オベル遺跡――。オベル王国本島の中央よりもやや東側に位置し、王宮からもその入り口を望むことができる。
いつごろできたものなのか、誰が作ったものなのか、詳しいことは何もわかっていない。
地下に深く巨大で、一部は地上にも露出している。内部は度重なる盗掘や調査で荒れ果てており、原形をとどめぬほどくずれている場所もあった。
リノ・エン・クルデスがオベル国王在任中、幾度かこの遺跡を掘り返したことがある。
学術的な発見があるかどうかを期待するのは難しかったが、何よりも「罰の紋章」に深く関わっていることが、この遺跡を無視できない理由だった。
もっとも大規模な調査は、四年前に行なわれた。リノは軍の一部を動員し、それまで調査が完了していた地下五階部分からさらに掘り進み、半年かけて地下八階までの発掘に成功した。
しかし、どういうわけかリノは、そこで調査をやめてしまった。せっかく掘り起こした地下五階よりも下を埋めなおしてしまい、調査自体をなかったことにしてしまったのだ。
この件について、リノは周囲の誰に、なにも語ることはなく、事実をその分厚い胸にしまいこんだまま四年間封印している。
その後、リキエとラクジーという親子が「罰の紋章」の真実を求めて遺跡の奥、建造物がわずかに地上に露出した場所に住み着き、大規模な調査も行なわれなくなった。
本人が望んでいたかどうかは不明だが、リキエは遺跡の管理人と案内人を兼ねるようになり、リノから許可を得て遺跡に来た者たちに、その過酷な歴史を説いたり、ここで命を費えた冒険者の話を聞かせたりした。
マクスウェルという青年が、罰の紋章を手に、仲間とともにこの遺跡に足を踏み入れるまでは。
リキエがナ・ナル島に戻った群島開放戦争後は、再び管理する者がいない状態が続いたが、トラヴィスという青年がふらりと現われて、いつの間にか住み着いていた。
ただ、彼は孤独を愛する気難しい青年で、リキエのように遺跡の訪問者に対して丁寧に対応することはなく、「見たいなら勝手に見ていけ」というスタンスを貫いた。リノは、苦笑しながらこの風変わりの長身の青年を庇った。
実際のところ、群島解放戦争のあと、罰の紋章に関係あるとされるこの遺跡を興味本位で訪れる者がどっと増えていたのだ。
リノは遺跡を観光地にする意思はなかったし、できれば静かなまま封印させておきたかったので、無愛想なトラヴィスの態度を咎めはしなかった。
しかし、この二ヶ月ほどで、状況は一変した。
リノの期待を裏切り、トラヴィスの神経を逆なでするような連中が、遺跡に頻繁に出入りするようになったのだ。
彼らが何者なのかは、トラヴィスの知ったことではない。彼らの目的がなんなのかも、トラヴィスには関係がない。
ただ、トラヴィスの静かで孤独な生活が、不躾な軍靴によって荒らされようとしており、それを守るのは彼に与えられた当然の権利だった。
政治的な権力者たちが海上で深刻な戦いを繰り広げていたとき、トラヴィスの孤独な戦いも果てなく続くように思われた―――。
ラインバッハ二世がオベル王国を占領して二ヶ月がたつ。時は五月、マクスウェルたちからリキエを奪うことに成功する一月ほど前の事だ。
彼は、リノ・エン・クルデスに代わる為政者として、オベルの政治経済の舵を取る一方で、オベル遺跡の発掘に力を入れた。
避けるだけの人員は、軍人も文民も関係なく発掘に動員し、来る日も来る日も遺跡を掘り返した。
報酬は比較的高額で、労働条件も徹底的に管理されていた。労働時間はきちんと守られたし、現場監督から労働者への不当な暴力は徹底的に追求され、罰が与えられた。
そのためか、体力的には過酷な労働だったが、不思議と労働者から不満が上がることは少なかった。
一言に発掘と言っても、遺跡の地下は迷宮である。似たような風景の似たような通路が四方に伸び、地上に向かう階段と地下に向かう階段がデタラメに配置され、軽い気持ちで入れば、まず再び太陽の光を浴びることはできないと言われた。
ラインバッハ二世も、最初は文字通りの意味で「掘り返す」ことだけを考え発掘を始めたが、内部が予想以上に複雑な構造であることを聞き、さらに多数の行方不明者が出たことで考えを改めた。
最初の一週間は、安全な区域の発掘を進める一方、決死隊を募って暗い地下にもぐらせ、地図を作ることに専念した。これも難事業になったが、一週間後には、地下五階までの詳細な地図を作成することに成功した。
しかし、問題はここからだ。地下五階よりも下は、リノ・エン・クルデスが発掘したことがあるとはいえ、総て埋め戻され、そのときの記録もすべて廃棄されており、いまとなっては知る者もほとんどいない。
ただ、万人の口を総て封じることはできず、「そこに何かがあった」という幻のような証言がラインバッハ二世を動かした、と言われている。
実際に、ラインバッハ二世は反抗的なオベル兵を拷問にかけ、幾つかの事実を強引にだが手にしていた。ラインバッハ二世になつかないオベル兵に対して、過酷な拷問と最高の治療とを繰り返し与え、彼らの頑強な精神に穴をこじ開けて、オベルの国政の秘密を幾つか知るにいたっている。
これらの点についてラインバッハ二世は、旧オベル閣僚の中でもっとも貴重な捕虜であるセツに、疑問と事実の確認とをぶつけてみたが、いい結果は返ってこなかった。
「殺人者のあなたが生者の過去を気にする必要はないでしょう。
あなた方は、いつでも死者に地獄に連れて行かれてもよいように、身支度を整えておればよい」
多少、恐怖と緊張とを言葉に含ませながらも、セツはラインバッハ二世の主義主張にはいっさい迎合しなかった。
ラインバッハ二世も、セツの言葉を気にはしない。過去を考えれば、問答の結果が同じ着地点に落下することなどありえぬし、友好的な関係など、双方とも求めていない。
ただ、彼はセツに説いた。
「我らを憎むその大きな憎悪と覇気は、今後ともなくされぬようにされるがよかろう。
セツ殿、あなたはじきに、このオベル王国の新たな国主として立つ事になる。
オベルの精強な国力を制するには、そのエネルギーが必用だ。実際に、現在のオベル王国の公式文書の国主は、あなたということになっている」
「なんですと!」
セツの動揺は、怒りを通り越して呆然へと昇華していた。
ラインバッハ二世は、以前から自分たちがオベル王国を占領したのは、リノ・エン・クルデスの暴虐を見かねた宰相・セツの懇願に応じて挙兵した結果である、と周囲には宣伝している。
無論、そこにセツやリノの真意や真実などまるで反映されていない、嘘偽りない虚構であるが、そんなことはラインバッハ二世にとっては、なんの意味もない。
実際にセツをトップに祭り上げた政府を作り上げてしまえば、どのような虚構だろうがすべて真実となる。
そして、そのための布石をラインバッハ二世は着々と推し進めていた。
オベルから見て南方のファレナ女王国には、すでにセツが国主として正式に宣言する日時と、その戴冠式の詳細なスケジュールまで送っており、これにはファレナの王族をはじめ、有力貴族数家から、すでに出席の返答が届いていた。
このことをセツが知らされたのは、五月二十二日である。戴冠式は、七月一日。
実際に、セツがどのような立場になるのかは、未だに流動的ではあった。オベル王家を追放し、自らが新たな王朝を開いて新王国を建国するか、合議制の共和国に移行するか。
どちらにしても、その背後にはラインバッハ二世とグレアム・クレイがおり、実際には彼らがオベルの全権を握ることになるだろう。セツは、飾りにすらならぬただの人形にすぎない。そして、そのことをセツ自身が痛いほど理解していた。
もう一月半ほどでオベルの国主となるという自分のねぐらは、相変わらず地下牢の一室である。飾りとしての価値すら期待されていない。
(このままでは、リノ・エン・クルデス陛下とフレア王女に対し、反逆者に成り果てることになる。
陛下のこれまでの信頼に、応えるに、これ以上の恥辱はない。もういっそ、縊死するか……)
自らの意思で命を落とせば、ラインバッハ二世は、少なくとも自分が犯した裏切りの正統性を保障する理由の一つはなくなる。
一瞬、本気でそのことを考えたが、セツは思いとどまった。まだ、トリスタンが国内に潜伏して戦いっている。ジェレミーがいずこかへ脱出して、事件を外に伝えているはずだ。
少なくとも彼らの行動に報いるためには、自分が一人で勝手に責任を放棄し、死ぬわけにはいかなかった。生きねばならぬ。
生きて、リノ・エン・クルデスが王国を奪還するときに、内部よりの助けとならねばならぬ。なんとかしてトリスタンと連絡を取り合い、戦わねばならぬ。
ではどうすればよいのか……。広いともいえぬ牢獄の一室で、セツは静かに考え込んでいる。
地下五階以下の発掘は、困難を極めた。酸素の消費を抑えるために必要以上の灯は使えず、魔物を大量に呼び寄せてしまうため、火の紋章術を灯代わりに使うこともできない。
迷宮のどこから掘り進めるかを仮に決めても、掘った土を地上まで運び出さなくてはならないのも重労働だった。しかも、迷宮内のモンスターと戦いながら、である。
ラインバッハ二世が目的とするのは地下八階と聞かされていたから、担当者は暗い迷宮の中で上を見ては途方に暮れ、下を見ては途方に暮れる毎日だった。
その状況が劇的に解決をみたのは、五月末に入ってからだ。
ラインバッハ二世が連れて来たマニュという技術者が、「えれべーたー」という機械を設置する計画を打ち出した。
「この「えれべーたー」は本来、人を乗せて建物の内部を上下に動くものですが、機能を応用すれば左右に動かすことも可能なのです。
人員と土砂の両方を機械で運べば、作業効率は飛躍的に上がるでしょう」
どこかおどおどしつつも興奮した面持ちで、マニュは設計図を広げていた。
「えれべーたー」そのものの構造はあまりに複雑すぎ、誰にも理解できなかったが、洞窟の中にレールを敷き、縦横に自在に動く運搬用の機械の話を聞いて、喜ばない者はいなかった。
設置される「えれべーたー」は五基。工期は半月とされた。
迷宮の内部が、作業員たちの熱気で盛り上がった。どの仕事もそうだが、早く終わるに越したことはない。楽に作業ができれば最高だ。
作業員たちは、全く新しい技術への興味もあって、嬉々として作業を進めた。
しかし、工事の担当者は安穏と見守っているわけにはいかなかった。
作業員たちの士気が高いが、この迷宮に存在するのは自分たちだけではないのだった。
一番厄介なのは、この遺跡に住み着くモンスターたちである。ただのモンスターならば腕っ節で圧倒する自信のある者も多いが、オベル遺跡のモンスターにはある特徴がある。
死してなお死にきれない者――アンデッドが多いのだ。罰の紋章との関係は不明だが、この迷宮遺跡には様々な色のオーラを帯びた骸骨たちが、ある者は剣を握り、ある者は拳を固めて来訪者を待ち受けていた。
厄介なのは、彼らは手ごわい上に、倒しても倒しても、時を置けばよみがえって再び襲い掛かってくることだった。
戦士たちが警備に当たっているとはいえ、本能で命あるものを憎むアンデッドたちは、生命反応を敏感に察知して、どこからともなく襲い掛かってくる。
そのたびに作業員たちを避難させ、戦士が敵を追い返し、作業が再開される。すべてはこの繰り返しであった。
「そりゃ、迷宮にモンスターがいるのは当然さ。おくすりを飲みすぎるとげっぷが出るのと同じくらい当然さ」
「しかし、こうも数が多いと、作業にならないときがあるのは参るなあ。
ミスで怪我をするのは自業自得だが、スケルトンに殴られて死ぬのは嫌だぜ。
しかもお前、あれに殴られて死んだら自分もスケルトンになるって話じゃねえか。
せっかく給金もらって家に帰っても、骸骨になってたら女房に叫ばれてバラバラに分解されちまうわ」
「骸骨になっても家に帰る体力があるんなら、骸骨になる前に逃げ切れそうだけどな」
などと冗談を飛ばせるうちはまだいいが、担当者はさらに嫌な予感を胸に抱いている。
当初はランダムだと思われたアンデッドたちの襲撃が、実は組織的に行なわれているのではないか、と思いはじめたのだ。
その兆候は、一週間ほど前から現われはじめた。「えれべーたー」のレールを敷く工事が佳境を迎えたときだった。もっとも深いところまでレールが敷かれた作業所が、アンデッドの集団の襲撃を受けたのだ。
このときは、よくあることだと思った。しかし、襲撃の後を調べてみると、敷いた直後のレールが長距離にわたって破壊されていたのである。生命にしか反応しないはずのアンデッドが、生命とはいえない鉄の棒に過敏に反応するものだろうか?
しかし、同じことが三度続き、さすがにラインバッハ二世の元にも報告が届いた。
彼は無表情でファイルを読み進めると、肩をすくめた。
「さいわい、レールの材料となる上質の鉄鉱石は、エックス商会を通じて偽装し、ミドルポートから大量に仕入れている。
数のほうは心配ないが、作業が進まぬのは厄介だな」
王宮の窓から市街を見下ろし、ラインバッハ二世は思考をめぐらしている。
彼の周囲には、技術者マニュと、掘削の専門家、そしてモンスターの専門家たちが呼ばれていた。
「専門家としては、このスケルトンたちの動きをどう解釈する?」
ラインバッハ二世の質問には、威圧感はないが圧迫感があり、何らかの答えを導かないと冷たい視線とその後の礼遇が待っているのではないかという恐怖を覚えさせる。
「たまたま、同じフロアにいたスケルトンたちが、偶然に同じ人間を狙った結果、敷いたばかりのレールまで巻き込んで傷つけるほど激しい攻撃をした、とも考えられます。
いずれにしても、スケルトンを含むアンデッドたちを組織化して集団行動をさせるなど、不可能です」
「ふむ、たまたま偶然に、か」
結局、なんの回答も得られていない。隠すこともなく鼻で笑うと、ラインバッハ二世は、今度は技術者に目を向けた。
「このまま襲撃が繰り返されると仮定して、作業員の士気はいつまでもつと予想するか?」
「そうさなあ」
現場の親方、という言葉をそのまま擬人化したような親方は、がっしりとした腕を組んで考えた。
「戦士たちが守ってくれて、今の給料が維持されれば、自分たちが傷つけられない限りそうそう逃げ出すやつがいるとも思えんが、工期は延びるばかりで、確実に士気は落ちる。
まあ、もって二ヶ月かな」
「それを回避する手段は?」
「それは簡単だ、常に人員を入れ替え続ければいい。
新しい作業員を現場に投入し、萎えた作業員をしばらく休ませる。これが最善だ。
ただし、これでも確実に工期は遅れるだろうな」
「なぜだ」
「新しい作業をそのたびに覚えさせなければならんからな」
「なるほど」
今度ははっきりと回答を得られたからだろう。ラインバッハ二世は、掘削の専門家にむける視線と言葉に、一定の敬意をこめた。
ラインバッハ二世は、敬意に値する者に対しては、素直に敬意を表すようだった。
「さて、マニュくん」
「は、は、はい」
自分は何も悪くないのに、マニュは怯えきったような声を出した。
この男は悪いどころか、当初、ラインバッハ二世との契約に入っていた「横に動くえれべーたー」という新技術を驚くべき速さで開発しており、本来なら国際レベルで表彰されてもおかしくない発明をしている。
「怯えることはない。君には大変感謝している。むしろ、こちらのふがいなさを詫びねばならぬくらいだ」
ラインバッハ二世は、少し困ったような表情をしている。マニュに怯えられたのが意外とこたえたのかもしれない。
「君の新技術を生かすだけの材料はある。作業員もいる。ただ、邪魔者も多くいるようだ。
君の新技術がかたちにできるのを、もう少しだけ待ってもらいたい」
「はい」
叱責されるわけではないと知って、マニュは安堵した。
ラインバッハ二世は、別のことを考え出している。
(モンスターそのものには価値はないが、なかには貴重なアイテムを製作するための原料となるものもいると聞く)
利益につながる発見があるかも知れぬ。そう考えて、彼はニヤリと笑った。
「このさい、一気に駆逐するか」
こうして、地下五階までのモンスター駆逐作戦が実行されることになった。
相手はアンデッドである。やるからには徹底的にやらないと、また復活されては意味がない。準備は周到に、念入りに行なわれた。
しかし、ラインバッハ二世の胸のうちには、更なる謀略があった。この際、モンスターと同時に厄介な者たちを一掃してしまうか、と思い始めた。
細々と反抗勢力を続けているトリスタンたちのことだ。トリスタンらはラインバッハ二世に対してゲリラ戦に特化してテロを起こして対抗して居るが、いかんせん少数である。
この作戦に乗じて、一気にモンスターとともに彼らの本拠地まで壊滅させてしまう手はないか、と考え出したのだ。
何より、ラインバッハ二世が何より求める四人の「姫」のうち一人を、彼らがかくまっていることが高い確率で予想されている。
「リキエの誘拐は、すでに専門家に依頼した。ここは意図的に情報を操作し、一気に三人目を狙うか。
ラインバッハ二世の口元がつりあがる。うまくいけば、一気に彼の目的は達せられるかもしれない。
躍動する胸のうちを避けられるように、ラインバッハ二世は表情を組みなおすのに苦労した。
(初:15.03.29)
(改:15.06.18)