その人生を思い出すとき、トラヴィスはなかなか自分や家族の幸福そうな笑顔には縁がないことに気づいた。
彼自身が多くを語らないので気づかない人も多いが、その人生経験には、つねに悲壮感が付きまとう。
トラヴィス自身は「運が悪いんだ」と言っている。知人であるトリスタンもその手記の中で、
確かにこの男は「運」という言葉とは無縁だったかもしれない。
……と書いた後で自制心が働いたのか、
運の良し悪しで人の人生を語る権利が私に与えられるものならば、である。
と、一言つけくわえているが、これがフォローになっているのかどうかは怪しい。
トリスタン自身の人生が、努力量はともかく、幸運に満ちていたかどうかは彼自身にも断言ができなかったからである。
ともかく、トラヴィスはゼロ歳の時、難産で母親を失った。二歳の時、流行病で兄を失った。四歳のとき、謎の海難事故に巻き込まれて父を失った。六歳の時、強盗に弟を殺された。十七歳のとき、初めての給金で買った亡き父へのプレゼントを、何者かに強奪された。
自分で決定したものごとは確実に裏目に出て、すべて苦しみとして自分に還ってきた。大きな散財もしたし、ときには死にかけたりもした。
世の中には、どうやらそういう性質の人間がいるらしい。少なくとも、不思議な「縁」とやらを「視る」ことのできるというデボラとかいう婆さんは、そんなことを言っていた。
だから、彼は自分でものごとを決断することをやめた。他人と関わることをやめ、何も決めず、何も動かず、誰にも近づかず、ただ淡々と植物のように生きてきた。
しかし二十二歳のとき、終いの住処として選んだオベル遺跡でマクスウェルと出会い、再び他人との関係を強制された。
群島解放戦争に巻き込まれて「罰の紋章」の縁に巻き込まれ、今はラインバッハ二世のオベル強奪に巻き込まれつつある。
彼は、ただ独りでいたいのだった。孤独を愛しているからではない。孤独から愛されていないからである。
ただ静かに暮らしたいだけなのに、何かが、何かでなければ誰かが、彼の人生に土足で踏み込んでくる。
結局、本当の孤独というものは、誰かと関係してこれを実力で取り除かねば得られないものらしい。
それを文字通りの意味での「孤独」と呼んでいいのかどうか、トラヴィスにはわからない。ただ、今の彼には自分の孤独を邪魔するものを取り除くだけの力がある。その根拠がある。
トラヴィスは晴れた空を見上げ、ため息をつくと、今度は自分の額を撫でた。その動きに反応するように、額がわずかに白い光を放つ。
運の良し悪しで言うのなら、この男には確実に運が無い。
それは、偶然だった。一週間ほど前のことだ。彼は遺跡の中で、石につまづいて転んでしまった。
反射神経の良い彼が転倒すること自体がまれであるのに、その転んだ先に転がっていたものがさらにまれであった。
その「白く光る球体」は、かろうじて直撃は避けたが、至近にまで接近したトラヴィスの額に、吸い込まれるようにしてなくなった。次の瞬間、その物体は物体ではなくなった。霧のように消え去った。
その一分後から、彼は自分の額に吸収されたものが普通のものではないと気づいた。
妙な感覚だった。分厚い専門知識の本のすべての知識を、一瞬にして頭にぶちこまれたような、そんな違和感があった。
どうやら、紋章の一種らしい、ということはすぐに気づいた。彼自身は紋章魔法は得意ではないが、扱えないことはない。
これがどのような紋章なのかは、すぐに分かった。彼が身を起こし、背後を向くと、三体のスケルトンが、彼の方を向いていた。人間の骨を呪術によって動かす、呪われた怪物である。
本来なら、この世に残した未練を利用され、生命を持つ者に襲い掛かるのが常であるし、そのように「作られている」はずである。
しかし、トラヴィスの前にいる三体のスケルトンは、襲い掛かってくる雰囲気ではない。それどころか、何かを待っているようであった。
トラヴィスはすべてに気づいていたが、試してみないとわからないこともある。
試しに、三本の指を立て、それを寝かせてみた。すると、目前の三体のスケルトンが膝まづいた。
指を立てると、再びスケルトンも立ち上がった。立ち上がったが、なにもしない。
「……………………」
一瞬だけ思考して、トラヴィスは両掌をぐわっとあげてみた。
「……………………!」
すると、驚くべきことが起こった。
がしゃがしゃといまにも壊れてしまいそうな音を立て、どこからともなく、数も知れない大量のスケルトンが、トラヴィスの前に集まってきた。
一種の閲兵式にも見えるが、この場合は対象がさすがに物騒すぎるであろう。
両手を挙げたまま大量のスケルトンを眼の前にし、さすがにトラヴィスも言葉を失った。
落ち着きを取り戻そうと両腕を下げて深呼吸をすると、すべてのスケルトンが彼の前に膝まづいた。
つまりは、
死者を自在に操る紋章か。いまのところスケルトンしか操れないが、孤独を愛する者が手にするには、最高の紋章ではないか。
……多少、酸味のスパイスが効きすぎていることは否めないが。
それから一週間、トラヴィスは紋章を使って試せることはたいてい試してみた。
どうやら料理をつくったり猟をしたりできるスケルトンもいるようだが、できないものもいる。これは生前のスキルによるものかもしれない。
いずれにしても、スケルトンを伴侶やメイドにする生活もあまり気持ちの良いものでもない。
トラヴィスはその方面には早々に見切りをつけ、用途を戦闘に限定した。
操れる範囲はかなり広く、このオベル遺跡の中であればほぼ操れる。
この遺跡は「罰の紋章」に関係なく、どうやら最初から何らかの呪いの目的で作られたらしい。頭の紋章が時折見せる「幻影」が、その事実をトラヴィスに確信させた。
そして、その最下層の「あるモノ」が自身を護る為に、八つの禍々しい紋章を生み出し、群島中にばら撒いた。そのうちの一つが、トラヴィスの頭に宿っている。
昔から多くの者が挑戦し、多くの死者を出し続けてき遺跡たが、その風化した遺体は、ほぼ例外なくトラヴィスの手でスケルトンとして動かすことができた。
そういうシステムが、紋章だけでなく遺跡自体に働いているということだ。
(……これは、
トラヴィスはまたも自分の選択が裏目に出たことを知ったが、今さら悔やんでも仕方ないので、苦笑で済ませた。
今考えれば、自分も、ナ・ナルのリキエも、よく二年以上もこんな場所に住んでいたものだ。
(……それにしても、この俺がネクロマンサーか。なにがどう動いたものやら……)
どこで聞いたのかは覚えていないが、この男はそういう言葉も知っていた。
しかし、彼は力を手にした。それが「八房の紋章」の眷属のひとつということも徐々に分かってきたが、今は自分の生活を乱す者への対抗手段として使えばよい。そう考えていた。
ちょうどその頃、トリスタンは、主だった自分の部下たちを集めて訓辞をした。
ラインバッハ二世がモンスター討伐に乗り出すのにあわせて、自分たちはこれに一撃を加える。
迷宮の複雑な構造を利用し、ラインバッハ二世の軍隊の死角から魔法や弓による横撃を加えるのだ。攻撃の規模にもよるが、効率によってはダメージを与えることができるだろう。
「みな忘れるな、これは我々の、最後の能動的軍事作戦である。
これより後は、いかに隠れながら生き続けるかを考えなければならないのだ。
死ぬんじゃないぞ」
できるだけ遺言に聞こえぬように言葉を選んだが、あの迷宮内での行動であるうえに、モンスターが関わってくる作戦である。
確定的行動はとりづらく、相手の行動にあわせてその死角に移動しながらの作戦になるだろう。
不確定要素が強い上に、やってみなければどれくらいの効果があるのかもわからない。
慎重なトリスタンらしくないバクチのような作戦だが、これは軍人として成功を収められなかった彼なりの未練なのかもしれなかった。
そして六月十四日。ラインバッハ二世の宣言したモンスター討伐の日である。
何かがあると市街にも伝わっていたのか、市民たちが王宮のある高台に集まっていたが、市民たちはそこで異様なものを目撃した。
そもそも、モンスター討伐作戦があるというのに、この日、一部の少人数の部隊を除いて、ミドルポート軍にも残存オベル軍にも、一人も招集が掛かっていないのである。
市民たちが王宮前広場で目撃したものは、圧倒的な兵士たちの軍装ではなく、おおきな三つの「檻」だった。
その「檻」はひとつが三メートル四方ほどある。
強じんな金属製であり、ちょっとやそっとでは破れそうに無い。それをこれまた強じんそうな金属製のワイヤーで巨大な車輪のついた台に固定している。
問題なのは、その「檻」の中に入っているモノだった。
巨大な猿だ。筋張った筋肉の塊のような身体を前のめりにし、背骨が背中を突き出て角のようになっている。さらに、首の周りから豊かなタテガミが生え、額と両耳の後ろからは刀のような角が三本、突き出ている。
その見るからに凶悪そうなモンスターを、王宮の入り口から、満足そうにラインバッハ二世が眺めている。
「こ、これは……」
ラインバッハ二世のやや後ろで、何人かがうめき声を上げた。このようなモンスターなど、一般の人間はそうそう見る機会などあるまい。
自分たちは、いま何を目にしているのだろうか、それを理解するのにやや時間を必要とした。
その反応も満足のうちに入ったのか、ラインバッハ二世は胸をそびやかして言った。
「これはこけゴリラの亜種だそうだ。滅多に見れぬ希少種だぞ。
私が陸上に飼っている、数少ない「ペット」の一種だ」
「はあ……」
うめき声と悲鳴は尽きない。その滅多に見れない希少種が見られたところで、自分たちにいったいなんの利益があるのだろうか。こけゴリラたちは檻にしがみつき、ある者はドラミングをくりかえし、市民たちを威嚇した。これでは、護衛の兵士が市民を護衛しているのかモンスターを護衛しているのか、よくわからない。
「名前は左から、ロッカグラフィカ、レヴェル、そしてケイヴァンスだ」
などと名前を紹介され、一匹ずつの性質を嬉々として説明されても、疑問のひとつも解けない。
「それで、このロッカ……たち三匹をどうしようと?」
「わからないかね?」
ラインバッハ二世は、その大きな腹を揺らせ、長い金髪を揺らせながら、振り向いた。
グレアム・クレイとは異なり、しかめつらしい表情の多い彼であるが、他人の理解の追いつかないことをしている満足感があるのか、言葉の端々がわずかに飛び跳ねている。
「モンスター討伐を、モンスターに行なわせようというだけのはなしだよ。
なにも、モンスター討伐をするのに軍隊を用いる必要はない。人間も限られた資源であるからには、浪費せずにすむ手段があるなら、随時、それを投入すべきであるとは思わないかね?」
言っていることは正しいのかもしれないが、その思考に行き着く段階も、それを実行に移せる「ペット」がいることも、その部下にとっては衝撃でしかない。
貴族然とはしていても、このラインバッハ二世という男の正体は一般人にとっては不明でしかなく、席を同じくすることは苦痛でしかない。
この男と一緒にいて笑顔を保てるグレアム・クレイという男も尋常ではないのかもしれないが、そのクレイはこの日、オベル島にはいなかった。
わずかな船を連れてオベルの南東にあるニルバ島まで出向いていた。外交上の重要な会見のためである。
この日、この両者にとって、内、外ともに重要な分岐点となるはずだった。むろん、成功すれば、であるが。
三匹のこけゴリラ亜種は、檻を腕でガンガンと殴りつけ、角を叩きつけ、雄たけびを上げている。うちの一匹は、黄金のタテガミが赤じみて逆立っている。そうとうな興奮状態にあるらしい。
目撃した市民の中には、この雄たけびを聞いて失神してしまった者も数多くいたようだ。
「このままここに展示しておくのも危険だな。もっとも、わざわざ危険な状態で連れて来たのだがね。
とっとと遺跡の中に解き放て。遺跡の扉にカギをかけるのを忘れるなよ」
そのような「ペット」をわざと多くの市民の耳目に触れさせた理由について、後の群島の歴史家シュレックは、
市民に自分の驚異を見せ付けることが目的ではないかと思われる。
自分は市民に手を出すことはしないが、このような危険な「動物」を飼いならせる自分に反抗すると、自分以外の者が何をするかわからないぞ、と暗に示したのではないか。
と推測したのに対して、同じく歴史家ターニャは
「持っていること」と「飼いならしていること」は別の話である。
と、慎重に言葉を選び、同時代のジャーナリストのペローも、
この時点で、ラインバッハ二世に市民への特別な政治的思考があったとは考えにくい。単純な意味では、彼はすでにオベルを軍事的にも経済的にも掌握しており、政治的に特殊な演出をする必要がなかったからである。
と予想している。
どちらにしろ、このラインバッハ二世の「特殊な」行動は、オベル市民の多くに驚きをもって迎えられた。
ラインバッハ二世の命令で、激しく暴れる獣を乗せた三つの檻が、オベル遺跡の入り口まで運ばれた。そして、檻のカギを緩めた状態で、遺跡の中に叩き込まれた。
金属が砕け散る複数の音がしたが、遺跡の扉がすぐに、そして硬く閉じられてしまったため、中で何が起こっているのか誰にも分からなかった。
「幻水4」に縁があり、なによりかっこよかったので、三社のお名前をお借りしてしまいましたが、よかったのだろうか。
(初:15.04.15)