレイ、覚えておけ。政治の中枢を担うものは、政治的確信犯からのがれえないのだ」

「…………!」

 ミレイは戦慄した。この鷹揚な国王の口からそのような言葉が出てくるとは。心優しい、力強い、この国王を形容する言葉は山ほどあるが、その口から「部下に傷ついてもらう」という言葉が確信的に出てくることが信じられなかった。
 そのミレイの表情を見て、リノは優しく笑った。

「ミレイ、お前はその優しさを忘れるな。それが、お前のお前足るゆえんなのだからな」

 怒りはしても、冷静さは失っていない。この事実をカタリナに告げるために、リノはミレイをつれてカタリナの私室を訪れた。

 ところが、そのカタリナは困惑の極みにあった。カタリナの元にはセツからではなく、ラインバッハ二世から直接手紙が届いていた。
 その彼からの手紙と言うことで、降伏を迫ってくるか、開戦を迫ってくるか、いずれにしても挑戦的な内容を覚悟していたのだ。
 ところが、いざその手紙を開いてみると、何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。
 何かの本の写しと思われる部分から始まり、あちこち訂正されたり消されたりして、まったく手紙の様相をなしていなかったのである。手紙の下書き、とでも言えばいいだろうか、それにしても内容がなさすぎる。とっさのメモ帳よりも酷いありさまだった。

「……なにかしら、これは」

 これが、カタリナの正直な感想だった。というよりも、これ以外の感想などでてこないだろう。
 側に控えていたケネスにたずねてみたが、やはり感想は同じだった。なにかのアナグラムなのか、呪文の類なのか、そうとしか読めない。

 そこへ、激しくドアがノックされた。リノ・エン・クルデスが入ってきたのである。
 リノはカタリナに例の手紙を見せて、やはり開戦あるべきだと説いたが、その熱弁の途中で、カタリナが受け取った「手紙」が目に入った。
 カタリナに読めないものがリノに読めるはずもなく、その滅茶苦茶な文面に、リノは表情を硬くした。

「……この手紙は、カタリナ殿が訂正されたのか」

「まさか。最初からこのような有様で、まったく読めません」

「最初から読めない手紙を送ってきたのか、ラインバッハ二世が?」

 いぶかしげなリノの視線を受けて、明らかにカタリナがうろたえた。怒号の真っ最中の中にいるリノに、「ラインバッハと内通しているのか」と疑われたのだ。笑って過ごすことなどできるはずもない。
 それをとりなしたのはケネスだった。

「これは、我々の内部分裂を狙った策でしょう。
 リノ陛下を激昂させ、我々を困惑させれば、一致団結の作戦行動はとりにくくなる。
 陛下、今は敵の策に乗せられぬことです。我々が裏切る理由などどこにあるのですか?」

 確かに、ラズリルがリノを裏切る理由はない。
 だが、裏切る能力はある。また、裏切るメリットもある。
 疑いはじめれば、それがすべて裏切りの理由になってしまう。はなはだ不健康な思考を振り払うように首を大きく横に振り、リノは頭を下げた。

「それもそうだ。疑えばキリがないし、疑うべき理由もない。
 カタリナ団長、失礼した。二度とこのようなことは言うまい」

「いえ、わかっていただければいいのです。
 また明日も決戦に向けて備えなければなりません。今日はもうお休みになってください」

「では、お言葉に甘えます」

 言って、リノはカタリナの部屋を後にした。しかし、二人とも明快とは程遠い顔をしていた。

「…………………」

 リノは口元を引き締め、拳を握り締めて、全体重を床にたたきつけるように歩いた。
 カタリナは、困惑そのものの表情をし、目元は不安でいっぱいになっていた。

14-8

 そのようなラズリルのごたごたを知らぬマクスウェルは、帰ってきたトリスタンたちの報告をうけて、気合を入れて頬を叩いた。マクスウェルの部屋には深夜にもかかわらず軍の首脳部が集まっている。

「よし、いよいよ決戦だ。しかも、俺たち単独の決戦じゃない、連合軍との作戦行動だ。これは難しいぞ」

 アグネスがテーブル上に海図を広げる。

「理想的な戦場はここ、無人島とオベルのちょうど中間です。
 ここなら、我々の快速艦隊は島々の陰に隠れながら戦うことができます。
 我々の作戦思想はあくまで一撃離脱、しかもオベル・ラズリル連合軍を前面に押し出しての戦いです。
 決して我々が主役になってはいけない。そのことだけを忘れないでください」

「連合海軍を囮にするというのか?」

 いぶかしげな顔をしたヘルムートを牽制するようにアグネスが言う。

「我々は脇役に徹するというだけです。まず、我々の目的を忘れないでください。
 リノ陛下たちの目的はオベルの国土を回復すること、我々の目的はセツさんたち囚われている人たちを助けることです。
 戦いの目的が違います。ゆえに、私たちは敵をかく乱することに徹し、隙を見てオベルに上陸します。
 この快速艦隊とマクスウェルさん、ヘルムートさんの指揮力があれば可能です」

 連合軍という名目ではあるが、自分たちは遊撃部隊として動くと言う。
 遊撃部隊、と言うのは簡単だが、実践するのは難しい。主役同士が殴り合いをして居る隙をかいくぐってオベルを目指すと言うのだから、ただごとではない。

「ここは腕の見せ所だな」

 アリアンロッド艦長のタルが身を引き締めるように言った。
 余談だが、マクスウェルの艦隊の艦名は、アプサラス、アリアンロッド、アラティー、アルテミス、アムムート、アペプなど、すべて「A」で始まるものに統一している。
 これも、艦隊の士気を少しでも統一しようと言うマクスウェルの考えなのだが、果たしてそれが吉と出るか凶と出るか、神のみぞ知るところであったろう。

 作戦の確認をし、首脳部は一旦解散したが、マクスウェルはポーラとタルを残して言った。

「戦争とは、国家が人間の命よりも大事なものを奪い合う行為だ」

「…………」

 タルとポーラは、何もいえない。マクスウェルの強い視線と、顔の表面に浮かび上がった禍々しい紋章が、何も言わせなかった。

「人間の命よりも大事なものが国家だというのなら……」

 マクスウェルの拳と口元に力が入る。ぎりと音がしそうなほどに、歯を食いしばっている。

「俺は、国家をわらい、戦争を嗤う」

 二人にはわかった。国家の生命よりも仲間の生命を重しとした時点で、マクスウェルは政治家ではなくなった。
 それは、マクスウェルの思考が、リノ・エン・クルデスともカタリナのそれとも逸れてしまうことを意味した。
 だが、それが本来のマクスウェルの姿ではなかったか。
 彼はこれまで戦い続けてきた。
 だが、一度でも「国のために」戦ったことがあっただろうか? 総ての戦いが、「誰かのため」の戦いであったのではないかと、タルは思う。
 そう、ここにきて、マクスウェルは様々なものに翻弄されながらも、本来の姿を取り戻していた。
 そのきっかけが、この事件の発端から彼の内部にくすぶり続けていたのか、先ほどグレアム・クレイに侮辱されたことが直接のきっかけとなったのか、それは解らない。
 しかし、なにかのきっかけがあって、彼は本来の姿を取り戻しつつあるのだ。
 それが、幸運の先鞭が不幸のさきがけか、それはわからない。
 だがポーラは思うのだ。マクスウェルが自分らしく戦うとき、これまで不運なことは一度もなかった。総ての結果が幸と出た。
 ならばこの戦いも、きっとそうなるに違いない。
 あるいは、自分はそう信じたいだけなのかもしれない。紋章の悪夢に悩まされているのは、マクスウェルだけではないのだ。
 ならば、こんな戦争など、早く終わるに越したことはない。いや、早く終わらせるのだ。自分たちの手で……。

COMMENT

(初:16.05.10)
(改:16.05.26)