クォ・ヴァディス 78

13-1

 人魚たちの先導により、キャリーたちが無事無人島にたどり着き、事情を聞いたマクスウェルの怒りが狂騒に到達していたとき、ガイエン公国でも激変が起こっていた。
 国内の反対派をほぼ刈りつくし、独裁政権を確立したかに見えるキャンメルリング公ギネは、叔母たるシドニア大公妃の推挙を受けて、ガイエン大公スタニスラスの養子に納まったのである。
 これはギネではなくシドニアのほうから言い出したことで、門閥貴族が暗躍している理由のひとつには後継者問題もからんでいる。そこで、大公妃暗殺未遂事件で大半の貴族が処刑された今こそ、甥が勢力を伸ばすチャンスだと思い切ったことを言った。もちろんギネとしても断る理由はない。
 人間的にも精神的にも弱りきっている大公スタニスラスは、もはや一国を支えるだけの精神力を持つ自信もなく、妻に説得されてこれを受け入れた。正統的なガイエン大公家の血筋は絶えるが、国は滅びぬ。スタニスラスにとっても、最後で最大の決断だったに違いない。
 これでギネの立場は皇太子となり、ますますその力は強大となったが、ライバルと目されているマノウォック公ハーキュリーズは、少なくとも表向きは全く何の興味も示していない。相変わらずスノウ・フィンガーフート侯爵とキカ一家のシグルドを軟禁しおもちゃとして楽しんでいるようである。

 ギネは大公妃殺人未遂事件を逆用して対立勢力を一掃すると、自分の本拠地から商人たちを招聘し、まずは公平な商売を心がけさせた。
 その間、珍談がある。目だった産業のない首都オリゾンテに、エックス商会を名乗る一団が進出しようとことがあった。彼ら曰く、「これから群島の戦争は激化するであろう。軍艦に関する産業を起こせば、ガイエンにとってメリットになるはずである」。
 この提案を、ギネは突っぱねた。彼はすでにラズリル・オベル連合軍に組みくるために「ヤム・ナハル級巡洋艦」の建造に入っており、その手助けを行ったのはライバルのチープー商会だったのである。
 チープーから、エックス商会の背後にいるのがラインバッハ二世と聞かされて知っていたギネは、すんでのところでエックス商会の魔の手を逃れた。せっかくラインバッハ二世の勢力を追放したのに、その後に同じ勢力を招き入れたのでは改革の意味が全くなくなってしまう。

 かつて貴重な鉱石の流出都市として栄えたオリゾンテは、いまや軍艦の建造を主産業にしてかつての栄光を取り戻そうとしていた。

 そんな中でも、ギネはカタリナやリノ・エン・クルデスらとの綿密な連絡を怠っていない。首都の様子やスノウの現状、特にシグルドが入り込んでいるキカ一家の動向などを予測し、自分たちが連合の味方であるとしきりにアピールした。
 連合軍のほうでも、キカ一家の動向には注意を向けつつも、スノウの安全が確保されていると知ると、ギネの動きを好意的にとるようになった。スノウはハーキュリーズがはなそうとはせず、軟禁していることで、逆に安全が確保されている。皮肉といえば皮肉であったが。

 今やガイエン大公スタニスラスは表に出てくることが殆どなくなり、シドニア大公妃もその側にあって民衆の前に姿を現す機会がすっかり減った。
 今まで行われなかったのが不思議だが、皇太子が大公の詳細な健康診断を行ったところ、やはり麻薬の痕跡が発見された。専属の医師たちは、それまで守旧派の言われるがままにごく少量の麻薬を、大公の食事に混ぜ続けていたのである。それを診断するのも自分たちだから、「大公殿下の肉体は健康そのもの」という結果しか出てこないのであった。
 ギネは即座に真相を究明し、公開し、これらの医師を公開処刑とした。毅然たる態度で臨むことで、旧体制とは異なるのだと市民たちに理解させることも重要であった。

 そんな中、ケイトとハルモニアの男は、オリゾンテに浸入した。
 この男はグレアム・クレイのお目付け役としてハルモニアから来た男で、自分のことは一切喋らなかった。ナ・ナル島でクーデターの首謀者・ロドルフォの頭を射撃したのもこの男だった。
 道中、ケイトが何度か話しかけたが、殆ど会話になっていない。

「あんた、名は?」

「与えられていない。好きに呼べばいい」

「与えられていないというのは、コードネームがないということか、本名がないということか」

「好きに解釈しろ。なんと呼ばれても構わん」

「ではこれからは「牛丼」と呼んでやろう」

「……………………………………」

「冗談だ。呼ぶたびに腹が減る。その銃は、愛用のものか?」

 この質問には、男は珍しく反応した。

「クリムゾンだ。私の相棒と言っていい」

 そして、寂しげな視線を空中に泳がせた。

「私の愛したサロニカは、もう還っては来ないがな」


「スノウをラズリルへの友好親善使者に推薦したい」

 このギネからの申し出を、マノウォック公ハーキュリーズは正面から突っぱねた。ハーキュリーズは、なかなか落とせぬシグルドやスノウをとても可愛がっていたからであるが、ギネとしてもスノウを取り戻すのになりふり構わなくなっていた。

「スノウ・フィンガーフートは、すでにガイエンにおけるラズリルの顔になりつつある。
 その彼をラズリルに派遣すれば、両国の関係はますます安定する」

「いやじゃ」

 ハーキュリーズはギネの言葉にそっぽを向いた。

「あの男を政治に利用しようとするふりをして、わらわの下から引き剥がそうとする魂胆は、丸見えじゃ。
 何度も言うように、わらわはスノウを我が物とするまでどこにもやらぬ。返さぬ。出しもせぬ」

 ギネは、ハーキュリーズの頑迷さに手を焼いている。皇太子となったことで、立場的にはハーキュリーズ公爵よりも上にはたった。しかし、ハーキュリーズは公式の立場には全く無頓着で、特にギネのことも気に入っていたから、彼を困らせて楽しんでいるのかもしれない。
 ギネは、スノウを側から離してしまったことで、本音を言える友を失ったともいえる。ラズリルへの大使の案も本当だが、もう一度じっくりとスノウと話してみたいのも事実だったのだ。

「そなたも頑迷じゃの、ギネ。そなたがわらわのものになれば、少なくとも我が屋敷でスノウとの話もできように」

 冗談とも本気ともとれるハーキュリーズの言葉に、ギネは嘆息するしかない。まさか皇太子が一公爵の慰みものになるわけにもいかず、彼は過去に妻子を失っている。いつかは世継ぎをもうけねばならないが、まだその妻を裏切れず、他の女を抱く気にもなれなかった。

 結局、キャンメルリング公ギネは、完成した軍艦を引き連れて自らラズリルを訪問することにした。逆に考えれば、皇太子が訪問するのだから、最高の儀礼を持って同盟の基礎を作れるかも知れぬ。
 ギネは腹心にその腹を明かした。

「マノウォック公は例のような方だ。政治的野心はなかろうから、クーデターなどの心配はあるまいが、逆に突飛な行動に出られるかも知れぬ。
 首都は安定している、十分な兵力も残しておくが、綿密な連絡は怠らぬように」

 腹心の一人が言った。

「大公妃殿下のお側から、この時期に離れてよいものでしょうか。
 先日の暗殺未遂事件からそう日時もたっておりませぬ」

「いや、大公妃殿下のお側を離れられるのはこの時期しかない。
 私は、見せしめも含めて狼藉者を皆殺しにした。軽挙妄動がどうのような結果をもたらすか、反体制者も今は動けぬはずだ。それに……」

 ギネは一人の女性の姿を思い浮かべる。

「大公妃殿下の側には、アメリアという腕利きが常にいる。彼女ある限り、大事は起こるまい」

 これは、ギネがアメリア本人を信頼して居るのと同時に、スノウを通じて感じた群島の人間への好感の表れでもあったろう。
 こうしてほぼ突貫工事で急遽完成させた軍艦三隻を率いてギネがラズリルを訪問するのは六月十日と決まった。ギネ は、正直に思うと大艦隊を率いて駆けつけたかったが、ガイエンの経済状況がそれを許さなかった。ヤム・ナハルは中型の巡洋艦であるが、それを三隻建造するのが、今のガイエンができるギリギリの状況だったのだ。
 そして当日、できるだけ簡素さを心がけた観艦式ののち、ギネはラズリルに向けて舵を取った。
 自分の足元で、別の陰謀が進んでいるとも知らず。その出航を見ているものの目の中に、冷ややかな視線が二つ、混じっていた。


「なかなかどうして、隙のない男じゃないか」

 ささやかな出港式を悠長に、ケイトは笑いながら見学している。相方の男はむっつりと押し黙ったまま木のような静けさでたたずんでいた。
 これは仕事ではなかったが、事情が異なればケイトは隙あらばギネ皇太子を襲ってみるのも面白いと思っていた。しかし、ギネは余裕なのかつねに右目を閉じたまま、常に誰かを身辺に置き、一人で隙を見せることは全く無かった。
 政治的な能力とは別に、危険の察知能力も高いのだろうか。ケイトは知らないが、ギネは妻子を毒で失って以降、常に身に降りかかる危険には細心の注意を払った。無論、彼の魔眼で対処できない程度の危機である。
 ケイトもプロだから、ギネの身のこなしに興味を持った。あれは、相当な危険をかいくぐってきたものの動きである。何度も暗殺されかけているという噂も、あながち嘘でもないのかもしれない。

 ケイトはギネを襲わなかった。ギネがラズリル・オベルに組したことで、遠回りにマクスウェルの元にいるアカギとミズキの味方となったことも大きな要因かもしれない。

「いつまで悠長にしているつもりだ」

 めずらしく男が感情を見せた。群衆の中に紛れ込んでいるとはいえ、本来は影で仕事をする立場だ。人に顔を覚えられでもしたら厄介だった。
 その肩からは、ちょうど身長よりもやや短めのバッグを提げている。その中には、彼の得物が納められていた。ハルモニアが独自に研究し、歴史上初めて実用化に成功した「銃」である。
 正確には「吠えたける声の組合」の所持する秘密技術であり、ハルモニアの首脳部がそれを総て理解しているわけではないが。

「たまにはいいじゃないか。人間、陽の光をたまには浴びないと、精神まで腐ってしまう」

 そう冗談めかしたケイトは、マクスウェルをして「人間以外のなにか」と恐れさせた暗殺のプロフェッショナルである。闇に生きる人間が二人して国家の重鎮を見送る光景は、それを知る者が見れば滑稽な場面かもしれない。
 無論、二人がオリゾンテを訪れた目的は観光ではない。その逆である。そしてそれを成し遂げる自信があったからこそ、ケイトは悠長な一面を見せていたのだった。

「あの男も“仕事”の対象のうちだぞ。このままラズリルに居座られたら厄介だ」

「それはさせない。どちらにしても、大公か大公妃を暗殺すれば、いやでもあの男は戻ってくる」

 男は、ケイトの悠長さをもどかしく思っているらしく、ため息を吐き出した。
 彼が教育を受けた「吠えたける声の組合」のモットーは、「静かに素早く」である。
 神官将への道を捨ててまで選んで得たこの道で、彼はなさねばならないことがあったし、そのために一つ一つの仕事にのんびり時間をかけている場合ではなかったのだ。

「“仕事”の遂行は予定通り行う。ぼやぼやしているな」

「わかっているよ、そう慌てるな。心配しなくても、皇太子はラズリルには長居していられまい」

 ケイトは逆に、余裕のなさそうな男の拙速にため息をついた。まだ時間はあるのだから、せめてその間はのんびりしておればいいものを……。

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(初:16.01.12)
(改:16.02.22)