やはり、ただごとではない何かが起こっているのだ。
トリスタンは、二十名あまりの部下に紋章と弓とを持たせ、複雑に入り組んだ地下一階に配置した。無論、地下四階までは魔術と飛び道具で武装した兵の配置は完了している。
そのトリスタンの目の前で、百余りのスケルトンが、まるでなにかを待っているかのように整然と並んでいる。本来、本能のみで動くスケルトンにはないはずの行動だ。
(なにがおこるのだ……?)
「閣下、今なら集結しているスケルトンたちを奇襲することで撃破できます」
血気にはやった部下の一人が勢いよく言ったが、トリスタンはこれを一蹴した。
―――なにかを待っているのではないか、と、トリスタンは思ったのだ。
今日は確かに、ラインバッハ二世が誇大に宣伝したモンスター討伐の日である。
もしも、もしもだ。それをスケルトンたちが察知して迎え撃とうとしているとしたら?
ばかばかしい。自分でも失笑できるほどのできの悪いジョークだ。
だがこの世に、「できぬことはない」。できぬできぬと思っていても、誰かが必ずそれをやりとげる。
例えば、彼がかつて共に戦った技術者のオレーグは、過去の記録を映像として残す、という驚異の発明をした。やはり技術者のマニュは、まだ世には出ていないが「えれべーたー」なる画期的な移動機器を生み出した。
そう、英気さえあればこの世にできないことなどないのである。
それが人間以外であってもそうか? とは、トリスたんは断言はしない。トリスタンは人間であり、人間以外の機微には疎いからである。
とりあえず、彼は人間が起こすであろうことを想定した。
恐らく、ダンジョンの出入り口から突入したミドルポート兵とスケルトンの乱戦となるだろう。最初は人間側の有利に動くと思われるが、スケルトンは一定以上にダメージを与えない限り、何度でも復活する。
人間側は数度の突進と撤退とを繰り返し、乱戦を制する。結局は、これで地下五階まで制するつもりなのではないか。
だが、と思わぬでもない。ラインバッハ二世が、そこまで人的被害が予想される作戦を決行するだろうか?
彼の部下は数は多いが、無限ではない。髪の毛を抜いて息吹で増殖するような軽い存在ではないのだ。
ラインバッハ二世にとっては(彼の側の)人命も資源である。それを軽く喪失するような作戦を組んでくるか……。
トリスタンが、そう考えた直後であった。
ダンジョンの中で大きな縦ゆれが発生した。さすがにトリスタンは転ばなかったが、何か変化が起こったに違いない。
(爆発か!?)
そう思って双眼鏡をのぞいたトリスタンの視界に、驚くべきものが映りこんでいた。
三体の巨大な人型の獣である。グレーの筋張った筋肉をほこり、背中から角が突き出て、タテガミがなびいている。人間の倍ほどの大きさだが、腕力体力なら倍程度ではすまぬだろう。
(なんだあれは!)
トリスタンの驚愕などお構い無しに戦闘は始まった。
スケルトンは四体×四体、十六体ごとに方陣を組み、それをさらに扇形に並べて獣人に刃を向ける。一定期間攻撃すると、しばらく後退してから再び前線に出てきた。
対する三体の獣人は、有り余る腕力と脚力でもって、それに対峙し、対抗し、粉砕した。
スケルトンの拳を、剣を、槍を、好きなだけ殴り飛ばし、蹴飛ばした。人間の攻撃力ならば、何発か攻撃を与えなければスケルトンはすぐに復活するが、獣人の腕力ならばそれも一撃であるらしい。
スケルトンたちが次々と骨を飛び散らかせ、獣人はわずかに出血を繰り返す。
スケルトンは、攻撃意識は旺盛だが、次々と数を減らすだけで、こけゴリラたちにダメージを与えられていないようだ。
スケルトンの行動が、作戦意識に基づいているのは確実だ。だが、それがなぜかはトリスタンの理解のおいつくところではない。
あるいは、誰かが操っているのか? しかし、誰が何のために?
彼が判断しなければならないのは、このモンスター同士の乱戦に、介入するかどうかだったが、答えは「否」しかない。この乱戦に絡んだところで、彼らに全く利益は無い。
「私と監視兵数名を残して、兵はすべて撤退させろ。我々にとって、この戦闘に意味はない!」
トリスタンは一瞬、激しく咳き込んだ。彼は健康を害していた時期があり、時折咳き込むのがクセだった。
ユウ医師が処方してくれる薬のおかげで、なんとか立ち振る舞ってはいるが。
(今日は、薬を多めに持っておいて正解だった!)
薬を口にし、落ち着きを取り戻したトリスタンは、即座に指揮官を選び出して総ての階に配置した兵の撤退を命じた。
今日の戦闘の目的はラインバッハ二世の勢力にダメージを与えることであって、モンスターの戦いを見物に来たわけではないからである。
戦場でも、驚くべきことが起こっていた。
三体の巨大な獣人に押し切られて、スケルトンたちが撤退を開始していた。
しかも、しっかりとしんがりをおき、徐々に退ける部隊から退いていく、実に理にかなった行動だ。もはや、あれが普通のスケルトンでなはないことは明白だった。
こうして戦場は地下二階へと移った。
迷宮は地下二階から複雑な構造をしている。一階の三つの階段から降りてくると、しばらくは直線が続き、大まかに言えば「L」字型に直角に曲がり、地下三階へ続く三つの階段へと続く。この内部が複雑に入り組んでいる。
トリスタンたちは一足早く地下二階へと撤退したが、そこにはスケルトンたちの姿は見えない。
ここは内部が複雑なので、地下一階のような団体行動が取りにくい。
トリスタンが人間を相手にするならば、まず内部の地図を作り、死角に兵を伏せ、移動しながら敵に一撃を加える作戦を取るだろう。
そのうち、地下一階から撤退してきたスケルトンたちが、バラバラと音を立てながら入ってきて、音をたてながら散っていった。
問題は次だ。三体のこけゴリラは大したダメージも受けず、のしのしと前かがみの姿勢で歩きながら入ってくる。
そのうちの一体が、大きく息を吸い込むと、いきなり大音量の叫び声を発した。自らの興奮を誇示するためか、相手を威嚇するためかわからない。
だが、威嚇には十分効果があったのだろう、トリスタンの部下の一人がショックで倒れた。トリスタンは慌てて彼を連れ出すように支持すると、自分は獣人の的となる危険を背負いながらも、その後を追っていった。
ここで、獣人たちは意外な行動をした。トリスタンは、モンスターは無秩序に歩き、目に付くスケルトンを手当たり次第に叩くのではないかと思っていた。
だが、現実は違っていた。獣人たちは、わめきながらも無秩序にうろつくことはせず、一つの方向に向かって歩をそろえて歩いているのだ。
まるで、最初から目的地を知っているかのように。
死角の影から多くのスケルトンたちが飛び出し、槍や剣を突き出すが、悲しいかな獣人たちにほとんど効果は無い。逆に大振りなパンチの一発で多くのスケルトンがバラバラにされていく。その被害数は、スケルトンの攻撃に正比例して増えていった。
スケルトンに一発で再生不可能なまでのダメージを与える獣人たちのパワーは、やや離れて監視しているトリスタンに強烈な印象を与えた。
もし、これがラインバッハ二世が送り込んだ化け物だとしたら、自分たちの勢力など、彼ら――ロッカグラフィカ、レヴェル、ケイヴァンス――の前にはなんの力も持たない。
ただただ蹴散らされるだけの蟻のような存在にすぎまい。結局、自分たちは、ラインバッハ二世の前に引き出されるだけの犠牲のヤギにすぎないのだろうか。
森林にこもっていたトリスタンが、現実に触れて初めて《絶望》を味わった瞬間であった。
獣人たちはスケルトンの攻撃をものともせず階段にむかっている。
(まずい)
と、トリスタンは思わざるを得ない。地下三階からは一箇所、地上に抜ける出口があり、その先には「あの男」が住んでいる。
決して反りが合ったわけではないが、二年前の戦争を共に戦い抜いた戦友が静けさを求めてすんでいるのだ。彼をまきこんではいけない。
……だが、残念ながらトリスタンにとりえる手段は驚くほど少ない。大量のスケルトンとあの三体の獣人を前にして、彼の取れる行動がいくつあるだろうか?
彼にできることは、先回りをしてトラヴィスに危機を伝え、この迷宮から脱出させることだけだろう。
だが、そうなると、今度は自分の勢力が危機に陥る。いま自分がこの迷宮から離れれば、自分の勢力は指揮官を失う。
ラインバッハ二世は、スケルトン討伐にモンスターを使っているということは、逆に言えば自分の部下を一兵も使っていないということだ。
ユウ医師が指摘したように、自分たちが「泳がされている」なら、ラインバッハ二世は、モンスターなど無視して、自分の部下の総てをこちらにむけることができる。
結局、自分は戻るしかない。今さらながらに遅すぎる危機感を感じながら、トリスタンは迷宮を後にした。
この迷宮には、地上に抜ける小穴が幾つかあり、トリスタンらもそれを利用していた。
「……間に合え!」
それはトラヴィスと自分の部下たちへの言葉だった。
地下三階へともぐっても、スケルトンたちと獣人の力関係は変わらない。地下三階は地下二階とは逆に「L」字型に曲がり、また構造もシンプルであり、入り口から四階への階段まで、障害らしい障害は無い。内部は複雑だが、「迷宮」としてはシンプルだった。
だが、トリスタンが目を離したここでの戦闘は、目を覆わんばかりの激戦となった
。
まず、これまでと配置されているスケルトンの数が違う。いや、桁が違う。その数、目算にしておよそ千。ダンジョン一杯にぎっしりと詰め込まれたような印象を受ける。
獣人の視点で見れば、まるでスケルトンたちがダンジョンの床のように見えるだろう。槍衾という言葉をここで使うことが正しいかどうか、獣人たちにはわからない。
そして、これまでのような巧妙な作戦行動をとる様子が無いこと。無論、これだけの数を詰め込めば作戦行動など不可能だろうが、たった三匹の敵を迎撃するにしては、最高級のもてなしであるに違いない。
誰が合図をしたものか、まず獣人の一匹が、スケルトンに殴りかかった。だが、数が数だ。十匹ほどを殴り飛ばしても、別の二十匹がそのわき腹を槍で突いた。
十匹ほどを蹴り倒しても、別の二十匹がその頭に殴りかかった。
骨が飛び散り、血しぶきが舞う。永遠に続くと思われる消耗戦。これまでほとんどダメージがなかった獣人たちが、一気に深刻なダメージを受けていく。
無論、スケルトンの数も同様に減っていく。獣人の一発で十匹単位で減っていく。長時間に及ぶ消耗戦で勝利したのは、―――獣人たちだった。
生き残ったのは、一匹に過ぎなかったが、残りの二匹を失いながらも彼は生き残り、千体に及ぶスケルトンを全滅させた。いかに彼らにとってスケルトンが弱い存在とはいえ、最大の武器である「数」で攻めてこられれば、それなりの代価を払わねばならなかった。
彼には目的がある。人間レベルの知能は無いが、魔法で洗脳された彼らは、ある目的をその脳に刷り込まれている。
それは、ある男を殺すこと。この迷宮の奥にいる、たった一人の男を殺すことだった。
そのための、外に続く通路は、眼の前にある。あそこを通れば、迷宮を抜けてその男のところにいけるはずだ。
行けるはずだった。
だが、その前に、まだ強敵が待っていた。
人間である。狼の皮をはぎとって頭にかぶり、敵を殺すことのみに特化したかのような発達した筋肉を持っている。
縦に大きい。横にも大きい。奥行きも雄大な肉体だ。紫色に変色したその肉体は、明らかに人間としてうまれながら、人間とは異なる進化を果たした肉体だった。
その「化け物」は、腕を組み、強大な足で大地を踏みしめて外部への通路を遮断していた。
「ここを通りたければ、自分を倒していくがいい」
人間の言葉ではない。何か別の「感覚」とでもいうべきものが、この獣人に理解させた。
これまでのスケルトンとは次元が違う。獣人はまるで初めて象を見たチーターのような印象を持った。
(初:15.06.15)