クォ・ヴァディス 85

14-1

 六月中旬、この時期、無人島に拠るオベリア・インティファーダでは、一つのゲームが流行している。
「リタポン」と呼ばれるそのゲームは、群島解放戦争でも活躍した小さな女戦士リタが開発した絵合わせゲームである。
 一〜三までの数字の描かれた四色の通常牌と、紋章牌と呼ばれる特殊な効果を持つ五種類の牌、合計四十一牌を用いる。プレイヤーは最初にランダムで配られた八個の牌を、「河」と呼ばれる場に伏せられた牌と一つずつ交換しながら、同色の同種の数字三個(刻子)、もしくは同色の連続する数字三個(順子)、もしくは紋章牌三個の組み合わせを作らなければならない。
 この組み合わせが三つできると「ロン」と宣言してそのプレイヤーの勝利となる。
 刻子、順子、紋章牌の組み合わせには、色や数字によって得点が決められており、敗北したプレイヤーは、勝利したプレイヤーにその得点を支払わなければならない。そして、最初に持ち点がゼロになったプレイヤーが最終的な敗者となる。
 基本的なルールはこのようなものだが、プレイヤーによって様々な追加ルールがあったり、逆にルール縛りをして遊ぶものもいる。基本的には二人で遊ぶゲームだが、牌の数を倍にして四人打ちで遊ぶこともできる。

 これを流行させたのは、アリアンロッド艦長のタルである。毎日の激務と罰の紋章との葛藤で休む暇もないマクスウェルを少しでもリラックスさせるため、彼とよく対戦をするようになった。すると、これをみた周囲の兵士までが暇つぶしにやるようになり、結果的にオベリア・インティファーダの一大ムーブメントになってしまった。
 もともとギャンブル性の強いゲームのため、金や物品を賭ける者が出てきたが、マクスウェルはこのゲームに金を賭けることを禁止した。未知の人間同士の金銭のやりとりは、人間関係を破壊する可能性のある危険な行為である。特に寄せ集めのオベリア・インティファーダでは、それは特に避けなければならないことだった。
 このため、リタポンで賭けられるものは主に酒、もしくはつまみ、というのがお約束となった。
 ある日、マクスウェルとの商売に来たチープーは、注文表に大量のリタポンセットがあるのを見て、「……なにこれ」とつぶやいて、心配そうな顔をした。

 このゲームでオベリア・インティファーダ最強を誇ったのは、意外にもジーンである。銀髪のこの紋章師は、なぜか異常に紋章牌が集まる体質らしく、相手のリーチをことごとく火の紋章でつぶし、水の紋章で相手の捨て牌を拾ってリーチ、土の紋章で自分のリーチをガードしながら、雷の紋章で連続ツモしてロン、というのが絶対勝利のパターンであった。
 なにもできずに完全封殺されることもあり、多くのリタポン戦士がこの紋章師を恐れた。そしていつの間にか「牌の魔術師」というあだ名まで授けられたが、この名で呼ばれるたびにジーンは微妙な表情をした。ジーン自身、誘われてやることが多く、自分から進んでリタポンをプレイすることは滅多になかったからである。


 六月二十日、そのジーンと卓を囲ったのはマクスウェルである。タルの気遣いもあってかマクスウェルの容態は安定しており、笑顔も少なからず戻ってきていた。
 だが、この月はとにかく多難だった。まず、マキシンとロジェによるリキエの誘拐を阻止できず、リシリアに重傷を負わせてしまった。
 そして、オベルから脱出してきたトリスタン、トラヴィス、キャリー、ゴーの保護である。
 マクスウェルはトリスタンからオベルの内情を聞かされた。とりあえずジュエルは生きている、という事実には安心したが、ユウ医師を失ったことは、マクスウェルにとっても痛恨ごとだった。
 マクスウェルは、トリスタンが持っていたユウ医師の遺髪を、島が一望できる小高い丘に埋め、小さな墓を作った。「群島の医術の発展に寄与した一生」と追贈したが、この一文であらわせぬほど、ユウの存在感は当時の群島解放軍にとっても、オベルにとっても大きかった。

 トリスタンは、彼らしくない暗い情念の炎を瞳に燃やし、オベリア・インティファーダへの参加を希望した。
 トラヴィスはとりあえずひとりきりになれるところを求めた。
 キャリーは最初の一日は脱力の極みだったが、翌日から早速オベリア・インティファーダの医療の先頭に立って働き出した。ユウの遺志を継ぐためにもとにかく働いて医療の腕を磨かなければならないと考えているようだった。
 ゴーは何も言わなかった。何も言わなくても、彼は戦うことしかしないから、それを知っている誰も、何も言わなかった。

 だが、多難な月ではあっても、トリスタン、トラヴィス、キャリー、ゴー、リーラン、リーリン、リールン、リーレン、リーロン、そして幼ビッキー、シメオン、クロデキルドという力強い味方を得ることができたのは、オベリア・インティファーダにとって大きなプラスだった。
 前者たちはマクスウェルもよくその実力を知っているし、後者たちもどうやら相当な実力者たちのようだ。特にマクスウェルの興味を引いたのは幼ビッキーとクロデキルドである。
 幼ビッキーは不思議な存在で、自分をビッキーと同一人物と認めつつ、性格は真反対であった。ビッキーが屈託のない単純な明るさを持っているのに対して、幼ビッキーはとにかく理屈っぽく、小難しい言い回しをするので、単なる会話が討論に発展して辟易するものもいたし、そもそも何を言われているのか解らない者までいた。
 クロデキルドは言葉遣いこそ勇ましいが、性格は単純明快で言葉は理路整然としており、生真面目な気の利く女性といった感じだった。何度かマクスウェルも剣を合わせてみたが、素直でまっすぐな性格が現われるような剣筋で、戦っていて気持ちの良い稀有な戦士だった。逆にマクスウェルが

「君の剣はまっすぐではない。戦法のひとつとしては認めるが、もっと愚直なほうが君らしい」

 ……と怒られる有様である。ただ、剣の腕はある。真の紋章というハンデを除けば、ミツバに匹敵するかもしれない。
 これらの人材をいかに運用するか、すべてマクスウェルの腕に掛かっている。シメオンはともかく、幼ビッキーは紋章術士としてはかなり特殊な存在であり、クロデキルドは陸上での戦いが専門で、船上での戦いの経験は殆どないという。
 群島の戦いは、つまり海での戦いだ。現在、クロデキルドには新米兵士の剣の訓練を受け持ってもらっているが、その腕をそのままにしておくのは惜しすぎる。なにか、彼女にも満足に戦ってもらえる場を用意したいものだ……。

「ツモ、二五〇〇点よ、聞いているのマクスウェル」

 見事に考え事をしながらうっていた懲罰か、リタポンの場は散々なことになっていた。ジーンは紋章牌を一つも使わずにわずか三順で上がっていた。マクスウェルの捨て牌は、見事に総てジーンの危険牌だったのである。

「あなたの持ち点は何点かしらね」

「……ハコテン(ゼロ)でございます……」

 半分泣きそうな声で、マクスウェルがつぶやき、ジーンは呆れた。

「人の部屋に押しかけてきて考え事をしながら打つなんて、失礼だわ」

「言い返す言葉もございません」

「何を考えていたの?」

「明日のこと。これからどうしようかって」

「そういうことはアグネスと話し合いなさい。私はこれで手一杯よ」

 言うと、ジーンは一つのカギを見せた。マクスウェルがジーンに預けた、一トンを越える紋章のかけらをおさめた倉庫のカギである。

「研究は、順調?」

「順調すぎるくらいよ。理論はほぼ完成。実験も最小規模ながら成功しているわ。
 あとは、あの大量の紋章のかけらね」

「それはよかった」

「……………」

 一瞬、ジーンは押し黙ってマクスウェルを見据えた。

「本当にそう思っている? イザクからも言われたのでしょう?
 これは、オベリア・インティファーダのみんなへの裏切りになるのかもしれないのよ」

「かまわない。俺はみんなからあざ笑われるだろう。
 でも、罰の紋章による被害をこの世から消すためには、俺はこれしか思いつかなかった」

「たしかに、あなたの考えを実現する手段はこれしかないでしょうけれど……」

 ジーンはリタポン牌を片付けながら、ため息をついた。

「私は信じているのよ、あなたがみんなの期待を裏切る人じゃないって。
 私だけじゃない、まわりのみんなもきっとそう思っている」

「ありがとう、ジーンさん」

 マクスウェルは、少し遠い目をした後、ジーンに向き直る。

「こんな俺でもさ、最近ちょっと前向きになれてるような気がするんだ。あんまり自虐するのもばかばかしくなってさ。そう思うと、ちょっと自分が変われてる気がする。
 自分が変わるには、自分の愚かさを見つめなおすことしかない。そうしたら、改めて自分に見切りをつけられるんじゃないかと思う」

 この言葉は、ジーンの記憶に強く残ったらしい。真の紋章に侵食され融合していくという、過去に例がない経験を緩慢にし続けている青年が、その凄惨さを克服しようとしているのか。
 あるいは、彼はケイト曰く「アマちゃん」からの脱却を自力で果たしつつあるのかもしれない。

 ジーンの部屋のドアが強くノックされたのはそのときだ。

「失礼、ラインバッハです。マクスウェル殿はこちらにおられますか?
 どうやら緊急事態が発生したようなのです」

 ラインバッハの緊張感のあふれる声を聞き、ジーンとマクスウェルは、深刻さをたぶんに含んだ視線を交し合った。

「俺はここにいるよ、ラインバッハさん、今いく」

 マクスウェルが服装と表情を整えて部屋の外に出ると、そこにはアグネス、ポーラ、ラインバッハ、ヘルムートの首脳部がズラリと顔を並べていた。マクスウェルは、その緊張感がただ事ではないことを悟った。

「それで、なにごとかな」

「さきほど、オベル王国に在る父上から使者が参り、書状を置いてまいりました」

「なんだって!」

 事件の渦中にあるラインバッハ二世から使者が来たというだけでも驚きだが、その書状になにが書かれているのか解らないのが、緊張感の正体であっただろう。
 さすがにリーダーに渡す前に開封するわけにも行かず、首脳部が揃ってマクスウェルを捜していたのである。当人がジーンにゲームで大敗して意気消沈していたとは、誰も想像していなかったが。

 マクスウェルはラインバッハから渡された手紙を手にし、一瞬喉を鳴らしてから開封した。
 そして、その内容を読み、絶句した。周囲の誰もが、マクスウェルの反応を待っていたが、一瞬の呆然の時をおいてそれに気づいたマクスウェルが、手紙の内容を要約する。

「……来る七月一日、オベル王国において、セツ新国王の戴冠式を行うので、顔を見せてほしい、とある。
 書状の差出人は名義はセツ様になっているが……」

「おのれ、父上!」

 やはり、最初に爆発したのはラインバッハだった。彼は詩人的な感性の強い男で、人間の行動の美醜に極めて敏感だった。
 同胞を裏切った挙句に、その部下の名を勝手に使って傀儡の政権を誕生させようとしている父親の名も顔も、すでに唾棄すべき存在でしかない。

「人の留守を襲って国を奪ったばかりか、今度はオベル国民とセツ様のプライドまで陵辱しようというのか! そこまで堕ちたか、父上!」

 猛るラインバッハの隣で、アグネスは流石に軍師らしく冷静を保っている。

「しかし、ラインバッハ二世が自らの正統を周囲にアピールするには、手段はこれしかありません。自分の裏切りはセツさんに熱望されたからだと以前から言っていましたし、今度の手法も、その「設定」を事実にしようとする追認行為でしょうね」

「……やはり、ラインバッハ二世とグレアム・クレイによる傀儡政権の可能性が高いか」

 ヘルムートが難しい顔で問うと、アグネスは自信ありげに頷いた。

「高いというか、間違いなくそうでしょう。そもそも、セツさんがオベル王家を裏切る理由が、まったくありません。
 もしも本当に裏切ったのだとしたら、いったいそれは何年前から溜め込まれた考えだったのでしょうね」

「少なくとも俺の知る限り、セツ様はそのような思考のできる人じゃない……と、思う。
 オベル王家への忠誠は、俺なんかとは比べ物にならないよ。オベル王家のために俺の紋章を使えと恐喝されたことすらある」

 確かにセツは、軍人としても政治家としても凡庸な男だが、唯一つ人に負けない点を上げろといわれれば、それはオベル王家への忠誠心だろう。この点、誰も意見を差し挟む余地はない。
 マクスウェルと初めて会ったときからマクスウェルと彼の「罰の紋章」を警戒し、オベル王家に対して危険を向けないよう、執拗なまでに釘を刺してきたし、実際にマクスウェルがクールーク第三艦隊を「罰の紋章」で吹き飛ばしたときも、

「いやー、あの青年、やってくれましたな。これで王も安心して戦えますよ」

 と、マクスウェルの体調を気にしていたフレア王女の前で暢気に言い放ったというから、彼の眼中にあるものはオベル王家への忠誠心のみであり、彼の守るべきはオベル王国のみなのであろう。

 ポーラが質問する。

「それで、マクスウェルはどうするのですか? オベルまでいきますか」

 この質問は、マクスウェルを考え込ませた。確かに、セツの戴冠式に出席すれば、ラインバッハ二世やグレアム・クレイと直接顔を合わせる機会もあるかもしれない。
 そこで彼らを害することができれば、ことは一気に決着する。しかし、この場合、敵の本拠地でことにおよぶのだから、マクスウェル側も何人の犠牲者が出るか解らない。
 また、セツの戴冠式に出席するということは、それだけでオベル王家を否定することになる。ラズリル・オベル連合軍と同盟関係にある現在では、少しでも疑念の残る軽はずみな行為は慎むべきであろう。

「これは、俺一人で解決していい問題じゃない。すぐにでもラズリルに飛んで、リノ・エン・クルデス陛下やカタリナさんと会談する」

「リノ陛下と顔を合わせることができますか、マクスウェルさん?」

 アグネスの冷静な質問にも、マクスウェルは動じない。

「これは、そんな個人の感情をこえた問題だ。リノ陛下には絶対に会わないといけない。
 ……少し怖いのは事実だけどね」

 言って、マクスウェルは少し苦笑した。

「ポーラ、ビッキーはどうしている?」

「はい、今朝は少し頭が痛いといって、自室で休んでいるようですが」

「そうか、テレポートはきついかもしれないが、今回だけ無理を聞いてもらおう。
 つぐないは、あとでいくらでもできる」

 言うと逡巡なく、マクスウェルは歩き出した。ブレーンたちも自然と足が同じ方向を向くが、どうやらマクスウェルは一人でラズリルまで行く気のようだった。

「我が友よ、私に父の醜行を購う機会を与えていただけませんか。せめてあなたを守り通したいのです」

 ラインバッハのその邪心のない誠意は、マクスウェルを喜ばせたが、彼はこれを柔らかく拒絶した。

「俺はいつか、リノ陛下と顔を合わさなきゃいけないんだ。だったら、一人で行って話をつけてくるよ。
 みんなといたら、どうしても甘えてしまう。間に誰かを入れてしまう。そうなる前に、自分で解決しておきたい。俺を大人にさせてくれ」

 そういわれてしまうと、ラインバッハにもポーラにも反論の術は無かった。
 女性の部屋に男どもがずかずかと入っていくわけにもいかず、まずポーラがビッキーの様子を確かめてから、マクスウェルだけがそのあとに続いた。アグネスたちの表情からは、不安の要素が消えない。

 ビッキーのテレポートは、彼女に額に手を当ててもらい、ビッキーに行きたい場所をイメージしてもらってから、そのとおりの場所に飛ばしてもらう手はずになっている。
 このときも、ビッキーは少し疲れた表情をしていたが、テレポートを快く引き受けてくれた。

「ラズリルでいいんだね?」

「ああ、ラズリルの港にでも飛ばしてくれ」

「それじゃあ、いくよ。目を閉じて……」

 ビッキーは優しくマクスウェルの額に手を当てる。もうテレポートに慣れているマクスウェルも、怯えることなく目を閉じた。
 そして。

「へっきし!」

 なんだか間の抜けたビッキーのくしゃみとともに、マクスウェルの姿は光の粒子を残してポーラの前から消えていた。

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(初:16.02.22)