クォ・ヴァディス 82

13-6

 シグルドがキカの本拠地である海賊島に情報を携えて帰還したとき、ちょっとした事件が起こっていた。
 マクスウェルの使者であるアカギとミズキが、ちょうど海賊島を訪ねていたのである。
 ここで、まず二人の対応を買って出たのは、自称「海賊王キカの腹心中の腹心」、ダリオであった。
 ダリオは、ジャンゴたちとはまた別の意味で海賊らしい海賊だった。背は低く筋肉質で気が荒く、無能と無学を絵に描いたようなおとこだ。キカへの忠誠心は本物だったが、キカのことを思うあまり自分勝手な正義感を中心に動くため、キカ一家の中でも鼻抓みにしている同僚も多い。
 裏の大人の世界で生きてきたアカギとミズキは、このように正義感をこじらせた十代がそのまま中年になったような男が大嫌いである。
 このときも、ダリオは横柄な態度で二人を出迎えた。

「おう、マクスウェルの使者だそうだが、それにしちゃあ貢ぎ物がたりねえなあ。
 まさか自分の方が格上とか思ってんじゃねえだろうなあ」

 これが、ダリオ流の出迎えだった。まず相手を威嚇しておいて、自分が上位に立ってから交渉に入る。
 しかし、このとき、アカギとミズキはダリオを完全に無視して、まずキカに面会を求めた。
 若いダリオの同僚ハーヴェイも、ダリオの身勝手な正義感に手を焼いており、二人の提案を快く受け入れたが、やりきれないのが無視されたダリオである。

「てめえら! キカ様第一の子分のこの俺を無視して話を進めるんじゃねえ!」

 しかし、アカギは平然としていった。

「それは構わないが、あんたが三年前、ラマダさんやオラーク海運(グレアム・クレイが武器商売の隠れ蓑としていた商会。エックス商会の前身)から金をもらって何をしたかバラしたっていいんだぜ?」

「な……ぅ!」

 ダリオは絶句した。三年前、グレン・コットが罰の紋章を継承したとき、オラーク海運とつながりのあったラマダから金を受け取り、ダリオは独断でラズリルを二回にわたって襲撃したのである。
 このとき、グレンは罰の紋章を用いてダリオを撃退したが、自身は紋章をマクスウェルに継承させてしまい、墨のようになって死亡した。
 つまり、ダリオは群島解放戦争をともに戦い抜いたとはいえ、ラズリル騎士団にとってもマクスウェルにとっても、強い因縁のある相手であった。なにより、アカギとミズキは、そのときラマダの部下だった。事情の総てを知っているのである。
 マクスウェルへの傾倒の強いアカギにとっては、とくに敵と言っても差しつかえない存在だったのだ。ミズキの手前暴発することはないが、敵意を隠そうとはしなかった。

 キカ一家の本拠地は、ドーナツのような形をした大きな島である。中央の本拠地の島を隠すように、ドーナツ状の岩礁が島をぐるりと囲んであり、一見には無人島にしか見えない。
 しかし、内部の構造は本格的であり、かなり大型の船舶でも何隻かは同時に修理整備が可能な設備が整っている。実際に、群島解放軍の旗艦オセアニセスがここで修理を受けたこともある。

「うるせぇ!」

 アカギよりも先にダリオが爆発した。長身のアカギの胸倉をつかもうとしてひらりとかわされると、獰猛な獣のような視線でアカギを貫く。

「俺は俺の正義で動いてるんだ! てめぇらにとやかく言われる筋合いはネェ!」

 正論で言いくるめられたときのダリオの癖だった。とにかく威嚇をして論を有耶無耶にしようとする。
 では、ダリオの正義に一部の常識もないかというと、実はそうでもない。ダリオは最近乱獲のすすんでいる人魚を必死に守ろうと個人的に動いている。人魚の密輸船を襲ったりして、とらわれの人魚を逃がしてもいる。
 だが粗暴な性格から来る手前勝手な正義論から、キカの理解も裁可も得ずに戦ううえに、キカの名前を勝手に使うことも多く、その正義は理解者はいても、同調者はいなかった。一言で言えば、幼稚なのである。

 アカギとダリオの雰囲気がますます悪くなったとき、奥から一人の女性が現われた。
 長身の女性で、ブラウンの髪を肩の下まで伸ばしている。切れ長の目もとに込められた力が、ただの海賊でないことを物語っていた。腰にマクスウェルと同じく双剣を佩き、背中に特徴的なタトゥーを入れている。

 群島の海賊王、キカであった。それまで乱雑に会話や酒にひたっていた海賊たちが、いっせいに立ち上がって頭を下げる。黙っているだけで、それだけの海賊を黙らせるオーラのようなものを、この女海賊王は持っていた。
 それは、リノ・エン・クルデスのような威厳のあるものではない。威厳と同時に冷ややかで、そして獰猛な空気を孕んでいる。
 そのキカが、ダリオを見据えた。あわててダリオも頭を下げる。

「ダリオ、今の話は本当か。目的は金か」

「す、すいません、キカ姉ぇ……」

「なに、海賊が金のために戦うのは当然のことだ。
 だがお前は、誰より正義を標榜している。口がすっぱくなるほど言っているが、お前の粗雑な正義はなんの役にもたたん。
 四十も過ぎて子もいる男が、少しは相手を選ぶということを覚えろ」

「…………」

 キカ独特の、トーンの低い声で責められると、ダリオは一言もない。この粗暴な男が、泣きそうな顔で天井を見上げた。
 だが、こうは言ってもキカはダリオを一艦長の座からおろしたことはない。
 一つには、その粗暴さをぶつけて相手の反応を観察しているのかもしれない。
 ともかく、それを冷静に見て、キカは改めてアカギを見上げた。

「お前は変わらんな、アカギ。マクスウェルの使者だそうだが、彼は元気にしているか?」

 アカギやミズキにとっては、辛い質問だった。彼が罰の紋章の呪いに苦しんでいることを語っていいものかどうか、迷ったが、喋らなかった。ただ、使者の役に徹することを選んだ。

「申し訳ありません、わたし達は手紙を届けるように言われ参上いたしました。
 その詳細も手紙を見てもらえれば解ると」

 ミズキはロウで硬く封をされた手紙をキカに差し出す。ロウは、出来上がったばかりのオベリア・インティファーダの紋章であるオベリアのサクラと剣をあらわしていた。
 何も言わず、キカは手紙の封を開いた。キカとて戦争の情報は得ており、長々とした現状の解説は読む気にはならなかったかもしれないが、マクスウェルの手紙は簡潔を極めていた。

 なにとぞ参戦の準備をここに請う。私の願いが受け入れられることあらば、私のみ知る貴殿朋友の遺言を伝える用意あり。

「貴殿朋友」。この言葉が、雷鳴のようにキカの背筋を駆け抜けた。
 マクスウェルとキカの二人の間で、罰の紋章に関係する人物は一人しかいない。
 かつてキカの恋人、海賊王エドガーの片腕を勤めたブランドだ。
 ブランドは罰の紋章をグレンに継承させた後、溶けるように死んだと聞く。しかし、罰の紋章は時折、継承者に過去の所持者の姿を見せることもあるとも聞いた。
 それらの知識とマクスウェルの言葉を考慮すれば、死後のブランドがマクスウェルに何かを伝えている可能性も高い。ひょっとすると、エドガーに関する言葉があるかもしれない。
 エドガーとブランドは、当時勢力を拮抗させていた海賊スティールとの決戦で相打ちに終わり、エドガーは死亡、ブランドは生き残ったものの、罰の紋章を継承してしまい、キカの前から姿を消した。
 そのとき、ブランドがエドガーの遺言を聞いていれば、伝言のかたちにはなるがマクスウェルが何かを知っているかもしれない。
 キカはちらりとダリオを見た。

(なるほど、自分の正義を押し付けるだけが能でないことを知っているあたり、マクスウェルは大人だな。
 あるいは、エレノアあたりの入れ知恵か……?)

 キカは疑ったが、これはエレノアの知恵ではなく、マクスウェルが自分で考えたことであった。

「…………」

 だが、それでもこの女海賊は容易には動かない。いや、動く決心はすでに決めている。その決心をさらに固めるための要素を待っている。
 もともとキカ自身、この事件には最初から興味は持っていた。ただ、自分が関係しないところで事件が続いているので、傍観を決め込んでいただけだった。
 そこで、腹心シグルドの意見を聞いた。彼はガイエンに注目した。ラインバッハ二世のことであるから、参戦させるにしろ、混乱させるにしろ、ガイエンにはなんらかの動きをかけるのは必定だといった。
 そのうち、シグルド自身が自分をガイエンに行かせろと言い出した。なるほど、かつてラインバッハ二世と因縁のあるシグルドであるから、自分に言い出したことが気になり始めたのだろう。
 キカはこれを許した。事件が自分に関係のないところで終わるのならそれでよし、関わる気はない。シグルドが有益な情報を持って来れば、改めて漁夫の利を狙うのも面白いかも知れぬ。

 だが、シグルドが帰るよりも先に、マクスウェルがキカの興味を引いてやまない提案を持ってきてしまった。こうなれば、シグルドの帰りを待って、改めてラズリル・オベル連合軍ではなく、マクスウェルと連合して参戦することになるだろう。


 決心が固まると、タイミングというのは自然と合わさるものらしい。とりあえずアカギとミズキを海賊島に留めた翌日、ガイエン首都オリゾンテからシグルドが帰ってきた。

(いいところに帰ってきた)

 キカは朝食もそこそこにシグルド、ハーヴェイ、アカギ、ミズキを自室に招くと、シグルドの報告を聞いた。

「……以上のような顛末で、ガイエン国内は混乱の極みです。
 ギネ皇太子がラズリルに残って参戦する可能性は低く、オリゾンテに戻って自ら混乱の収拾に当たらざるを得ないでしょう」

「そしてその間はラインバッハ二世に対する横やりを封印することができるわけだ。
 ラインバッハ二世がガイエンを封印したとして、その間に狙うのはどこだと思うか」

「彼がオベル王国に在ることを思えば、西方はラズリル、北方はマクスウェル様が抑えていますから、狙うとすれば南方でしょう。
 ファレナ女王国の諸侯を巻き込んで戦力の増強を図ることが考えられます」

「ファレナ女王国ねえ。こうなりゃもう、どこもかしこもうさんくせえなあ」

 アカギが目を細めて首をかしげた。ミズキも表情を曇らせ頷く。それを横目に身ながら、ハーヴェイが言った。

「敵の狙いがわかってるんだったら、出し抜くことはできるんじゃないのか?
 こっちからファレナに接触して、ラインバッハ二世に協力しないように言うとかよ」

「お前にしては知性的な案だが」

 と、余計なことを言っておいて、シグルドはその案を否定した。

「俺がガイエンに行く前から、ラインバッハ二世はガイエンに手を伸ばしていた。それが戦略のいったんならば、同時期にファレナ女王国側に手を廻していることも十分考えられる。
 俺がラインバッハ二世なら、最初から生かす側と殺す側とを決めておいて、同時期に手をまわす」

「お前がラインバッハ二世より賢いという保証はないけどな」

 仕返しなのか、ハーヴェイが悪態をつき、シグルドの口をひん曲げさせた。
 が、あくまでシグルドは冷静を装い、自分がハーキュリーズの屋敷から拝借してきた書物を十冊ばかりテーブルの上に置いた。

「我らがこの戦争に自ら参戦するなら、これを目的とするべきでしょう」

「これは?」

「罰の紋章とは別に、この群島に眠るといわれるもう一つの「真の27の紋章」の一つ、「八房の紋章」に関する記述のある書物です」

「この群島に、もう一つ真の紋章が在るだと?」

 声を張り上げることはないが、キカは目を見張った。

「はい、少なくともマノウォック公爵閣下はそのようなことをおっしゃっておりましたし、道中これらの文献に目を通してみたところ、確かに27の涙のうちの二粒はこの地方に落下した、とあります。
 可能性は大いにあります」

 重大な事実を、重厚な音声で、シグルドは言った。
 世界の創生に関わるとされる真の紋章。その紋章は、たったひとつでも他の紋章を遥かに超える能力を持つ。
 実際に、先の群島解放戦争で、マクスウェルの持つ罰の紋章の超絶な破壊力を目の前にした彼らにとって、手にしたい力であり、あるいは恐怖の対象であった。
 それを考えてか、アカギが言う。

「言っとくけどよ、その「八房の紋章」とやらの力を目的に参戦するんなら、俺たちの大将が容認しても、俺たちが阻止するぜ。
 俺たちは、マクスウェルがいかに苦しんでるかをこの目に焼き付けてるんだ。
 そんな人間をもう一人生み出してまで群島を支配したいってんなら、すんなり見届けるわけにはいかねえ」

 これは、純粋なアカギの義侠心からきた言葉だった。彼らは、マクスウェルが苦しんでいるのを目にしながら、自分はどうすることもできないのである。
 そのような人間兵器を生み出すくらいなら、破壊してでも平和と安定を維持すべきだろう。暗殺のプロである忍びの思考とは思えぬことを、アカギは言った。

「心配しないでください。八房の紋章は、いまは眠っている状態です。
 八つの眷属紋章を集めない限り目覚めることはないし、八つ目の紋章は行方不明とされて、います……」

 そこまで言って、シグルドはある重大な事実を思い出した。「八房」の眷族紋章を持っている人物を、彼は知っているのではなかったか?
 マノウォック公ハーキュリーズは、キャンメルリング公ギネがアルバレズ子爵ナハトを襲撃したさい、こう言った。

「わらわ「も」持っているといっておるのだ」と。

 つまり、ハーキュリーズとギネは眷属の紋章を持っており、そのうちの一人はすでにこの世にはいない。

「そうか、だからマノウォック公爵だったんだ! このままではギネ皇太子も危ない!」

「突然、どうしたんだよ」

 いきなり大声を上げたシグルドに驚いて、ハーヴェイが声をかけたが、シグルドはそれを無視してキカに意見を具申する。

「キカ様、実はこの「八房」の眷属紋章のうち、二つを持つ人物を私は知っています。
 そして、そのうちお一方は、すでにこの世にはおられません。暗殺されたのです」

「……………」

「このままでは、もうお一人、ギネ皇太子の身も危うい。早急に手を打つべきです」

「群島に真の紋章がある。その眷属紋章がガイエンにある。そして、そのガイエンに手を廻していた人間がいる。話がつながったな」

 キカはすっくと立ち上がった。ブラウンの髪がなびき、意志の強い瞳にさらに力が入る。

「アカギ、ミズキ!」

「は!」「おう」

「このキカ一家はマクスウェルと同盟を組み、この戦争に参戦する。
 目的はラインバッハ二世が真の紋章を手に入れることを拒むこと。
 お前たちはハーヴェイとともに先にマクスウェルの元へ向かえ。私も準備が出来次第、ダリオ、ナレオを連れてそちらに合流する!」

「は!」

 その声はまるで軍人と見まがうほどに凛としており、アカギもミズキも他のものの部下だというのに思わず背筋が伸びてしまう。

「シグルド、お前はギネ皇太子の様相を探れ。
 恐らくはガイエンに戻るだろうが、そのときは再度ガイエンに潜入し、皇太子を守れ」

「は!」

 ついに、群島の海賊の巨魁、キカが動いた。それも単なる海賊としてではない。
 下手をすれば軍隊として、人間が動く。
 シグルドは雀躍した。まさか、このようにはやくハーキュリーズの無念を晴らす機会が来るとは思わなかったのである。

COMMENT

(初:16.01.18)
(改:16.02.22)